登入妹の白石葵(しらいし あおい)は幼い頃からうつ病を患っていて、医師からは、できるだけ刺激を与えないようにと言われていた。 だから、私・白石雫(しらいし しずく)の人生は、音を立てることさえ許されなくなった。 葵を刺激しないために、家では笑うことも、泣くこともできなかった。けがをしても、痛いと声を上げることさえ許されなかった。 両親はいつも申し訳なさそうな顔で、私を抱きしめた。 「雫は本当にいい子ね。葵の病気は、家族みんなで支えていかないといけないの。あなたは元気で、しっかりしているんだから、もう少しあの子に譲ってあげて。ね?」 あの日、私はうっかりコップを倒してしまった。その大きな音で、妹はたちまち取り乱した。 父は初めて私に手を上げた。怒鳴り声が飛んだ。 「少しは気をつけられないのか!葵を死なせたいのか、お前は!」 私は父に突き飛ばされて床に倒れ、後頭部をテーブルの角に強く打ちつけた。血が流れ出した。 けれど家族全員が、悲鳴を上げる妹の周りに集まり、誰ひとり私を見なかった。 私は冷たい床に横たわったまま、意識が少しずつ遠のいていった。 みんな、妹の気持ちが何より大事なのだと思っていた。私のこの程度のけがなら、少しくらい後回しにしてもいいと。 でも彼らは知らなかった。 頭蓋内出血は、待ってなどくれないのだ。
查看更多「だったら、お姉ちゃんが私を憎んでるなら、私だってお姉ちゃんを憎んで何が悪いのよ!どうしてお姉ちゃんは私を憎んでよくて、私は憎んじゃいけないの?私は直接殺してなんかいない!お姉ちゃんが勝手にテーブルの角に頭をぶつけただけでしょ!私に何の関係があるのよ!」母はその言葉を聞いて、完全に崩れ落ちた。かつて自分の腕の中で甘えていた娘が、どうしてこんな人の心を持たない怪物になってしまったのか、母にはどうしてもわからなかった。葵は少年院へ送られた。けれどそこでも、彼女に反省の色はなかった。彼女は、誰もが自分に償うべきだと思い込み、誰もが自分を傷つけたのだと思っていた。そして、周囲の人間すべてに仕返しをしはじめた。少年院の職員が入所者を虐待していると、わざと言いふらした。ほかの子の持ち物を悪意で壊しておきながら、何も知らない顔をした。さらには自傷しようとまでした。世間の注目を引き、もう一度、人々に同情してもらうために。けれど今度は、誰も彼女を信じなかった。誰もが、彼女がどんな人間なのかを知っていた。誰もが、彼女から距離を置いた。葵は、自分がいちばん得意としていた武器を失ったのだ。他人からの同情と、憐れみを。もう誰も彼女を気にかけなかった。誰も彼女を守らず、誰も彼女の言葉を信じなかった。同情という殻を剥ぎ取られた彼女は、醜い本性をさらけ出したまま、もうどこにも隠れられなかった。少年院での日々、ほかの入所者たちは彼女から距離を置き、職員たちも彼女にいっそう厳しく接した。彼女はようやく、かつて私が味わっていた苦しみを知ることになった。誤解されること。避けられること。異物のように扱われること。けれど何より恐ろしかったのは、自分が本当はうつ病ではなかったと思い知らされたことだった。長年続いていた「症状」は、すべて注目を集めるために彼女が装っていたものだった。そして今、本当に絶望に沈んだとき、彼女を救おうとする人は誰ひとりいなかった。半年後、葵は少年院で自ら命を絶った。遺書には、こう書かれていた。【私は間違っていた。本当に、取り返しのつかないことをした。でも、もう遅すぎた。お姉ちゃん、もし生まれ変われるなら、もう一度あなたの妹になりたい。今度こそ、ちゃんとした妹になる】けれど、そのあまりに
それは、井上さんが去年、防犯のために取り付けたものだった。カメラは、ちょうど我が家のリビングの一部が映る角度に設置されていた。警察がその映像を確認したとき、誰もが言葉を失った。そこには、すべてがはっきりと映っていた。あの日、私がうっかりコップを倒したあと、葵は彼女が語っていたように「取り乱した」わけではなかった。むしろ彼女は、最初に一瞬だけ固まり、それからすぐリビングにあるカメラの位置を確かめた。自分のいる場所が死角だとわかると、突然、頭を抱えて悲鳴を上げはじめたのだ。彼女の「発作」は、完全な演技だった。さらに衝撃的だったのは、もっと前の映像まで残っていたことだった。葵は両親がいない隙に、わざと皿を割り、その破片で自分の腕を切った。そして私に傷つけられたように見せかけていた。自分の枕に絵の具をこぼしておいて、私がわざと絵の具のにおいで刺激したと両親に訴えていた。自分のコップに妙な粉を入れ、私に薬を盛られたと言っていた。すべての「証拠」は、彼女自身が作り上げたものだった。その映像の内容が報じられると、世間は衝撃と怒りに包まれた。【信じられない。この子、何年もずっと芝居してたってこと?】【白石雫さんがかわいそうすぎる。実の妹に追い詰められて死んだなんて】【ここまでくると心が完全に歪んでる。悪魔より恐ろしい】【壊された絵の具、しまい込まれた筆、隠された賞状……白石雫さんはどれだけ苦しんできたんだろう】動かぬ証拠を前に、葵はついに言い逃れできなくなった。それでも彼女は、この期に及んでまだ自分を正当化しようとした。「私だって被害者だよ!」彼女は記者のカメラに向かって泣きながら訴えた。「小さい頃から、みんなお姉ちゃんのほうが好きだった。お姉ちゃんは優秀で、完璧で、私はただの病気の厄介者だった!私は少しだけ注目されたかっただけ。少しだけ愛されたかっただけなの。それの何が悪いの?死ぬなんて思ってなかった!ただ、お父さんとお母さんにもっと私を見てほしかっただけなの!」けれど、そんな言い訳に返ってきたのは、さらなる非難だけだった。父はリビングに座り、私の写真を手にして、ぼろぼろと涙をこぼしていた。「雫、お父さんが悪かった……お父さんは、葵が嘘をついていることにまったく気づけなかった……
