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第2話

Autor: 石見綾乃
翌朝、スマホの電源を入れると、画面に不在着信が二件表示されていた。

それから、メッセージが二通あった。

どちらも昨夜のものだった。

一通目は、【なんで俺を待たなかったの?】と書いてあった。

二通目は、【鍵のことは晴美が勝手にやったんだ。もう注意したから。家に着いたら連絡して】という文だった。

返信する間もなく、徹也から電話がかかってきた。

「鍵のことは、晴美が勝手にやったんだ。もう俺から言っておいたから」

そして、もう一言を言った。

「今夜、誠人たちが飲み会を企画してるんだ。一緒に飯食いに行こう。

みんな友達なんだから、少しずつ仲良くなればいいよ」

私は、その飲み会にはあまり行きたくなかった。

それでも、私は承諾した。

店の個室に着くと、晴美はすでに上座に座っていた。

彼女は隣の椅子を軽く叩いて言った。

「徹也、ここ座って」

私は徹也の右隣に座ろうとした。

けれど、別の友人に先を越された。

「ほらほら、俺が徹也の隣で飲むから」

晴美が顔を覗かせて私を見ると、笑って言った。

「じゃあ、向かいに座れば?向かいのほうがよく見えるよ」

こうして私は、徹也から一番遠い席に座ることになった。

湯気の立ち込める鍋を挟んで、晴美が顔を横に向けて徹也に話しかけているのが見える。

その髪が、ほとんど彼の肩に触れそうなほど近い。

蟹が運ばれてきた。

晴美は箸でつつき、甘えるように言った。

「徹也、蟹剥いて。私、上手く剥けないの」

徹也は何も言わず、蟹を自分の器に取り、剥き始めた。

蒸気に当てられて、彼の指先が少し赤くなっている。

それでも、まるで気にしていなかった。

晴美は蟹を一つ取り、半分ほど齧った。

そして、残った蟹肉を徹也の口元へ差し出す。

「徹也も一口食べて。この蟹、すごく美味いよ」

徹也は彼女の箸からそのまま食べた。

唇が、彼女の齧った場所に触れる。

友人の一人が茶化した。

「お前ら、何年経っても相変わらずベタベタだな。彼女さんが嫉妬しないのかよ」

晴美は笑った。

「徹也は小さい頃からずっと私のために蟹を剥いてくれてるんだよ。彼女さんだって、そんな心狭くないよね?」

そう言って、彼女は私を振り返った。

その場にいた全員の視線が私に集まる。

私は一瞬、体をこわばらせた。

それでも、無理やり笑顔を作る。

「大丈夫」

晴美はしばらく料理を食べていたが、やがて自分の前の器を徹也へ押しやった。

「徹也、このお肉、噛み切れない」

徹也は一瞥すると、その肉を自分の器に取り、小さく切ってから彼女の前へ戻した。

一言も話さない。

その一連の動作は、何度も繰り返してきたことのように自然だった。

友人の一人が感嘆する。

「お前らのこの息ぴったりな感じ、やっぱ子供の頃から一緒にいるからだよな」

晴美は笑い、徹也に振り向いた。

「ねえ、覚えてる?大学の頃、徹也が私の学校まで会いに来てくれたこと。

同級生が、徹也のこと私の彼氏だと思ってたんだよ。それで、私たち二人を食事に誘ってくれたよね」

徹也は笑った。

「お前の同級生、ずいぶん気さくな人だったよな」

晴美も笑って言った。

「そうなの。しかも、私たちがいつ結婚するのかって、ずっと聞いてきたんだよ」

そう言ったとき、彼女の視線が私をかすめた。

そこには、ほんの少しの得意げな色が浮かんでいた。

そして彼女は手を伸ばし、徹也のシャツの襟を整えた。

指先が彼の鎖骨をなぞる。

「襟、曲がってるよ」

その場にいた人たちはすっかり見慣れているらしく、誰もそれをおかしいとは思わなかった。

