Masuk彼女は死んだ。 そして、彼女に何かをした人間が次々と死んでいく。 不可解な転落死。 事故として処理される死。 放火による焼死。 立て続けの不審死に妻は怯える。 幽霊を恐れて祈祷師を呼び、俺を恐れて離れに閉じこもる。 罪は、裁かれなければならない。 幽霊によってでも、人の手によってでも。 これは人間の罪の物語。 そしてこの物語を書いたのは――。
Lihat lebih banyak【彼女】の死は、事故死だったのか。
それとも自殺、だったのか。 ずっと、その答えを探している。 その答えを知っているのは【彼女】だけ。 その【彼女】は死んだ。 【彼女】が死んだのは、俺が妻の綾子と結婚した日だった。 * ―― 草薙洋輔さんの携帯電話でよろしいでしょうか。 その電話がきたのは、綾子との式を終え、そのまま旅立った新婚旅行先だった。隣では、夜を共にした綾子が眠ってきた。
そんなベッドで、あの電話をとった俺が悪い。
綾子を抱いたベッドにいる俺に、【彼女】の死を報せてきた警察に非はない。
警察は【彼女】死んだことを告げたあと、【彼女】の身元の確認のために署に来てほしいと言ってきた。
そこは東京ではなく、北海道。
「別れた女のこと」とか、「俺には関係ない」とか、いつもの俺ならそう言った。
だから、あれは虫の知らせだったんだ。
―― すぐに行きます。
電話を切って、床に落ちていた服を着はじめた。
スーツケースに手を伸ばしかけたが、ここについてすぐに行為に及んだから、スーツケースはこのまま日本に送ってもらうように手配した。
財布、スマホ、パスポート。
必要最低限の荷物を入れたショルダーバッグを背負ったところで、ベッドで寝ていた綾子が起きた。―― 仕事?
そう尋ねる綾子に俺は仕事だと言って、綾子にはこのまま過ごすように言って部屋を出た。
綾子は、何も気にしていないようだった。
タクシーに乗って数分後に綾子から電話が掛かってきて「いつ戻るのか」と聞かれたが、日本に戻るから帰らないと言うと「分かった」で終わった。
綾子とは、それだけ。
それで終わった理由は、あとで知った。
どうせ俺は仕事でろくに自分に構わないだろうからと、綾子は新婚旅行先に愛人を連れていっていた。
俺たちは表向きは愛し合って結婚した夫婦だが、裏では互いに愛することなどないと分かり合っている夫婦だ。
·
電話を終えたタイミングで、俺の乗ったタクシーが幹線道路を降りた。
目的地は空港。
ボッタクリだと思い、方角が違うと詰問すれば運転手は「こちらのほうが早い」と言った。
俺の指した道は遠回りで、混雑もするので地元のドライバーは多く稼ぐためにその裏道は使わない。
俺が急いでいるようだから、彼は仲間を裏切ってこの近道を使うのだと説明してくれた。
タクシーが再び空港に向かう幹線道路に戻ったとき、後ろを振り返ると渋滞しており、実際にスマホのナビは三十分以上時間を短縮していた。
―― 間に合うといいですね。
運転手がこのとき言ったこの言葉を思い出すたび、鋭い棘が俺の胸に刺さる。
· 東京経由でたどり着いた北海道は、まだ寒かった。東京は桜の最盛期なのにと思いながら、俺は目に留まったコートを、サイズだけを確認して購入した。
空港前に停まっていたタクシーに乗り、行き先を問われて警察署名を答えた。
いま思い出しても、不思議な話。
数時間前の電話、しかも一度だけ名乗った警察署名を俺は覚えていた。
このときまで聞いたこともない地名だった。
それなのに、俺の口からその地名が滑り出てきた。
タクシーが走る道はただ平坦で、俺は外の風景を眺めていた。
こんな地に【彼女】がいるわけがないと、自分に言い聞かせていた。
【彼女】は寒いのが嫌いだった。
だから【彼女】が、雪と寒さの代表格のような北海道にいるわけがないと思い続けた。
警察署に着くと、受付で名前と用件を告げた。
受付にいた男性職員がパソコンを操作し、何かに納得したように彼は頷く。
パソコン画面から顔を上げ、俺を見た彼の顔は『お気の毒です』と書いてあった。
俺は、この先に悪夢が待っていることを予感した。
そんな顔で俺を見るな、と叫びたかった。
.
