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縁語り其の五:鎮魂の教え

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-15 18:23:32

 そこには、月明かりの下、白髪の穏やかなおじいさんの姿があった。

 どこか寂しそうに、そして心細そうに、ぽつんと一人でそこに立っている。

 その輪郭は、まるで春の夜霧のように淡くぼやけていて、現実感が希薄だった。

 「悠斗、怖がらないで…しっかり見ていてごらんなさい」

 母さんはそう言うと、僕の隣でそっと膝をつき、そのおじいさんの霊と、静かに視線を合わせた。

 「……初めまして。夜分に申し訳ありません。何か、お困りのことでもおありですか?」

 母さんの声は、夜のしじまに溶け込むように静かで、けれど、不思議なほどはっきりと、そして温かく、その霊へと確かに届いていた。

 おじいさんの霊は、ゆっくりとこちらを振り返り、その瞳に、深い戸惑いと、そしてほんのわずかな驚きの色を浮かべる。

 『……おお……おお……。あんたには……儂の、この姿が、視えているのかね……?』

 掠れた、そしてどこか弱々しい声が、神社の冷えた夜気に溶けていくようだった。

 「ええ、はっきりと視えていますし、あなたの声も聞こえていますよ」

 母さんのその微笑みは、本当にあたたかくて、慈愛に満ちていた。まるで、何十年も会っていなかった、旧い友人に再会した時に向けるような、そんな優しい眼差し。

 その言葉と眼差しに、おじいさんの強張っていた肩が、ふっと力を失って落ちるのが分かった。

 『……このまま、儂は……消えてしまうんじゃろうかと思うと……それが、怖くて怖くて、仕方ないんじゃ……』

 か細く、震える声。その瞳には、拭いきれない不安の色が浮かんでいる。

 『最近……少しずつ、自分の意識というものが、薄れて薄れて……まるで霞のように、なってきてのぉ……』

 神社の静まり返った境内に、さぁ……と風が吹き抜ける。桜の木がざわざわと揺れ、はらり、はらりと、夜目にも白い花びらが数枚舞い落ちた。

 『儂は、一体どうなってしまうんじゃ……?このまま、本当に何もかも消えて、無くなってしまうのか……?』

 おじいさんの霊は、すがるような目で、じっと母さんを見つめる。

 母さんは、その不安を受け止めるように、そっと穏やかに首を横に振った。

 そして、目を細め、包み込むように、やさしく答える。

 「大丈夫ですよ。たとえ記憶が薄れて、今のあなたの形が失われたとしても…」

 「あなたの魂そのものが、なくなるわけではありませんから」

 『魂……儂の、魂……?』

 「はい。この世の全ての魂は、巡り巡って、いつかまた、この世に新しい命として《生まれ変わる》のです。だから、何も恐れることはありませんよ」

 母さんのその声は、まるで春の陽だまりを運ぶ風のように、そっと、おじいさんの凍てついた心に届き、それを優しく溶かす。

 おじいさんの、苦悶に歪んでいた表情が、ほんのわずかに和らいでいくのが見えた。

 『そうか……そうなのか……。また、儂も……生まれ変われるのか……』

 「ええ、ですから、どうぞ安心なさってくださいね」

 母さんがそう優しく言葉をかけると共に、おじいさんの淡い輪郭が、ふわりとさらに揺らいだ。

 まるで、月光に溶け込んでいくかのように。

 その不安を包み込むように。

 『……そうか……そうか……。あぁ……ありがとう、お嬢さん。なんだか、心が……すっと、軽くなったよ……』

 その姿が、夜空の星々へと吸い込まれるように、ゆっくりと薄れていく。

 「どうか、安らかに。次の人生も、幸多きものでありますように」

 母さんが、そっと胸の前で手を合わせ、深く頭を垂れた。

 光の中へ消えゆく間際、おじいさんは最後に、僕のほうをふっと見る。

 『坊やも……お母さんのこと、しっかりと守るんじゃぞ……達者でな……』

 ほとんど触れたか触れないか分からないくらい、優しい手が、僕の小さな頭を、そっと撫でてくれた。

 「う、うんっ……」

 春の夜風が、もう一度、さぁっと強く吹くと、

 おじいさんの淡い影は、静かに夜の闇へと消えていった。

 神社の境内には、深く、そしてどこまでもやさしい沈黙だけが広がっていた。

 母さんは静かに立ち上がり、僕の小さな手を、再びぎゅっと取った。

 「さあ、悠斗。お家に帰ろうか」

 僕は、その手を、今度は僕の方から、力いっぱい握り返した。

 母さんの手は、本当に温かかったんだ。

 ──でも、この時の僕はまだ、何も知らなかった。

 この夜の、温かくもどこか切ない記憶が、やがて、僕のこれからの運命を大きく左右し、

 そして僕自身を導く、一つの大切な鍵になることなど、知る由もなかった。

 ──────────

 「……っは……!」

 浅い息と共に、僕は自分の部屋のベッドの上で、勢いよく目を開けた。

 見慣れた、シミの浮いた天井。

 シンと静まり返った、薄暗い部屋。自分の心臓の音だけが、やけに大きく、そして速く鼓動しているのが、耳の奥で響いていた。

 (……また、だ。また、あの夜の夢を見ていた……。)

 母さんと一緒に、夜の廃神社へ行った、あの日の記憶。おじいさんの霊と出会い、母さんが優しく彼を導いた、あの光景。

 でも──大切なのは、そこじゃない。

 あの夜の後、僕の目の前で、母さんは正体不明の“何か”に襲われた。そして、それ以来、母さんはずっと眠り続けている。

 僕は、確かに、あの場にいたはずなのに。

 どうしても……どうしても、その肝心な襲われた瞬間の記憶だけが、まるで分厚い霧で覆い隠されてしまったかのように、何も思い出せないんだ。

 思い出そうとすればするほど、頭の中に激しいノイズが走り、思考が停止してしまう。

 まるで、僕自身の心が、その記憶を視ることを、頑なに拒絶しているかのように──。

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