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第4話

Author: チビッコ
それから丸2日間、寧々はひとりで、この小さな街をくまなく歩き回った。

康司からのメッセージは1件も届かない。ひと言の気遣いすらなかった。

まるで、本来ふたりのものであるはずのこの旅行を、彼はすっかり忘れてしまったかのようだった。

寧々もまた、まったく気にせず、自分のペースで食べ歩き、写真を撮り、景色を眺めて過ごした。

3日目の朝、身支度を終えて出かけようとしたとき、スマホが不意に鳴った。

康司からの電話だった。

「この2日、全然連絡くれなかったんだよ。お前からも何も言ってこないし。

今日はみんなで渓谷に行くんだ。山道が険しいから、危ないし一緒にいた方がいいだろ。

お前も準備して一緒に来いよ」

寧々はスマホを握りしめる。ちょうどいい機会だ、と思った。この際、離婚のことをはっきり伝えようと考えていたところだった。

彼女は淡々と応じた。

「わかった」

集合場所に着くと、数日ぶりに会う寧々を一目見て、康司の胸に、言いようのない違和感が湧き上がった。

彼女は静かにそこに立っていて、以前のように甘えて寄り添ってくる気配は、もうどこにもなかった。

康司は無意識に一歩踏み出し、手を伸ばして彼女の手を取ろうとする。

寧々はさりげなく体をかわし、その手を避けた。

どこまでも他人行儀な口調で言う。

「香代、足を怪我してるんでしょ?ちゃんと支えてあげて」

康司の手が宙に浮いたまま止まる。康司は眉間にしわを寄せ、その表情には苛立ちと不満が滲んだ。

「寧々、また皮肉か?たいしたことでもないのに、いつまで拗ねてるんだよ」

言い終えるより早く、あらかじめ手配していた迎えの車が静かに滑り込んできた。

昨夜の雨のせいで、山へ向かう道はぬかるんでいる。

寧々は迷わず助手席のドアを開け、腰を下ろした。広々とした後部座席は、康司と香代に譲った。

康司は一瞬戸惑ったが、すぐに自分を納得させるように言った。

「まあ、お前は車酔いしやすいし、助手席のほうが楽だもんな。俺は後ろに座って、足を怪我している香代の面倒を見るから、それでちょうどいい」

山へ向かう道はぬかるみ、車は絶えず大きく揺れた。

後部座席では、康司は香代に寄り添い、楽しげに話し続けていた。優しい声で相槌を打ちながら、時折その脚を丁寧にさすってやっている。

運転手はバックミラー越しにその様子を見て、からかうように笑った。

「いやあ、旦那さん、奥さんのこと大事にしてるね!本当に仲がいいんだね!」

そう言ってから、助手席で黙って座る寧々に目をやり、思わずといった調子でつぶやく。

「君も心が広いなぁ。あんなラブラブなふたりに付き合って、わざわざお邪魔虫になるなんてさ」

康司が口を開きかけたその瞬間、寧々が先に、ふっと小さく笑った。

「ふふ。おっしゃる通りですね。

こんなにいい場所なら、次はひとりで来ます。もうお邪魔はしませんから」

後部座席の康司の顔が、わずかに曇る。

彼は助手席の寧々を見つめ、口を開きかけたが、結局、何も言葉にはならなかった。

3人は運転手にその場で待ってもらい、徒歩で展望スポットまで山道を登った。

崖沿いの展望スポットには、目立つ警告看板が立っている。「足元注意、崖寄りでの撮影禁止」。

寧々は事前に下調べをしていたので、この一帯の地形が危険であることを知っていた。

その先は切り立った崖になっており、雨上がりは特に滑りやすく、転落の危険がある。

だが、崖から見える景色に魅せられた香代は、危険な崖際で写真をどうしても撮ると言い張った。

康司が自分でシャッターを切ってやろうとしたが、何枚か撮ったところで、香代はすぐに不満げに唇を尖らせた。

