LOGIN手を伸ばす。
どこまでも、その手を伸ばす。 しかし、その手は何もない空間を掴むばかり。 すぐそこに、助けを求める者がいるのに。 手を伸ばす。 どこまでも、その手を伸ばす。 しかし、その手が間に合うことはない。 仲間の左胸を、黒い影が貫く。 そして聞こえる、鬼神の声。「主《ぬし》に、何かを守るなど…できぬ!」 砕かれる、剣と心。「はっ!」 瞬間、マークは目覚めた。 目に映るのは、白い天井。 呼吸が荒い。心臓の鼓動も早く、けたたましく耳に響いていた。「こ…ここは…?」 一体何がどうなっているのか、いまだ混乱する彼は、周囲の状況を把握することもままならない。「やっと起きたか」 不意に、聞き慣れた声が耳に入る。 視線を巡らせると、柔らかな日差しが差し込む窓際に、見知った赤温かな日差しが降り注ぐ大草原。遥か遠方に、雲を冠して連なる山脈が見える。 その大草原の小高い丘の上。1本の木が立つその傍らに、黒髪の少年──マークの姿があった。 彼の腰には、2本の長剣が下げられている。 片や、竜銀で作られた名剣ヴァトラス。 そして、竜の顔が象られた「聖剣」。「それはお前が持つべきものだ」 あの戦いの後、青髪の聖騎士ロアはそう言って、マークに「聖剣」を託した。自分のような未熟者が、この剣を持つ資格などあるはずがない。そう言って何度も断ったのだが、思った以上に彼は頑なだった。「竜を祀る神殿を探せって…また無茶なことを言ってきたもんだぜ…」 何処かにあるとされる竜の神殿。ロアはそこで「聖剣」を授かった。今度はマークがその場所を探し出し、「聖剣」の正式な持ち主として認められなければならない。 魔族の脅威こそ去ったが、「聖剣」の勇者という存在は、この世界には必要なものだと、ロアは語っていた。「まぁ、あてのない気ままな旅だと思えば、気は楽なもんか」 大きく背伸びをして、マークは「聖剣」の鍔を軽く叩く。 あれ以来、あの謎の声は聞こえない。もしかしたら、ただの幻聴だったのかもしれないと、深く考えないことにしていた。「そういえば、あいつらも元気にしてるかな…」 あてのない旅という言葉で、マークは親友の顔を思い出す。 セイザンとアスリィは、2人でトレジャーハンターとして、一攫千金を狙った旅をすることにした。相変わらず、金銀財宝には目がない奴らだと、その話を聞いた時は苦笑したものだ。 一応、マークは一緒に旅をしないかと誘ったのだが、セイザンは自分だけの目的を見つけたいと言って、やんわりと断った。 その際に、あの半魔の青年がアスリィに「頑張れ」などとエールを送っていた気がしたが、マークには何のことか分からなかった。「アルバも、今はどこで何をしているやら…」 気がついたら、いつの間にかアルバの姿は消えていた。アスリィが言うには、「道」とやらを
「お、終わった…?」 ちょうど、腰の矢筒が空になった。 アスリィは階下からの敵が来なくなったことを確認し、脱力してその場に座り込む。 広間の中には、10人を超える敵が倒れていた。「上の方は、大丈夫かな…」 背後の扉の先。上階へと続く階段に目を向ける。 戦っている最中、2度ほど轟音が響き渡り、地震のような揺れを感じた。天井からパラパラと砂が落ち、よもや塔が崩れるのではないかと恐くなった。 いったい、上でどのような戦いが行われているのか。 ここで休んでいる場合ではない。再び立ち上がり、アスリィは共に戦っていた半魔の青年の方に視線を向ける。「アルバ…アンタ大丈夫…?」「…あぁ…」 壁に背を預けながら、アルバはその目を伏せていた。一瞬、気を失っているのかと思ったが、彼もまた少しの間だけ休んでいたようだ。 彼の全身は、無数の傷がつけられていた。 多数の敵を相手にして、戦い抜いた彼の身体は、疲労の境地に至っている。アスリィの回復も、最後の方は間に合っていなかった。「…行こう…くっ…」 立ちあがろうとしたアルバが、左太ももの辺りを押さえて苦悶の表情を浮かべる。見れば、大きな刀傷がつけられ、まだ血も完全には止まっていない様子だった。「ちょっと! すぐに治すから!」 傷のことを黙っていた彼にも、傷に気が付かなかった自分にも腹が立つ。アスリィは慌てて「治癒《ヒール》」を発動させた。 しかし、彼女もまた限界が近く、すぐにふらついた様子で術を中断してしまう。「…無理するな…今ので血は止まった…」 なんとか立ち上がると、アルバは足元が覚束なくなったエルフの少女に肩を貸す。 そして、ゆっくりと上へと続く階段を登り始めた。「セイザンたち…大丈夫だよね…」「…あぁ…きっと、な…」 一歩ずつ、2人は足を進める。身体は休みたがっているが、そんなわけにはいかない。 上で戦っている仲間たちの元へ急がなくては
