LOGIN死ぬか、生き延びるか。命の沙汰は金次第だ。 長谷川 政秀(はせがわ せいしゅう)は拝み屋を生業にしている。 命の沙汰は金次第。 金させえ積めばどんなヤバい霊も片付けてくれると、一部の界隈では有名な話だ。 そのため、後ろ暗い話ほど彼のもとへやってくる。 今日もまた、彼の元に舞い込んできたのは、そんな厄介な案件で――。 ●第1話 山の上の廃校舎 美都子と英一姉弟と友人の加奈子は、山の上にある廃校を目指していた。 この廃校は彼らの曾祖母が通っていた学校で、もう何十年も人が訪れたことのない場所だった。 不安で何度も帰りたがる弟をなだめつつ、道を進む美都子。 やがて彼らは山の上の廃校舎へとたどり着くが……。
View More「やっぱり行くのはやめて、もう帰ろうよ……」
英一はこの1時間で何度目かになる言葉をまたもや口にした。
あたしは前をふさぐ草をかき分けていた手を止めて振り返り、うんざりした顔を英一へと向ける。「帰らないって、何度言ったら分かるの! まだ目的地にも着いてないのよ!」
怒気をはらんだ言葉か、それとも一見して分かるあたしの機嫌の悪さにか。英一はびくっと身をはねさせて、あわてて下を向く。それきり何も言わなくなった英一に、あたしは再び前進を始めたが、数分とたてずにまたもや英一が「でも……」と納得しきれない様子でぐちぐちとこぼし始めた。
「英一!
目的の廃校までたった30分よ? たったの30分でも、その口を閉じていられないの?」 「でも……30分前にも、お姉ちゃん、同じこと言ったよ……。それに……ほら。風が、変なふうに吹きだしてるよ。雨が降るかも……」 「今日はずっと晴れ! 夜も晴れ! 天気予報は確認済みだから!」あ、と思ったときにはもう遅い。
ぴしゃりと言葉をたたきつけられた英一は、ついに涙をにじませた。「……だって……」
やめて、泣きだしたりしないで、これ以上は勘弁して――そう思ったときだ。
「大丈夫よ、英ちゃん。わたしもいるから」
それまで黙々と一番後ろを歩いていた幼なじみで親友の加奈子が、山に入って以来初めて口を開いた。
英一の横について、うつむいた顔をのぞき込む。「怖いなら、手つないで歩こっか?」
ぎゅっと口を引き結んで目をこすりだした英一の姿を見ていられなくてすぐ背を向けたから、加奈子の提案を英一が受け入れたかどうかは分からない。でもきっと、手をつないでいるに決まってる。
あたしは自他ともに認める癇癪持ち。一言多いってよく言われるし、言葉がきついから、決してわざとじゃないけど弟の英一を泣かせてしまうのもしょっちゅうだ。
英一は優しい加奈子が大好きで「かなちゃんが本当のお姉ちゃんだったらいいのに」とこれまでに何度も口にしたことがあるくらいだから、加奈子と手をつなげるのはうれしいだろう。それか、恥ずかしがって断るか。どっちにしても、とにかく英一の泣き言は以後ぴたっと止まった。やれやれだ。
泣かせそうになってしまった後ろ暗い気持ちと相まって、あたしは胸の中で加奈子に感謝して、再び歩き出した。
正直なところを言うと、実はあたしもすでに何度か音をあげそうになっていた。ただしその理由は怖がりの英一とは違う。この道のせいだ。
まさかこんな悪路になっているとは思いもしなかった。だけど考えてみれば、人が通らなくなって70年近いのだ。舗装されていない夏の山道は、手入れもせずに半月も放置しておけば獣道と変わらなくなると聞いたことがある。70年人通りが絶えた道などもはや道と呼べるものではないと、なぜ思い至らなかったのか。
炭焼人だった祖父の遺品のナタを持ってきてよかった。もしこれがなかったら英一に言われなくても断念し、帰らざるを得なかっただろう。それは姉の沽券に関わるし、ちょっぴり癪に障る。
大体、この先にある廃校へ行こうと言いだしたのは、他ならぬ英一なのだ。
あたしは間違ってなんかない。
スマホで今の時間を確認――午後4時。予定より大幅に遅れてるけど、遅れすぎてるってわけでもない――しながら、あたしはあらためてそう思った。
◆◆◆
事のはじまりは、あたしたちの曾祖母である大ばあちゃんとのその友人たちの会話からだった。
若いころから社交に長けていたという大ばあちゃんの周りには、常に大ばあちゃんを慕う友人たちがいた。かなりの高齢で、5年前に足を悪くしてからは外出を控えて家にいるようになっていたが、それでも大ばあちゃんを気にかけて、毎日のように家を訪ねてくる者たちで大ばあちゃんの部屋はいつもにぎやかだった。
1週間くらい前、英一がトイレに行く途中で大ばあちゃんの部屋の前を通りかかると、やっぱりお客さんたちが来ていて、ふすま越しに彼らの会話が聞こえてきたらしい。結果的にそうなっただけで、最初から盗み聞きするつもりは全くなかった、というのは本当だろう。(大ばあちゃんたちの話なんてわざわざ聞いて、何が面白いの? どうせ戦時中はああだったとか、自分が若いときはこうだったとか、昔はよかった話ばっかりじゃない)『山の上の廃校』というフレーズが耳に入って、つい、足を止めてしまったということだった。
