LOGIN優子がシェアハウスを始めてから10年。優子は立派なデザイナーとして、ふわリンゴで働いている。あんなにあくせくしていたシェアハウスでの生活にも慣れ、すべてが順調だ。「ねぇ、優子。来月ちょっとしたパーティがあるの。一緒にどう?」「パーティ?」「月野グループが、ファッション業界に進出するから、それを発表するパーティみたいね」 月野グループと聞いて、息が詰まる。おぞましい記憶がフラッシュバックして、気分が悪くなる。「そんな顔しないで。面白いものが見れるから」「そもそもどうやって行くの……」「じゃーん、招待状」 水樹はいたずらっぽく笑いながら、招待状を見せる。招待状には確かに、ふわリンゴの名前と、送り主である月野グループの名前が書いてある。「なんで!?」 思わず大声で言うと、水樹は両手で耳を塞ぐ。「うるさい」「ごめん……。でも、なんで!?」「ふわリンゴはもうすぐ20周年。ファッション業界では、月野グループの大先輩。無視するわけにはいかなかったんでしょ。もちろん、向こうは私だって分かってる」「うわぁ……」「そんな顔しないでってば。行きましょうよ」「はぁ、分かったよ……」 優子が渋々了承すると、水樹は子供のように無邪気に喜ぶ。「でも、やっぱり気乗りしないなぁ」「まぁまぁ。ところで優子。1億はまだある?」「あるよ。なんなら、少し増えた。それがどうかしたの?」「もしいやじゃなかったら、お買い物しない?」 楽しそうに笑う水樹だが、どことなく恐ろしいものがあった。 パーティ当日。広々としたホテルの会場には、経営者、デザイナー、モデルなど、ファッション業界の関係者が溢れかえっていた。「あらぁ、なんだか見覚えがあるような、ないような」 あいさつ回りをしていると、聖愛がニヤニヤしながら近づく。その隣には、若い青年がいる。顔立ちが恭介と聖愛に似ている。きっと修斗だろう。「お久しぶり、泥棒猫さん」「ダッサイ……失敬。独特な服を作ってるふわリンゴの社長さん。と、それは?」 わざとらしく、優子を見てニヤニヤ笑う。不愉快でたまらない。だが、それ以上に聖愛を見て、もったいないと思う。美しさや若々しさは健在だが、最後に会った時と顔が違う。整形して、元々どういう顔だったのか分からないほどに。「私の娘です」「お久しぶりです、聖愛さん」 修斗がぷ
「4人って、そんなに仲良しだったんだ……」「あぁ、私達ね、同じ地区に住んでたの。幼馴染ってやつ」「嘘!?」 予想すらしてなかった真実に、声が裏返る。4人はそんな優子を見てクスクス笑う。「登下校はもちろん、遊ぶ時も、クラブも一緒だったの。いつかこの4人で、会社作りたいねって話してたから」「私達は使用人として、付かず離れずそばにいたってわけ」「それより、今後のことを決めましょう」 女性というのは話好きだ。思い出話やお互いの近況を挟みつつ、話すこと6時間以上。決まったのは、優子が4人と住み、ふわリンゴでバイトをしながらデザインの基礎を学ぶことと、来年は服飾専門学校に通うこと。 そして、古いスマホを水樹に手渡すこと。乃愛としての優子が、彼らとどのようなやり取りをしていたのか知りたいのだと言う。「じゃあ、来月迎えに行くからね」「うん、楽しみにしてるね」 話が終わる頃にはわだかまりは解け、約10年の空白も埋まり、親子らしく笑い会えるようになっていた。 翌月、水樹は優子が住んでいたマンションまで迎えに来る。大きめのキャリーケースとアタッシェケースしか持っていない優子を見て、目を丸くする。年頃の若い女性にしては、荷物があまりにも少ないと感じた。「荷物、それだけ?」「うん。ここ、家電も食器も全部揃ってるから」「へぇ、今のマンションって、すごいのね」 感嘆する母を見て、優子は懐かしい気持ちになる。子供の頃、優子が綺麗な野花や四つ葉のクローバーを持ってくると、大げさに喜んだり驚いていた。「さて、お城に行く前に、優子の日用品を買い揃えに行こうか」「え?」「一緒に住むんだから、ちゃんと専用の食器とかタオル用意しないとね」 水樹は優子をデパートに連れて行くと、タオルや食器、スリッパなどを買い与えた。荷物が増える度に、これから母達と一緒に暮らせるのだという実感が強くなる。「お腹空いたし、なにか食べましょうか」 デパート内のレストランに行き、食事をする。母と向かい合って食事をするのも、久しぶりだ。「スマホ見たけど、本当に酷かったのねぇ」「ある意味自業自得だけどね」 自嘲する優子の手を、水樹は力強く握った。「そんなこと言わないで、優子。あなたはもう、充分罪を償った。それに、何も知らなかったんだから」「何も知らなかったのが、私の罪だったのかな」
