「アリューシャ、今日はよく我慢したな」
客間で一息つけるようになると、グルーが労いの言葉をかけてきた。 「不満も多かろう。だが、お前は侯爵家のお嬢様だった頃とは、もう違う。好きに着飾って贅沢三昧する事は許されない」 アリューシャが家を誇る為に着せられてきた、華やかで窮屈なドレスの数々が、自分の記憶みたいな感覚で、断片的にだけれど私の心に浮かんでくるようにまでなっている。 それに己をことさら誇張するような多くの宝石を、ヒロインに対峙する為の鎧として与えられていたものを、与えられるがままに着けていた事も。 「しかし、用意させたドレスについて、お前にだけは誤解しないで欲しい。今日の装いが殊更地味だったのは、王太子夫妻の神経を逆撫でしない為だ。お前は敵が多すぎる。今は目立たないようにしなければ、お前が更なる悪意に晒される」 「……はい、その通りだと思います」 他にどう言えばいいか分からない。何しろ悪役令嬢というポジションでは、負ければ周りは全て敵になるから。 「それでも、俺の隣に立たせるからには、地味に見えても貧相にはさせないつもりでドレスは作らせた。生地も仕立ても王太子妃と遜色はなかったはずだ」 言われてみれば、好奇の目には晒されていたけど、難癖をつけてくる貴族はいなかった。グルーが長く生きてきた分だけ、培った経験で守ってくれていたのかもしれない。 「お前の今後には、俺が責任を負う。お前は自覚を持てばいい」 「……あの、……はい、努力します……」 「よし、上出来の返事だ。──じゃあ、ベッドはお前が使うといい。俺はソファーでも眠れるからな」 こうなると、いよいよプレイヤーだった私と悪役令嬢のアリューシャ、二つの意識が同化してきて混迷を極めていた。 頭はくらくらしそうなものの、とりあえずグルーが思慮深くて悪い人ではない事は伝わる。 でも、婚活はおろか合コンにさえ縁のなかった私が、いきなり辺境伯家に嫁がされた女性として存在している現状は理解が追いつかない。 「寝つけなくても横にはなっていろよ。ここまで家同士の争いの駒にされてきて、色々と疲れただろう。それも今日で片がついた。今後の事はゆっくり休んでからだ。俺達の城で始まる新しい生活には、焦らず少しずつ慣れるといい」 俺達?新しい生活?慣れろって、アリューシャとして生きる事に?私はどうなったの? 「あの、旦那様……」 「アリューシャ、お前は我が家門に仕える身じゃないからな。旦那様などと呼ぶな」 展開についていけずに恐る恐る口を挟むと、ぴしゃりと言い返された。 どことなく不機嫌な声音は、もしかしたら私への忌々しさからだろうか?押しつけられた女でしかないアリューシャなど、押し売りに買わされた余計なものだから。 「あの、申し訳……」 私は咄嗟に謝ろうとした。 すると、それを遮ってグルーはこう告げた。 「つまり、だ。──お前は俺の伴侶になった身だろう。ならば呼び方は「グルー」だ」 伴侶。この人は、私を生涯の妻として認める発言をした自覚があるのだろうか? ゲームを楽しんでいた頃の私といえば、悪役令嬢は惨めに消えてゆく存在でしかないと思っていたのに。 「あの、……グルー様」 「様はいらない。グルーだ」 「……その、グルー……私達は夫婦として……同じベッドで眠ってさえいません。初夜だって……」 「浮かない顔をしてばかりいると思っていたら、そんな事で悩んでいたのか?」 「ですが、伴侶でしたら……グルーは今もソファーで寝ようとしていて、おかしくはありませんか?」 言い募った私に対し、グルーは至って冷静な態度を崩さなかった。 「十七歳だなんてまだ子供だろう。俺は子供が子供を孕み産む事の危険性が分からない程、分別のない人間に見えるとでも?」 「危険性……ですが、エスター様は既にグロウラッシュ殿下との子供を身ごもっております。それは誰からも祝福されていた慶事なのではありませんか?」 このグルーの発言は、そうした幸せなエンディングシナリオを否定するものだ。 シナリオでは、はじめこそ王太子殿下がエスター様に対して強引に迫って求めた。 エスター様は婚前どころか婚約者にも決まっていないから駄目な事だと分かってはいても、……それでも王太子殿下を愛していたから拒めなかった。 