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縁語り其の六:蠢く影

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-15 18:27:32

いつものように学校に着くと、教室の空気が、いつもよりほんの少しだけ、色を失っているように感じた。

大きな窓から燦々と差し込む、春の淡い光。

その光の帯の中を、名前も知らない誰かの記憶の欠片のように、微細な埃がふわふわと無数に舞っている。

何列にも並んだ机の天板に落ちた光は、まるで薄氷のようだ。黒板には、今朝の一限目の授業の跡が、チョークの粉となって儚く残るのみ。

「おい、悠斗、ちょっと聞いてくれよ!」

隣の席のクラスメイトが、何か面白い悪戯を見つけた子供のように、やけに上擦った声で僕の肩を叩く。

「朝からどうしたの?」

僕がわずかに眉を顰める《ひそめる》と、別の方向から、もう一人の友人がスマートフォンを突きつけてきた。

「これ! 昨日、うちのクラスの連中がまたやらかしたんだって!」

「マジでヤバいから、もう一回見よーぜ!」

けたたましい笑い声。誰かが興奮して机を叩く乾いた音が、教室のあちこちに無神経に響き渡る。

( ……まさか。)

胸の奥で、冷たい何かが急速に膨れ上がっていく感覚。

促されるままに手に取ったスマートフォンには、まさに今、再生中の動画だ。

その画面隅には、まるで血で書かれたような、禍々しいフォントでタイトルが表示されていた。

─────────────────────

【恐怖の心霊スポット 桜織旧病院へ突撃!!】

ガクン、と画面が大きく揺れ、手持ちカメラ特有の、薄暗くノイズの多い映像が始まった。

そこに映し出されたのは──桜織旧病院。

夕陽だろうか。斜めに差し込む赤い光に照らされた、無残に崩れたコンクリートの壁。割れた窓ガラスの奥は、冥界への入り口のようにぽっかりと黒い口を開けている。そのたたずまいは、もはや誰からも忘れ去られた巨大な骸のようだった。

「よっしゃ、みんな! 準備はいいかー!? 今からこの廃病院に、俺たちが突撃だぜ!」

配信主と思われる、やけに弾んだ甲高い声がスピーカーから響く。

「コメント、高評価よろしくなー!」

無理に作ったその明るさの端々に、隠しきれない緊張が滲んでいるのが画面越しに伝わってくる。

「うわっ、暗っ! 思ってたより全然暗ぇじゃん! マジでビビるわ、これ…」

仲間の一人がおどけて笑い、別の仲間の背中を乱暴に押す。埃っぽくカビ臭い廃墟の廊下を進む複数の足音だけが、コツ、コツ、と不気味に反響していた。

不意に、手術室だったと思われる部屋が大きく映し出される。

鼻を刺すような腐った消毒液の匂いが漂ってきそうなほど、おぞましく薄汚れた手術台。床には、用途も分からぬ医療器具が錆びついたまま散乱している。

「……え? 何か聞こえた? 今、奥の方で、なんか変な音しなかったか……?」

「や、やめろよ…気のせいだろ…」

誰かの掠れた声に、カメラが暗い部屋の奥をゆっくりと捉える。

「え、えぇ…? な、なぁ…あそこ見ろよ…」

誰も触れたはずもない、錆びついた金属製のメスが、カラン、と床に落ちた。静寂の中、その音は異常なほど大きく響く。

「ひっ…か、風だろ…」

「室内だぞ!? 風なんて吹いてもここまで影響でねぇよ!」

そして、そのさらに奥。闇の向こうから──

ひぃぃぃ……うっ……ひっく……と、幼い子供がしゃくり上げるような、か細い泣き声が、確かに響いてくる。

「おい、マジで……マジでやめろって……!!」

さっきまでの虚勢は消え失せ、仲間の声は明らかに恐怖で震えていた。

壁に滲んだ血痕のような黒い染みが、じわじわと、まるで生き物のようにその範囲を広げていくのが、カメラのライトに照らし出される。

「ひっ…!!!!!」

“何か”が、すぐそこに、いる。

その時だった。

グラリ、と揺れたカメラが、不意に“それ”を捉えた。

薄暗い手術室の、最も奥まった隅。

闇そのものが凝縮したかのような黒い影が、ずるり、ずるりと、音もなく床を這い出してくる。

……それは、幼い、小さな男の子の霊。

纏っている白い病衣は見るも無残に破れ、かつて清潔であった面影はない。

そして、光を失った黒く窪んだ両の眼窩。そこには深い闇だけが広がり、獲物を見つけたかのように、カメラを──いや、撮影者たちを、まっすぐに睨みつけていた。

『お……か……あ……ぁ…………さぁ………ん……!』

掠れた、途切れ途切れの声。『お母さん』という、その言葉。

幼い子供が発するにはあまりにもおぞましいその響きには、どうしようもないほどの深い寂しさと、憎悪が悲しいほどに滲んでいた。

「うわぁぁ!!!!やばい!!に、逃げろ!!!!」

恐怖に駆られた一人が派手に転倒する。すぐ前を走っていた仲間が振り返り、助け起こそうとした、その時。

影の中から伸びた骨張った小さな白い手が、転んだ仲間の足首を、ミシリと音を立てて強く掴んだ。

「う、うわあああああああああっ!!!!」

画面が激しく乱れ、床に叩きつけられる鈍い音と、骨が軋むような嫌な音が混じり合う。

ブツッ、というノイズと共に、映像は闇に飲まれた。

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