FAZER LOGINとはいえ、その愛情はあまりにも重苦しく、紫音も州も息が詰まりそうになる。親たちはいつだって、自分たちのやり方が当人の気持ちをどれだけ踏みにじっているかなど、考えたこともないのだ。「お母さん、お兄ちゃんのことなんだから、もう放っておいてあげてよ。……今の話、私も初耳だった。でも、仮に知っていたとしても、お母さんたちが心配するし、ふたりの関係を壊したくなかったから絶対に言わなかったと思う」少しだけ息を吸い込み、紫音は言葉を紡ぎ続けた。「お兄ちゃんは全部知った上で有加里さんを選んだの。それだけ本気で愛し合ってるって証拠でしょう?終わった過去をわざわざ穿り返して、何になるの?」「有加里さんは過去のことで深く傷ついてたのよ。そこをお兄ちゃんが必死に安心させて、ようやく心を許してくれたんだから。お母さんたちが今更口出ししたら、ふたりは本当にダメになってしまうわ」紫音の言葉は誇張でも、母親を脅すためのものでもない。州が有加里をどれほど大切に想っているか、痛いほど理解していたからだ。ここ最近、紫音自身も色々と忙しかったが、ふたりの様子はずっと気にかけていた。一緒に過ごす時の州と有加里は、心から楽しそうで幸せそのものだ。兄がようやく掴み取った幸せを、紫音は自分のことのように喜んでいる。有加里の過去に何があったとしても、今のふたりの絆には全く関係のないことだ。心から愛せる相手に出会うのは、決して簡単なことではない。だからこそ、家族なら無意味な口出しなどせず、無条件で背中を押してあげるべきだ。それに、有加里はとても誠実な女性だった。京極の家に温かく迎えられたことに感謝し、家族のことも心から気遣ってくれている。外野が騒ぎ立てて波風を立てるより、ふたりの幸せを静かに見守るのが一番だ。どれほど心配しようと、州の本当の想いや苦悩なんて、結局のところ当人にしか分からないのだから。「お母さん、とりあえず家で待ってて。直接話すから。お願いだから、お兄ちゃんにはまだ電話しないでね!まずは私たちがどうするか、一回話し合おうよ」紫音はスマートフォンを握りしめながら必死に訴えかけた。ようやくゆっくり休めると思っていた矢先に、まさかこんな爆弾が投下されるなんて。しかも、事態は極めて深刻だ。母の気性は誰よりも理解している。普段は理性的だが、自分が「正しい」と思い込ん
律は一度言葉を区切り、横顔に柔らかい笑みを浮かべた。「だからこそ、焦る必要はないと思っているんだ。我々の絆が揺らぐことはない。周りがどれだけ急かそうと、無理に計画立てて作るものではないだろう?その時が来たら、自然な形で迎え入れればいい」周囲の大人たちは口を揃えて孫の顔を見たがるが、結局のところ、二人の人生なのだ。互いの意志さえしっかりと通じ合っていれば、外野の期待に振り回される必要はない。二人の思いが完全に一致していることを確かめ合い、紫音の胸の中のモヤモヤはすっかりと晴れていた。「私たちの意見は見事に一致したね。なら、周囲の声には振り回されず、この方針でいこう」律は運転席で優しく微笑みながら、真熱を帯びた声で続けた。「……実を言うと、最近は家の面倒事や会社の対応に追われてばかりで、君に寂しい思いをさせてしまっていると痛感していたんだ。君の気持ちに寄り添う余裕すらないこと、本当に心苦しく思っていてね」「そんなことないわ、気にしないで」「いや。だからこそ、状況が落ち着いたら、今までの分も君との時間を最優先にするよ」律は視線を前方に向けたまま、静かに今後のビジョンを語り始めた。「颯馬は会社の経営にかなり興味を示しているし、本人にもその気があるようだ。だったら、彼が仕事を覚えられるよう私が直々に手解きをしてやろうと思っている。彼にどんな裏の思惑があろうと、おばあちゃんが心穏やかに笑っていてくれるなら、いっそ会社の実権ごとその手に託してしまってもいい」「……ええ」「そうしてグループから完全に手が離れたら、君を連れて世界中を旅して回りたい。どんな未来が待っていようと、これからは何にも縛られず、君と一緒に乗り越えていくんだ」律の口調は穏やかだか、そこには確かな決意が込められていた。「自由な時間が十分にできれば、子供を迎える計画も本格的に考えられるしね。親として常にそばにいて、寂しさを感じさせないくらい、たっぷりの愛情を注いで育てられる空間を作ろう」今の混沌とした状況で無理に子供を作るのではなく、いずれ自然に命を授かったなら、その時は万全の愛情で迎え入れよう――それが、二人が導き出した答えだった。律の描く明確で温かい未来図に、紫音は深く頷いた。心がすっと軽くなり、心地よい安堵感が胸を満たしていく。外野がどれほどうるさくても構わない。こうして互い