私は、その手が彼の襟元にしばらく留まってから離れていくのを見ていた。

徹也は避けなかった。

彼にとっては、もう慣れきったことなのだ。

食事の途中、晴美が飲み物を取りに立ち上がった。

立ち上がった拍子に手が滑り、グラス一杯の赤ワインが私の白いワンピースにこぼれた。

私が何か言うより先に、徹也は晴美の手を取って裏返した。

「手、切ってないか?グラスは割れてない?」

晴美は首を振った。

「大丈夫」

そして、申し訳なさそうに私を見る。

「本当にごめんね。このワンピース、高かった?弁償するよ」

赤ワインが布地を伝い、靴の甲へと滴り落ちていく。

それでも徹也は、最後まで私を一度も見なかった。

私は言った。

「ちょっとお手洗いに行ってくる」

個室の外へ出たところで、中から晴美の声が聞こえてきた。

「徹也、寧々さん、ちょっと機嫌悪くない?私、さっき怒らせちゃったかな……」

徹也の声が返ってくる。

「寧々はそんな人じゃないよ。気にするな」

晴美が笑った。

「それならよかった。寧々さんの関係で、徹也に私が相手にされなくなったらどうしようって思ってた」

その直後、二人の抑えた笑い声が聞こえた。

私は個室の外に立っていた。

昨夜、徹也の家の前に立っていたときと、まったく同じ姿勢だ。

ふと、ひどく可笑しくなった。

中にいる人たちこそが、「身内」なのだ。

そして私はずっと、扉の外にいる。

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  • 過去を切り捨て、前へ進む   第11話

    仕事にもすっかり慣れ、N市では美央が私の一番親しい友達になった。私たちは一緒にライブを観に行った。2時間も立ちっぱなしで、声が枯れるほど叫んだ。ライブが終わると、二人で道端の屋台に行って焼きそばを食べた。店主はもう私たちのことを覚えていて、「今日も二人とも辛めでいいか?」と聞いてくる。「はい」私は答えた。そんなふうに、些細なことを覚えていてもらえる。それだけで、この街が少しずつ私を受け入れてくれているような気がした。焼きそばができるのを待っていると、美央が突然言った。「寧々、最初に来たときは、雨に濡れた猫みたいだったのに。今は全然違うね」「どこが?」私が尋ねる。「目」美央は指で目元を示した。「前は何を見るときも俯いてた。でも今は、ちゃんと顔を上げてる」私は一瞬、呆気に取られた。それから笑った。彼女の言う通りだった。……一方、徹也は公証役場を訪れていた。窓口に所有権契約書の再発行に必要な書類を提出すると、職員が内容を確認し、判を押した。徹也は新しい契約書を手に、建物の前に立っていた。茶封筒を手に持つ。それほど重くない。ふと、以前私に言った言葉を思い出す。「俺のところに送って。手続きは俺がやってあげるから」あのときは、本当に私の力になりたいと思っていた。けれど、結局できなかった。徹也は新しい契約書を封筒にしまった。そしてオフィスへ戻り、自分の席に座る。スマホを開き、私とのチャット履歴を表示した。最後に残っているのは、あの一言だ。【もういい】彼は、その短い文をしばらく見つめた。それから、静かにトーク画面を閉じた。……翌日、私は一通の荷物を受け取った。茶色い封筒だ。右下には公証役場の名前が印刷されている。差出人の欄には、徹也の名前があった。開封するとき、指は震えなかった。中に入っていたのは、再発行された所有権契約書だった。真新しい紙だ。公印も、はっきりと押されている。最後のページの署名欄には、徹也がすでに署名していた。彼が署名したのは、「立会人」の欄だった。字は端正で、一画一画、丁寧に書かれている。以前の彼は、もっと字が雑だった。だからきっと、これは真剣に書いたのだろう。私は契約書