それで、アリューシャには気づかれないように関係を続けて、婚約者に選ばれて、しばらくして身ごもった事に気づく。それにより二人の結婚式が急がれる事になった。 その婚約からしばらくの間に、アリューシャは落ちぶれて辺境伯家に嫁ぐしかなくなるのよ。 確か、エンディングではアリューシャについて「神罰がくだったのだろう、アリューシャは新婚初夜も独りで眠り、子宝に恵まれる様子もなかった」と触れられていた。その記憶が私にのしかかっていたものの……。 でも、それは哀れな末路なのではなく──グルーがアリューシャの体を思いやっての事なのだとしたら? こんなのは神罰じゃない。ただ、人の優しさに触れているだけになる。 「慶事と言えば聞こえは良いが、俺からすれば殿下は軽率な行動をとったとしか言いようがない」 「軽率だなんて……誰かに聞かれでもしたら、不敬だと思われてしまいます」 「今ここには、俺とアリューシャしかいないだろう?そしてお前は言いふらしたりしない」 日本でも昔は、政略結婚で幼いうちに嫁入りする姫も珍しくはなかったけど、そうした姫は成長するまで、床入りせずに育てられていたらしいとは聞いた記憶がある。 それを考えれば、グルーは出産が命懸けになる事を、現実的に考えてくれている事に他ならない。 私は──私だって、なぜゲームの世界にいるのか分からないけれど──たとえ朝になれば醒める夢の中であっても、今こうして生きている以上、危険な目には遭いたくない。 叶うなら落ちる所まで落ちたアリューシャとしてではなく、夢でもこうして生きている夢なら不幸な死なんてごめんだし、不幸になんてなりたくない。夢だろうが現実だろうが、幸せな生き方をしたい。 ゲームではエスターに敗れたアリューシャだけど、辺境伯に売られたような身でも……その辺境伯のグルーは、時代の敗北者である私を、ぞんざいに扱ったりしていない事も所々で感じられる。 私は、もはやそこにしか希望はないと薄々感じていた。 「ほら、明日に響くだろう?早く寝るんだ」 「あ……」 グルーが私の顔を覗き込み、ぽんと頭を撫でてから背を向けてソファーに向かう。温かい手のひらを、けざやかに感じた。 「……おやすみなさいませ、グルー……」 何とか声を振り絞ると、振り返ったグルーは片手を上げて「おやすみ」と応えてくれた。 そして、促された通りベッドに入ってみた。 寝具は心地よく体を包んで、肌触りも良くてなめらかだ。 まだ我が身の事を受けとめきれない状態。まさか眠れるとも思わなかったけど、じっと目を閉じていると、心のどこかで「これは夢」と抗っていた最後の意識が、すっと眠りに吸い込まれていった。 「可哀想にな……夢くらい、幸せなやつを味わえよ」 ソファーから歩み寄ってきたグルーが、眠る私を見下ろして、手を伸ばして大事そうな手つきで頬に触れ、まるで幼子にするように撫でていた事には、気づくよしもなく。 そうして、暗闇の夢の世界で、出逢うはずのない者と相対する事になる。 人によっては、それを絶望と呼ぶかもしれない邂逅は私を大きく変える。グルーから仕事をもらえた私は、翌日さっそく盗賊討伐の時に護符などの書き物をしていた部屋へ向かった。「これは、奥様。旦那様よりお話は伺っております」「そうなのね、あなたに──あなたの名は何と言うの?」「カシウスでございます」「じゃあ、カシウス。前に私が書いたものは、初めてでも書ける比較的簡単なものだったのよね?」「はい、きちんと書ける事が大事でしたので」「おかげでグルーにきちんと渡せたわ、ありがとう。──今度は、もっと強力な護符と呪符を書きたいの」「お礼には及びません。──強力なと申しますと、それだけ書くのも難しく複雑になりますが……」「構わないわ。頑張って書くから、参考になる見本の書物があれば貸してもらえるかしら?」「奥様が旦那様のお為に、そこまで……お見えになられた当初より、ずいぶん変わられましたね」「それは、私も変わらなければ……誰の為にもならないもの」アリューシャはよほど辺境伯家に馴染めていなかったみたいね。拒んでいたからこそ私がアリューシャにされたのだから、それもそのはずかもしれない。私の言葉を聞いたカシウスは、心底嬉しそうに笑みを浮かべて頷いてくれた。「奥様が旦那様を思って下さる事は、辺境伯家において何よりも喜ばしい事でございます。