「私はみか」「私はみな」「知ってるだろうけど、私はえり」 3人はファーストネームだけを名乗ると、名刺を差し出す。それぞれローマ字でmika、mina、eriと書いており、肩書はふわリンゴのデザイナーだった。「3人ともデザイナーさんなんて、すごい」「ふわリンゴは私達4人で作ったの」 そう語る水樹の目は前回よりも柔らかで、誇らしげだ。「あの、ママ。これを見てほしくて……」 ドキドキしながら、昔のように彼女が優子と呼んでくれることを祈りながら、発行したばかりの戸籍謄本を渡した。「何、これ」「とにかく、見て」 うまく言葉にできず、震える声で促すことしかできなかった。水樹は一瞬訝しげな顔で優子を見たが、封筒の中を取り出し、目を見開いた。「あぁ、本当に……。優子……!」 水樹は戸籍謄本をテーブルの上に置くと、立ち上がって優子を抱きしめた。10年ぶりの母のぬくもりが、においが、涙腺を刺激する。「ママ、ママぁ!」 優子は母の胸で子供のように大声で泣きじゃくった。その後ろで、3人の元使用人達は戸籍謄本を覗き込んで喜びを分かち合った。「優子ちゃんだ!」「優子ちゃんが戻ってきたんだ!」 3人もふたりに抱きつき、涙を流した。しばらくの間、親子は空白の時間を埋めるようにお互いの名前を呼び、3人はふたりが再び親子としての時間を紡ぐことを喜んだ。 落ち着くと、それぞれが席に座り、アイスティーで喉を潤した。「優子、本当にありがとう。あなたを娘として受け入れるわ」「こちらこそ、ありがとう……」「苗字の件だけど、今度一緒に家庭裁判所に行きましょう。真田の苗字、是非名乗って。戸籍も、親子関係にしましょう」「うん……!」「よかった、本当によかった……」 リラックスルームは、涙と幸福にあふれていた。「優子は、今はどうしてるの?」「女性用マンションに住んでるよ」「仕事とか、大学は?」「してない。ママを探すつもりでいたし、やりたいこともなかったから」「そう……」 水樹は目を伏せ、息を吐く。愛娘の将来を憂いた息だ。「これから、どうしたいの?」「最近ね、手芸教室に通い出したの。ママ達がミシンでなにか作ってたのを見て、自分もやってみたいって思ってたの、思い出して。まだ1回しか行ってないし、刺繍しかしてないけど……」「嬉しい……。もしよかったら、うち
家庭裁判所に行って3週間、母と再会してから半月、審判書謄本が届いた。そこには乃愛が優子になることを認めるといった旨が書いてある。「よかった、よかったぁ……!」 嬉しさと安堵で、涙が溢れる。審判書謄本が涙で汚れないようにテーブルに置くと、クッションを抱きしめ、声を殺して泣いた。嬉し涙を流すのは、短い人生で初めてのことだった。 泣き終わると晴れ晴れとした気持ちになる。希望の光が見えた気がした。「市役所、行かないとね」 顔を洗って薄化粧をすると、乃愛は市役所へ行き、手続きをした。「3日から7日ほどお時間いただきますね」「分かりました。お願いします」 深々と頭を下げると、マンションへ戻る。道中、スマホの通知音が鳴る。見てみると母からのメールで、来週の午後1時に会いたいとのこと。場所は前回と同じく本社だ。「いよいよか……」 スマホを握る手に、力が入る。まるで最終判決を待つ気分だ。 1週間、乃愛は再び悶々とした日々を過ごさなければならなかった。手芸教室は半月に1回で、言われた日時までには1回もない。ようやく見つけた夢中になれる刺繍も、身に入らない。ほんの数分やったら、すぐに手が止まってしまう始末だ。 映画館に行ってもだめで、母親が出てくると、水樹のことを考えて不安になってしまう。 連日寝不足が続き、絶不調の中、水樹と再会する日が来た。 早めに家を出ると、駅ではなく、市役所に向かう。あの時受付は3日から7日かかると言っていた。それなら、もう改名手続きは済んでいるはずだ。 自分でも確認したいという意思があるのはもちろんのことだが、水樹に見てもらいたいというのが1番の理由。 市役所に行くと、戸籍謄本取得申請をする。 そわそわしながら待つこと5分。受付に呼ばれて戸籍を受け取りに行く。恐る恐る見てみると、名前は優子になっていた。「やった……やったぁ!」 受付に咳払いをされ、軽く頭を下げてそそくさと市役所を後にする。再び戸籍謄本を見て、口角が上がる。「よかったぁ……」 封筒に戸籍謄本を戻し、抱きしめると、駅に向かって歩き出した。その足取りは羽のように軽く、気持ちとしてはひとっ飛びでふわリンゴの本社に飛んでいけそうなほど。 じれったいと思いながら電車を乗り継ぎ、速歩きで本社に行くと、えりが待ち構えていた。「久しぶり、乃愛ちゃん」「はい、お久
