Share

第402話

Author: 山田吉次
食事会も半ばを過ぎたころ、美羽は実家の家政婦から電話を受け、個室の外に出て応答した。

家政婦の話では、ここ数日、正志が突然酒浸りになり、毎日泥酔しているという。

朋美がいくら止めても言うことを聞かず、このままでは何か起きそうで怖い、と。

だから家政婦は美羽に、どうしたらいいかを尋ねてきた。

奉坂町を離れたあの日、美羽はすでに正志の様子に違和感を覚えていた。まさか本当に酒に逃げるとは。

美羽は眉をひそめた。心配なのは、そんな正志を案じ続けて体を壊す朋美の方だ。「明日、父が目を覚ましたら、電話をください。私から話してみます」

「分かりました」

電話を切って個室に戻ると、さっきまでいた三人の男たちの姿が消えていた。部屋に残っているのは星璃と清美だけ。

「彼たちは?」

星璃が淡々と答えた。「煙草を吸いに。電話か、それともお手洗い」

美羽は席に戻り、二つの空いた席越しに清美に尋ねた。「星煌市から直接来たのですか?」

清美は言葉を選ぶように穏やかに答えた。「ええ。葛城さんをスイス行きの飛行機に送り出してから、翠光市に来ました」

……月咲を、スイスへ?

美羽はわずかに驚いた。

清美が低く続けた。「葛城さんは、もうこちらに戻らないと思います」

「……」美羽は黙って椀にスープをよそい、ゆっくりと口に運んだ。

まさか、翔太が月咲を海外に送り出すなんて――

これも「機嫌取り」の一つなのだろうか。

送ってしまえば、もう月咲に関わる気もないということ?そんな遠くへ行かせて、未練もないなんて。

――月咲は、本当にただ、彼が私を苛立たせるために連れてきた女だったの?翔太は、本当に月咲を好きになったことなど一度もなかったの?

胸の奥が、いいようのない虚しさで満たされる。悲しいわけでも、嬉しいわけでもない。

ただ、長く自分の心を乱された相手が、実は取るに足らない存在だったとは。

そんな滑稽さに、思わず自嘲したくなるだけだ。

月咲がいなくなったことに、少し「こんな軽い罰だけでは気が済まない」と思う一方で、「やっと消えてくれた」と心のどこかで安堵している自分もいた。

ふと個室の扉に目をやった。三人はまだ戻っていない。

美羽は何かを思い出し、星璃に向き直った。「ねえ、星璃と篠原弁護士って知り合い?」

星璃は驚かなかった。美羽の洞察力を知っているからだ。

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 社長、早く美羽秘書を追いかけて!   第406話

    窓の外の夜闇は、一筋の光もないほど濃密だ。冬風が小雪を巻き込み、窓の隙間から吹き込んでくる。かすかな寒気は、室内の湿気と熱気を追い払うことはできなかった。美羽は布団から白く細い腕を伸ばし、ベッドサイドのランプをつけようとした。すると翔太は再び彼女の裸の背中に覆いかぶさり、首筋にキスをした。彼女が抑えきれないほど震えだすと、さらにエスカレートし、背骨に沿って腰のくぼみまで軽やかなキスを落としていった。美羽は枕に顔を埋めてくすぐったそうに丸くなり、彼を押し返そうと体を反転させた。すると翔太は素早く彼女の両手を枕の両側に固定し、顔を近づけてキスをした。美羽は居心地悪く思った。翔太はなんだか……ベタベタしている。昨夜は病気で彼女を訪ねてきた時は野良犬のようだったが、今はまるでベタベタしたゴールデンレトリバーのようだ。彼ともう一度やるつもりはなかったのに、彼にこうやって何度も擦り寄られるうちに、またもや制御不能に溺れていった。動かされ続けた美羽は、薄暗い光の中で普段の冷静さと淡々さを失った。そんな彼女を見て、翔太はあの日、紫音が電話で「真田さんとヨリを戻した?」と聞いてきたことを思い出した。彼は答えなかった。紫音はまだうまくいってないと悟り、助言した。「兄さん、聞いたことある?告白なんて子供じみたこと。大人は直接誘惑するの。誘惑するにはます、人間を捨てること。だいたい3つパターンがあって、猫になるか、虎になるか、雨に濡れた犬になるか」「どういう意味だ?」「つまり弱みを見せ、哀れを装い、タイミングを見計らって丸ごと飲み込むってことよ」どうやら紫音の助言は本当に効果があるようだ……翔太はわずかに口元を歪め、美羽をベッドから抱き起こし、自分の膝の上に座らせ、肩に寄りかからせた。この姿勢はあまりにも深く入り込み、美羽は意識が朦朧とし、脳が真っ白になり、まるで深海に沈んでいくようだ。溺れるような沈みゆく感覚の中、かすかに彼の嗄れた声が耳元で聞こえた。「いい子、指輪を買って、君の指にはめようか」「……」美羽は我に返らず、ぼんやりとした目で彼を見つめていた。しばらくしてようやく彼が言った言葉の意味を理解し、目を見開いた。彼が言ったのは、指輪?どんな指輪?普通のアクセサリー?それとも……プロポーズ?結婚?「…