かしこまりました、書くのは困難になりますが見本をお渡し致します」「ええ、お願いするわ」書庫からカシウスが出してくれた見本の書物は古めかしくて、開いてみると確かに私が書いたものより遥かに複雑な書き方だった。でも、これを書けたら──もっとグルーを助けられる。私はもっとグルーの役に立ちたい。叶うならばグルーを支えられるようになりたいけれど……でも、グルーにとって私はまだ未熟な女の子でしかない。だからこそ、もらえた仕事は手抜きなく念入りに仕上げたい。グルーを驚かせるくらい。その一心で、私は私室にも持ち込んでペンを進めていた。「──奥様、今宵も遅くまで書かれておいでで……根を詰めてはお体によろしくありません。どうかお休みになられて下さいませ」「待って、もう少し……あと一時間くらい書いたら、きりのいいところまで書けるから」「旦那様のお為にと頑張られる奥様は素敵ですが、頑張りすぎては旦那様が心配なさいますよ、私どもも奥様がお体を壊されないか気に病みますし……」「エミリー、ごめんなさいね。皆に心配
──所は変わって、王宮の王太子夫妻が住まう宮殿では、エスター様が奔放な振る舞いをされていた。「王太子殿下ならびに王太子妃殿下、トリステア帝国の宰相が予定通り三日後には王国にお見えになります。お出迎えは国王陛下より任されておりますゆえ……」「分かっている。エスターも大切な貿易相手国だ。丁重にもてなさなければならない事は理解してるだろう」「はい、仰せの通りに。妃殿下には王国とトリステア帝国の関係性につきましても、……説明させて頂いております」トリステア帝国には、主に麦と武器を輸出している。王国は良質な鉄の産出国として知られていて、作られる武器も値打ちが高い。その高価な武器を惜しむ事なく輸入してくれる帝国は、格好の取り引き相手だった。だけど、お嬢様として華やかに生きてきたエスター様には今ひとつ呑み込めないらしい。エスター様の私室では、専任の教師が口を酸っぱくして話す事にも半ば諦めた様子で、妥協策を見いだそうとしていたようだ。「妃殿下はまだ、トリステア帝国の言語を習得なさっておいでではございませんので、通訳を付けさせて頂きます」「ええ、頼むわ。──あのような戦に明け暮れる野蛮な国の言語でも、今後は覚えなくてはならないのね」「妃殿下に申し上げますが、国庫を思えば、そのように軽んじてはなりません」「もう、お説教は十分に聞いたつもりよ?」教師が言葉を失う。そこに、グロウラッシュ殿下が訪れた。「エスター、王太子妃教育は捗っているか?」「グロウラッシュ殿下!──はい、本日はトリステア帝国についてと、王国の建国神話についてお話を伺いましたわ」「建国神話?歴史では初歩的なものだが……」「それは、とても興味深くて何度も聞いてしまいますの」本当は覚えられずにいて、繰り返し聞かされている。しかし、その事実は明かせない。王太子妃としてのプライドが許さないし、何より教育が進まない事を殿下に知られたら失望させてしまう。そして、最も許しがたいのは──アリューシャと事あるごとに比べられてしまう現実だ。何しろ、アリューシャは幼い頃から家庭教師を付けられて学び、主要五カ国の言語も読み書き出来る。更には淑女としての礼儀作法にも通じていたのだから。それがエスター様には気に食わない。心に潜む劣等感を認める事すら許せない。──アリューシャ様は、勉学も進んでいたようだけれ
「グルーのいないお城は灯火が消えたようね……使用人ならば、それでも日々の仕事があるけれど……あら?」廊下を歩いていて曲がり角に来ると、掃除担当のメイド達が、箒を動かす手も止めてお喋りしている声が聞こえてきた。でも、その内容は通り過ぎるにも引き返すにもいかない、看過しかねるものだった。まだ若さを残すメイドが、しきりに私への陰口を叩いているのだから、見逃せという方が無理だ。「旦那様も、とんだ貧乏くじを引かされたものよね。ようやく妻を娶る事になっても、あんな悪評高い令嬢だなんて。だから子を成す事も控えてらっしゃるんでしょ」「ちょっとアーシャ、言い過ぎよ。それに旦那様は仰っているじゃない、奥様はまだ出産を経験させるには若すぎて危険だって」「何よ、それってつまりは幼稚すぎて、女としての魅力がないって意味でしょ?