食卓の中央、上座に志津がつくと、すかさず颯馬がその隣に座り、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。その反対側の席には、空気を読まない正人がちゃっかりと陣取り、やけに愛想よく母親にすり寄っている。紫音は少し離れた席からその様子を静かに見つめていた。席次などどうでもよかったが、あからさまに点数稼ぎをする正人の態度には一抹の不安を覚える。あの正人がこれほど下手に出る時は、決まってろくでもない企みを腹に抱えているからだ。だが今は、退院したばかりの志津の身体が第一だ。向こうから牙を剥いてこない限り、こちらから波風を立てるつもりは毛頭ない。その日の食事は、気味が悪いほどに和やかに進んだ。誰一人として嫌味を口にせず、全員が「円満な家族」を完璧に演じ切っている。ここ数日離れていた間に、拝島家の中の空気がすっかり異質なものに変わってしまったような感覚を、紫音は拭えなかった。食事が終わると、長居は無用とばかりに紫音は律と目を合わせ、立ち上がった。「志津様。私たちはそろそろ行くわね。会社の方で少し片付けなきゃいけない仕事が残っているの」「そうかい。二人とも忙しいんだから、無理しないで仕事に行っておいで。私のことは本当に心配いらないからね」志津は優しく送り出そうとしたが、ふと思い出したように言葉を継いだ。「でも、私が今日言ったこと、忘れないでおくれよ。この家も随分と長い間、賑やかな笑い声から遠ざかっている。もしあんたたちの子供が生まれたら、きっと拝島家はうんと明るく良い家になるはずだからね」志津は心底、二人の子供を待ち望んでいるようだった。まだ見ぬ曾孫の顔を思い浮かべ、一緒におもちゃで遊んだり、買い物に出かけたりする日を、本気で夢見ているのだ。「分かってるわ、志津様。私たちもちゃんと考えてるから。でも、こればかりは授かりものだからね。焦らず自然に任せるわ」紫音は苦笑しながら、当たり障りのない言葉で応じた。志津の機嫌を損ねたくはなかったが、この話題にはどうしても前向きになれない。今の彼女にとって、子供を作るなど論外だった。互いに会社の経営で息つく暇もなく、拝島家の泥沼の争いだって一向に収まる気配がない。周りは「生まれたら自分たちが面倒を見るから」と無責任に急かすが、紫音の考えは違った。命をこの世に送り出す以上、親としての全責任を負う覚悟がい
そう言うと、志津は少し口調を真面目にして続けた。「私が今気になっているのはね、ふたつだけさ。ひとつは、あんたたちの子供の顔を早く見ること。私ももうこんな歳だし、明日どうなるかも分からない体だけど……それでも、拝島家の曾孫の顔を見るまでは死に切れないからね。そしてもうひとつは、颯馬が早くいい相手を見つけること。そうしてくれれば、私もようやく安心できるんだよ」志津の言葉は温かいが、その要求ははっきりとしていた。紫音は内心、深い溜息をつきたくなった。実の母である琴音だけでなく、志津様までが孫の誕生を急かしてくる。どうしてこうも周りは皆、口を揃えて子供子供とプレッシャーをかけてくるのだろう。こればかりは授かりものなのだから自然の巡り合わせに任せるしかないし、そもそも今は仕事が最優先で、意図して作るつもりなど全くないのに――紫音がお義理の笑みを浮かべていると、颯馬が慌てて割って入った。「おばあちゃん、そんなに心配なら、兄さんと紫音さんの子供のことだけ考えててよ。僕のことは後回しでいいからさ。今はただ、おばあちゃんのそばにいて、兄さんから色んなことを学びたいんだ」颯馬は少し照れくさそうに笑った。「彼女なんて、もう少し自分の実力を磨いてからで十分だよ。焦る必要なんてないし、一人だって結構気楽でいいもんさ。それに、もし僕に彼女ができたら、おばあちゃん、僕がそっちばっかり構って相手にしてくれないって寂しがるくせに。だから、僕は当分おばあちゃんの一番の孫でいるよ」颯馬の言葉はどこまでも耳ざわりが良く、志津の機嫌を取るのが本当に上手かった。案の定、志津は目尻をすっかり下げて嬉しそうに笑っていたが、それでも長年一家を束ねてきた慧眼は誤魔化せなかった。「調子のいいこと言って。私を口実にして、彼女を作らない言い訳にしてるんじゃないよ」志津は軽く窘めながらも、声には愛情が滲んでいた。「今時の若い子が誰にも縛られずに遊びたがるのは分かってるさ。でもね、私たちの世代からすれば、やっぱりきちんと身を固めて家庭を持つのが一番の幸せなんだよ。結婚したらしたで、今度は早く子供を作って安定した家庭を築いてほしい。あんたたち孫がみんな幸せに暮らしている姿を見届けるまで、私は安心できないんだから」どう誤魔化されようと、志津の考えは微動だにしない。それはひとえに、孫たちの幸せ
