FAZER LOGIN会場の扉を抜けた瞬間、空気が変わった。
室内の熱気と香水の匂いが一気に遠ざかり、夜の冷たい空気が頬に触れる。外は静かで、街灯の光が地面に淡い影を落としていた。人の声も音楽も聞こえない。さっきまでの喧騒が嘘みたいに、ここだけ時間がゆっくり流れているようだった。「湊さん」名前を呼ぶだけでこんなに緊張するなんて、自分でも驚く。夜風がふっと吹いて、私の髪を揺らす。その冷たさが、胸の奥の緊張を少しだけ際立たせた。「ん?」言うべきか迷っていた言葉が、喉の奥でまた揺れた。「あんなふうに言って大丈夫なんですか?」紗良さんに対してあまりにもはっきり言い切ったあの態度が、頭から離れなかった。あれは、湊さんらしくない。いつも角を立てないように、人間関係を大事にしていたのに。「何が?」湊さん「それがあなたの選択なのね」その言葉は、電話越しでありながら重く響いた。まるで最後通告のように、私たちの態度を試す冷たい刃だった。義母様の声には怒りと失望が混じっていて、私を責めるだけでなく湊さんの決断をも否定しているように感じられた。「はい」湊さんの声は低く落ち着いていて、揺るぎない決意を含んでいた。「分かったわ」その言葉は、表面的には受け入れを示しているようでありながら、どこか冷たく突き放す響きを含んでいた。命よりも大事な息子に見放された今、彼女にとって怖いものはないように思えた。失うものがない者は、何も恐れず、何もためらわない。「他にお話がない様でしたら」「あの子に伝えておいて。あの時の言葉を覚えているのなら、気をつけなさいねと」その言葉は、電話越しでありながら不気味な余韻を残した。あのパーティーで、お義母様に言われた言葉。今の関係を保てるように努力しなさいね。思い出した瞬間、胸の奥が冷たくなり、背筋がぞくりと震える。彼女はまた、何かを仕掛けるつもりなのだろうか。過去の言葉を持ち出すことで、私に忘れるなと釘を刺しているように感じられる。「あの時の言葉?」「彼女なら分かるはずよ」その声は冷たく、私を試すような響きを含んでいた。あなたは逃げられないと告げられているようで、胸の奥が冷たくなる。「分かりました」通話が途切れた瞬間、部屋の空気が一気に静まり返った。お義母様の声が消えたことで、私は胸の奥が少し軽くなるのを感じた。けれど、心臓はまだ早鐘を打ち続けていて、指先は震えていた。「湊さん、」私は思わず声をかけた。胸の奥にはまだ恐怖が残っていて、言葉は震えていた。自分でも、何を言いたかったのか分からない。「ありがとう」なのか、「ごめんなさい」なのか。どちらも言いたいのに、どちらも言えない。湊
「彩花さんと話がしたいの。代わってもらえる?」 単なる会話の願いではなく、私を直接支配下に置こうとする意図を含んでいる。 私の指先は膝の上で震え、心臓は早鐘を打ち続ける。義母様の声は電話越しでも圧力を持ち、私の心を押し潰そうとしていた。 「それはできません」 その一言は、義母様の支配的な要求を正面から拒むものだった。 「あの子が、嫌だって?」 お義母様の声は鋭く、疑念を含んでいた。まるで私が湊さんの背後で操っているかのように問いかける。 「いえ、私の判断です」 お義母様の疑いをきっぱりと否定し、私に責任を背負わせるのではなく、自分の判断だと断言した。 「まるで私が何か酷いことをするみたいじゃない」 お義母様は、自分は善意しか持っていないと主張しているかのようだった。 どうして彼女は、私に酷いことをしているという自覚を持たないのだろう。 私のため、湊さんのため、その気持ちに嘘はないのかもしれない。 私が至らないのは事実で、彼女の言葉の一部は確かに正しい。けれど、そのやり方は決して正しいとは言えなかった。嘘でも肯定することはできない。 「違うんですか?」 湊さんの声は冷静でありながら、鋭さを含んでいた。その一言は、義母様の言葉を正面から突き返すものだった。 「実の母を疑うなんてひどいじゃない。彼女に何を吹き込まれたか知らないけど」 母である以上、疑うことは許されない、そんな暗黙のルールを突きつけていようで、胸の奥が冷たくなる。
「そんなことしたら、怒って何するか分からないよ」 私は声を震わせながら言葉を吐き出した。 お義母様の怒りは予測できない。小さなことでも大きな叱責に変わり、時には私の存在そのものを否定するような言葉を浴びせられる。 「怒らせとけばいいよ」 彼の声は低く、しかし揺るぎない決意を含んでいた。怒りを恐れず、むしろ突き放すような強さがあった。 「お義母様は2コールで出なかったら怒る人だから」 私は必死に説明を重ねた。声は焦りを含み、心の奥では恐怖が広がっていた。 お義母様の厳格なルールを破ることは、彼女の支配を拒むことに等しい。だから電話を切るなんて、火に油を注ぐようなものだと思えてしまう。 「何様なんだよ」 湊さんの声は苛立ちを含んでいた。お義母様の支配的な態度に対する反発が込められている。 着信音が再び部屋を満たす。 私は一瞬、胸がざわめくのを感じた。心臓が早鐘を打ち、指先が震える。 「しつこいなぁ」 着信音が繰り返し鳴り響くたびに、部屋の空気は重く張り詰めていく。 湊さんの眉間には皺が寄り、視線はスマートフォンに釘付けになっていた。 「やっぱり出た方が…」 私は湊さんの手元にあるスマートフォンに視線を向け、手を差し出した。 お義母様の性格を知っているからこそ、出ないことがどれほどの怒りを招くか想像できてしまう。 今なら、まだ間に合う。 「分かった」 そういうから返してくれると思ったのに、彼は私の期待を裏切るように、自ら画面をタップして通話を繋げた。 驚きと焦りが一気に胸を締め付け、呼吸が浅くなる。 私の手は宙に取り残
