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9話. 同じ作品、二つの来歴

Author: YuIm
last update Petsa ng paglalathala: 2026-10-11 00:02:22

蒼和から届いた返事は、二行だった。

【生徒の写真使用の可否と、既存の楽器貸与を結びつけない旨の確認を求めました。ギャラリー保管楽器については、貸与元を確認中です】

紗月はまず、美緒の担当教師へ連絡した。まだ結論が出たわけではないと添えると、教師はかえって礼を言ってくれた。そのことで美緒が、何日もよく眠れていなかったことも教えてくれた。

電話を切り、仕事のメールを開いた。

麗華のギャラリーから、オークション資料の補足版が届いていた。翌日に送るはずの資料が、一週間以上遅れて来たのだ。今回は輸送記録まで添付されている。紗月は送付一覧を作りながら、あるファイルを開き直した。

暁の天使。

取得履歴には、フランスの個人コレクターから買い取ったとあった。ところが添付された輸送書類の出発地は、バンコクだった。

最初は、別の作品の書類が間違って添付されたのかと思った。写真の下の管理番号を見ると、同じ番号だった。M-17。

担当者へ電話をかけた。

「取得履歴と輸送経路が違っていますが、途中の貸出履歴はありますか」

「書類にあるものが全部ですが」

「鷹宮社長の側から、抜けている履歴の提出を求められていますので。説明を付けたほうがいいかと思って」

担当者が少し待つよう言った。保留音が流れる。そのあいだに、紗月は番号に添えられた写真を拡大した。

台座に、長く削れた溝があった。カタログの写真を隣に出すと、その場所だけが滑らかだった。

カタログの向きを変え、光の方向を合わせてみた。溝は見えない。写真の下に撮影日を書き、台座の部分を別に囲んだ。誰に見せても同じ場所を見つけられるように。

担当者が戻った。

「館長は今、外出中ですので。秘書の篠原様から、ご説明があります」

ギャラリーの作品の輸送経路を、どうして修吾の秘書が説明するのだろう。

紗月は、その問いをのみ込んだ。

「では、メールでご回答をお願いします」

電話を終えるなり、スマートフォンが鳴った。篠原だった。

「資料は、お送りいただくだけで結構です」

挨拶もなく、本題に入った。

「質問されたら、私が答えなければなりませんから」

「蒼和から聞かれたら、天城総合へ連絡するよう伝えてください。その取引は、こちらで確認済みです」

「経路が違う理由があるはずですから、一行だけでも書いていただければ……」

「七瀬紗月さん」

奥様ではなく、名前を呼ばれた。

紗月は背筋を伸ばした。

「本日のお問い合わせは、代表にも併せて報告いたします」

「はい。お願いします」

予想していなかった返事だったのか、篠原は一瞬言葉を止めた。

紗月はその隙に付け加えた。

「私が何を尋ねたのかも、一緒に書いてください。フランスで買ったという作品が、どうしてバンコクから来たのか」

電話の向こうが静かになった。

「その一行がまだないので、送付の仕事が終わらないんです」

紗月は資料を、そのまま蒼和の担当者へ送った。説明が欠けている点と、篠原へ問い合わせた経緯も短く添えた。

写真の同意書にも、今すぐは署名できないと返事した。内容を先に確認したいと書くと、まもなく受信確認がついた。

* * *

蓮司から電話が来たのは、夕方だった。

「送っていただいた資料を確認しました」

「私の見間違いでしょうか」

「その可能性もあります。それを確かめるために、原文を確認しています」

紗月はファイルに手を置いた。

「担当者が説明してくれないんです。そのまま送るだけでいいって」

「これ以上は問い詰めないでください。先方も、すでに不審に思っているはずです」

「私が返事をもらえなかったことも、記録に残してください」

「メールに添えてくださった経緯も、そのまま伝えて照会します」