  • 社長、早く美羽秘書を追いかけて!   第403話

    美羽は、前方の角から低く落ち着いた男性の声が聞こえ、そのまま歩み寄った。そこでは、翔太と慈行が並んで立ち、それぞれ煙草に火をつけていた。二人の雰囲気からして、どうやら旧知の仲らしい。彼女の足音に気づくと、二人同時に振り向いた。慈行は美羽が翔太を探して来たことを察して、軽く会釈をし、先に個室の中へ入っていった。翔太は煙草を揉み消し、彼女の方へ歩み寄った。「どうして外に出てきた?」美羽は少し訝しげに問うた。「篠原さんとは知り合いなの?」翔太は何気ない口調で答えた。「竹内家のクルーズで、一緒に麻雀を打ったあの『篠原社長』を覚えてるか?」「覚えてるわ」あの日、麻雀卓を囲んでいたのは四人――翠光市の投資界の巨頭・相川家の悠真、星煌市の資本家・夜月家の翔太、幻景都の不動産王者・霧島家の蒼生、そして、天光市のハイテク企業を率いる篠原家の……篠原?美羽ははっと眉を上げた。慈行の「篠原」って、その「篠原」なの?翔太は、彼女の頬にかかる数本の髪を指先で耳にかけた。その指腹が彼女の柔らかな肌に触れた瞬間、彼の瞳が深く沈んだ。「慈行は、その篠原社長の従弟だ」美羽の脳裏で、点と点が一気につながった。「じゃあ……宮前家に、『宮前結意はせいぜい執行猶予になる』って漏らさないようにしたのも、あなたなの?」「だから言っただろう。君が和解に応じようと応じまいと、俺には君を無傷で抜け出させる方法がある」……彼はずっと陰で色々と動いてくれたのだ。母親のために外国の名医を呼んだことも、早い段階で宮前家に「内通者」を潜り込ませていたことも。けれど、彼自身の口からは何も語らない。翔太は少し身をかがめ、彼女と視線を合わせた。低く艶のある声が、まるでチェロの弓が弦をゆっくり擦るように、心の奥を震わせた。「それでまだ、和解する気か?」美羽は思わず一歩退いた。「……もう、お金を受け取ったのよ」翔太は小さく鼻で笑った。「俺を裏切ることまでやってのけたくせに、今さら宮前家なんか怖いのか?契約なんて、破ればいい」なんて理不尽な言い草。けれど、美羽の唇の端が、抑えきれずに少し上がった。彼女がやっと笑んでくれたのを見て、翔太の喉仏が小さく動いた。そして、次の瞬間、彼女の頬にある浅いえくぼへ口づけようと身を寄せた。美羽はその気配