担当の警察官が二人きた。
会社と同じく人が忙しなく行き交う場所を抜け、彼らに案内された遺体安置所は
遺体安置室に行くのは初めてだった。
でも刑事ドラマなどによく出てくるから、俺は中に何があるのかは分かっていた。
扉を開けた先は予想通りの光景だったが、冷静でいられたのは【彼女】が見えなかったからだろう。
真っ白な大きな布をかけられて、【彼女】の姿は見えなかった。
だから、『【彼女】ではない』という期待が持てた。
―― ご遺体は、顔も分からないほど焼き焦げてしまっています。
【彼女】ではないかもしれない期待が膨らみ、俺は布をめくってもらった。
異臭が鼻に届いたのが先か、それとも、どこか作り物めいた焼死体が目に入ったのが先か。
最初に思ったことは、やはり【彼女】ではない。
焼け焦げた遺体に、【彼女】の面影は何もなかった。
絹糸のように艶やかだった髪は焼けてなくなり、垂れ目気味で黒目がちだった瞳の場所は空洞。
薄紅色に染まる唇も、生気に満ちたバラ色の頬も焦げて黒かった。
【彼女】である証拠を示せと、俺は担当の警察官に詰め寄った。
あるわけがなく、たちの悪い悪戯かと俺は怒るつもりだった。
しかし、警察が見せた証拠はDNA鑑定書で、遺体と照会した【彼女】の検体を提出したのは……。
――産婦人科?
部屋の奥にいた女性警察官が、【彼女】の奥にあって俺が気づかなかった、白い布を掛けた小さな包みを持ちあげた。
―― 妊娠していらっしゃいました。
包みの布を警察官がめくると、柔らかな桜色の台座の上に胎児が置かれていた。
気づけば、俺はその冷たい体に触れていた。
「とりあえず、働きたいというのなら働かせてあげるわ。女の子にかまける時間が減れば、私の苦労も減るしね」母さんが何かに迷うそぶりを見せた。「田沢家から、あそこの綾子さんと洋輔の婚約を打診されていたの。あなたの下半身のクズっぷりに、綾子さんに番人をしてもらうのもいいかなって思ったけれど……」「考え直してほしい」母さんが首を傾げる。「悪い話ではないと思うのだけど?」「絶対にやめてくれ。もし綾……彼女との婚約話を進めるなら、俺は草薙家とは縁を切る」俺の言葉に、母さんは吃驚した。それは、そうだろう。先ほどまで草薙グループで働かせてほしいと言っておきながら、手のひら返すような発言だ。「わか、ったわ……でも、あなた。本当にどうしちゃたの?」どうしたの、か。―― あなたが大人の男になったと感じたのは、あの子に恋をしたからだったのね。そう言えば、前の母さんはこんなことを言っていたっけ。「好きな人ができたんだ」母さんの顔が、もっと吃驚したものになる。好きな人ができたと言って、ここまで驚かれる俺って……。いや、俺と母さんの関係では、こんなことを話すこと自体が変か。「……花江、さん」母さんが、傍にいた花江さんを呼んだ。どうやら、母さんはパニックを起こすと花江さんに頼るくせがあるらしい。「あらあら、まあまあ、今夜はもう作ってしまったので、明日お赤飯にしましょうね」「……そうね。あまりお赤飯は好きではないけれど、祝い事ですものね」「いや、別に、好きでないなら赤飯なんかじゃなくても。寿司とかでもいいんじゃない? そうすれば花江さんの手間もかからないだろう? 寿司、特上で、花江さんも入れて三人前頼もうよ」あらあらと、花江さんの目じりが下がる。