紗月は送信済みフォルダを閉じた。篠原が止めた質問が、今度は蒼和からの要求として戻っていく。

蓮司が言った。

「鑑定書の発行元にも照会しました。返事が来たら共有します」

「その前に、オークションが始まってしまったら?」

「そこが問題です」

電話の向こうで扉が閉まった。静かな場所へ移ったようだった。

「今日、蒼和の審査は保留になりました。資料が揃わないまま落札資金を出す案は、通りませんでした」

「社長なのに、ですか」

「会社の金です。自分の疑いを確かめるために使える金ではありません」

蓮司の声が、少し低くなった。

「それじゃ、今回は止められないんですか」

「5億円を上乗せして買い取ったところで、向こうは書類を見せずに金を得ることになります」

電話の向こうで、紙をめくる音がした。

「紗月さんが印をつけた台座の写真を、輸送資料と照合します。値を上げるのではなく、あの品がどこから来たのかを突き止めなければ」

紗月は、印をつけた写真を開き直した。自分が見つけた小さな溝を、この人も見ている。

「美緒ちゃんに、写真のことで楽器を取り上げられたりしないって、答えてあげたいです」

「そちらの確認を先に取ります」

蓮司の声が、一瞬だけ柔らかくなった。

「さっき一緒に食べた太巻きの代金も、精算しないといけませんね」

意味がわからず、紗月は瞬いた。

「あれは、会場のお弁当ですけど」

「ですから、蒼和の参加者の食事代に入れるよう頼みました。生徒の弁当を食べて、知らん顔はできませんから」

紗月が小さく笑った。

「そんなことまで、報告してくださるんですね」

「紗月さんが笑ってくださるとは、思いませんでした」

短い沈黙が落ちた。紗月が先に笑みを引っ込めないでいると、蓮司も急いで電話を終えなかった。

* * *

夜に帰ってきた修吾は、いつもより口数が少なかった。

コートを脱いでかけ、紗月が用意した食卓に座った。彼女は向かいで箸を取った。

「輸送履歴について、聞いたそうだね」

修吾は魚の骨を取り、自分の皿に身を置いた。

「添付資料が足りなかったので」

「もともと、紗月は細かいところによく気づくから」

紗月の箸が止まった。

「褒めてるんだよ」

修吾が笑った。

「ただ、仕事にはそれぞれの担当がある。紗月が聞くと、担当者たちは代表の指示だと思って、余計に話を大きくしてしまう。俺が責任を持っている仕事だし、麗華さんもいる」

「では次から、誰に先に聞けばいいですか」

「俺に」

あまりに早い答えだったので、紗月はしばらく彼を見た。

修吾が水のグラスを取った。

「俺の知らないことなんて、ないよ」

骨を取った魚の身を、彼女の皿へ移した。小骨一本、残っていない。いつもそうだった。紗月が口へ運ぶ前に、彼が全部取り除いた。

紗月は箸を上げ、ご飯だけを食べた。里香へ送った金も、戻らなかった楽器も。彼が知らなかったのかもしれないと思える余地は、もうなかった。

それ以上、尋ねなかった。

食後、修吾は書斎へ入った。紗月は洗い物の途中で水を止め、濡れた手を見た。右の薬指は長く曲げていると、伸ばすのに時間がかかる。ゆっくり開くと、窓に自分の顔が映っていた。

夜10時近く、一通のメールが届いた。蒼和の担当者が転送した、鑑定書の発行元からの回答だった。まだ最終確認ではないと、訳文が添えられていた。

提示された写しのみでは、発行の有無を確認できない。

原文全体と、文書番号が必要である。

カタログに掲載された鑑定書の写真は、下が切れていた。発行機関の印は見えたが、文書番号のあるはずの部分がなかった。

紗月は、整理してギャラリーへ返した書類の一覧を開いた。印刷原本が、別の封筒に入っていたという記録がある。原本を直接見たのは、自分ではない。

下に、受取担当者の名前があった。

篠原直人。

紗月は初めて、その名を「秘書」という肩書なしで読んだ。

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