ふすまを挟んでて、さらに向こう側は8畳間の中央で茶卓を囲っているわけだから距離があるし、平均年齢80歳後半という高齢の人たちばかりだからあんまり声量もなくて、全部聞こえたわけじゃないらしい。それでも耳をすますとある程度想像がつく範囲で聞こえてきて、彼らがしているのはどうやら山の上の廃校がついに取り壊されることが決まったという話だということが分かった。
どうやら山主だった田中さんちの
山の上の廃校っていうのは、大昔、大ばあちゃんたちが小学生だったころに通っていた学校のことだ。当時この辺一帯は白川村と呼ばれていたんだけど、村の子どもは一番下が3歳一番上が15歳で、全部合わせても18人しかいなかったらしい。一番近い所で学校は片道2時間歩いて山を越えた先の町にしかなく、山越えして通うのは小さな子どもには大変だからと、茂光おじいさんのおじいさんが山を1つ2つ売って建ててくれたということだった。
白川村尋常小学校。今でいう私立の学校みたいなもので、先生は都の師範学校にお願いして派遣してもらった人が1人で全員をみていたらしい。
全部、何年か前に大ばあちゃんから聞いた話。あんまり興味なかったから、うろ覚え。
とにかく大ばあちゃんたちが子どものころに通っていた学校が、山の上の廃校ってわけ。なぜ廃校になったかっていうと、町村合併促進法というのが昭和28年(1953年)に施行されて、白川村も他の2町村に吸収合併されることが決まったから。名前も一番大きな町の名前になった。そこは例の学校がある町で、子どもたちはみんなそこへ通うことが義務づけられたってわけ。
これが大ばあちゃんが9歳のとき。ちなみに篠津町っていう。これ、あたしたちが住んでる町ね。
で、大ばあちゃん、友人たちと「もう一度見たい。確認したい」って話してたらしい。
それで英一が「大ばあちゃんに、山の上の廃校を見せてあげられないかな?」とあたしに相談にきたのだ。 きっと大ばあちゃん、山の上の廃校が取り壊される前にもう一度見たがってるんじゃないかって。 お年寄りって、昔の小さかったときのことをよく懐かしく思うっていうし。足の悪い大ばあちゃんを連れて行くのは絶対無理だと思った。山の上へ続く道は非舗装路で危ないからってずっとチェーンで封鎖されていて、しかも真ん中に黄色く目立つ鉄の棒も立ててあって、チェーンが外れても車が入れないようになってるから。
一応茂光おじいさんのお孫さんたちに大ばあちゃんの友人の1人がしつこくかけあってたみたいだけど、年寄りたちには危険だからって入山を断られたらしい。茂光おじいさんも、ぼける前はよく「あそこに人を入れちゃいけない」って口を酸っぱくして言ってたみたいで、それを聞かされて育ってきたお孫さんたちは、その言葉を茂光おじいさんの遺言のように大切にしてるみたいだった。
それで、説得は無理そうだって思ったその人はいったん引くことにして、大ばあちゃんのとこに相談しに来たんだけど、そうしてみんなで集まっても、やっぱりいい案は浮かばなかったみたいだった。
悪いけど、茂光おじいさんのお孫さんたちの言い分が正しいと思う。御年80越えのご老人たちばかりだもん、そりゃ山の上まで徒歩なんて無謀だし、転んで足の骨を折ったりとか、最悪心臓発作でお亡くなりとか、何かあって訴えられでもしたらたまったもんじゃないと考えたんだろう。分かるわ、あたしだってそう考えるもん。
それで考えた末、大ばあちゃんのためにあたしたちが山の上の廃校をスマホで撮影してきてあげたらいいんじゃない? となったのだった。
◆◆◆
実際こうして山へ入って歩いてみて、これは年寄りたちには絶対無理だと思った。
道らしい道はとっくになくなって、ナタで切り開きながら進むしかない状況になってしまっている。30分くらいで行けると思ってたのに、実際は1時間たってもまだ着かないというありさまだ。
英一はぐずりだすし、虫はすごいし、暑いしで、陸上部で鍛えていて体力には自信のあったあたしも、10分おきに休憩をとらなきゃ進めなくなっていた。文芸部なのに文句ひとつ口にせず、無言でついてきてくれる加奈子は、本当にすごい。
それでも頑張れたのは、英一に対する意地と、そして木々の間からついに見え始めた廃校舎だった。
「……やっと、着いた……」
最後の茂みをかき分けて、開けた所に出たとき。あたしの口から出たのは、そんな弱々しい言葉だった。
午後5時。夕日を浴びた廃校舎の姿を眺めながら、町のスピーカーから流れる『七つの子』が聞こえてきたのを覚えている。
その荒れ果てた姿に、背筋がぞくりとするような悪い予感を、このときのあたしは確かに感じていた。なぜ、気のせいだなんて思ったりしてしまったんだろう?
