Share

第4話

Author: しんしん
真白は眉を寄せた。聞かなかったふりなどできない。身を翻し、すぐさま暗い路地へ飛び込んだ。

鈍い打撃音と悲鳴が続けざまに響く。酔った男たちは、あっという間に地面へ叩き伏せられ、苦しげな呻き声を漏らした。

真白は自分の上着を脱ぎ、破れた服から肌が露わになっている女へ掛けた。

「もう大丈夫よ」

女が顔を上げる。

真白は言葉を失った。

佳純だった。

胸に湧いた複雑な感情を押し殺し、真白は冷静に救急車を呼んだ。佳純を病院へ送り届け、警察へ通報し、求められた事情聴取にも応じた。

すべてを終えた頃には、もう夜明け前だった。

少し迷った末、真白は佳純の様子を確認するため、病院へ行くことにした。

ナースステーションで病室を尋ねようとした瞬間、大きな手が真白の手首を乱暴に掴んだ。

骨ごと握り潰されそうなほどの力だった。

痛みに顔をしかめて振り向くと、迅の怒りに満ちた目とぶつかった。

「よく顔を出せたな」

迅の声は、煮え立つ怒りを無理に押さえ込んでいた。

「佳純になんて真似をさせたんだ!あんなことをされて、あいつにこれからどうやって生きろっていうんだ!