時間が、本当に戻っていた。いまの俺は、この四月から大学生になる。以前の俺はこのあと無難に大学生活を送り、草薙グループに就職して実務経験を積んだあと、三十歳手前で、母に言われてオックスフォードに留学してMBAを取得した。グループの経営に加わるためにオックスフォードへの留学をすすめられたが、結婚を迫る綾子から距離を取るのに丁度良かった。こうして思い返せば、前の俺の人生は全て受け身だ。いまの俺はまだ十八歳。五歳年下の唯は、まだ十三歳の中学生。今度は時間を無駄にしないため、考える。まずやることは、綾子と婚約話を白紙化すること。 *「母さん、お帰り」仕事から帰ってきた母さんを出迎えると、母さんは驚いた顔をした。俺の顔を見て、自分の腕時計を見て、もう一度俺の顔を見て……。「なぜ家にいるの?」「……ここ、俺の家だろう?」「そうだけど……覚えていたのね」そんなことを言いながら靴を脱ぐ母さんを見ていたら、母さんがパッと顔をあげた。「洋輔、何かやらかしたの?」「……なんで、何かをやらかした前提なんだ?」「どこの誰を妊娠させたの?」「聞いてよ。なんで妊娠させた前提で話し進めているんだよ」前の俺って、こうだったのか?……いや、確かに間違っていない気はする。家に帰りたくなくて、誘ってきた年上の女性の家を転々として、そこでワンコ扱いされて、思い返せば紐みたいなクソな生活。「違うって。俺も四月から大学に行くから、ちゃんとしようと思って」「……花江さん」母さんが俺の言葉に応えず、俺の後ろにいる花江さんを見た。振り返ってみると、花江さんは肩を竦めていた。信じていない、二人とも。
リン……リン…… 鈴の音?どこから?なぜだ?辺り一面が、暗い。ここは、どこだ?俺は、何をしていた。 リン……リン……ああ、そうだ。小林陽翔との話に疲れて、家に帰った。でも人と話す気にならず、一人になりたくて、温室にきた。父が使っていた、今では誰も使わないベッドに俺は寝転んだ。カジュマルの木に、見下ろされている感じがしたんだ。 ペトリ「……っ!」湿ったなにかが、俺の頬に触れた。小さな、手?犬?猫?いや、毛の感触はなかった。それなら、人間?でも、こんな小さな手を知らない。……いや、知っている。あの子の手は、小さかった。「洋輔さん」花江さんの声?どこから?あれ……痛い……。 !「洋輔さん。こんなところで寝ていたら、体を悪くしますよ」……寝ていたら?俺、寝ていたのか?体を起こそうとしたら、手のひらに砂の感触。……俺、ベッドで寝ていたんじゃ? ペトリ「うわっ」顔に触れた何かの感触に。俺は思わず、声をあげた。ぼんやりしていた視界がクリアになる。胸元に一枚……これは、カジュマルの葉?……ああ、そうだ。俺は、温室で……あれ?「お目覚めになりましたか?」「ああ、うん……」……なんだ?「花江さん、化粧を変えた?」「どうしたんですか、突然」「いつもより、若く見える」俺の言葉に、花江さんが照れて俺の背中を叩いた。思いのほか、力が強い。痛い。「娘が誕生日にくれた化粧品の効果でしょうかね」……いや。そういうレベルの話じゃない。違う。変だ。俺の知っている花江さんは、年をとったお婆さんだ。これは、夢か?いや、夢なら、痛みは感じないとよく言う。だから、きっと、夢ではない。「春ですからね、のんびりお昼寝したい気持ちもわかりますよ」「……春」「でも、来週には四月になりますよ。気合い入れてくださいませ。奥様も期待していらっしゃるのですから」「奥様って、綾子が?」花江さんが、首を傾げた。「田沢家の、田沢綾子様ですか? ご婚約が決まったのですか?」田沢、綾子?婚約?戸惑う俺とは対照的に、花江さんは首を縦に振る。何か分かったように、ウンウンと頷いている。「ここだけの話ですが、奥様は洋輔さんの女性関係に疲れておられましたから。ご婚約者をお決めになって、奥様を安心させること
