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父を蔑ろにしたあなたとは結婚しません

父を蔑ろにしたあなたとは結婚しません

Por:  バズリサクシャCompletado
Idioma: Japanese
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私は水野千歳(みずの ちとせ)。この日は、婚約者の柏木拓海(かしわぎ たくみ)との披露宴の日だった。 披露宴が始まる2時間前、父・水野正和(みずの まさかず)は田舎町から電車やバスを3度も乗り継ぎ、式場のホテルまでやって来た。 父が着ていたのは、10年以上も大事にしまっていた、よそ行きの古いスーツだった。袖口は擦れて色褪せていたが、革靴だけはぴかぴかに磨かれていた。 胸元には、赤い花飾りがついていた。ホテルのエントランスでは、ガラスに映る自分の姿を確かめながら何度も付け直し、ようやく位置を整えた。 会場に入ると、父は席次表を手にしたまま、おずおずと拓海のもとへ歩み寄った。 「拓海くん、私の席はここで合ってるか?」 拓海は席次表にちらりと目をやっただけだった。 「それ、変更前の席次表です。直前に席を変えたんで、お義父さんには別の席に移ってもらいます」 父は一瞬、言葉を失った。 「でも、私の席はこっちになってるんだが……」 拓海は面倒そうに眉をひそめた。 「今日は柏木グループの株主や大切な来賓も来ています。そちらの席を優先しないといけないんです。空いている席がありますから、そこに座ってください」 父は何も言えず、自分の古びたスーツに目を落とした。それから席次表をゆっくり折りたたみ、ポケットにしまった。 胸元の花飾りも外そうとしたが、留め具が布に引っかかってなかなか外れない。焦るほど手が震え、うまく指が動かなかった。 そこへ、拓海の母が淡々と口を挟んだ。 「水野さん、お食事をするだけなんですから、席なんてどこでも同じでしょう?拓海を困らせないでください」 父は慌てて何度も頷いた。 「はい、はい……私はどこでも構いません」 そう答えると、父は足元に置いていた古びた木箱を抱え上げ、案内された席へ向かった。 ふと会場に目をやると、ひときわ目立つテーブルには、拓海の長年の友人・藤井彩乃(ふじい あやの)の家族の席札が並んでいた。 拓海は彩乃の母親に付き添い、丁寧に席まで案内していた。 一方、父は私のために用意してくれた嫁入り道具の入った木箱を抱えたまま、スタッフ用の出入り口に近い席に座っていた。

