ログイン小寺泰明と娘のためなら、私はすべてを捨てて専業主婦になった。 でも、彼の初恋の人が離婚してから、すべてが変わってしまった。 夫は私を疎ましく思い、娘は私のことをまるで家政婦のように扱い、呼びつけては命令する。 私は心がすり減って、離婚届に判を押し、すべてを手放して遠くの街へ去った。 なのに、どうして彼たちは今さら後悔してるの?
もっと見るあの日以来、泰明はもう二度と真希の前に姿を現すことはなかった。ただ静かに、遠くから見守ることを選んだのだ。彼はよく分かっていた。真希に再び受け入れてもらうのは簡単なことではない、と。だからこそ、焦らず、ただ時を待つしかないと悟っていた。真希もまた、彼と一花が自分の向かいの部屋に住んでいることに徐々に慣れていった。一花は以前と変わらず時々遊びに来ては、時には一緒にご飯を食べたりする。彼女と大和は仲良くやっていた。大きなケンカなど一度もなかった。しかも娘は以前よりもずっと思いやりのある子に成長していた。大和を気遣い、譲る姿勢も見せてくれる。それだけでも、真希にとっては十分だった。とはいえ、一花への対応は以前とは違う。あの頃のように無償の愛情を注ぐことはもうない。今の真希にとって、大和こそがたった一人の我が子であり、一花は、かつて自分の死を願い、「報いを受けろ」と罵った子だ。たとえそれが美琴のそそのかしによるものであっても、母を言葉で深く傷つけた事実は、容易に消せるものではなかった。一花自身も、それに気づいていた。母が自分と大和に対して態度を変えていることを。大和には優しく、しかし自分にはどこか距離があることを。その差に彼女は胸が痛むこともあったが、嫉妬することはなかった。それは、自分がかつて犯した過ちが原因だと分かっていたから。母の心を傷つけてしまった以上、今はただ少しずつでも、許してもらえるように願うしかない。桔平はあれ以来、一度も姿を現していない。音沙汰もない。真希は時々彼のことを思い出すこともあるが、時間が経てば、きっと忘れてしまうだろうとも思っていた。彼とは、縁はあっても、運命はなかったのだ。所詮、住む世界が違う。もし無理に一緒になっていたら、結局どちらかが傷つく未来しかなかった。まるで、泰明と自分のように、合わないのに、無理やり一緒にいたから、最後には自分だけが深く傷ついた。ただ、真希にはひとつだけ気がかりがあった。それは桔平との結婚のこと。もし自分がまた突然この街を離れなければならなくなったら、離婚手続きが面倒になるのではないかと。ため息をつきながら、真希は思った。今はまだその時ではない。ならば考えるのは後にしよう、と。その日、一花をマンションの下まで送って行った真希は、もうすぐ日が暮れると
今の泰明は、真希の前では常に慎重だった。彼女がまだ自分を許していないのではないかと、不安で仕方がない。期待が大きいほど、失望もまた大きい。それは、真希が自分の前からいなくなってから、ようやく痛感したことだった。かつて彼女に与えた罰や苦しみが、今ではすべて自分に返ってきている。彼女を失ってからというもの、自分が本当に欲しているもの、愛しているものが何なのか、はっきりとわかるようになった。だからこそ、自らこの街にやってきて、真希のそばにいることを選んだ。それは、自分がまだ諦めていないという、何よりの証だった。ただ、それと同時に、自分が彼女に与えた傷がどれほど深いかも、痛いほど理解している。許してもらうなんて、きっと叶わない。何度も謝りたいと思った。彼はたとえどんな罰を受けようとも、許してもらえるなら、何でもする覚悟だった。だが、真希は一度も自分にその機会をくれなかった。彼女は、まるで何も見なかったかのように、いつもすれ違っていく。謝罪したい、後悔したい。だが、真希にしたことに比べれば、そんな言葉はあまりにも無力に思えた。今日もまた彼は、言葉を飲み込みかけていたが、真希は、先に口を開いた。「もう、あなたのことを恨んではいないわ」泰明の身体が一瞬、ピクリと震える。まさか、許してくれたのか?けれど、その数秒後に続いた言葉は、彼を奈落の底へ突き落とした。「あなたは、もう私にとって何の関係もない人よ。だから、特別な感情を持つ必要もない。過去のことも、もう忘れた。いちいち引きずって生きるつもりもないわ」かつて、真希は命さえ差し出せるほどに、泰明を心から愛していた。けれど、何度も裏切られ、死の淵にまで追い込まれたその果てに、彼女の心はとうとう壊れてしまった。どれだけ愛しても、彼にはその愛が「ただの風」にしか感じられなかったのだと、悟ったとき、彼女はすべてを手放すことにした。過去を捨てて、未知の土地で、新しい人生を始めることにした。最初の頃は、彼女の心にも確かに怨みがあった。誠意を尽くしても、報われなかった。自分がどれだけ踏みにじられたか、その痛みを許すことなど到底できなかった。けれど、この町に来てからの日々は、静かで、穏やかだった。そしてようやく気づけた。過去に縛られている限り、自分を痛めつける鎖は外れな