「唯の死を知り、あの者たちに復讐をしようと思いました。でも五人も殺すのは難しい」確かに。日本の警察は優秀だ。「しかも綾子は草薙夫人として普段から守られていますからね。どうしようかと悩みましたよ」「それで祈祷師か」小林陽翔はにこりと笑った。 「最初は、墨田聡に近づきました。あなたの使いの振りをして。森川唯が死んだこと、三沢加奈から墨田聡が森川唯を暴行したと聞いたが本当か、と」当然、墨田聡は否定した。それでも、何度も小林陽翔は「本当か」と墨田聡を問い質した。小林陽翔のしたことは、それだけ。三沢加奈を殺せとも、何も言っていない。しかし、三沢加奈は死んだ。墨田聡の単独か、それとも風間夫婦も協力したのかは分からない。 「次に、風間奈美に近づきました。三沢加奈の遺族から頼まれた弁護士だと言って、墨田聡について彼女に尋ねた。当然知らないと風間奈美は否定したが、三沢加奈から聞いているとだけ言って、墨田聡について聞き続けた」三沢加奈のときと同じ。ただ小林陽翔は聞いただけ。そして墨田聡は死んだ。風間奈美か風間太一の単独犯か、それとも夫婦で協力したのかは分からない。「私は風間奈美と風間太一、別々に接触した。風間奈美にはそのまま三沢加奈関連の弁護士として、不審な金の流れがあるから警察が風間太一を探っていると伝えた。風間太一には警察と名乗って、不審な金の流れがあるから風間奈美について捜査していると伝えた」金については、唯のノートに書いてあった。金のために、自分の人生はめちゃくちゃになったと。風間奈美の前で、風間太一は唯を犯した。二人の間に”愛”はないと、小林陽翔は思ったのだろう。すでに殺人を犯すという禁忌の域にあった二人は、それぞれ相手を殺そうと思った。だから、別の毒。同じタイミングで死んだのはただの偶然。
「こんにちは、最近すっかり涼しくなりましたね。持明院に行きましたか? あの傍に、とても広いすすき畑があるんです。その時期になると見ごたえがありますよ」どうやら俺の行動は小林陽翔にお見通しらしい。唯の骨のありかについて、早く知りたいという思いもある。しかし、焦る必要はない。唯の骨がどこかに捨てられたなどと思う必要はないからだ。小林陽翔が盗んだのなら、どこか安全な場所にある。「先日の話の続きを聞きに来ました。あと、本の差し入れを数冊。唯が好きだと言っていた映画の原作です
「結婚を考えている人がいる。そう書かれた唯からの手紙を受け取りました」それを思い出したのか、小林陽翔が顔を緩める。「手紙はいつもの白いシンプルなものだったのに、あのときは、花柄の便せんでした」ただ手持ちがそれだったという可能性もあるが、それだけ唯はその結婚を喜んでいるのだと、小林陽翔は思ったという。 「どんな人と結婚するのか。相手の男性に会ってみたいと思いましたが、まるで父親のようなことを言うのも憚られ、どうしたものかと考えているとき、突然唯が訪ねてきたのです」「それは、もしかして&helli
小林陽翔は、数ある寺院の中でも「名刹」と呼ばれる、由緒ある寺の次男だった。穏やかな気性で、同じ年代の子どもたちよりも大人びた小林陽翔は、その整った容姿もあって、跡取りのいない寺の婿へと縁談が数多く来ていたという。 あるとき、小林陽翔が十五歳のとき、寺に一人の女性が預けられた。彼女は交通事故で両親を亡くした資産家の娘で、心の傷を癒し、また地元有力者の元に嫁ぐ予定だった彼女は行儀見習いとして寺に預けられた形だった。しかし、その地元有力者は二十歳の彼女の倍近い年齢。過去に二回結婚し、ど
「草薙綾子さんで間違いありませんか」警察官が遺体安置所で白い布を捲ると、そこに現れたのは綾子の顔だった。同じ死体でも、焼け焦げた唯とは違う。一見すると眠っているような死体は、「きれい」と言われる類の死体なのだろう。しかし、血の気の失せた肌や真っ青な唇など『死』をまざまざと見せつける綾子の死体。どこか作り物めいていた唯の死体よりも、俺には不気味に感じた。 「間違いありません」その後、所持品の確認が行われたが、綾子の所持品など知らない。全てに「多分」