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Capítulo 1

第1話

拓海を探しに行こうとしたそのとき、進行表を抱えた式場スタッフが小走りで近づいてきた。

「柏木様、そろそろお時間です。グルームズマンの皆様もご準備をお願いします」

拓海はカフスを直しながら「はい」と返した。

そのとき初めて、拓海の隣にいるのが弟の水野悠真(みずの ゆうま)ではないことに気づいた。拓海の隣にいたのは、彩乃の弟・藤井健太(ふじい けんた)だった。

健太はグルームズマン用のスーツ姿で、胸元には白い花飾りをつけていた。

それは昨夜、私が悠真のために用意した小箱に入れておいたものだった。

スーツを試着したとき、悠真は緊張して、手をどこに置けばいいのかも分からない様子だった。私が笑うと、悠真は花飾りを手に取り、しばらくじっと眺めていた。

「姉ちゃん、明日は絶対、恥かかせないから」

今、その花飾りは健太の胸元についていた。

健太は胸元をぽんと叩き、屈託なく笑った。

「似合ってるだろ?拓海さんも、俺のほうが似合うってさ」

私は健太には目も向けず、拓海だけを見た。

「悠真は?」

「健太に替えた」

「どうして?」

「悠真はこういう場だと固くなるだろ。今日は柏木グループの株主や大事なお客様も来る。グルームズマンなら、もう少し場慣れしてるやつのほうがいい」

「だから、悠真を外したの?」

拓海は声を落とした。

「もうすぐ披露宴が始まるんだ。今はこんな話してる場合じゃないだろ」

悠真が外されたことも、拓海にとってはその程度のことらしい。私は何も言わず、そのまま控室へ向かった。

悠真はソファの隅に座っていた。グルームズマン用のスーツはもう脱いでいて、古い白シャツの袖口が少し毛羽立っていた。

私を見るなり、悠真はすぐに立ち上がり、手にしていたものを慌てて背中に隠した。

「姉ちゃん、どうしたの?」

私は悠真のそばまで行き、背中に隠そうとする手をつかんだ。握っていたのは、昨夜花飾りを入れておいたあの小箱だった。

花飾りはなく、曲がった小さなピンが一本残っているだけだった。

悠真はうつむき、耳まで赤くなった。

「拓海さんに、健太が代わりに出るから、僕は出なくていいって言われた」

少し黙ってから、悠真はぽつりと続けた。

「姉ちゃん、僕はほんとに平気だから。ちゃんとできるか不安だったし」

その声は、傷ついていることを悟られまいとするように小さかった。

そのとき、入口のほうから健太の笑い声がした。

「グルームズマンって、格好だけ整えりゃいいってもんじゃないだろ。ちゃんとサマにならないとな」

悠真は膝の上で、そっと拳を握った。

拓海はドア脇に立ったまま、悠真には目も向けずに言った。

「健太はまだ若いんだ。ちょっと口が悪いだけだろ。いちいち気にするな」

「悠真は健太より2つも年下だけど」

拓海は一瞬黙って、腕時計を見た。

「千歳、もうすぐ披露宴が始まる」

悠真が私の袖をつかんだ。

「姉ちゃん、もういいよ」

袖をつかんだ悠真の手は、汗で湿っていた。

そこへ父が息を切らして駆けてきた。額に汗をにじませ、あの古びた木箱をまだ抱えていた。

胸元の赤い花飾りはもうなく、ポケットから花飾りの赤い端だけが少しのぞいていた。

「千歳、悠真がまた何かしたのか?」

悠真は慌てて首を振った。

「違うよ、父さん。僕は何もしてない」

父は拓海に申し訳なさそうな笑みを向けた。

「拓海くん、悠真はまだこういう場に慣れてないからな。無理に出さなくていいよ。客席に座らせてもらえれば、それでいいから」

父は私に目を向けた。

「千歳、今日はお前の晴れの日だ。私たちのことで台無しにしちゃいけない」

父と悠真だけじゃない。私も同じなのだ。柏木家にとって私たちは、人前に出すには体裁の悪い存在なのだろう。

そこへホテルのスタッフが入ってきて、父の抱えている木箱に目を留めた。

「新郎のお母様から、その箱はお客様の目につかない場所へ移すようにと言われています」

父は木箱を抱く腕にぐっと力を込めた。

「いや、これは私が持ちますから、大丈夫です」

スタッフが困ったように拓海を見ると、拓海は眉をひそめた。

「持っていってください。邪魔になるので」

父はためらいがちに口を開いた。

「これは千歳に持たせる嫁入り道具なんだ」

拓海は塗装の剥げた木箱の角をちらりと見た。

