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第3話:臆病な従者と追放の鬼姫

last update publish date: 2026-08-18 23:48:10

【華栄13年・11月】

康夜が他所の女を屋敷に連れ込んだ翌朝、奈世と康夜の正式な離縁の手続きが側近たちから言い渡された。

事務的に書状を読み上げ、奈世の面前で印章を押す。手切れ金はなし。氷室家への援助も打ち切り。辺境からの退去を命じる、と。

「以上にござる。速やかに城を出ていかれよ」

側近たちの声は平坦だった。誰も奈世の顔をまともに見ようとしない。かつての使用人たちも、廊下で目を逸らした。

奈世は短くうなずいただけだった。

城門まで歩いていく途中、背後から小さな足音がした。振り返ると、康夜の妹である清夜きよよが、青ざめた顔で立っていた。

「……姉上」

清夜はそれだけしか言えなかった。唇を噛み、何かを言いかけて、結局何も言わずに俯く。

奈世は彼女を見て、少しだけ声を柔らげた。

「清夜、もうわたくしは姉上などではござりませぬ。短い間でしたが、仲良く接してくれたこと、感謝しておりまする」

その言葉に、不意に涙をあふれさせる清夜。次の瞬間、言いかけていた言葉も、彼女の口からあふれるように出てきた。

「……いえ、まだ間に合います! 兄上があのような破廉恥なお振舞いをなさるとは……清夜が兄上を懲らしめて参ります!」

慕っていた相手に、別れの場で“感謝”などと言われ、感情がたかぶってしまったのだろうか。ただ奈世は、そんな彼女を冷静にたしなめた。

「おやめなさい。わたくしはもう覚悟を決めました。世話になりましたね」

最後だけは清夜にニッコリと微笑みかけると、それ以上何も言わず、前を向いて城門をくぐっていった。後ろで清夜が何か叫んだ気がしたが、風がそれをさらっていった。

門の外で、すでに一人の男が待っていた。

氷室家の従者・源次げんじである。齢30を少し出たくらいの男で、刀は一通り扱える。だが気性は穏やかというより、どちらかといえば臆病なところがある。永井家に仕えていた間も、争いごとからはできるだけ距離を置くタイプだった。

「姫様」

源次は短く頭を下げ、奈世の荷物を黙って受け取った。

「お前も一緒か。料理番としてよく可愛がられていたようだけれど、残らずともよかったの?」

「いえ、元は私も氷室の人間。氷室の主と共にここを離れるのは当然です」

「まあ、強がりを言って。本当のところは?」

「……離れたくありません。ですが、氷室家の当主から何と言われるか。正直、その方がよほど怖いので」

「素直でけっこう」

源次の答えに呆れつつも、奈世は彼を従え、永井の屋敷を後にした。

辺境の外れまで来たとき、空はすでに鉛色に沈んでいた。

雪がちらつき始めている。奈世は道の分岐点で足を止めた。一方は氷室家の本拠地へ続く道。もう一方は、さらに北へ——帝国の支配が薄れ、蛮族連合の領域が始まる方向だ。

康夜がかつて言った言葉を思い出す。あれは軍議の席だったか、奈世も武人として参加を許されていたのだ。

“あれらは危険だ。だが、うまく利用すれば帝国を揺るがす力になる”

今、奈世は小さく笑って独りつ。

「わたくしが利用する側に回りまする」

北へ向かう道を選ぶ。源次が、少し遅れてついてくる。

「……本当に北でよいのですか?」

「ええ」

「蛮族の領域ですが……恐ろしゅうござりまする」

「存じているわ」

「はあ……」

源次は深く息を吐き、それでも黙って従った。文句は言うが、離れはしない。それがこの男だった。

途中、小さな盗賊の群れに遭遇した。武器を構えて道を塞ぐ。

「おい、女。荷物を置いていけ」

手前の男が、ニヤリと笑って刀を突きつけてくる。後ろの2人も調子に乗ったように笑っていた。

源次が小さく息を呑む音がした。

「ひ、姫様……3、いや、5人います」

「見えておる」

やぶの中からさらに2人が出てくる。奈世は静かに荷を下ろし、腰の短刀に手をかけた。

「ここを通してもらおう。さもなくば、痛い目に遭うてもらうぞ?」

「はっ、強がりめ。女1人と男1人、こちらは5人。この人数差で何ができると言うか」

男がさらに一歩踏み出した瞬間、奈世は動いた。

一瞬。

手前の男の手首をつかんでひねり、刀を奪い取る。続いて後ろの一人の足を払って転ばせ、さらにもう一人の胸倉を掴んで雪の上に組み伏せた。残る2人は、何が起きたのか理解できずその場で狼狽うろたえている。

「いててて……! な、何だこいつ……!」

組み伏せられた男が、目を白黒させながら苦しげに呻く。奈世は彼の顔を覗き込み、淡々と言った。

「次は殺す。ただの脅しではないぞ」

「ひぃっ……! わ、わかった! わかったから離してくれ!」

「武具は置いていけ。どうせ大した価値もなかろうがな」

奈世がそう言うと、男たちは武器も鎧も脱ぎ捨て、我先にと這うようにして逃げ出した。先に2人が逃げ出した後で1人が転び、もう1人がそれを踏みつけてさらに転び、最後の1人が「置いてくなよ!」と叫び、雪を散らしながら消えていく。

源次は、刀の柄に手をかけたまま固まった姿勢で立ち尽くしていた。抜くタイミングを完全に逃していたらしい。

「……姫様、強すぎませんか」

「おじじ様の稽古の成果だ」

「いえ、成果とか、それどころではない気が……しかも武具まで差し出させるとは。これではどちらが追いぎなんだか」

「文句があるなら、次はお前がやりなさい」

「嫌です」

即答だった。奈世は小さく息を吐き、荷物を拾い上げる。

「臆病なくせに、よくわたくしに付いてくる気になったものだな」

「臆病でも、姫様を一人にするわけにはいきませんので」

「そうか」

奈世はそれ以上何も言わず、再び北を目指して歩き出した。源次が、少し間を置いてから慌てて後を追う。

あそこに蛮族連合がいる。冷酷で、野心的で、帝国を脅威に晒し続けている男——織部信焔おりべ しんえんがいる。

奈世は静かに息を吐いた。

「会いに行こうか。わたくしを妻にしてくれる男に」

「なるほど、それで永井家に“復讐”というわけですか……でも、めとってくれるんでしょうか? こんな鬼姫を――」

「源次、そろそろ黙りなさい」

刀を源次の喉元に突き付けて言う。彼はゴクリと生唾を飲み込んだ。

(氷室家の人間はこれだから……やはり永井家から出てきたのは間違いだったか)

源次は心の中でそう唱えたが、もう遅い。

雪は、徐々に本格的なものになり始めていた。

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