LOGIN「そういえば、リリィは休暇はどうするの?」
――フォークの先で触れただけで崩れるチョコレートケーキが、舌の上で静かに溶けていく。
その甘さの余韻にうっとりしていた私に、ローザ様が問いかけてきた。「あぁ、えっと……」
学園はもうすぐ冬期休暇だ。
二週間近い休みに入るため、寮も閉鎖される。 ほとんどの生徒は実家へ戻る……はずなのだけれど。「ご実家は遠いだろう? 年末の光継祭のこともあるから、王家に滞在しないかと誘っているのだが」
隣でジュリアン殿下が、カップの縁に軽く口を寄せた。
何気ない動作なのに、不思議と場が整えられる。――そう。
なんと私は今、ジュリアン殿下の私室でティータイムを楽しんでいる。発端は、ローザ様とライナーの手合わせ。
闇魔法を駆使してライナーを圧倒したローザ様は「あなたたち、見てしまいましたわね?」―― 一週間は、本当にあっという間だった。 毎日フワフワのパンケーキを食べ、美味しいデザートに、海の幸をふんだんに使った夕食に…… ……うん、これはもう餌付けだと思う。 でもどうやらローザ様とは食の好みが合うらしい。 クロイツ家オリジナルのバターに感動していたところ、それはローザ様の好みに合わせて作られたものだと教えてもらった。 香草と荒く砕いた岩塩が混ぜられた風味のよいバターは、クロイツ小麦のバゲットにぴったりで。 料理長もその反応が嬉しかったのか、 次から次へと“ローザ様仕様”がテーブルに並んだ。 ホットチョコレート、絶品だったな。 好みが合うと言えば―― 別邸の奥にある小さな書庫に案内されたときは、思わず息をのんだ。 海風の通る窓と、木の香り。 壁一面に本が並んでいて――(ふふ、でも、ローザ様の雑さが出ちゃってたのよね) 魔法理論書の隣にお菓子のレシピ本。 その下には恋愛詩集と領地経営の実務書。「ローザ様……これ、分類……どうなってるの……?」 思わず聞いてしまった。「え?分類?読み途中の本は特にしてないわ。 ……あら、これはもう読まないわね」「いや、欲しい本、見つけるの大変じゃありません?読みかけの本、多すぎでは」「確かにそうねぇ。 でも基本的に一度読んだ本は読まないから、大丈夫よ。多分」 多分て。 思わず私は袖をまくった。「ちょっと片付けてもいい? 魔法理論はこっち、歴史は上段、レシピ本は……はい、この棚」 本をひとつ動かすたびに、棚に“秩序”が戻っていく。「まぁ……すごいわリリィ。棚に“意味”が生まれたわ」 「意味は最初からあったはずなんだけど……」 ――まぁ、この“混沌”具合がいかにも天才という感じもする。 多分、ローザ様の頭の中ってああいう感じなんだろうな。 その他にも、美しく
次の日の朝。 噂のパンケーキを食べたあと、馬車で保養地にやってきた。 湯気があちこちで立ちのぼり、岩場の間を小道がのびている。かすかに硫黄が混じった風が、ちょっと懐かしい。 “温泉”は、私の知っているものとは少し違った。 ごつごつした岩場に溜まった湯が、 赤 → 金 → 青のグラデーションに色づき、 表面では小さな気泡がぽこぽこと弾けている。「うわぁ……なんて幻想的なの」 小さな色温泉が点々と続き、湯気で揺らめくその光景は、まるで別世界だ。「ふふ、不思議でしょう? このあたりはこういう高温の泉が多いの。 浸かるなら下の湯治場のほうね」 ローザ様が言ったそばから、しゅわっ!っと横で小さな温泉が勢いよく湧き上がり、思わず跳ねた。「わぁあっ!?」「ふふ、間欠泉ね。ここでは日常よ」 観光客でにぎわう遊歩道には、間欠泉を待ち構える子供たちの声が響いていて、なんだか微笑ましい。「ん? あれは……?」 泉の脇に、大きな何かが打ち上げられている。(え……骨……よね?)