「披露宴が終わってから取りに行けばいいでしょう」

父はうつむいたまま、やがて木箱を抱く腕の力を抜いた。

スタッフが木箱を受け取った拍子に、箱の角がドア枠にぶつかった。

ゴン、と鈍い音がした。

父の肩がびくりと揺れた。

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第1話
拓海を探しに行こうとしたそのとき、進行表を抱えた式場スタッフが小走りで近づいてきた。「柏木様、そろそろお時間です。グルームズマンの皆様もご準備をお願いします」拓海はカフスを直しながら「はい」と返した。そのとき初めて、拓海の隣にいるのが弟の水野悠真(みずの ゆうま)ではないことに気づいた。拓海の隣にいたのは、彩乃の弟・藤井健太(ふじい けんた)だった。健太はグルームズマン用のスーツ姿で、胸元には白い花飾りをつけていた。それは昨夜、私が悠真のために用意した小箱に入れておいたものだった。スーツを試着したとき、悠真は緊張して、手をどこに置けばいいのかも分からない様子だった。私が笑うと、悠真は花飾りを手に取り、しばらくじっと眺めていた。「姉ちゃん、明日は絶対、恥かかせないから」今、その花飾りは健太の胸元についていた。健太は胸元をぽんと叩き、屈託なく笑った。「似合ってるだろ?拓海さんも、俺のほうが似合うってさ」私は健太には目も向けず、拓海だけを見た。「悠真は?」「健太に替えた」「どうして?」「悠真はこういう場だと固くなるだろ。今日は柏木グループの株主や大事なお客様も来る。グルームズマンなら、もう少し場慣れしてるやつのほうがいい」「だから、悠真を外したの?」拓海は声を落とした。「もうすぐ披露宴が始まるんだ。今はこんな話してる場合じゃないだろ」悠真が外されたことも、拓海にとってはその程度のことらしい。私は何も言わず、そのまま控室へ向かった。悠真はソファの隅に座っていた。グルームズマン用のスーツはもう脱いでいて、古い白シャツの袖口が少し毛羽立っていた。私を見るなり、悠真はすぐに立ち上がり、手にしていたものを慌てて背中に隠した。「姉ちゃん、どうしたの?」私は悠真のそばまで行き、背中に隠そうとする手をつかんだ。握っていたのは、昨夜花飾りを入れておいたあの小箱だった。花飾りはなく、曲がった小さなピンが一本残っているだけだった。悠真はうつむき、耳まで赤くなった。「拓海さんに、健太が代わりに出るから、僕は出なくていいって言われた」少し黙ってから、悠真はぽつりと続けた。「姉ちゃん、僕はほんとに平気だから。ちゃんとできるか不安だったし」その声は、傷ついていることを悟られまいとするよう
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第2話
木箱を持っていかれたあとも、父はしばらくその場を動かなかった。力なく垂れた手の指先が、何度もズボンの縫い目をなぞっていた。まるで、まだ腕の中に木箱があるかのようだった。そこへ、そばで控えていたメイクさんが声をかけてきた。「新婦様、そろそろお化粧直しのお時間です」私は何も言わず、すぐに控室を出た。父もすぐにあとを追ってきた。何か言いかけたようだったが、結局何も言わず、足を速めて私についてきた。ホテルのバックヤードは、披露宴会場よりずっと薄暗かった。廊下の奥には片づけ途中の段ボール箱や予備の花台、濡れたクロスを詰めた袋が積まれ、酒や油、消毒液のにおいが入り混じっていた。木箱は、そんな廊下の端に無造作に置かれていた。いや、置かれていたというより、放り出されていた。蓋の上には、濡れたクロスの入ったビニール袋が載せられていた。袋から水が滴り、蓋には黒っぽい染みが広がっていた。父はほとんど駆けるように木箱へ向かった。しゃがみ込むと、すぐに袋をどかし、濡れた蓋を袖で何度も拭った。「大丈夫、大丈夫だ」父はそう繰り返した。「古い箱だからな。これくらいじゃ何ともない」けれど、留め金はすでに歪み、箱の角も少し欠けていた。父が欠けたところにそっと触れた瞬間、木のささくれが指に刺さった。指先にぷつりと血が滲んだ。父は一瞬手を止めると、すぐにその手を背中へ隠した。「お父さん、手……」父は笑った。「大丈夫だ」そう言って、また何事もなかったように箱を拭き始めた。袖口はあっという間に濡れていった。私はスタッフに聞いた。「誰の指示でここに置いたんですか?」スタッフはちらりと拓海のほうを見て、口ごもった。「新郎のお母様から、こういう物はお客様の目につくところには置かないようにと……」「こういう物って?」誰も答えなかった。そこへ拓海がやって来た。見るからに機嫌が悪そうだった。「千歳、もう始まるぞ」私は木箱を指さした。「これ、お父さんが私のために持ってきてくれた嫁入り道具なの」拓海は父をちらりと見て、木箱に視線を落とした。「分かってる」「分かってたのに、こんな扱いさせたの?」「誰も雑に扱ってないだろ」拓海は苛立ちを隠そうともせずに続けた。「ちょっとここに置いてただけだ」
