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第232話
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私が去った後のクズ男の末路 第233話
日が落ちる頃、邸宅の庭にエンジン音が響いた。玄関前にゆっくりと車が止まり、中から出てきたのは、使用人と一緒に乗ってきた澄佳だった。澪安に会うのは初めてだったが、澄佳は手土産に小さなケーキを持ってきていた。車のドアが開いたとき、ひとりの背の高い男性が静かに立っていた。彼女をじっと見つめている。澄佳はすぐに察した。——この人がお父さん。一瞬だけ、彼女の顔が固まった。夕暮れの光に照らされて、その表情はとびきり美しかった。そう、彼女は京介にそっくりの娘なのだ。美しくないわけがない。すべてが整った顔立ち。まるで計算されたかのような完璧な造形。京介は膝をつき、何も言わずに澄佳をやさしく抱きしめた。彼の小さな娘。その温もりに彼の顔が少女の首筋に埋まった。澄佳を見送ったあの日、彼女はまだ赤ん坊だった。こんなにも大きくなって、こんなにも明るく、美しく育ってくれた。どんな父親でも愛さずにはいられないだろう。外国で育った澄佳ではあったが、気質はどこか落ち着いている。この唐突な情熱には、戸惑いを隠せなかった。けれど——パパ、なんだよね？いつもは強がりな澄佳が今にも泣きそうな顔を見せた。京介はさらに強く彼女を抱きしめた。自分のせいで、この子たちが父母の愛を奪われた。本来なら、健全な家庭で何不自由なく育てられるはずだった。長い沈黙ののち、京介はようやく顔を上げて、ケーキを手に取った。「これは、お兄ちゃんへのプレゼントか？」澄佳は横を向き、ひとまわり小さな男の子を見つめた。彼は自分より頭一つ分も小さい。「これは……周防澪安に持ってきたの」澄佳はふくれっ面で言い放った。「これからは私が澪安を守るの。誰かにいじめられたら、私が代わりにやっつけてあげる！」細い腕をぶんぶん振り、白い歯を見せて笑うその姿は——まるで、小さな頃の京介そのものだった。澪安は頬を真っ赤にして、もじもじとしていたが、いつの間にか「お姉ちゃん」と何度も呼ばされていた。京介はふたりを見ながら、心の底から誇らしく思った。澄佳には自分の血が流れている。でも、舞にも似ていた。彼は小さな澄佳を片腕で抱き上げ、灯りがともったリビングへと歩き出した。澪安はすぐに後ろからついてくる。家では、彼は常に「パパの影
私が去った後のクズ男の末路 第232話
橙色の夕陽が差し込む室内は柔らかくぼやけていた。まるで、過去の傷も痛みも、すべてなかったことのように感じられた。うっすらとした煙越しに、京介は深く舞を見つめる。「お前が俺を恨んでるのは分かってる。澪安を返してほしい気持ちも分かる。でも……澪安は、ダメなんだ。舞、俺は男の子だからって贔屓してるわけじゃない。澪安は俺の命なんだ」……なぜか。それは京介にはもう澪安しか残されていなかったからだ。露が降り、霜が葉を落とすように三年の時が過ぎた。そのうちの十ヶ月、澪安は保育器の中で生きていた。事故で重傷を負った京介は、二ヶ月も病床に伏していた。少し回復すると、病室を澪安が入院する病院へ移し、夜な夜な傷ついた体を引きずって、保育室へ足を運んだ。右腕を失っても構わなかった。ただ、生きていてほしかった。ただ、澪安さえ生きていてくれればそれでよかった。生後十ヶ月でようやく保育器を出た日、京介は澪安を自宅に迎えた。それからずっと、自らの手で育ててきた。昼も夜も、寝る間を惜しんで、たったひとりで。京介の目がうっすらと潤んだ。煙草を挟んだ指がかすかに震え、声もまた震え始める。すべてのプライドを捨てて、勇気を振り絞った一言。「澪安をどうしても望むなら……俺たち、再婚しよう」……夕暮れの光はやがて褪せ、橙が鉛紫へと変わっていく。過ぎ去った日々の残響がなおもふたりの間に漂っていた。舞は静かにソファに座り、微かな明かりの中で京介を見つめていた。その瞳に喜びも怒りもなかった。ただ、穏やかで静かだった。「京介、無理なことだって分かってるでしょう。何年も経てば、憎しみも薄れる。でも、なくなることはない」ただ子どものために、こうして顔を合わせているだけ。澪安がいる限り、それは避けられない現実だった。京介は何も言わなかった。ただ、舞を見つめる。その眼差しには、隠しきれない名残惜しさが滲んでいた。彼らは、お互いを愛していた。だが、「同じ時」に愛し合ったことは一度もなかった。舞が彼を想っていた頃、京介は幻想に囚われていた。そして、彼が本当に愛しようとしたとき、舞の愛はすでに過去になっていた。……沈黙が書斎を包み込む。カチリと微かな音がしてドアの鍵が開いた。