「ああ、鹿ね。時々落ちてしまう子がいるみたい」「……げっ、そんなに熱いんですか」「ええ。温泉によっては、落ちたら数分で死に至るみたいよ。 人間は落ちてないから安心して?」 それは……安心していいのだろうか。 一応柵はあるものの、そんなに厳重なものとも思えない。 「昨日新しく湧き出たという温泉もこの辺りのはずなんだけど……」 ローザ様が周囲を見回しながら歩いていた、その時だった。 ぽつ、ぽつ、と微かな音が岩場の奥から立ち昇る。 さっきまで静かだった一角が、脈を打つようにふくらんだ。「ん? ローザ様、あれ……」「……ええ、少し活発ね」 落ち着いたローザ様の声とは対照的に、 周囲の観光客がざわつき始める。「見て! あそ
出発の日―― 朝早く、日が昇る前に公爵家の馬車に乗り込んだ。 王都から馬車で8時間ほどのクロイツ領。 さすがに疲れるだろうなと思っていたけれど、さすがというかなんというか、馬車にも魔法がかけられていて、すこぶる乗り心地が良い。 途中、お昼を食べるために小さな街へ寄ったきりで、 あとはひたすら南へと走る。「さっきのパン、美味しかったなぁ……」 どこまでも同じ景色が続く平地を眺めながら、思わずそんな独り言がこぼれた。「あら、お昼のサンドイッチ、気に入った?」「はい……!パンの香りがすごく良くて……」「あれはクロイツ小麦のパンよ。 王都にも卸しているから、旅の途中でも手に入るの」「へぇぇ…… あれ?でも、王都では食べたことが無いような……」「学園ではなかなか出ないわねぇ。 でも、王宮でもクロイツ小麦を使っているのよ」「そうなんですか!じゃあジュリアン殿下も クロイツ小麦で育ってるんですね!」「ふふ、そうね。 というか、殿下が気に入られたから、 王宮で使われるようになったのよね。 クロイツ領の海の香りがするんですって」「ふぁぁ…… 殿下、詩人ですねぇ……」「クロイツ領は海風が適度に乾燥していて、小麦がよく育つの。 領地に近づくほど香りが強くなってきて…… 私もあの香りが好きなのよ」 そう言ってローザ様は懐かし気に目を細める。(殿下とローザ様は、同じ香りが好きなのね) そう考えるとなんだか微笑ましくて―― 潮の気配を探すように、そっと、空気を吸い込んだ。 ――海沿いの街道を進み、気づけばクロイツ領の境を越えて
「そういえば、リリィは休暇はどうするの?」 ――フォークの先で触れただけで崩れるチョコレートケーキが、舌の上で静かに溶けていく。 その甘さの余韻にうっとりしていた私に、ローザ様が問いかけてきた。「あぁ、えっと……」 学園はもうすぐ冬期休暇だ。 二週間近い休みに入るため、寮も閉鎖される。 ほとんどの生徒は実家へ戻る……はずなのだけれど。「ご実家は遠いだろう? 年末の光継祭のこともあるから、王家に滞在しないかと誘っているのだが」 隣でジュリアン殿下が、カップの縁に軽く口を寄せた。 何気ない動作なのに、不思議と場が整えられる。 ――そう。 なんと私は今、ジュリアン殿下の私室でティータイムを楽しんでいる。 発端は、ローザ様とライナーの手合わせ。 闇魔法を駆使してライナーを圧倒したローザ様は「あなたたち、見てしまいましたわね?」 なんて悪役さながらに笑いながら、お茶会に誘ってきたのだ。「とっておきのスイーツをご馳走するから黙っておくように」とのことらしい。 まったく、私が言いふらすなんて微塵も思ってもいないでしょうに――(可愛い人なのよね。ギャップ萌えってこういうことを言うのかしら) そして「私にも声をかけてくれるなんて嬉しいな。しかしご令嬢の私室に入るわけにはいかないから、私の応接室でどうだろう?」という、これまた本当に嬉しそうな殿下の提案により、今に至る。 ローザ様が用意した宝石みたいなケーキに、ジュリアン殿下が用意した「王室とっておき」の香り高いお茶 は、一口で緊張を塗り替えてしまうほどの味わいで。 最初はケーキどころではなかったのに、口の中でほどけた瞬間、全てがどうでもよくなった。 ――うん、権力ってすごい。 それ以上に、私の順応力もだいぶすごい。「あら、リリィ、王家に滞在するのは嫌なの?」 興味深そうに私を覗き込んで言うローザ様