私は妹の見事な演技を見つめ、これまで感じたことのない寒気を覚えた。最初から最後まで、本当におかしかったのは、彼女のうつ病ではなかった。歪みきった、その心だった。彼女はずっと嘘をついていた。ずっと人を操っていた。家族全員の関心と愛情を独り占めすることを、ずっと楽しんでいた。そして私は、そのための生け贄でしかなかった。ネット上では、私をめぐる話がますます拡散していった。誰かが書き込んだ。【つまり真相はこういうこと?あの姉、病気の妹をずっと虐待してたってことじゃん】【怖すぎ。外では優等生っぽく見えて、裏ではそんなことしてたの?】【前はかわいそうだと思ってたけど、完全に騙されてた。いい子の仮面かぶってただけじゃん】【妹さん、こんなに優しいのに、何年も黙って耐えてたなんてつらすぎる】【こういう人間は自業自得。因果応報ってあるんだね】葵はパソコンの前に座り、そうしたコメントを眺めながら、かすかに口元をゆるめた。彼女はSNSを開き、ひとつ投稿した。【お姉ちゃん、私は許すよ。お姉ちゃんは私にひどいことをしたけれど、心のどこかでは私を愛してくれていたって、私は知ってる。もうお姉ちゃんはいないけど、私はちゃんと生きていく。お姉ちゃんに向けられる悪口も、私が受け止めるね。どうか安らかに眠ってください】その投稿は瞬く間に一万回以上拡散され、コメント欄は葵への称賛と同情で埋め尽くされた。【この子、優しすぎる。あんなに傷つけられたのに、まだお姉さんをかばってる】【心がきれいすぎて泣いた。どうか早く前を向けますように】【こんなに健気な子、守ってあげたい。これからは幸せになってほしい】葵はゆっくりとコメントをスクロールした。称賛の言葉を追う葵の目には、隠しきれない興奮がにじんでいた。これこそ、彼女が欲しかったものだった。すべての注目。すべての愛情。すべての同情。そして、かつて彼女にとって目障りだった姉の私は、ついに完全に消えた。けれどそのとき、葵の表情が急に固まった。流れに逆らうコメントを、ひとつ見つけたからだ。【それって本当に全部事実ですか?私は白石雫のクラスメートです。彼女が誰かをいじめているところなんて一度も見たことがありません。まして妹をいじめるなんて。雫は妹の面倒を見るために、よくクラス行
警察官はケースを受け取り、表情をさらに険しくした。そのとき、父が面談室へ呼ばれた。「白石さん。葵さんが、雫さんについていくつか話しています。確認させてください」父が葵に目を向けると、彼女はすぐに身を乗り出し、父にすがりつくようにして泣きながら言った。「お父さん、怖かったの。お姉ちゃんが……」「何だ?葵、何を言っているんだ?」父は葵を強く抱きしめた。その目には困惑と心配が満ちていた。「お父さんたちがいないとき、よく私をつねったり、叩いたり、変な薬を飲ませようとしたりしたの!もし話したら、本当に殺すって言われた!」父の顔から、一瞬で血の気が引いた。「そんなはずない。雫はあんなにお前を大事にして……」「全部演技だったの!」葵はますます激しく泣いた。「お父さんたちがいないとき、よく私をつねったり、叩いたり、変な薬を飲ませようとしたりしたの!もし言いつけたら、本当に殺すって言われた!」父は腕の中の痩せ細った娘を見つめた。そして、最後に血だまりの中に倒れていた雫の姿を思い出し、心が揺らぎ始めた。本当に、雫がずっと葵を傷つけていたのだろうか。自分たちはずっと葵を誤解していて、本当の加害者は雫だったのだろうか。それから数日、葵の「話」は、あっという間に親戚や知人の間へ広まっていった。彼女は泣きながら祖母に言った。「おばあちゃん、お姉ちゃんはよく夜中に私の首を絞めて、息ができなくなって死ねばいいって言っていたの」担任の林田先生には、すすり泣きながら訴えた。「先生、お姉ちゃんは、学校で自分の悪口を言ったら階段から突き落とすって脅してきたんです」近所の人たちに聞かれるたび、涙ながらに話した。「お姉ちゃんはずっと、私は家のお荷物だって言っていました。お父さんとお母さんが年を取ったら、私をどこかへ追い出すつもりだって」どの嘘も妙に具体的で、どの涙もあまりに本物らしく見えた。そして私は、自分の名誉が少しずつ傷つけられていくのを、ただ見ていることしかできなかった。家に戻ると、母がソファに座っていた。手には、生前の私の日記帳が握られている。その顔には、困惑と苦しみが浮かんでいた。「あなた。葵の言っていること、本当だと思う?雫は本当に……本当にずっとあの子をいじめていたの?」母は、ちょうど帰っ