乃愛がマンションに帰ったのは、翌日のこと。目が覚めると深夜だったので、ネットカフェにそのまま泊まったのだ。 シャワーを浴びると、ベッドに倒れ込む。腹は空いているが、食べる気力も、何かを作る気力もない。「ママ、結局名前を呼んでくれなかった……」 会う前は、どちらの名前で呼ばれるのかドキドキそわそわしていたが、水樹は結局、優子とも乃愛とも呼ばず、〝あなた〟と呼び続けた。他にも乃愛にショックを与えた要因はあるが、1番は今の乃愛を娘として見れるか分からないと言われたことだ。「許されるわけないって分かってたけど、つらいな……」 枕をぎゅっと抱きしめる。涙は枯れてもう出ない。それ故に、悲しみをはじめとした負の沈殿物が、心にどんどん溜まっていく。吐き出そうにも、吐き出す術を知らない。「こういう時、皆はどうしてるんだろ……?」 頼れる身内も友もいない乃愛には分からない。気を紛らわせる方法も、どうすれば発散できるのかも。だから、溜めて溜めて、押さえ込むしかない。「友達、欲しいな……」 ネットで〝友達 作り方〟とまで打ち込み、指が止まる。もし学生時代だったら、「学校」と打っただろう。どこかで働いてたら、「職場」か業種を入れるだろう。だが、今の乃愛は働いていない。なんとなくだが、「ニート」と入力するのはためらわれた。 そのまま検索をかけると、学生か社会人向けが多い。SNSをおすすめするサイトもあるが、そういったことに詳しくないため、手を出すのは少し怖い。 他のサイトを見てみると、「習い事やイベントに参加してみましょう」というのがあった。「習い事かぁ……」 くすんでいた子供の頃の好奇心が、再び光を放つ。思い出すのは、水樹や使用人達が、楽しそうにミシンを動かしていた光景。「手芸教室とか、あるのかな……」 検索してみると、手芸店や地域主催の手芸教室がいくつか見つかった。乃愛が選んだのは、近場にある手芸店。ショッピングモール内にあるから、意気投合したら、そのままカフェやランチに行くことができるかもしれない。それに、作りたいものがあれば、その場で材料を購入することができる。 幸いなことに、手芸教室は明日開催されるらしい。乃愛は早速予約をした。 当日、意気揚々と出かけていったが、正直がっかりした。乃愛と歳の近い人が見当たらないのだ。ほとんどが40から50代で、1
乃愛が去った後、水樹は大きく息を吐いた。「大丈夫?」 様子を見に来たえりが、顔を覗き込む。「私、あの子を許すつもりなんてなかったの。あのふたりと一緒になって、私を追い出したんだから。あの子に言われた言葉、今も全部覚えてるくらい、憎い。けど、あの子も被害者って知って、混乱してる。あの子が、私をママって呼ぶ度に、気持ちが揺らいで、抱きしめたくなったの……」 涙を流す水樹をえりは優しく抱きしめる。「そうなって当たり前よ。あなたはやっとの思いで優子ちゃんを授かって、何よりも、誰よりも大事にしてきたんだから。それに、ふわリンゴは優子ちゃんのために作ったブランドじゃない」「そうだけど、違う……。私は、素直で優しかった、小さかった頃の優子のために作ったの。今のあの子は、私の優子じゃないもの……」「そう? 私には、可愛くて優しい、あの頃の優子ちゃんに見えたよ」「え?」 水樹が顔を上げると、えりは懐かしむように目を細めている。「私達が追い出された頃の優子ちゃんだったら、『こんなダサいブランド作って私の気を引こうとしたの? ダサいんですけど』とか言ってきそうじゃない。でも、あの子は私の目をまっすぐ見て、深々と頭を下げて謝ってくれた。あの子に何があったか知らないけど、反省はしてる。そうでしょ?」「そう、だけど……」「けど、すぐに答えが出せないっていうのも分かる。だから、今は落ち着きましょう」 水樹は返事もせず、俯いている。彼女が深く傷つき、悲しんでいると悟ったえりは、水樹をそっと抱きしめる。「あの子、私達がいなくなってから、苦労ばかりしてたの。なのに私、名前を呼ぶことも、抱きしめてあげることもできなかった……!」 水樹はボイスレコーダーのスイッチを入れて、先程の会話を流した。もし危害を加えられたら、証拠として使うつもりでいた。監視カメラも、分かりにくいところに設置してある。 話が進んでいくにつれ、えりの顔色は徐々に悪くなっていく。終わる頃には顔面蒼白で、怒りと恐怖で震えていた。「なんてひどい……! 優子ちゃん、可哀想……」「あの人のことだから、修斗って子が産まれたから、あの子はいらなくなったんでしょうね。跡取りは男がいいって思ってたし」「だからって、こんな……」 誰かがドアをノックし、ふたりは同時に顔を上げる。「社長、みかです」 その声に、