何があっても、俺の妻になるのはお前だけだと言っただろ。それなのに、どうしてあいつを徹底的に潰そうとする?」

そこまで言うと、迅は急に力を失ったように俯いた。

「真白。昔のお前は、こんな女じゃなかった……

あの頃のお前は佳純と同じで、俺を見る目に何ひとつ濁りがなかった」

真白は迅を見つめ、不意に笑った。

彼も覚えていたのだ。

かつての真白が、ただの純粋な少女だったことを。

選べるのなら、いったい誰が好き好んで手を血で汚すだろうか。

本当は聞いてやりたかった。

自分が初めてナイフを握った理由を、迅はまだ覚えているのか、と。

人を呑み込んでは骨までしゃぶるような、あの違法な闇カジノから、迅を生きたまま連れ出すためだった。

あのとき真白は14歳だった。

知らせを受けた時点で、迅はすでに丸一日と一晩、監禁されていた。

店の主人は、金を持ってこなければ迅の腕を一本潰すと言い放った。

真白の手元にあったのは、出かける前に迅が渡した、千円ほどの紙幣だけだった。

何度も握りしめたせいで、ひどく皺になっていた。

――明後日はお前の誕生日だろ。きれいなスカートでも買え。俺が戻ったら、うまいものを食べに連れていってやる。

彼女に、ほかに何ができたというのだろう。ただ、卓上のナイフを手に取り、闇カジノへ向かうしかなかった。

それから16年、生死をともにしてきた。

その果てに返ってきたのが、「どうして昔のように純粋で優しくいられないんだ」という言葉だった。

事実を確かめもせず、すべての罪を真白に被せ、弁明のひと言さえ聞こうとしない。

生臭く、わずかに甘い血の味が、突然喉の奥へ込み上げた。

「迅」

真白はその血を無理やり飲み込み、顎を上げた。

迅の目を正面から見据え、一語ずつ突き刺すように告げる。

「首の上に載っているものを使って、よく考えなさい。

もし本当に私がやらせたのなら――水瀬佳純が生きたまま、あなたに泣きつけたと思う?」

……

あの日、病院で決裂してから、迅と真白はそれぞれのシマに分かれて陣取り、二度と顔を合わせなかった。

それでも、湊都の噂は一向に収まらない。

【獅堂の新恋人、深夜に襲撃される――黒幕は葉山か】

その記事が、残されていた最後の平穏さえ完全に打ち砕いた。

二人が再び同じ場所に現れたのは、湊都の裏社会で古参として知られる神谷邦彦(かみや くにひこ)の70歳を祝う宴だった。

真白は会場の隅に置かれたソファに座り、隣の麻衣ととりとめのない話を交わしていた。

そこへ、迅と佳純が寄り添って姿を現した。

周囲から、ひそひそと話す声が流れてくる。

「見たか?あれが新しい女だ。数日前にはクルーザーを贈ったらしい」

「獅堂もずいぶん入れ込んでるな。首のピンクダイヤ、20億円は下らないそうだ。それを惜しげもなく渡したんだとさ。葉山の女王様も、とうとう過去の女になったか」

真白の心は、もうほとんど動かなかった。

だが麻衣は袖をまくり上げ、今にも二人へ突進しそうになった。

「私が、あの最低な二人を引き裂いてやる!」

真白は麻衣の手首をそっと押さえた。

「あんな連中を相手にして、手を汚さないで」

次の瞬間、佳純の目が真白を捉えた。

佳純は反射的に迅の胸へ身を寄せ、怯えきった表情を浮かべた。

迅は低い声で佳純を宥めながら、複雑な目で真白を見た。

その光景は、噂をしたがる者たちに格好の餌を与えた。

すぐに、別の囁きが始まる。

「水瀬さんの怯え方を見ろよ。やっぱり噂は本当だったんだ」

「男の心が離れるのは仕方ないだろ。だからって裏であんな手を使うなんて、みっともないにもほどがある」

「嫉妬に狂った女と何が違うんだ?昔は大した人物だと思ってたのにな」

彼らの言葉は、真白を、男の心変わりに取り乱して暴走した笑い者へと歪めていく。

彼女が自分の力で手にしてきたものも、成し遂げてきたことも、すべてなかったことにするように。

これ以上そこにいたくなかった。

真白は席を立って化粧室へ向かったが、洗面台の前で佳純に行く手を塞がれた。

「葉山さん。迅と喧嘩をしたからって、あまり仲をこじらせないでください。

だって、私のお腹の子が生まれたら、葉山さんのことも、もう一人のお母さんみたいに慕うことになるんですから」

佳純は、いかにも無邪気そうに微笑んだ。

子ども?

洗面台の縁を掴む真白の指に、瞬時に力がこもった。関節が白く浮き上がる。

7年前、真白を狙った拉致事件で、犯人たちは彼女の体を徹底的に傷つけた。

その傷が原因で、真白は二度と妊娠できない体になった。

あのとき迅は、衰弱しきった真白を抱き締め、目を真っ赤にして言った。

――俺は子どもなんか好きじゃない。うるさいだけだ。

――俺に必要なのはお前だけだ。真白、お前が元気で、ずっと俺のそばにいてくれれば、それでいい。

今も耳に残るその言葉が、鋭い錐のように胸を抉った。

佳純は無邪気な声で続けた。

「そういえば、数日前に葉山さんが人を寄越してくださったこと、お礼を言わないといけませんね。そのおかげで病院へ行って、妊娠していることが分かったんです。

迅も、とても喜んでくれました。もう名前まで考えてくれたんですよ。

安(あん)っていうんです」

その名を聞いた瞬間、真白の顔から血の気が引いた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 私を見捨てた男は、仮面をつけてもう一度愛を取り戻す   第22話

    獅堂茉白(しどう ましろ) 番外編茉白が初めて本当にこの世界を「見た」のは、よく晴れた午後のことだった。湊都の春の終わり。空気にはモクレンの香りが漂っていた。彼女は白金邸の主寝室に置かれた、体が沈み込むほど柔らかなベビーベッドの中で、ゆっくりと目を開けた。最初はぼんやりした光だった視界が、少しずつ鮮明になっていく。目に入ったのは、赤ん坊が見るようなキャラクターの飾りではなく、輪郭のはっきりした顔だった。迅は息を詰め、娘の瞳が忙しなく動き、最後には自分の顔の上でぴたりと止まるのを見つめていた。真白によく似た瞳だった。そしてその小さな口元が、ほんのわずかに持ち上がった。まだ歯のない笑みだった。その瞬間、迅は心臓を何かに激しく叩かれたように感じた。胸の奥が甘く痺れ、どうにかなってしまいそうだった。彼はおそるおそる指を一本伸ばし、娘の手に触れた。触れたかどうかも分からないほど、そっと。小さな指はすぐに折れ曲がり、迅の指先を包み込んだ。かつて蒼海湾を支配した男は、娘の小さな無意識の仕草一つで、完全に心を奪われた。茉白の成長は、「普通」という言葉とは無縁のものになる運命にあった。彼女のベビーカーは、帝都にいる大叔父の祥哉が人を遣って届けさせたものだった。黒崎家御用達の職人が手作業で仕上げた品で、木材には樹齢百年の紫檀を使い、複雑でひそやかな瑞雲模様まで彫り込まれていた。邪気を払い、心を落ち着かせるという触れ込みだった。公園へ日光浴に連れていくたび、周囲の人々は横目で彼女を見て、どこの名家のお嬢様なのだろうと噂した。言葉を覚える時期に耳にした言葉の環境も、複雑きわまりなかった。真白は娘を抱き、湊都の地図を指差しながら、柔らかくも確かな声で教えた。「ここが葵区。ここが蒼海湾。私たちが手に入れた場所よ」その言葉の端々には、女王の静かな威圧感がにじんでいた。迅は茉白が積み木で遊んでいるそばで、父娘にしか聞こえない声で、最も簡単な「均衡」と「構造」を説明した。縄張りと勢力の釣り合いを、そこに重ねているのだ。もっとも、娘に童話を聞かせようとするたび、話はいつの間にか、「この小人たちは配置に問題がある。調整が必要だ」とか、「お姫様、その剣の握り方は違う」といった内容へそれてしまった。帝都にいる祥哉は、少な