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第3話
拓海が進行表を取り返そうと手を伸ばしてきた。けれど、私は離さなかった。紙が2人の間でぴんと張り、かすかな音を立てた。拓海は周囲を気にして、声を潜めた。「今はやめろ」「どうしてお父さんの名前がないの?」拓海は一度、周囲に目をやった。会場スタッフやヘアメイク、進行担当は、みんなこちらを見ないふりをして忙しそうにしていた。「進行表の内容は前から決まってたんだ」「最初から、お父さんを外すって決めてたの?」拓海の眉間にしわが寄った。「彼はこういう場、苦手だろ。わざわざ名前を挙げられたって、かえって居心地が悪いだけだ」私は彩乃を見た。「じゃあ、彩乃のご両親はいいの?」彩乃の目元がまた赤くなった。「千歳、気になるなら、私の名前は外してもらっていいよ。拓海はただ、うちの両親には昔からいろいろ助けてもらってるから、ちゃんと感謝したいだけで……」彩乃がそこで言葉を詰まらせると、拓海がすぐに口を挟んだ。「もういい」拓海は私を見た。声はさっきより冷たかった。「今日はこれだけ大勢の人が来てるんだぞ。何でもかんでも大ごとにする必要あるのか?」私が何か言う前に、父が立ち上がった。袖口で指先の血を拭うと、その手をまた背中に隠した。「千歳、もういいから」小さな声だった。「名前なんて出さなくていいんだ。父さんはそういうの、気にしないから」そう言って私を見ると、無理に笑った。「お前が幸せなら、それでいいんだ」その笑顔を見た瞬間、何も言えなくなった。スーツの袖口は濡れ、手にはまだ血がにじんでいた。胸元にあったはずの赤い花飾りもなく、残っているのは小さな針穴だけだった。父は新婦の父親なのに、この結婚式でいちばん場違いな人のように見えた。そこへ、拓海の母もやって来た。私の手元の進行表を一度見てから、視線を私に移した。さっきまで浮かべていた笑みは、もうほとんど残っていなかった。「千歳さん、もうすぐ披露宴が始まりますよ」声は抑えていたが、周りには十分聞こえていた。「花嫁なんですから、少しは場をわきまえなさい。お父様ご本人が気にしていないとおっしゃっているのに、これ以上、皆さんに気まずい思いをさせるつもりですか?」父はすぐに頷いた。「私は気にしてません。本当に、気にしてませんから」そう
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第4話
披露宴が始まった。ステージにスポットライトが当たり、拓海が中央に立った。きっちりとスーツを着こなし、落ち着いた声で、まず自分の両親への感謝を伝えた。新郎側の席では、拓海の両親が微笑みながら頷いていた。それに合わせるように、会場から拍手が起こった。続いて、拓海は彩乃の家族に目を向けた。「そして、藤井さんご夫妻にも、この場を借りてお礼を伝えたいと思います」少し間を置いてから、続けた。「これまでずっと、家族のように支えていただきました」カメラがすぐに彩乃の両親を映した。2人は会場の中でも目につく席に座り、穏やかな笑みを浮かべていた。そのそばで、彩乃が少しうつむき、目元を赤くした。すると、客席のどこかから冗談めかした声が飛んだ。「藤井さんご一家って、新郎側でしたっけ?新婦側でしたっけ?」拓海は否定するでもなく、かすかに笑った。スタッフ用の出入り口のすぐそばに座っていた父は、その声を聞くと、膝に置いた手にぎゅっと力を込めた。ちょうどそこへ、スタッフがワゴンを押してすぐ後ろを通った。邪魔になってはいけないと思ったのか、父は慌てて椅子を少し前へ寄せた。その拍子に椅子の脚が床をこすり、甲高い音が響いた。何人かが振り返ると、父はすぐにうつむいた。まるで自分が何か悪いことでもしたように。その間も、司会者は笑顔で進行を続けていた。「柏木様と藤井家の皆様は、長年、ご家族同然のお付き合いをされてきたんですね。そしてもうお一人、長い間、柏木様を支えてこられた大切なご友人がいらっしゃいます」照明が彩乃へ向けられた。拓海は彩乃を見ると、少しだけ声を和らげた。「彩乃、ありがとう。ずっとそばにいてくれたこと、本当に感謝してる」会場には、再び大きな拍手が起こった。私は入場を待ちながら、その様子を見ていた。いつの間にか、指先に力が入っていた。ヘアメイクのスタッフがベールを整えながら、小声で声をかけてきた。「新婦様、このあとカメラが寄りますので、笑顔でお願いしますね」けれど、私は笑えなかった。人の間から父の姿を探すと、父も小さく拍手をしていた。ほんの二度、そっと手を叩いた。けれど、誰も父に目を向けていなかった。やがてその手は、ゆっくりと膝の上へ戻っていった。父は赤い花飾りを手の中で強く