「大切断《ギロチン》」 巨大な魔力の刃が空中から振り下ろされ、怪物の首が刎ね飛ばされる。青い血を撒き散らしながら、その亡骸が炎となって消えていった。「鉄之処女《アイアンメイデン》」 無数の、まさに数えきれないほどの、しかも目に見えるかどうかというほどに細い針が、怪物を蜂の巣にする。原型を保ったまま、やはり炎となって消える。 魔術師たちの総本山である「塔」。その周囲を取り囲む街を守るべく、魔術師たちの頂点と呼ばれる「四聖賢《しせいけん》」のうち2人が奮闘している。 片や、邪悪な笑みを浮かべながら魔力の刃で確実に敵を仕留める「混沌《カオス》」のミゼー。 片や、涼しげな表情そのままに、洗練されたスマートな魔術を駆使する「魔術博士」のサンジェルマン。 対照的ながら、それぞれの魔術はいずれも強力無比。迫り来る魔族を全く寄せ付けなかった。「あぁ、もう…全くキリがない…!」「ミゼーさん、疲れました? 僕が水薬《ポーション》を飲ませてあげますよ、口移しで」「お前本当に死ね!」 などと言い合いながら戦う2人を見て、防衛を任されていた「塔」の魔術師たちは苦笑いを浮かべる。 とはいえ、余裕があるわけではない。確かに2人は強く、魔族などまるで相手にならないほどだ。 しかし、その魔力とて無尽蔵ではない。まして、魔族を一撃で屠るほどの強大な魔術を連発しているのだ。普通の魔術師なら、とっくに気を失っている。「お主ら、まだ保つな?」 そこに、白い装束を纏《まと》った少女──の姿をした大賢者ファルミナスが現れる。その隣には、双子の姉であるアルテミスもいた。「「聖女様」たちが魔王を封じるまで、何としても死守するのじゃ」「分かってるよ…人使いの荒い婆さんだね」 肩をすくめながら、ミゼーは次の標的を見据える。 街の周囲は魔力の障壁で守られてはいるものの、それとて完璧というわけではない。衝撃を受け続ければ、いつかは破られる。 それほど多くはないが、着実に魔族たちは「塔」に迫りつ
鋭い一閃。 神速とも言える速さで繰り出された刃が、青白い体躯を持つ怪物を沈黙させた。「ふぅ…」 銀髪の剣士が、戦いの終わりを感じて一息入れる。 恐ろしく頑強な怪物だと思えた。いったい何度、剣を振ったことか。 左手に持った長剣の刀身は、もはや使い物にならないくらい刃こぼれしていた。「もう大丈夫ですよ!」 剣士は背後で守っていた村に、大きな声で呼びかける。閉め切っていた扉や窓から、安堵した様子の村人たちが顔を出した。 そして、長い黒髪の女性が駆け寄り、剣士の胸へと飛び込む。「良かった…ご無事で…」「ご心配をおかけしました」 2人がしばし見つめ合う。 その時、村を青白い光が包み込んだ。「こ、これは…?」 魔術の心得のない剣士には知る由もなかったが、その光は魔力を帯びた防壁。同時刻に王都を覆ったものと同様のもの。「な、何が起こっているのです…?」「分かりません…ですが…」 困惑する女性の肩を抱きながら、剣士は空の光を見上げている。 彼は先日、この村から魔術師の老婆が、ローブを纏った数人の男たちに連れて行かれたことを思い出した。その件と、何か関係があるのではないかと。 老婆は村から出る際に、「孫娘のことで用事ができただけ」と言っていた。 その孫娘──黄金の髪を持つ少女レイナは、剣士の弟子2人と共に冒険者として旅立っていた。「マーク…セイザン…」 もしや、弟子たちの身にも何かが起きているのではないか。 銀髪の剣士──ハミルはただ、その無事を祈るしかできないことに、もどかしさを覚えていた──。 アーレスの古城は、縦に長い構造をしていた。 いくつもの塔を、渡り廊下で繋いだような造りで、それぞれの塔の内部は長い階段を使わなければならない。 マークたちのような戦士ですら息を切らすような長い階段。当然、レイナやルビアのような後衛では、もはや歩くこと