  • 私を見捨てた男は、仮面をつけてもう一度愛を取り戻す   第21話

    年の瀬の羅生街に満ちる喧騒と生活の熱気は、街の端にある児童養護施設まで届いていた。真白と迅が着いた時、子どもたちはちょうど新年の贈り物を受け取ったところだった。真新しい服や本やおもちゃが、床いっぱいに積まれている。子どもたちは真白を見るなり歓声を上げ、いっせいに駆け寄った。「真白お姉ちゃん!」小さな女の子が真白の脚にぎゅっと抱きつき、顔を上げて言った。「真白お姉ちゃん、ずっと来なかったから、寂しかったよ!」真白の心はふっと和らいだ。彼女はしゃがみ込み、女の子の髪を撫でる。「これからは、お姉ちゃん、よく来るからね」少し年上の男の子が迅を見て、笑いながら秘密をばらした。「迅お兄ちゃんはよく来るよ!でも一人で来る時は、いつも笑わないんだ。あそこの古い回廊の軒下に座って、ぼんやりしてるの」男の子は遠くの古い廊下を指差した。「一度なんて、あそこで座って泣いてたんだよ!」迅は耳まで赤くし、気まずそうに咳払いをした。「たまに様子を見に来ていただけだ」真白は顔を上げ、迅を見た。冬の柔らかな日差しが彼の上に落ち、少し痩せた、それでも変わらずまっすぐな輪郭を浮かび上がらせている。彼女のいない年月を、彼が一人で過ごしてきたことを思う。胸の奥が、何かにそっとぶつけられたように揺れた。「迅さん」施設の院長が笑顔で手招きした。「ちょうどいいところに来たね。高いところにイルミネーションを掛けられなくて困っていたんだ。手伝ってくれないかい?」迅は返事をして歩み寄り、色とりどりの小さな電球が連なった飾りを受け取った。古い椅子を運んでその上に乗ると、子どもたちがすぐに下を取り囲み、口々に指示を飛ばした。「もう少し左!」「あーあ、そっち曲がってるよ!」迅はこうした細かな作業がどうにも苦手らしく、動きは少しぎこちなかった。それでも時折下を向き、子どもたちに返事をしている。真白は光の輪の中に立ち、静かに彼を見つめていた。子どもたちに囲まれている彼を。額に薄く汗を浮かべている彼を。時折こちらへ向けられる彼の視線を。かつて羅生街の血だまりの中で鋭い目をしていた少年も。蒼海湾の頂点で猛威を振るっていたあの獅堂迅も。今は小さなイルミネーションを掛けるだけのために、子どもたちに笑われ、どうしていいか