  • 社長、早く美羽秘書を追いかけて!   第402話

    食事会も半ばを過ぎたころ、美羽は実家の家政婦から電話を受け、個室の外に出て応答した。家政婦の話では、ここ数日、正志が突然酒浸りになり、毎日泥酔しているという。朋美がいくら止めても言うことを聞かず、このままでは何か起きそうで怖い、と。だから家政婦は美羽に、どうしたらいいかを尋ねてきた。奉坂町を離れたあの日、美羽はすでに正志の様子に違和感を覚えていた。まさか本当に酒に逃げるとは。美羽は眉をひそめた。心配なのは、そんな正志を案じ続けて体を壊す朋美の方だ。「明日、父が目を覚ましたら、電話をください。私から話してみます」「分かりました」電話を切って個室に戻ると、さっきまでいた三人の男たちの姿が消えていた。部屋に残っているのは星璃と清美だけ。「彼たちは?」星璃が淡々と答えた。「煙草を吸いに。電話か、それともお手洗い」美羽は席に戻り、二つの空いた席越しに清美に尋ねた。「星煌市から直接来たのですか?」清美は言葉を選ぶように穏やかに答えた。「ええ。葛城さんをスイス行きの飛行機に送り出してから、翠光市に来ました」……月咲を、スイスへ?美羽はわずかに驚いた。清美が低く続けた。「葛城さんは、もうこちらに戻らないと思います」「……」美羽は黙って椀にスープをよそい、ゆっくりと口に運んだ。まさか、翔太が月咲を海外に送り出すなんて――これも「機嫌取り」の一つなのだろうか。送ってしまえば、もう月咲に関わる気もないということ?そんな遠くへ行かせて、未練もないなんて。――月咲は、本当にただ、彼が私を苛立たせるために連れてきた女だったの?翔太は、本当に月咲を好きになったことなど一度もなかったの?胸の奥が、いいようのない虚しさで満たされる。悲しいわけでも、嬉しいわけでもない。ただ、長く自分の心を乱された相手が、実は取るに足らない存在だったとは。そんな滑稽さに、思わず自嘲したくなるだけだ。月咲がいなくなったことに、少し「こんな軽い罰だけでは気が済まない」と思う一方で、「やっと消えてくれた」と心のどこかで安堵している自分もいた。ふと個室の扉に目をやった。三人はまだ戻っていない。美羽は何かを思い出し、星璃に向き直った。「ねえ、星璃と篠原弁護士って知り合い?」星璃は驚かなかった。美羽の洞察力を知っているからだ。

  • 社長、早く美羽秘書を追いかけて!   第401話

    一通り署名して、小切手をもらい、公証も済ませた――これでこの件は終わりだ。宮前家の両親が帰ったあと、蒼生はすぐに態度を切り替え、美羽の味方に戻ったように、にこにこと言った。「せっかくだし、どこかでお祝いしようよ。今夜は俺のおごりだ。『レーヴ』に行こう」美羽と星璃はどちらもやんわり断った。三人で遊びに行くなんて、どう考えても妙な取り合わせだ。不自然すぎる。「人数が少ないから嫌だって?なんだそんなこと!」蒼生は携帯を取り出しながら笑った。「もう何人か呼べばいいだけだろ!」その勢いだと、まるで彼が美羽のスパイとして宮前家に潜り込んでいたみたい。あんな大金を失っておきながら、なぜこんなに上機嫌で「お祝いしよう」なんて言えるだろう。けれど、そこまで仕切られてしまっては仕方ない。美羽と星璃もついて行くことにした――まあ、一緒に食事をするくらいのつもりで。蒼生が呼んだのは、三十歳前後の落ち着いた雰囲気の男。見た目は穏やかで品があるが、美羽は見覚えがない。ところが星璃は、その男を見た瞬間、明らかに一瞬動揺した。蒼生が紹介した。「彼は篠原慈行。俺の友達だ。本当は結意の案件を彼に頼むつもりだったけど、もう必要なくなったし。まあ、飯でも食って水に流そうぜ」慈行は整った顔立ちで、どこか底知れない印象を与える男だ。彼は美羽と星璃、それぞれに握手を交わした。ただ星璃の手を握ったとき――何食わぬ顔で、ほんの数秒長くそのままにした。星璃が少し動いたところで、ようやく微笑を浮かべながら手を離した。彼らは丸いテーブルを囲んで座った。蒼生は脚を組み、気楽に言った。「篠原弁護士は南海県じゃ有名な刑事弁護のスペシャリストだ。織田弁護士、知ってた?」星璃は表情を変えずに答えた。「噂では」「法廷で争ったことは?」「まだ機会はありません」慈行は微笑んで言った。「今後もそんな機会がないといいですね。織田弁護士を敵に回すなんて、惜しいですから」星璃は冷たく目を上げた。慈行は何気ない調子で付け加えた。「僕、女性には優しいんですよ」蒼生が鼻で笑って茶化した。「やめろよ慈行、『法曹界の玉面閻魔』ってあだ名、俺が知らないとでも思ってんのか?」慈行――その名の通り、笑えば「慈悲深い」ように見える。星璃はもともと口数が少ないが、今夜はさら

