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第6話

Auteur: 川辺
私は静かに微笑んだだけで、何も言わなかった。

隼人は最初から、私のことなんて本気で見ていなかった。

もし、少しでも気にかけてくれていたなら気づけたはずだ。

私と悠真が、十五歳まで同じ敷地で育ったことに。

その後、私の家は南へ行商に、悠真の家は北で政界に進み、道が分かれた。それだけ。

もしそれがなければ――そもそも私は、隼人なんかと出会ってなかった。

「……結衣と僕は、小さい頃からずっと一緒だった。

だから、結衣と結ばれたことは、人生で一番の幸運だったと思ってる。

それに、伯父さんと伯母さんにも――結衣の将来を任せてもらえたこと、本当に感謝してる」

その言葉に、隼人は鼻で笑った。

「はっ、そんなのありえない!

お前が愛してたのは俺だろ!結婚式の準備だって、全部お前が自分でやってたじゃないか!

簡単に諦めるなんて、お前らしくない!

……病気のときに会いに行かなかったから?それとも、あの席で美優をかばったことがそんなに気に食わなかったのか?

俺は、そんなくだらないことで終わらせるようなお前じゃないって信じてた!」

隼人は取り乱したように叫び、綾瀬がそっと袖を引いても気づかない。

「……隼人、やめてよ。みんな見てるんだから……あとで落ち着いてから、結衣さんとふたりで話せば……結衣さんなら、きっとわかってくれるって……」

でも、隼人は必死に記憶をたどっていた。

最近、何かおかしかっただろうか?何か兆しは?

……思い返しても、思い当たる節がない。

それもそのはず。

彼はただ、表面だけを見て、私の心を一度も覗こうとしなかった。

――確かに、私はかつて、隼人を愛していたのかもしれない。

私たちの関係は、穏やかで衝突も少なく、彼は気配りもできて、良い恋人だった。

恋から結婚へと続く道は長かったけれど、大きなドラマもなかった。

だからこそ、私は彼の心の痛みに無理に触れることもせず、ただそっと寄り添ってきた。

だけど。

……それは「愛されている」とは違ったんだ。

結婚のことで、私は何度、父とぶつかってきただろう。

ただでさえ親の反対を押し切ってのことだったのに、それでも私は隼人と一緒にいたくて、何度も何度も言い返した。

知らない誰かと新しく感情を築くのが怖かった。半端な人生をもう一度やり直す勇気なんて、なかったから。

だからず
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