  • 私を見捨てた男は、仮面をつけてもう一度愛を取り戻す   第20話

    湊都の冬。海風は湿った冷気を運んでいたが、港の上空に漂う祝賀の熱気と、硝煙の匂いまでは吹き散らせなかった。行政が主導する港湾再開発プロジェクトの着工式には、名士たちが一堂に会していた。真白は黒いコートをまとって姿を現した。重要な出資者である彼女が会場に入ると、たちまち無数の視線が集まった。2年の歳月を経て、彼女のまとった気配は以前よりも深く、内に秘められたものになっていた。会場を見渡した真白は、貴賓席から注がれる深い視線とぶつかった。男の前に置かれた名札には、流麗な筆致で「黒崎祥哉」と記されている。今日の祥哉は改まった濃色のスーツを着ており、指先ではいつものように、悠然と数珠を繰っていた。人混み越しに真白を一瞥すると、彼はわずかに顔を傾け、隣の執事へ低く囁いた。「どうやら、私の愚かな甥はまだ成功していないようだな」真白の耳は鋭い。その皮肉はひと言一句、漏れなく彼女の耳へ届いた。彼女は足を止めず、まっすぐ祥哉のもとへ歩いていく。そしてすれ違いざま、赤い唇をわずかに開いた。「黒崎先生の躾が厳しいから、彼も私にまとわりつく度胸がないのでしょう。先生にとっては、その方が都合がいいのでは?」祥哉は眉を上げ、目の奥に本物の驚きを浮かべた。低く笑う声は、華やかで艶がある。「葉山さんは、ずいぶん彼を庇うな。自分では冷たくあしらっているくせに、他人が二言三言言うのは許さないらしい」真白は足を止め、横目で祥哉を見た。その表情は凪いだ水面のように静かだった。「私の人間をどう扱うかは私の勝手です。部外者が口を挟むのは許しません」ちょうどその時、スタッフが恭しく真白を席へ案内しに来たため、短くも鋭い応酬はそこで途切れた。祥哉は遠ざかる真白の背中を見つめた。数珠を繰る指先がわずかに止まり、その目の奥に浮かぶ感情は読み取れなかった。式典は滞りなく進み、各方面の代表が挨拶を述べた。真白は客席に座っていたが、心の中まで穏やかだったわけではない。こんな場所で、水瀬夫妻と、その後ろに付き従う佳純に再び会うとは思ってもいなかった。水瀬夫妻は、この計画に招かれた特別技術顧問だった。休憩時間、佳純は控室のテラスで一人、風に当たっていた真白のもとへやってきた。「葉山さん」真白は振り返らなかった。佳純は深く息を吸い、勇

  • 私を見捨てた男は、仮面をつけてもう一度愛を取り戻す   第19話

    真白は消毒液の匂いの中で意識を取り戻した。まぶたを開けると、海辺の小さな村の診療所の見慣れた天井と、志乃ばあちゃんの心配そうな顔が目に入った。「お嬢ちゃん、目が覚めたのかい?!」志乃は涙声でそう言い、慌てて温かいタオルで真白の額を拭った。真白の意識は一瞬で鮮明になった。崩れ落ちた岩、息苦しい暗闇、頬に落ちてきた温かい血。砕けた記憶が怒涛のように押し寄せる。彼女は志乃ばあちゃんの手を勢いよく掴み、弱りきった喉からかすれた声を絞り出した。「あの人は?迅はどうなったの?」志乃は焦りきった真白を見て、そっと息をついた。立ち上がると、真白のベッド脇のカーテンをさっと開ける。隣のベッドには、迅が静かに横たわっていた。顔は青白く、唇からは血の気が失せている。胸には分厚い包帯が巻かれていたが、胸元は規則正しく上下しており、呼吸が落ち着いていることが分かった。「彼は……」真白の心はまだ宙に浮いたままだった。「心配しなさんな。お医者さんは、命に別状はないって言ってたよ。ただ、血を流しすぎたし、肋骨も二本折れてる。しばらくはしっかり休ませなきゃいけないけどね」志乃はそう慰めたあと、何かを思い出したように、感慨深げに続けた。「あんたたち二人は、目を覚ましてから言うことまでそっくりだねえ」真白は不思議そうに眉を寄せた。志乃ばあちゃんは説明した。「あの子はあんたより一時間早く目を覚ましたんだ。まだ目も開けてないのに、最初に言ったのが『真白は?彼女は無事か?』だったよ。あんたは無事だって言っても信じなくてね。自分の目で見るまでは納得しないって聞かなかったんだ。仕方がないから、あの子のベッドをあんたの隣へ移したのさ。あんたの顔をしばらく見つめて、無事だと分かった途端、また気を失っちまったよ」真白の視線は再び迅の顔へ戻った。複雑な感情が胸の奥で渦を巻く。命懸けで守ってくれたことへの感謝なのか。過去に受けた傷への恨みなのか。それとも、自分でも認めたくない、ほんの少しの胸の痛みなのか。志乃ばあちゃんが静かに口を開いた。「お嬢ちゃん、あの子があんたをひどく悲しませた人なんだね?」真白は否定せず、小さく頷いた。志乃は意識を失った迅へ目を向け、さらに尋ねた。「あの子のその怪我も、あんたを庇ったからな

