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第927話

Author: 藤原 白乃介
知里は今までこんなに素直だったことがない。

数秒間、誠健をじっと見つめた後、そっと目を閉じた。

ただ、あの不気味な写真のせいで、どうしても眠れない。

どれほど時間が経ったのか分からない頃、耳元に誠健の低くかすれた声が届いた。

「まだ眠れないのか?」

知里は小さくうなずいた。

冷たい両手で誠健の腕をぎゅっと握りしめる。

そんな彼女の様子を見て、誠健は小さく笑った。

「俺に抱かれて寝たいってこと?」

知里の黒く輝く大きな瞳が彼を見つめる。肯定も否定もせず、ただ黙っていた。

そんな態度、まるで知里らしくない。

普段なら、彼女は間違いなく彼を蹴り飛ばしていたはずだ。

それだけ怖かったのだろう。

誠健はそっと知里の額にキスを落とし、優しい目で彼女を見つめた。

「これは君が誘ったんだからな。俺が勝手に調子に乗ってるわけじゃないぞ」

そう呟くと、彼は素早くベッドに潜り込み、知里の隣に横たわり、彼女をしっかりと抱きしめた。

大きな手で彼女の背中を優しく撫でながら、低く囁く。

「さあ、もう寝な。今夜は帰らないから」

知里は誠健の胸元に顔をうずめ、その温もりに包まれた瞬間、緊張していた心がふっと緩んだ。

ゆっくりと目を閉じる。

どれくらい経ったのか、誠健の耳に穏やかな寝息が聞こえてきた。

彼は視線を落とし、腕の中で眠る知里の愛らしい顔を見つめる。

その頬をつい、そっと摘まむように軽く触れ、唇に笑みを浮かべて囁いた。

「知里、これからもずっとこんなに素直でいてくれないかな?」

翌朝。

知里が目を開けると、目の前には誠健の信じられないほど整った顔があった。

高い鼻梁、整った唇、シャープな顎のライン。

まつげが長く、まぶたに影を落としている。

どのパーツをとっても完璧としか言いようがない顔立ちだった。

その美しい顔に、知里は思わず見とれてしまった。

そのとき、不意に男の低い声が耳元に届いた。

「まだ見足りない?」

その声に驚いて、知里は慌てて視線を外し、思わず身を引いた。

「寝たふりしてたでしょ」

誠健は目を開け、口元に意地悪な笑みを浮かべた。

「寝たふりしなきゃ、君のその貪欲な目、見られなかっただろ?まるで俺を食べたいみたいだったぞ」

そう言いながら、知里をぎゅっと抱きしめ、無精ひげの生えた顎で彼女の首筋を軽くこすり始
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