真希が正式に大和を養子として迎えてから、生活は一層充実し、心も以前に比べてずっと穏やかになっていた。しかし、不思議なことに、このところずっと桔平の姿を見ていなかった。もう半月も経つというのに、まだ会議が終わっていないのだろうか?大和もよく彼のことを尋ねてきて、真希はどう答えてよいか困ってしまう。二人でベッドの縁に座り、窓の外の雪を眺めながら、自然と想いは同じ人物に向かっていた。真希は、彼に電話をかけようか、メッセージを送ろうかと何度も考えたが、なかなか適当な理由が見つからなかった。彼は自分の上司ではあるものの、業務上の接点はそれほど多くなかった。それに、大和の件ではすでに彼に大きな犠牲を強いてしまっている。これ以上は頼みづらかったし、そもそも特に用もなかった。桔平からも連絡はなく、まるで音信不通のように姿を消していた。気持ちを整理し直して、真希は何度も自分に言い聞かせた。あの人がしてくれたのはあくまでも大和のため。そこに感情なんてない。もう妄想するのはやめよう、と。大和はバイオリンの教室に通っているが、そろそろ幼稚園にも入る時期だった。教室の前で、大和はよく他の生徒がパパとママに迎えに来てもらうのを目にしていた。自分にはママしかいないから、どこか寂しそうにしていた。けれど、彼は一言もその気持ちを真希に打ち明けなかった。きっと彼なりに母を気遣って、負担をかけたくなかったのだろう。それでも、桔平は一度も姿を見せなかった。まるでこの世から消えてしまったかのようだった。真希も気にはなっていたが、会社の上司たちの話によると、彼はずっと海外出張中らしい。生活自体は安定していた。真希はこの穏やかな毎日に満足していた。ただひとつ気がかりだったのは、泰明が娘を連れてやってきて、なんと彼女の向かいのマンションに住み始めたことだった。まるで監視されているようで、居心地が悪かった。幸いにも、彼ら親子は以前のように積極的に接触してくることはなかった。ただ遠くから見守るようにしている。そんな中、真希がもっとも驚いたのは、一花の変化だった。以前とは打って変わって、彼女は素直になり、時折「ママ」と呼んで声をかけてくるようになった。真希はそれに返事をすることはなかったが、静かに彼女を見つめていた。どんなに過去があった
桔平が突然、頻繁に食事に誘ってくるようになり、真希は少し驚きつつも、内心では嬉しく思っていた。前回、二人の関係が曖昧なまま終わった。その後は一度も会っていなかった。真希としては、それも仕方ないことだと納得していた。自分には結婚歴があり、顔には傷痕がある。そして、血のつながらない子どもまで育てている。そういった事情に抵抗感を持つ人がいても、まったく不思議ではない。焼肉を食べ終えた帰り道、大和は片手で真希を、もう片方の手で桔平をつなぎ、満面の笑みを浮かべていた。真希もまた、自然と口元が緩み、笑顔がこぼれた。こんな穏やかであたたかな時間が、いつまで続くのかは分からない。けれど、たとえ一瞬でも、今のこの幸せがあれば、それだけで十分だった。どうしても、大和の手を離すことなんてできない。彼は、自分の支えであり、生きる力の源なのだ。実は、焼肉店に入ったとき、真希は泰明と一花を見かけていた。けれど、あえて気づかないふりをした。自分の気持ちは、すでに何度も伝えたはずだった。なのに、彼らはこの街に留まり、去ろうともしない。どれだけ付きまとわれても、自分の気持ちは変わらない。過去に別れを告げ、新たな人生を歩き始めた今、もはや昔のことに振り回されるつもりはなかった。帰り道、桔平がふと静かに尋ねた。「これからのこと、ちゃんと考えてる?一人で大和を育てるのは立派だけど、やっぱり子どもには父親が必要だと思うんだ」真希は静かに息を吐き、苦笑した。「それは分かってるよ。でも私には色々と制限があるし、複雑な事情もあって。だから、普通の人から見たら、私なんて相手にされないよ。受け入れてくれる人なんて、そう簡単にはいない」桔平は真剣なまなざしで彼女を見つめ、そっと口を開いた。「もし俺が受け入れられるとしたら」真希は一瞬、耳を疑った。「今、なんて言ったの?」桔平は微笑みながら、はっきりと答えた。「俺なら、受け入れられるよ」その言葉に、真希の胸は喜びでいっぱいになった。彼女の嬉しそうな様子を見て、桔平は軽く説明を加えた。「誤解しないで。別に君に取り入ろうとしてるわけじゃない。ただ、結婚していた方が、養子縁組の手続きもスムーズに進むし、審査も通りやすい。独身のままだと、すごく厳しくなるから」真希は頷きながら、「それは分かってる。