「北門、このままでは保ちません!」「東門もです!」 王都の中央に聳《そび》え立つ王城。その中にある広大なホールに、切迫した声が響き渡る。 ホール内の長大な机の上には、王国の各地を記した地図が大量に並べられていた。そしてそのいずれにも、赤いバツ印が書かれている。 それは、すでに陥落したという報告のあった村や町を表わしていた。「大楯隊を北門に向かわせなさい! それでしばらく保ちます! 東門には、デットーリの隊を派遣!」 報告を受け、瞬時に指示を下す声。王国の英雄王と称される女王シャウナは、まったく動じることない様子で戦況を見極めていた。 かつての帝国との戦いにおいて、16歳という若さで最前線を戦い抜いた女傑は、この未曾有の事態にもその冷静さを欠くことはない。 …というのは、彼女の虚勢でしかなかった。 突如として、各地に出現した謎の怪物。報告によれば、それは伝説に聞く魔族だという。 怪物たちはそれぞれが南西に向けて進軍していて、進路上にある人里は例外なく、その強大な力によって壊滅的な被害を受けているとのことだった。 さらに、報告が本当であれば、この魔族たちは帝国にも現れ、同様の被害をもたらしているらしい。 ほとんど前触れもなく、唐突に訪れた国の危機。否、もしかしたら世界的な危機なのかもしれない。それを前にして、全く困惑しない者など、いるはずがないのである。「…いったい、何が起こってるの…?」 白銀の甲冑に身を包み、剣を手に取ったシャウナは誰にも聞かれることのない程度に、小さく呟く。 直後、窓から青白い光が差し込んだ。「っ…あれは…!?」 見れば、空に光が広がっている。それはすっぽりと、王都を覆う形となっているようだった。魔力の光と思しき青白い粒子が、混乱する王都内に降り注いでいる。「まさか、魔力の防壁…? こんなことができるのは…」 シャウナは自然と、その視線を南西の方角に向けていた。「塔」の魔術師たちを統べる大賢者。その1人を思い浮かべる。
マークたち一行、そしてロアも加えた7人は、「塔」の最上階にある「四聖賢《しせいけん》の間」へと足を運ぶ。例の移動する床の仕掛けに、初めてだったレイナやルビアは驚きを隠せなかった。 「じゃあ、俺の案内はここまでだ」 相変わらずの巨大な入り口の前で、アルベルトはそう言って去っていく。この最上階に招待されたのは、「聖女」であるレイナと「聖剣」の勇者ロアのみ。本来、マークらは招かれざる客である。 「「聖女」…いや、レイナさん…俺は君の味方のつもりだよ」 「はい…ありがとうございます」 去り際に、アルベルトは片目を閉じて笑顔を浮かべながら、そう言い残していった。レイナとしては、つい先刻会ったばかりの人物。だが、彼の人柄には好感を持っていた。 「では、入るぞ」 ロアが先頭に立ち、巨大な扉をゆっくりと開ける。 その先は、以前までと変わらぬ闇の空間。青白く光る魔方陣がいくつも浮かび、消えてはまた現れる。 ただ、マークらが前に訪れた時とは異なる点があった。 その空間に、少女の姿をした大賢者だけでなく、さらに3人の人物がいたのである。 30歳くらいの短い黒髪をした、鋭い目つきの女性。真っ赤なジャケットを羽織り、黒のタイトスカートをまとっている。 同じく30歳くらいと思われる、茶髪の爽やかな男性。簡素な茶色のチュニックを纏い、穏やかに見える笑顔を浮かべていた。 そして、空間の中央に立っていたのは、マークらのよく知る老婆の姿。 「お、おばあちゃん!?」 「アルテ婆さん!」 その姿を見て、すぐさまレイナが駆け寄る。マークやセイザン、そしてルビアもそれに続いた。 老婆は紛れもなく、故郷の村で馴染み深かった魔術師アルテ。 しかしその正体は、竜の教団の元幹部にして、17年前に「聖女」を連れ去った