  • 過去を切り捨て、前へ進む   第10話

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  • 過去を切り捨て、前へ進む   第9話

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  • 過去を切り捨て、前へ進む   第7話

    私はホテルで2日間過ごした。3日目の午前、私はあるデザイン会社の面接を受けに行った。面接官は30代くらいの女性で、デザインディレクターだった。彼女は私のポートフォリオを数ページめくると、頷いた。「デザインがすごくすっきりしていますね。どうして前の町を離れたんですか?」私は少し考えてから答えた。「環境を変えたくて」彼女はそれ以上追及しなかった。ポートフォリオを閉じて言う。「分かりました。では、来週まで連絡します」私は立ち上がり、「ありがとうございました」と頭を下げた。会議室を出る途中、オープンな執務スペースを通りかかった。誰かがカップを片手に私の横を通り過ぎ、何気なく言った。「新入り?」私が答えるより先に、その人は同僚に呼ばれて行ってしまった。みんな忙しそうに働いていて、誰もわざわざ他人に干渉しない。私は、そんな雰囲気がなんだか心地いいと思った。会社を出ると、陽射しがとても暖かかった。そのとき、スマホが震えた。人事からのメッセージだった。【面接に合格しました。来週月曜日から出社してください】私は見知らぬ街角に立ったまま、そのメッセージを二度読み返した。……一方、徹也は私が半分ほど荷物を持ち出した部屋に座っていた。窓から差し込む陽射しが、左側から中央へとゆっくり移動し、床に斜めの光の筋を作っている。彼は、この数日間に起きたことを一つずつ思い返し始めた。始まりは、玄関の指紋認証からだった。私が電話をかけてきたとき、声はまだ落ち着いていた。あのとき、自分は何を考えていた?「晴美が料理してるんだから、機嫌を損ねないようにしよう」と考えていた。玄関の外に立っていた私が、寒くないか。そんなことは、一度も考えなかった。そして、3ヶ月前のあの週末を思い出す。温泉ホテルに、晴美が言った。「徹也、赤ワイン頼んだから、部屋で飲もうよ」彼は飲んだ。その後のこと……徹也は目を閉じると、記憶が一気に蘇ってくる。晴美は彼のシャツを着ていた。襟元は大きく開き、髪は濡れていた。ベッドサイドのテーブルには、彼が注文したコンドームの箱があった。すでに開封されていた。あのとき、彼は自分に言い聞かせた。酒に酔って、過ちを犯しただけだと。

  • 過去を切り捨て、前へ進む   第6話

    列車の出発時刻は、午前2時だった。私が買ったのは普通座席で、車内にはまばらに人が座っているだけだった。私は徹也の電話番号をブロックし、ラインも非表示にした。夜が明ける頃、私はN市に着いた。駅の近くで、安いビジネスホテルを一軒見つけた。フロントで何泊するのかと聞かれ、「とりあえず……まだ分かりません」と答えた。部屋に入り、スーツケースを置く。それからスマホを開き、N市での求人を探し始めた。……一方、徹也は自宅へ戻っていた。靴を脱ぎ、リビングへ入る。ソファには、以前私が座ったときに残していったクッションがまだあった。私が抱きしめていたせいか、少しだけ皺が寄っている。徹也はそこへ歩み寄り、クッションを軽く叩いて形を整えた。そして、リビングの中央に立ち、ぐるりと部屋を見回す。何が違うのか、うまく言葉にはできなかった。ただ、この家が、ひどくがらんとしているように感じた。彼は書斎のドアを開けた。机の上は空っぽだった。あの書類袋も、なくなっている。徹也は一瞬、呆然とした。そして歩み寄り、引き出しをいくつか開けて確認する。私がここに置いていたものが、いくつか消えていた。彼はスマホを取り出し、私に電話をかけた。長い間呼び出したが、誰も出ない。もう一度かける。今度は、着信を拒否された。3度目――「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」そこで、ようやく気づいた。ブロックされている。徹也はスマホを握ったまま、クローゼットの前に長い間立ち尽くした。このときになって初めて、本当に理解した。私は「怒っている」ではなく、「出ていった」のだ。彼は車を走らせ、私が暮らしていた住所へ向かった。ドアを開けた瞬間、何かがおかしいと分かった。リビングから、たくさんの物がなくなっている。クローゼットも半分以上が空っぽだった。それなのに、床は綺麗に掃除されていた。キッチンのコンロも、鏡のように磨かれている。ゴミさえ、すべて持っていったようだった。徹也は、何もなくなったリビングに一人で立ち尽くした。そして、ふと一つの言葉が浮かんだ。撤退だ。逃げたんじゃない。何一つ取り乱すことなく、順序立てて、

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