  • 私を見捨てた男は、仮面をつけてもう一度愛を取り戻す   第18話

    「夜!迅!」彼女は咄嗟に本当の名を呼び、自分でも気づかないほど震える声でもう一度叫んだ。相変わらず、死のような静寂だけがあった。一瞬にして全身の血の気が引き、心臓が凍りついた。彼女は必死に顔を横に向け、自分を庇うように覆い被さっている彼の様子を確かめようとした。その時、温かく粘り気のある液体が一滴、また一滴と彼女の頬に落ちてきた。強烈な鉄錆の匂いがする。血だ!彼が怪我をしている!それも、ひどい重傷かもしれない!「迅!起きて!返事をして!」真白は完全に取り乱した。押し潰されて痺れた腕を無理やり動かし、どうにか彼に触れようとして泣きじゃくった。「死ぬなんて許さないからね!聞いてるの!」彼女は何度も何度も彼の名前を叫び続けた。そうすれば、彼を深い昏睡から引き戻せるかのように。脳裏には二年前、海に落ちた時の冷たさと絶望、全世界から見捨てられたようなあの感覚がとめどなくフラッシュバックした。だが今回は、それよりもさらに深い恐怖が入り交じっていた。今この瞬間、命懸けで自分を守ってくれた人を失うかもしれないという恐怖だ。彼女の心がどん底まで沈みかけたその時、極めて微弱な声が耳元で響いた。「……ああ」たったそれだけの短い言葉だったが、真白を瞬時に安堵させた。「目が覚めたのね?!大丈夫?どこか怪我は?」彼女は立て続けに問いかけ、感情のあまり声を詰まらせた。「大丈夫だ」迅の声はとても弱々しく、ひと言発するごとに莫大な体力を削り取っているようだった。「ただ少し、疲れただけだ。救助がいつ来るか分からないな」途切れ途切れの声は、弱々しいながらもある種の落ち着きを帯びており、それがかえって真白を不安にさせた。「必ず来るわ。麻衣たちが、私たちがいなくなったことに気づいて、絶対に見つけてくれる」彼女は胸の恐怖を必死に抑え込み、できるだけ平穏な口調で彼を慰め、そして自分自身にも言い聞かせた。「しっかりして、意識を保つのよ。寝ちゃダメ、分かった?」迅は低く喉を鳴らして答えた。そして、途切れ途切れに話し始めた。まるで何かを言い残すように、あるいは思い出に浸るように。「真白、覚えてるよ。羅生街の夜市……あのりんご飴……お前の笑顔が、すごく綺麗で……隙間風が吹き込む冬の雑居ビル……二人で体を寄せ合

  • 私を見捨てた男は、仮面をつけてもう一度愛を取り戻す   第17話

    台風が過ぎ去った後の村は、見る影もなく荒れ果てていた。麻衣が十分な物資と人員を引き連れて駆けつけ、事後処理の大部分を引き継いだ。村人たちが適切に保護され、再建作業が順調に進み始めたのを見て、真白の数日間張り詰めていた神経がようやく少しほぐれた。連日の極度の緊張と体力的な限界により、彼女はひどい疲労を感じていた。混乱した思考を整理するために、少し一人の時間が必要だった。彼女は村の裏手にある小高い丘のことを思い出した。そこは、彼女が療養していた間、最も気に入っていた場所だった。見慣れた小道を登っていくと、足元の土はまだ雨上がりの湿り気を帯びていた。頂上の平らな岩の上に座り、彼女は遠く広がる果てしない海面を見つめ、少しうつろになっていた。この数日間の出来事。無口だが常に側にいた迅の守護。そして、志乃ばあちゃんが何気なく口にした昔話。それらすべてが、とうに凪いだと思っていたと思っていた彼女の心の湖に、小さな石を投げ込んだように波紋を広げていた。どれくらい経っただろうか、背後からかすかな足音が聞こえてきた。振り向かなくても、誰だか分かっていた。迅が彼女の側に歩み寄り、綺麗な葉で包まれたおにぎりと、水筒に入った真水を無言で差し出した。「少し食べてください」仮面越しに響く彼の声は、わずかにかすれていた。「ここ数日、まともに食事をしているところを見ていません。胃がやられますよ」真白は小さく息を呑んだ。台風が来てから今まで、彼女はほとんど気力だけで持ち堪えており、食事の味すら感じていなかった。あんなに混乱した状況の中で、彼がそんなことまで気にかけていたとは思わなかった。低い声で「ありがとう」と言い、彼女はおにぎりを受け取った。まだほんのりと温かいおにぎりは、シンプルな米の甘みと海苔の香りが混ざり合い、遅れてきた空腹感を呼び起こした。二人は少し距離を置いて、ただ並んで座っていた。時折かすめる海鳥の鳴き声だけが、空白を埋めていた。その沈黙は長く続いた。彼がこのまま日没まで一緒に座っているつもりなのではないかと、真白が思うほど長く。ついに、迅が先に口を開いた。彼の声はとても低く、長い間胸に溜めていた苦い思いを帯びていた。「真白」彼は「社長」と呼ぶようになってから初めて、はっきりと彼女の名

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status