昼下がりの廊下。 書類に目を通していると、やけにざわめきが大きくなる。「聖女様が……!」「騎士様が抱き上げて……!」 なにそれ、どういう状況?(……今度は何をやらかしたのかしら?) この学園に来てからというもの、あの子のまわりだけ現象の密度が高い。 火竜の暴走もそうだった。 まぁ、引き起こしたのは私なんだけど。(あの時は、本当によくやったわ。 光は、扱うのが難しいのよ。 なのに、ちょっとコツを掴んだら、すぐに結界をあんな規模で展開してしまうなんて) ――その光の軌跡を、私はまだ掌に覚えている。 光は扱えない私にとって、それは――少し、感動的ですらあった。(光以外の属性は全部あるのに、ね) 噂の出所をたどって中庭を抜けると、医務室の前に人だかりができていた。(……見に行く気はなかったのに) 扉のすき間から覗くと、彼女がベッドに座って頬を真っ赤にしている。 その隣には、あの騎士――ライナー・ヴァン・アルデン。 あの真面目さで、また全力で何かしたのだろう。 たぶん彼も、リリエルと同じ、”この世界の特別な人”だ。(でもきっと、リリエルが主人公で、彼は……なんだろう?リリエルほどには特別じゃない気がするわ)「……どうしてあそこにいるのが私じゃないのかしら」 誰にともなくそう呟いて、静かに踵を返す。 怒っているわけじゃない。 ただ、胸の奥に言葉にならないもやが残る。 わかってる。 私の”特別”は、たぶん、彼らとは違う種類だ。 窓の外、夕陽が校舎を照らす。(……まあいいわ。いざというときにリリィの力になれるのは、私よね) 書類を抱え直し
医務室に着いた途端、血相を変えた教師達に医療棟送りにされた私達は、検査やら治療やら事情聴取やらを受け―― ようやく落ち着いてベッドに腰を下ろせた。 ――ふと思い出して袖から護符を取り出してみる。「あら、それ、もしかして冷却魔法?」 ローザ様が覗き込んで尋ねた。「あ、はい、そうなんです、火竜が少し怖くて……」「ふふ、持っていて良かったわね。 それがあったから、火竜の炎に耐えられたのね」「え……?」「私も自分にかかる熱気は闇魔法で逃してたんだけど。それでもこのありさまよ」 ……確かに、そうだ。 あまりに必死で気づかなかったけれど、準備していたことが役に立っていたんだ。「……ん?待ってローザ様、結構火竜に近づいてましたよね?」 あれだけの熱を何処に……と疑問に思ったその時。『ぎゃー!!噴水が沸騰してる!!!』 ……外から悲鳴が聞こえた。(え、まさか……) ローザ様をまじまじと見つめてしまう。 ローザ様は悪戯っぽく目を細めた。「うふふ、内緒にしておいてね?あと、クラヴァ―ル先輩にはしっかりお礼をしておいたほうがいいわよ?」 どこから突っ込んでいいのかわからないけれど、 もしかしたら、いやもしかしなくても、クラヴァ―ル先輩は命の恩人のようだ。「あ、あと、アルデン先輩にもついでに」(ついでかい!) 正直声を出す元気もなかったので、心の中でだけ突っ込んでおいた。 ――あんなに火竜が暴れまわったというのに、大きなケガをした生徒はほとんどいなかったらしい。私も自己治癒力が強いので、ひと眠りすればほとんど回復するだろう。 とは言え大量の魔力を消費した私とローザ様は、午後の授業は全て休んで医療棟