どうして、中の写真も撮ろうなんて思いついたりしてしまったのか。
そうしたら、あんなことは決して起きなかったに違いないのに。
あたしは生涯自身に問いかけ続け、後悔し続けるだろう。 これからの数日間に起きた出来事を……。美都子が案内した場所は、廃校舎の裏庭だった。 廃校舎の影に入っていて薄暗いそこはゴミ捨て場で、頑丈な鉄製の焼却炉が隅に置いてある。ゴミを上から放り込み、焼けたあと、下の口から灰を火かき棒でかき出すという古い型の物だ。赤サビが全体を覆うほど浮いて、煙突部分のアルミが途中でへし折れてしまっているが、交換してサビを落とせばまだ十分使えそうに見えた。「あれか」「……う、ん……」 なんとも歯切れの悪い声だ。「外から校舎を撮ってるときに気付いたんだけど、そのときもなんか、嫌だなーって感じてて。雰囲気? なんか、そういうの。 それから英一を捜してるときにここへ来たら、それがもっと強くなってたの。今も、これ以上近づきたくない。でも、もしかしたら……」「あそこに弟がいるかもしれないと思うのか?」 その問いに、美都子はびくっと、目に見えて分かるほど大きく両肩を震わせた。「分かんない」 無意識といった様子で背中を丸め、両方の二の腕をさすり始める。「そうじゃないって、確認してほしくて……」 じっと焼却炉を見つめ続ける美都子を見下ろして、政秀は「分かった」と焼却炉へ歩み寄った。 何の変哲もない、ただの焼却炉だ。(だが、確かに) 見るからに重そうな赤い鉄のドアの取っ手に両手をかけ、一気に引き開く。中を覗き込み、ついで下の、たまった灰をかき出すための小窓を開く。傍らに落ちていた火かき棒を使って政秀は中の灰をかき出して、灰の山が平たくなるまで広げた。 やがて、灰の中からひとつまみ、何かを取り出す。「……何? それ、まさか……?」「いや。子どもの骨じゃない」 指でもてあそんでいた、親指の先ほどの白い何かを尻ポケットにしまって、政秀はもう一度炉の中を覗き込んで中を確認してから赤いドアを閉じた。 美都子の元へ戻ると、彼女は見るからに安堵した
川原 マサオは、それまでの3人とは少し違った消え方をした。 迎えを待って他の子どもたちと校庭で遊んでいて、気が付いたらいなくなっていたのだ。 他の子どもたちはサッカーボールの奪い合いに夢中で足元ばかり見ていて、ゴールを守っていたマサオを視界に入れている者はおらず、女教師は子どもたちが一緒に遊んでいるのだからと思い、教員室でその日行ったテストの答案用紙の採点を行っていた。 先の3人と違ってマサオは校内で消えたことから、彼らはまず校内を捜索した。 ここで事態は急展開を迎える。 外で行方不明になったと思われていた3人の少女の遺体が、校内で発見されたのだ。 場所は、階段下の掃除道具入れ(物置)だった。そこの奥の壁の1枚が外れるようになっており、そこから校舎の床下へもぐれるようになっていた。 マサオの捜索中、物置をのぞいた女教師が腐りかけた肉のようなにおいを嗅ぎ取り、最近奥の壁板を外した形跡があることに気付いて不審に思い開けると、懐中電灯の光に浮かび上がったのは、腐乱したミツ、ヨシ江、ヨネの遺体だった。 まるで昼寝をしているかのように横たわったその3人の遺体の首には、大人の指で絞められた痕跡がくっきりと残っていた。 犯人は、その夜現場に戻ってきたところを張り込んでいた警察官によって逮捕された。山の反対側に最近建てられた、篠津西保養院(精神病院)の患者で、村上 浩一という55歳の男だった。『ここはもともと軽い疾患の人を短期入院させるための療養所なんです。その中でも彼はおとなしくて、行儀のいい人でした。言っていることもそんなにおかしくはないし、こちらの言うこともよく聞いて、同じ入院患者の世話をみることもたびたびあって。一見、そういった病気の人とは分からないように見えていました』 保養院で働いていた者たちは彼が逮捕されたと聞いて大変驚き、一様にそう語った。『こんなことをしでかす人には見えなかった』 と。 それは、彼を預かる側であった責任をどうにか回避しようという考えもあったのかもしれかなったが。 マ
