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貧乏を装う彼女のため、母は死んだ
貧乏を装う彼女のため、母は死んだ
Author: 遠野ねこ

第1話

Author: 遠野ねこ
彼女の秋月杏奈(あきづき あんな)の借金を返すために、俺と母さんは死にものぐるいで働いた。

そのせいで、母さんは肺がんになった。

俺が金を持って病院へ駆けつけ、治療費を払おうとしたときには、母さんはすでに首を吊って死んでいて、一通の手紙だけを残していた。

【貴文、もうお母さんはだめみたい。このお金はあなたが持っていって、借金を返しなさい。杏奈はいい子よ。あなたのことを愛してる。ただ、道を踏み外してしまっただけ。

借金を返したら、二人で仲良く暮らすのよ】

俺は母さんの遺骨を抱え、母さんが命を削って残した600万を杏奈に渡した。

そして会社に戻ったとき、思いがけず彼女が何人かの債権者と話しているのを目にした。

「秋月社長、九条さんはすでにあなたの用意した試練をすべて乗り越えました。これからは、何か別のお考えがあるのですか?」

すると、杏奈の幼なじみである木村拓海(きむら たくみ)がふいに口を挟んだ。

「杏奈、九条が共に困難を乗り越えるのはもう十分わかったよ。でも、今度はいい時も変わらず一緒にいられるか、そこも見極めないとね」

杏奈は唇をきゅっと結んだ。

「次は、彼の気持ちが本物かどうかを確かめたいの。

私の立場を知ったあとでも、お金や肩書きに目がくらまず、今までと変わらずにいてくれるなら。

私は彼と結婚する」

俺は母さんの遺骨を見つめながら、涙が止まらなかった。

杏奈、母さんは君を見誤った。

俺も君を見誤っていた。

もう、君とは結婚したくない。

……

俺、九条貴文(くじょう たかふみ)は秋月グループを去った。

俺は母さんの骨壺を抱えて、道端に座り込んでいた。

母さんは、自分の遺骨を漬物壺に入れてくれと言った。

一万円を浮かせて、そのぶんを杏奈の借金返済に回すためだった。

広場の大型ビジョンに、杏奈の姿が映し出された。

ニュースキャスターが告げた。

「つい先ほどまで行方がわからなくなっていた秋月グループの社長・秋月杏奈氏が、三年ぶりに婚約者の木村拓海氏を伴い式典に出席しました」

俺は画面の中で意気揚々としている杏奈を見つめた。

目から涙がこぼれ落ちた。

結局、俺と母さんが身を粉にして働き、彼女の借金を返していたのは、ただの嘘のためだったのだ。

長いことそのまま動けずにいた。

夕方になってようやく、杏奈から電話がかかってきた。

受話口の向こうの彼女は、いつもと変わらず優しい声だった。

「こんな時間なのに、どうしてまだ帰ってこないの?今どこにいるの、迎えに行くから」

俺は反射的に口を開きかけたが、結局は黙り込んだ。

前だったら、きっと少し不満をにじませながら、また仕事の邪魔をするのかと、彼女を責めていたはずだ。

けれど今は、そんな親しげな口調にはもう応えられなかった。

杏奈の声に、わずかな焦りが混じった。

「貴文、今どこにいるの?」

「仕事だ」

杏奈は息をのんだように黙った。

俺が彼女の借金を返すために、ずっと毎晩遅くまで必死に働いていたことを、ようやく思い出したのかもしれない。

彼女は、借金を返し終えたら俺と結婚すると約束していた。

俺と一緒に地に足のついた暮らしを送るのだと。母さんが願っていた通りに。

本来なら今日、彼女は俺に自分の正体を打ち明けるはずだった。

「わ、私……あなたに話さなきゃいけないことがあるの。実は私、秋月グループの後継者なの。

い、今から迎えに――」

俺は電話を切り、タクシーを拾ってその場を離れた。

杏奈に対して、もう何の期待も残っていなかった。

ふと我に返ると、車窓には涙に濡れた自分の顔が映っていた。

スマホには、杏奈からのメッセージが次々と表示されていた。

俺は見なかったし、見る気にもなれなかった。

今日は、本来なら俺たちが新しい人生を始めるはずの日だった。

なのに彼女の欺瞞のせいで、母さんの自死さえも、まるで茶番みたいになってしまった。

五年の苦労の果てに待っていたのは、たった一言の馬鹿げた真実だけだった。

杏奈、もう君と結婚したくない。

その夜、俺は家には帰らず、ホテルで一晩を過ごした。

杏奈は一晩中メッセージを送り続け、何度も何度も電話をかけてきた。

俺は見もしなかったし、電話にも出なかった。

翌日、俺は朝早く会社へ向かった。

退職届を用意するためだった。

その会社は、秋月グループ傘下の子会社だった。

俺はただの平凡な経理社員にすぎなかった。

五年前、入社したばかりの杏奈と初めて出会った。

付き合うようになってから、俺は彼女を母さんに会わせた。

母さんは俺たちの結婚を認め、祝宴の支度まで始めていたが、そのとき杏奈は、自分には莫大な借金があり、しかも会社もクビになったのだと俺に告げた。

彼女の借金を返すため、俺はいくつもの仕事を掛け持ちした。

母さんも必死になって働き、もともとやつれていた顔はさらに老け込んでいった。

それなのに、まさかこの会社そのものが彼女のものだったなんて。

俺は自嘲気味に笑った。

そのとき、杏奈が入ってきた。

俺は構わず、印刷しておいた退職届を取り出した。

杏奈は俺のそばまでやって来た。

そして俺は、彼女に見つめられながらも、何でもないことのように退職届へ署名した。

彼女は俺を見て、優しい口調で言った。

「書き終わった?」

「終わったよ」

杏奈は軽く唇を噛んだ。

どうやら彼女は、俺の変化にまだ気づいていないようだった。
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