見れば分かるじゃない。細身なのはまだ良いとして、あの細すぎて貧相な胸に腰ときたら」「誰かに聞かれたらどうするの?奥様への侮辱よ、許される内容じゃないわ」「私は事実しか言ってないでしょうに。奥様が悪評ばかりだった事も、女性の魅力に欠ける事も」私は相手の暴言を引き出すだけ引き出してから、メイド達の前に出た。「──ずいぶん楽しそうな話をしているわね」「お、奥様!」「そこのあなた。当主の妻である私を否定する事は、そのまま当主を貶める事になると知っていて?当主を敬えない使用人なんて辺境伯家には不要なのよ?」「そんな、奥様……私は旦那様を貶めるつもりなどございません!」「それにしては品位に欠ける発言を延々としていたでしょう。あれら全てが、あなたの主を見下しているからこそ言えるものなのよ。──衛兵をここに」「お待ち下さいませ、奥様!私は……」「言い訳は私の耳に障るわ。衛兵、この女を城外に叩き出して」「そんなっ……奥様の気持ち一つだけで、仕えてきた使用人を勝手に解雇したと知れば、旦那様も黙ってはおりません!」「ええ、黙ってはいないわね。グルーの留守を預かる妻が貶されてはね。鞭打ちと追放だけでは済まないでしょう」独断だけれど、主の妻を認めない使用人は城を蝕む事に繋がる。自由と好き勝手は違うのよ。「私の事が言われていたから、私は追放だけで済ませてあげるのよ」「奥様!私は……ちょっと離して!誰か!あんたも見てないで助けなさいよ!一緒に話してたでしょ
討伐の準備で慌ただしそうな城内を歩いていて、私は多くの人が出入りする部屋を見つけて覗いてみる事にした。すると、机に向かって何かを書いている人が集まっていた。皆、近寄りがたいくらいに真剣な顔つきだ。「あの、──ここは何をしている部屋なの?」「お、奥様!」辺境伯家については無関心を貫いていたアリューシャが関心を持つだなんて、よほど驚かせてしまったみたいだけど……。「皆ペンを持っているわね。何を書いているの?今度の討伐でグルーが家を空けるから?」辺境伯家の執務についての割り振りかと思ったのだけれど、対応してくれた者はやんわりと違う事を答えてくれた。「奥様、当たらずとも遠からずでしょうか。これは執務とは違うのですが……戦に使う守護用の護符と、罠を仕掛ける為の呪符を書ける者が総出で書いております」「護符と、呪符……」「はい、世界でも我が国、いいえ、この辺境伯家にのみ伝わる文字で書かれた特別なものです」「……それは、私にも書けるかしら?」「え?あの、奥様?」「いえ、そのっ、……グルーの持つものは私が書こうかと思っただけだけれど……こんな素人では役立たずよね」出しゃばったようで、恥ずかしさに顔が熱くなる。説明してくれた者も、ぽかんとしているし。「やっぱり、こういうのは書ける力を持つものが書いてこそよね、失礼したわ」「──奥様!お待ち下さい。お教え致しますので、ぜひ旦那様の分を書いて頂けますか?」「でも、忙しそうにしているわ。私に手間をかけては、迷惑に……」「いえいえ、奥様が手ずからお書きになられた護符と呪符を持てば、旦那様は無敵でしょう。ぜひお力をお貸し下さい」「……本当に良いの?」「はい、もちろんです。僭越ながら私がお教え致しましょう」素人の書いたものでは、単なる紙でしかないかもしれないのに……それでも、グルーの役に立てると言ってくれる。「ありがとう。お願いするわ」こうして、私は室内に入って護符と呪符に使われる文字について教えてもらえた。見た事もない文字だから当然読めない。読めない文字は見よう見まねで書くから、難しくて時間がかかる。私は参考にする書物を借りて、自室でも夜更かしして書き続けた。それから、グルーが出立する前夜──。「……書き上がった……」少し不格好な文字の護符と呪符が仕上がった。こんな事、グルーの為に頑張って