颯馬はまるで小さな子供をあやすかのように、根気よく優しく語りかけた。「はいはい、分かったよ分かったよ。あんたたち若い者は、私のことを子供扱いしてすぐあれこれお説教するんだから」志津はやれやれといった様子で応じたが、その意思はなおも固かった。「私ももういい歳なんだ、そんなことくらい言われなくても分かってるさ。ただね、自分の好きなものを食べたい時だってあるんだよ。どうせ先は長くないのに、我慢したってあとどれだけ食べられるっていうんだい?」老い先短いのだから、嫌いなものを食べてまで自分を誤魔化す必要などない。志津の考えははっきりしており、こればかりは絶対に譲る気がないようだった。ふと、自分の人生がひどく虚しいものに思えてくる時がある。何十年も身を粉にして拝島家を支え、守り抜いてきたというのに、結局、二人の息子はどちらも救いようがないほど不甲斐ないままだ。何かあれば、真っ先に飛びつくのは『金と利権』ばかり。自分が若い頃から商売に身を投じ、利益を追い求めてきたせいなのかと自責の念に駆られることもある。だが、いくら仕事で利益を最優先にしてきたとはいえ、家族の絆を捨ててまで金に執着するよう教えた覚えなど一度もない。一体どうして、あの子たちはあんな風に醜く歪んでしまったのだろう。どれだけ考えても、志津にはその理由が分からなかった。「おばあちゃんは絶対に長生きするよ、だからこれからはもっと健康に気をつけてもらわないと」颯馬はにこやかに、しかし少し大げさに言った。「おばあちゃんがいてくれるから、こうしてみんな毎日楽しく過ごせるんだ。もしおばあちゃんがいなくなったら、この家はバラバラになっちゃうよ」「それに――」と颯馬は少し声を潜め、真剣な眼差しを向けた。「僕、帰国してからずっとおばあちゃんのそばにいるけど、本当にこの時間が大好きなんだ。おばあちゃんと一緒にいると、毎日がすごく楽しい。まだまだ一緒にいたいんだから、絶対に僕たちを置いていかないでね。みんな、おばあちゃんにずっと元気でいてほしいって思ってるんだから」その甘えるような言葉に、志津の顔にパッと華やかな笑みが広がった。欲にまみれた息子たちに絶望し、心細く無力感に苛まれていた志津にとって、こうして無邪気に自分を慕ってくれる新しい孫の存在は、どれほど心強いものだったか。颯馬が家にやっ
颯馬は帰国してからの短い期間で、この家の力関係を正確に見極めていた。祖母が正人を毛嫌いし、あからさまに遠ざけていることは誰の目にも明らかだった。正人には家長としての実権はないものの、裏で絶えず小賢しい画策を続けており、決して侮れない性根の悪さを持っている。だからこそ、あえて正人に恩を売って「良き理解者」を演じてみせる。今のうちにこの厄介な伯父を取り込んでおけば、いざという時の駒になる。それと同時に、祖母の前で「いざこざをスマートに収められる優秀な孫」をアピールすることもできる。一石二鸟のこの立ち回りを、颯馬が逃すはずもなかった。「あ、ああ、颯馬の言う通りだ。過ぎたことはもう忘れるとしよう。今は母さんに喜んでもらうのが一番だ」颯馬が差し出した絶好の助け舟に、正人は慌てて飛びついた。憎まれ口を叩く妻の尻拭いをしつつ、その場を上手く取り繕ってくれた青年に内心安堵する。見事なまでに母親の懐に入り込み、機嫌を操る颯馬の器用さを目の当たりにして、正人は少しだけ歯痒くも感じていた。自分にもあれくらいの立ち回りや要領の良さがあれば、少しは母親からの評価も違っていたかもしれないのに、と。「さあ、もう席に着いて食事にしなさい。少しはおとなしくして、これ以上私を怒らせたり気を揉ませたりしないでちょうだいね」志津は溜息まじりに言った。「もし不満があるなら、これからは無理に顔を出さなくていい。私を不愉快にさせるんじゃないよ」容体が安定したとはいえ、入院を経て志津の体力は確実に落ちていた。これ以上ストレスを溜め込めば本当に身を滅ぼすと、彼女自身が一番よく分かっている。そもそも、彼女が病院に担ぎ込まれる原因はいつだってこの強欲な親族たちのせいだ。どうして金のことしか頭になく、母親の身を心から案じることもできない息子を産んでしまったのか……志津は心の奥底で静かに嘆息した。「おばあちゃん、退院したばかりなんだから、先生も薄味のものを食べるようにって言ってたよ。おばあちゃんが濃い味付けが好きなのは知ってるけど、これからはお体のために少し我慢してね」食事が始まると、颯馬はすっかり『よくできた優しい孫』の顔になり、かいがいしく志津の世話を焼いていた。その気の回りようは、まるで律や紫音たちが出る幕はすでにないと言わんばかりだ。志津の和らいだ表情を見てい