「それは嬉しいけど、」その提案は嬉しいけれど、まだ解決できていない問題への影が見える。「心配しないで、他の解決策を考えてみる」私を守りたいという気持ちが込められていて、胸が温かくなる。それと同時に、彼が一人で抱え込んでしまうのではないかという不安も広がる。「引越しもせずに、私が変わらなくてもいい方法?」私は少し首を傾げながら問い返した。声は落ち着いていたが、心の奥では緊張が走っていた。自分を変えなくてもいい方法があるのなら…。でも、本当にそんな方法があるのかな。「うん」湊さんの短い返事は、確信に満ちていた。あまりにも自信に満ちているからこそ、心配になる。人は未来を完全に予測できるわけではないし、彼が抱える不安を無理に押し殺しているのではないかと感じてしまう。「そんなの、あるのかな」私は小さく呟いた。声は弱々しく、心の奥では不安が広がっていた。彼の言葉を信じたいけれど、現実の重さが頭をよぎる。「僕を信じて」そんなふうに言われてしまうと、もう何も言えない。反論も、疑いも、すべてが無意味で、信じることが未来を切り開く唯一の方法だと思えた。「分かった」「それじゃ、今から朝食────」突然の着信音が、穏やかな空気を切り裂いた。私は一瞬、胸がざわめく。誰からの電話か予感が走り、心臓が早鐘を打つ。「お義母様だ…」スマートフォンの画面に浮かび上がった文字列を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと縮むような感覚に襲われた。 そこには、はっきりと彼女の名前が表示されていた。まるで予感していたことが現実になったかのように、心臓が早鐘を打ち始める。彼女からの電話は、ただの連絡ではなく、私たちの生活に影を落とす存在そのものだった。「噂をすれば」湊さんの声は少し苦笑を
「ありがとう」その一言は、静かな空気の中で小さく響いた。湊さんの声は決して大きくはないけれど、そこには確かな温もりが宿っていた。彼の瞳は少し伏し目がちで、どこか照れくさそうに揺れている。「お礼を言われることなんて、何も無いよ。むしろ私の方こそ、ありがとう」私は何もできていない。彼の不安を完全に取り除くこともできず、ただ隣にいるだけで精一杯だった。けれど、それでも湊さんは私にありがとうと言ってくれる。まるで、私の存在そのものを肯定してくれるように。「僕、彩花ちゃんのこと守るから」その言葉は真剣で、少し硬い響きを持っていた。彼の眉がわずかに寄り、瞳には決意の色が宿っている。守る。その一言に込められた想いの重さを感じて、胸が熱くなる。「守る?何から?」私は少し首を傾げながら問い返す。「それは…ほら、あの人とか」湊さんは少し言い淀み、視線を逸らす。彼の声は弱々しく、どこか迷いを含んでいた。彼が思い浮かべている人が誰なのか、すぐに察してしまう。「お義母様のこと?」私はそっと問いかける。 声は落ち着いていたけれど、胸の奥では緊張が走る。彼の瞳がわずかに揺れ、答えを肯定するように沈黙する。その沈黙が、私には十分な答えだった。「また余計なことしてくるかも」湊さんの声は低く、どこか苛立ちを含んでいた。彼の手が少し強く私の手を握り、守ろうとする意志が伝わってくる。「覚悟はできてるよ」私は静かに、しかし力強く答える。湊さんの不安を受け止めるだけでなく、共に立ち向かう覚悟を示したかった。「記憶がないとはいえ、騙されて恥ずかしい」湊さんの言葉には悔しさが滲んでいた。彼の眉間に刻まれた皺が、その苦しさを物語っていた。きっと美華さんのことだ
「心配なんてしなくても、今の湊さんが一番好き」 今の湊さんが私にとっては何より特別で、安心できる存在なのだ。 言葉にしたことで、心臓が早鐘のように鳴り響き、頬が赤く染まる。けれど、伝えられた安堵が胸を満たしていく。 彼の瞳が、わずかに揺らいだ。 「自信持てなくて」 彼の声は少し弱々しくて、胸が締め付けられる。 「自信?」 私にとっては湊さんが自信を持てない理由が分からなくて、だからこそ確かめたくなる。 「優しさだけで、昔の自分に勝てるのか」 優しさだけじゃない。 昔の湊さんよりも、いい所がいっぱいある。 確かに今の湊さんは、昔の湊さんよりも少し不器用で、照れくさそうに視線を逸らしたりすることがある。 昔は堂々としていて、余裕のある大人の姿に見えていたのに、今は時々、子どものように不安そうな顔を見せる。 「そんなふうに思ってたの?」 驚きと切なさが入り混じった声になる。 でも、その不器用さがむしろ愛しかった。 それに、私にとっては優しさこそが何より大切だった。 優しさは弱さじゃない。むしろ、誰かを思いやる勇気であり、真っ直ぐな強さだと思うから。 「今の僕は器用でも、頼りにもならないから」 湊さんのその言葉は、どこか自分を卑下するようで、胸が痛んだ。 彼はきっと、昔の自分と比べてしまっているのだろう。けれど、私にとっては器用さなんてどうでもよかった。