私が去った後のクズ男の末路 第231話
その瞬間、舞の胸にはさまざまな感情が押し寄せてきた。しばらくして、かすれた声で言った。「数日前に戻ってきたばかりよ。もう、奥様じゃないわ。私は……彼と離婚したから」使用人は少し寂しそうにしながらも、変わらず笑顔を浮かべた。「お時間がある時でいいので、お嬢様を連れてまたご飯に来てください。皆でおいしいものをご用意しますから」舞の目に熱いものがこみ上げる。小さく頷いた。——ここにいる使用人たちは、かつてロイヤルガーデンにいた人たちだ。何年も共に過ごしてきた仲だ。情がないわけがない。挨拶を終えると、舞は静かに階段を上がっていった。主寝室は静寂に包まれていた。京介は澪安をベッドに寝かせ、そっと上着を脱がせた。中に着ていたのは、小さな黄色いアヒルのTシャツ。白い肌が際立って、まるでぬいぐるみのように愛らしい。子どもは、いつもの匂いに安心したのか、くるりと体を丸めて眠りについた。その小さな背中は、まるで生まれたばかりの赤ん坊のように見えた。舞はベッドの端に腰を下ろし、そっと息子の額に手を触れた。——失ったはずの我が子が、今こうして目の前にいる。それが嬉しくて、でもどこか恐ろしくもあって、まるで夢のようで。夢ならば、どうか覚めないでほしい。目を覚ましたとたん、また澪安が消えてしまったら……そう思うだけで、舞の目元はじんわりと濡れていく。かまわず、涙は頬を伝った。——我が子なのだ。大切な、大切な命。舞はこみ上げる想いを必死に押し殺しながら、そっと身をかがめた。そして布団越しに顔を寄せ、澪安のやわらかなお腹にそっと頬を埋めた。まだほんのりと赤ちゃんのような甘いミルクの匂いが残っていて、その体はあまりにも小さく、か弱く、どれほど苦労してここまで育ってきたのか——そのことを思うと、胸が張り裂けそうだった。何も考えたくないのに、どうしても考えてしまう。——そのとき、京介がゆっくりと手を伸ばした。舞の肩を抱こうとしたが、次の瞬間、その手をふいに引っ込めた。そして、無言のまま書斎へと向かった。九月の陽射しは強く、空は抜けるように青かった。それでも、京介の胸の中は、果てしない荒野のようだった。ほんのさっきまで、どれだけ彼女を抱きしめたいと思ったことか。悲しみに沈む舞を、
私が去った後のクズ男の末路 第230話
ビカソ幼稚園——立都市で最も高級な幼稚園のひとつ。年間の学費は、なんと四百万円にもなる。通っている子どもたちは、いずれも裕福な家庭の子ばかり。誰が誰を傷つけてもおかしくない、そんな緊張感すら漂う場所だ。舞が急いで園に到着し、園長室に案内されると、部屋の中には二人の子どもがいた。ひとりは九条の娘、夕月。もうひとりはまだとても小さな男の子だった。小さくて色白で、驚くほど整った顔立ちをしている。けれど、舞が思わず見つめてしまったのは、その見覚えだった。どこかで——いや、何度も夢に見たような——その子は、舞をじっと見つめていた。今にも駆け寄りそうなのに、なぜかぐっとこらえているようで。そのとき、慕美が彼女に抱きつき、うるんだ瞳で甘えるように言った。「叔母さん」舞はその子の頭をそっと撫でたが、どうしても気になって、視線は自然とあの小さな男の子のほうへと向けられていた。慕美はくるりと振り返り、腰に手を当てながら澪安に向かって得意げに言った。「この人はね、私の叔母さんよ！これからパパと結婚して、私のお母さんになるんだから！」子どもの言うことだと、舞は笑って流した。けれど、その間も、視線はあの男の子から離れなかった。「喧嘩したって聞いたけど……澪安、泣かせちゃったんでしょう？ほら、ちゃんと謝ろうね」二人とも、お母さんがいない子だった。ちょっとした意地の張り合いが喧嘩に発展したのだ。もちろん、体の小さな男の子は元気な慕美には敵わなかった。涙ぐんで鼻をすすっている。でも慕美は勝ったことに満足したのか、堂々と彼の前に立ち、「周防澪安、ごめんね。もう喧嘩しない。誰かにいじめられたら、私の名前出しなよ。助けてあげるから」と言った。それでも、澪安の目は舞を見つめたままだった。その瞬間、舞の中の何かが崩れた。血の気が引き、立っていられないほどの衝撃。どんな風にして、その子の前にたどり着いたのか覚えていない。ただただ、本能のままに、膝をついてその子の顔を見上げ、震える指でそっと頬に触れた。「……澪安、っていうの？パパの名前は？」……その問いに、澪安は唇を結び、ほんの少しの時間のあと、小さく答えた。「パパの名前は……ハンサムさん」舞の頬には、いつの間にか涙が伝っていた。彼女は澪安の小さ