──そうして、辺境伯家で新しい生活に馴染もうと努めている中で。「──何かね、グルーの役に立ちたいと思うのよ」私は辺境伯家に仕えている執事長のウァジリーに、こう相談していた。すると、意外な返事が返ってきた。「奥様、奥様の持参金にも巨額の価値がございます。辺境伯領が十分に潤うのですよ」「巨額の価値……?」傾いた侯爵家に、そんな値打ちのあるものが出せるわけがない。しかも私は売られた身だ。「──何の話をしてるんだ?」そこに、折りよくグルーが入ってきた。「グルー、あなたは私の持参金を納得した上で受け取られたのですか?」「もちろんだ。トリーティ山こそアリューシャの持参金として相応しいと思ったからな」トリーティ山。侯爵家の避暑地で、夏をすごす別荘がある場所だ。嫁入りの際に婚姻の作法に則って、持参金として辺境伯へ贈られたのが、この山だけとは。「侯爵家からは、娘に持たせる持参金は用意出来かねる為、代わりに領地の一部をと打診されていた」娘が嫁ぎ先で恥をかく事くらい分かりきっていただろうに、それでも持参金を持たせられない程、侯爵家は困窮しきっていたのね……。「俺は領地を見て巡り、農地の改良点を侯爵家に伝えたのち、トリーティ山を持参金にと申し出る事にした」ゲームのシナリオ通りなら、せっかく改良点を教われたとしても、あの家は活かせる事なく没落する。──でも、今はそれよりもグルーがトリーティ山を望んだ事実よ。何しろその山は、アリューシャが幼い頃に川遊びで砂金を見つけた山でもあるから。そこには恐らく──推察が正しければ、金鉱脈があるのだろう。巨額の価値とは、つまりそういう事だ。麦や家畜といった農作物がとれる土地や、侯爵家に残された宝飾品などより、よほど旨みがある。それを察して、心が冷えてゆくのを感じた。「没落し、後ろ指をさされる貴族の娘を娶るとは、物好きもいたものだと思いましたが……一枚岩ではなかったようですね」「待て、何か誤解があるようだが──」「誤解とは?私に持参金として金鉱脈を持たせられれば、辺境伯家は莫大な富を得ますよね。こんな悪評高い私でも、得られるものが大きければ目を瞑れるものでしょう?」「それは間違ってる。俺はお前の親からの説明では、トリーティ山について「侯爵家の避暑地があり、アリューシャが己の身分も弁えず、泥混じりの川で川遊びなど
私が暮らしていた世界に置いてきてしまった、家族、友人、仕事、趣味、娯楽。様々なもの達に心残りはもちろんある。叶うなら元の生活に戻りたい気持ちも残っている。それでも、──アリューシャとしてでも生きている限り、お腹はすくし、眠りもする。何より、グルーや使用人達が甲斐甲斐しく面倒を見てくれるおかけで、心はともかく体は元気を取り戻していった。そうして、普通に動けるようになると、グルーはさっそく王都のデザイナーを呼び寄せた。「奥様は細身でございますし、お肌もお美しいですから……それらを活かしたドレスに致しましょう」デザイナーが採寸しながら話して、次々とデザインされたドレスは、どれも豪奢に宝石をあしらったりしてこそいなくても、アリューシャの残した記憶の認識で安物ではないと分かる。一見するとシンプルなようでいて、レースや刺繍の施し方といった細かいところの意匠が凝っている。侯爵家で着飾られていた頃の華やかな感じこそないものの、質素ではなく、むしろ高級感があり高貴に見えるドレスばかりだ。「あの、これでは贅沢すぎませんか?普段使いのドレスですよね?」しかも数が多すぎる。何でグルーが突然こんな甘やかし方を始めたのか、さっぱり分からない。だけど、衣装合わせを手伝うエミリーは楽しそうに笑うばかりだ。「それは、旦那様は奥様に新しいドレスをあつらえて差し上げたがっておりましたもの。ようやく機会を得て、嬉しくて仕方ないのでしょう」確かにアリューシャの記憶では、グルーに新しいドレスをねだる事もなく、手持ちのドレスを着古していたけれど……。「……私、そんなにみすぼらしく見えていたのかしら?」「そうではございませんよ、奥様。旦那様は奥様に心細い思いをさせまいと願っておいでなだけです」「グルーが?」「──失礼する。アリューシャ、まだドレスが足りないようなら……」そこに、グルーが来て更にドレスを増やそうとするものだから、私は焦って言い返した。「十分すぎる程です、もう季節ごとに十着も作って頂いたのですよ?」そう、合計すると四十着にもなる。あまりにも多い気がしてならない。だけどグルーは平然としている。「──お前が侯爵家から持ってきたドレスは六着。夏用と冬用が二着ずつ、春と秋はたったの一着だ。もう着るものにも困るような生活はさせない」アリューシャ……痩せ我慢して意地