  • 社長、早く美羽秘書を追いかけて!   第400話

    美羽はわざわざ場所を変えるのも面倒で、昼に星璃と食事をした同じレストランで宮前家と会うことにした。ただ、室内から屋外のガーデンパラソルの下へと移動しただけだった。年末年始休みも終わり、人々はそれぞれ通常業務に戻っており、街はどこか静まり返っている。そんな中で美羽はふと、元日の夜のことを思い出した。翔太と手をつなぎ、賑やかな通りを歩き、ディナーショーの店でショーを見ていた――あの夜の情景。つい、心ここにあらずになった。椅子が引かれる音で我に返り、反射的に視線を上げた。空からまた小雪が舞い落ちている。そこに腰を下ろしたのは――翔太だった。彼はもう昨夜や今朝のような病人じみた様子ではない。高級そうなスーツに着替え、襟元から袖口まで一分の隙もなく整っている。まるで、再び「手の届かない夜月社長」へと戻ったようだ。美羽は一瞬ためらってから言った。「夜月社長、病み上がりでわざわざ場を仕切りに来てくださるなんて、光栄です。ですが、私は織田弁護士がいれば十分です。彼女は公証役場に書類を取りに行っていて、すぐ戻ります。ほかにご用がないなら、星煌市へお戻りください。今ごろ会社が忙しいでしょう?」かつて彼のそばにいたころ、この時期はいつも彼が最も多忙な時だった。そんな時に、無駄なことに時間を使う余裕などあるはずがない。「加納秘書は仕事で致命的な失敗をしたわけじゃないでしょう。彼女を本気で解雇しないでください。夜月社長の助けになりますよ」彼女が自分に話しかけてくるのを聞いて、翔太は薄く唇を曲げた。「俺の病気を気にしてるのか?それとも会社のことか?仕事の負担を心配してくれてる?」美羽は静かにコーヒーを口にした。「加納秘書を巻き込んでしまったことを反省しているだけです」翔太は淡々と返した。「人の心配はできるのに、自分のことは気遣わない。和解したくないくせに、無理して嫌な思いまでして承諾するなんて」美羽は少し笑った。「私が和解しないときは、あなたたちみんなが説得してきた。今度は和解すると言ったら、それも気に入らないの?」「俺が濡れ衣を着せるのが癖になってるのか?俺が和解を勧めたことなんて一度でもあったか?最初から最後まで、この件について話したことすらないだろ」翔太は手を上げ、店員に自分にもコーヒーを持ってくるよう示した。

  • 社長、早く美羽秘書を追いかけて!   第399話

    ホテルの部屋で、翔太は電話をかけ、着替えの服を届けさせた。この病気は、まったく突然というわけではなかった。奉坂町にいたころから、すでに体調の異変を感じていたのに、美羽のために星煌市から夜を徹して翠光市までやって来たせいで、雪に打たれ、ついに熱を出したのだ。姿見の前に立ち、彼はシャツに腕を通し、長い指で一つひとつボタンを留めていく。深く整った顔立ちは冷ややかで、美羽の前で見せたあの無頼な雰囲気は影も形もない。そう、昨夜彼女の部屋に泊まれたのは、ただ自分が「しつこく食い下がった」からにすぎない。実際のところ、美羽はまだ彼を完全には許していなかった。昔の出来事が原因で、彼女の心には重いわだかまりが残っている。二人の「仲直り」は薄氷のように脆く、新年の頃にようやく積み重ねた好感も、月咲の一件で跡形もなく壊れ、彼女は再び心に高い壁を築いてしまった。――まったく、これは因果応報というやつだ。苛立ちまじりに上着を羽織り、翔太は部屋を出てエレベーターのボタンを押した。ちょうどその時、上の階から降りてきた哲也と鉢合わせた。哲也はスマホを下ろし、少し驚いたように言った。「翔太、お前、星煌市に帰ったんじゃなかったのか?」翔太は眉をわずかにひそめ、「昨日来た」と淡々と答えた。哲也は彼の顔色を見て眉を上げた。「本当に病気なのか?病院は行ったのか?」「もう大丈夫だ」翔太は表情ひとつ変えずに言った。哲也は意味ありげに彼を観察した。翔太は背筋を伸ばし、微動だにせず立っている。それを見て哲也は、すぐに事情を察したように眉を跳ね上げた。「あぁ……なるほど。お前、わざと病気を口実にして、真田秘書に仲直りを頼みに来たんだな?はは、いいじゃないか、ついに『同情を買う』手まで使うとは!」彼は翔太と二十年以上の付き合いだが、こんな下手に出る彼は初めて見た。彼は直樹みたいな「理解者」ではない。からかうのが何より楽しい性分で、嬉々として笑った。「真田秘書も大したもんだな。お前がここまで落ちるとは」「……」翔太がそんな話をするはずもない。ここまでやっても、結局美羽の心を掴めなかったとは、恥ずかしさと苛立ちが入り混じった。まさか鉢合わせるとは思わず、皮肉っぽく言い返した。「星璃だって、お前と上手くいってないだろ」「それはそのうち妊娠

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status