私が去った後のクズ男の末路 第229話
京介は、いつものように蒼真を相手にするつもりはなかった。だが、視線はずっと舞に向いたまま、口だけは蒼真に向けて動いた。「……長く時間が経てば、人の好みなんて変わるもんだ。お前だって、変わっただろ？」蒼真は歯を食いしばった。彩香は呆れたように、それでいておかしそうに笑った。——蒼真は口ではどうあがいても、この男には勝てない。彼女は素早く蒼真を引っ張り立たせ、舞にひとこと。「じゃあ、私たちは先に帰るね。ごゆっくり」……ふたりが去っていくのを見送った舞は、苦笑いを浮かべた。京介がその横顔をじっと見つめながら言った。「お前が帰国して、最初に会う相手は……上原九郎だと思ってたよ」「一昨日、九郎と紗音と三人でご飯食べたわ」「……そう」しばらくの沈黙ののち、京介はやや声を落として言った。「……じゃあ、なんで俺には連絡くれなかった？誘ってくれてもよかったのに」舞は目を上げ、まっすぐに京介を見つめた。その視線が冗談でないと分かった瞬間、静かに微笑んだ。「京介、私たちに、もう一緒に食事する理由なんてある？おばあちゃんはもういない。澪安もいない。愛も憎しみも、あれから三年も経ったわ。お互い新しい人生が始まってる。あなたも婚活してるんでしょう？だったら、これ以上そんな中途半端なこと言わないで。普通にいこうよ」そして、ひとこと付け加えた。「さっきの女性、素敵な人だったわ」まるで——心からそう思っているかのように。それはもう、本当に吹っ切れた人の表情だった。愛していない、憎んでもいない。ただ——終わったのだと。京介はしばらく黙ったまま、ポケットから煙草の箱を取り出した。この店は禁煙。火をつけるつもりもなく、ただテーブルに煙草の箱を置き、眺めながらぼそりとつぶやいた。「……まあ、悪くはなかった」本当は言いたかった。あの婚活は、澪安の治療のためだったと。もう一人、子どもが必要だった。臍帯血のドナーが——でも、それを言えば、きっと舞はまた冷たい目で彼を見るだろう。「あなたって、いつも自分の都合しか考えないのね」そう言われる未来が見えていた。だから、口に出せなかった。でも。それでも、舞には「澪安」のことを知る権利がある。京介は考えていた。どうやって話せ
私が去った後のクズ男の末路 第228話
京介の胸中は重苦しく沈んでいた。三年間。何度も何度も、彼女との再会を想像した。けれど、どの想像にも「彼女の隣に別の男がいる」という光景はなかった。九条がそこに現れた瞬間、京介は悟った。——金や地位の話じゃない。自分は、ただ「四肢が健全な男」にすら、もう勝てないのだと。今では生活に支障はない。けれど、服を脱げば、右腕は見るも無残な状態だ。ベッドを共にする相手がいれば——きっと、目を開けていられないだろう。ましてや、その相手が舞なら。彼女がその腕を見て、驚く顔を自分は受け止められない。だからこそ、彼の中での自分は、今もなお完璧であってほしいのだ。そんな京介の横顔を見つめながら、周防夫人の胸は締めつけられるように痛んだ。この子が、いつ自分を卑下するような人間になった？京介はいつだって、堂々と誇らしく歩いていた。だが、今——あのときの自分の愚かさが、この子の人生を狂わせた。右腕の傷だけでなく、恋も家族も、すべてを引き裂いてしまった。周防夫人は何も言えず、ただ静かにその場を去った。帰り際、一枚の写真を置いていった。長い沈黙のあと、京介はそれを拾い上げた。写っていたのは、朝比奈夕月（あさひなゆづき）という女性。中堅企業の令嬢で、大学の講師をしているらしい。優しげな面差しは、見ているだけで好印象を与える。……正直、彼にとっては、ややもったいないと感じるほどだった。京介はかすかに笑った。指先に挟んだ煙草が、赤く揺れている。火の明滅がそのまま彼の揺れ動く心のようだった。……二日後。舞は久しぶりに、蒼真と彩香を食事に誘った。二人は、今や恋人同士だった。剛志は、彩香を非常に気に入っていたらしい。食事の場所は秘湧レストランだった。何年ぶりかの再会に、三人の胸は自然と高鳴った。料理を選ぶ蒼真の落ち着いた様子を見て、舞は冗談交じりに彩香に言った。「いい男つかまえたじゃない」彩香はにこやかにお茶を注ぎながら応えた。「舞さんが基礎を築いてくれたおかげです」蒼真はすかさず不満そうに口を挟んだ。「おいおい、三城家の血統が良いからってことだろ！」ふたりのやりとりは息ぴったりで、まるでコントのように笑いを誘った。そんな二人を見つめながら、舞はどこか遠い
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