「あたしのせいなの……」 階段の一番下の段に腰を下ろし、両膝を抱き込んで、ゆらゆらと体を揺らしながら美都子は話し始めた。「あたしが、面倒がらずにちゃんと英一と一緒にいたら、こんなことにはきっとならなかった……」「そんなことないわ、美っちゃん」 隣に座った加奈子が手を伸ばしてなぐさめようとしたが、美都子はその手を拒否した。「そうなの! あたしは、あの子のこと邪魔だと考えてたの! すぐピーピー泣くし、口を開けば帰ろう帰ろうって、同じことばっかりぐちぐち言うし、歩くのも遅いし。 もううんざりだった! だからあのとき、加奈子に押しつけて、1人になったの! あの子から離れて、1人になりたかったの……」「……うん。気付いてた」 嫌がる美都子を、それでも強引に引き寄せて、その頭を抱き込む。「なかなか戻ってこないんだもの。そんなに大きな場所じゃないのに、美っちゃん、どうしたのかな? って思って、もしかしてそうなのかな、って」 美都子は電池が切れたように加奈子にもたれたまま、すーっと息を吸い込んだ。「ごめん、加奈子……」「ううん。もしそうなら、いいなって思ってた。あのときの美っちゃん、わたしから見てもちょっと怖かったし、すごく気持ちに余裕がなさそそうに見えてたから。ちょっと離れたほうが美っちゃんのためにもなるって思ったの。わたしは英ちゃんといるの、全然なんともなかったし」「でもあたしは……っ、あのあとも、あたしは――……?」 突然脳裏にひらめいた光景に、美都子は心を奪われた。 ほんの一瞬だったが、それは強烈な衝撃でもって美都子の頭を揺さぶった。 暗い夜の山の中、ナタを持った手で前をふさぐ茂みをかき分けながら走っている自分。ぼろぼろ泣いてえづきながら、ガチガチ鳴る歯の奥で、英一と加奈子の名をくり返し呼
そんなはずない、としびれて真っ白になった頭のどこかが必死に言葉をつなげようとする。(そんなはず、ない……だって、今日はもう……聞いたじゃない……、彼が、車に……乗って、やって来た、ときに……) 少しずつ、少しずつ。情景が浮かんできて、言葉が浮かび、のろのろとではあったが頭が回り始める。 それと同時に「美都子!」と名を呼ぶ政秀の鋭い声も聞こえだした。「動け! 美都子! さっさと立て! まだ目が覚めないのか!」 政秀のほおをはたくような声で、はっと正気づいた美都子は、いつの間にか俯いてしまっていたことに気付いて面を上げる。 とたん、強い赤光が目を射た。 水平線に沈んだはずの太陽が、まだ水平線の上にある。 藍色の空は遠ざかり、明と暗の濃い色が複雑に溶け合った、夕方の空が頭上を覆っていた。 時間が逆回転したとでもいうのだろうか? あり得ない。そんなこと、絶対に起こり得ないはずなのに……その起こり得ないことが、今起きていた。「……どういうこと……?」 知らず知らずに言葉が口をついていた。しかし次の瞬間、夕日に照らされた2階の人影たちの、一番奥の端にいる小さな人物の姿が目に入って、美都子は飛び跳ねるように立ち上がるやいなや、廃校舎に向かって全速力で走った。「えいいちぃーーーっっ!!」「美都子、行くな! ――くそッ」 自分の声が全く耳に入っていないと悟るや政秀は加奈子から手を放して美都子を追った。後ろからTシャツをつかんで引き戻し、それ以上行かせまいとする。「放して! 邪魔しないでよ、英一があそこに――」「ばか! よく見ろ!」「見てるって! おじさんこそちゃんと見てよ! あそ