「康司、下手すぎ!顔が大きく写ってるじゃん!」

彼女は振り返り、黙って立っている寧々に目を留めた。

「寧々さん、撮ってくれる?写真上手いんでしょ、雰囲気出るように何枚か撮ってよ」

寧々は反射的に断ろうとしたが、視線を警告看板に走らせ、静かに口を開いた。

「ここ、崖に近すぎて危ないよ。ここで撮るのはやめたほうがいい」

言い終わるより先に、康司が軽く言った。

「数枚撮るだけだろ。気をつければ大丈夫だから、撮ってやってくれよ」

寧々は仕方なく一歩前へ出て、崖際に立ち、カメラを構えようとした。

だが、彼女がレンズを覗き込んだその瞬間。香代の足元が、大きく滑った。

香代の体が大きく傾き、悲鳴を上げると、咄嗟に両手を伸ばし、一番近くにいた寧々に必死でしがみついた。

ふたりはそのまま、雨でぬかるんだ斜面を、数メートルも滑り落ちていった。

崖際の小石が転がり、土がぱらぱらと崩れ落ちる。

あいにく、それまでしとしとと降っていた小雨は、あっという間に土砂降りに変わり、強風が谷間に吹き荒れた。

香代は泥の中にうずくまり、全身泥だらけになりながら、目を真っ赤にして足首を両手で押さえ、悲鳴を上げた。

「痛い、足が痛い……動けない!」

康司は顔色を変え、真っ先に駆け下りてきた。

彼はまず、泥まみれで腕を石で切って血を流している寧々を見て、こう尋ねた。

「寧々、大丈夫か!?」

だが寧々が答えるより早く、香代の泣き声がさらに激しくなる。

「康司、すごく痛い……もしかして、折れちゃったんじゃ……」

康司の意識は瞬時にそちらへ持っていかれた。彼はすぐさま身をかがめ、香代をしっかりと腕の中に抱き込む。

「大丈夫だ、俺がいる」

振り返りもせずに、寧々に向かってこう言い放った。

「お前、全部下調べしてきたんだろ?この山道の状況、安全なルートも把握してるはずだ。自分でゆっくり戻ってくれ」

寧々は全身泥まみれのまま、雨に打たれた腕の傷がひりひりと痛む中、彼をまっすぐに見据え、ひと言ひと言、確かめるように問いかけた。

「康司、前に私に約束したこと、覚えてる?」

康司の足が、ぴたりと止まった。

彼は一瞬、あの日、二度と香代を優先しないと誓った約束を思い出す。

だが次の瞬間、腕の中の香代のすすり泣きが聞こえてくると、その約束はまた、風にさらわれるようにあっさりと頭から消えた。

「今は命に関わることなんだよ!約束のことなんかあとで話す!香代の怪我のほうが大事なんだ、お前なんかに構ってる暇はない!」

言い終えると、康司は少しの迷いもなく香代を抱き上げ、土砂降りの泥道を踏みしめながら、振り返ることなく安全な山道へと戻っていった。

寧々は全身ずぶ濡れのまま、腕の傷の痛みに耐えながら、雨と泥で顔までぐしゃぐしゃになり、その場に立ち尽くした。

とっくに離婚届には署名を済ませ、手を放すと心に決めていたはずなのに。

こんなふうに完膚なきまでに見捨てられた瞬間、胸はどうしようもなく痛み、目の縁がみるみる赤くなっていく。

吹き荒れる風雨の中、耳に入るのは激しい雨音ばかりだった。

数台の黒い高級車が雨の中を走ってきて、音もなく停まった。先頭の車から、黒い傘を差した男が降りてきた。

男は激しい雨の中を大股で歩み寄り、寧々の前まで来ると、自分の上着を脱ぎ、ずぶ濡れで震える彼女の肩にしっかりと羽織らせた。

「俺の車に乗れ」

暖かな車内が、外の暴風雨を完全に遮断する。

男は青ざめた寧々の顔を見つめ、真剣な眼差しを向けた。

「あいつと正式に離婚したら、俺のことを考えてみてくれないか」

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