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第5話
会場はしんと静まり返ったが、それもほんの一瞬だった。すぐにあちこちからざわめきが広がった。拓海が私の手首をつかんだ。「お前、何考えてるんだ?」拓海は歯を食いしばるようにして、周りに聞こえないよう声を落とした。「今日、どれだけ人が来てると思ってるんだ?」私はその手を振りほどいた。拓海の母も席を立った。顔からは、さっきまでの笑みがすっかり消えていた。「結婚式は、あなた一人の都合で始めたりやめたりできるものじゃないのよ。式場の手配も披露宴の準備も、お客様のおもてなしも、全部お金がかかってるの。水野家に、これだけの費用を払えるの?」父は顔色を失い、慌てて席を立った。「柏木さん、これは……」そのとき、スタッフがワゴンを押して父の後ろを通ろうとした。すると父は言葉を切り、邪魔にならないよう慌てて脇へよけた。ほんのわずかな動きだった。気づいた人はほとんどいなかった。けれど、私は見ていた。自分の娘の結婚式なのに、父は何か言おうとするたび、周りの邪魔にならないよう身を引いていた。そこへ彩乃が、赤くなった目のまま近づいてきた。「千歳、もし私のせいなら、私、もう帰るから」そう言って拓海を見ると、声を震わせた。「これ以上、拓海を人前で困らせないで」拓海はすぐに彩乃の前に立った。「彩乃は関係ない」思わず笑ってしまった。父がスタッフ用の出入り口のそばに追いやられても、悠真がグルームズマンから外されても、木箱がバックヤードの隅に放り出されても、彩乃の家族だけが特別扱いされても、拓海にとってはどれもたいしたことじゃないのだろう。それなのに、彩乃に恥をかかせることだけは許せないらしい。父はステージのそばまで来ると、私を見上げた。「千歳、今は落ち着け。父さんのことはいいんだ。本当に大丈夫だから」そう言われれば言われるほど、胸の奥が痛んだ。拓海の母が冷たく言った。「お父様のほうが、よっぽど話が分かるわね。ここまでのことをしておいて、何の責任も取らずに済むと思ってるの?柏木家にも世間体があるのよ」父はうつむいた。しばらくして、かすかな声で言った。「お金なら、私が払います」声は小さかったが、必死に振り絞っているのが分かった。「時間がかかっても、必要な分は必ず払います
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第6話
電話がつながると、隆司の声が聞こえた。「水野さん?」会場中の視線が私に集まった。拓海の目つきが変わった。さっきまでの苛立ちは消え、今度は釘を刺すような目で私を見ていた。私は目を逸らさなかった。「西村社長、今日の結婚式は取りやめることにしました」その言葉に拓海の表情が変わり、拓海の母も慌てて近づいてきた。「千歳さん、いい加減にして!何をしてるの?」私は構わず、電話を続けた。「今後は柏木グループ側の担当を外れます。それでもよろしければ、改めて私個人として企画を出させてください」電話の向こうで、少し間があった。やがて隆司が聞いた。「水野さん、この企画はまだ続けるつもりですか?」「はい」「分かりました。では、水野さんと進めましょう」その言葉を聞いて、拓海の母の表情がこわばった。「ちょっと待って。西村グループとの案件は、柏木グループの仕事でしょう?どうしてあなたが勝手に話を進めるの?」私は通話を切った。「この3か月、私が何度も企画を練り直して、西村社長と工場を回って、仕入れ先や流通を確認して、予算まで一から組み直してきたからです」拓海は周りを気にして、声を落とした。「千歳、みんなの前でここまでやる必要があるのか?」「こんなことになったのは私のせいじゃない。先にお父さんをあんな場所に追いやったのは、あなたたちでしょ」拓海は何も言い返せなかった。私は父の腕にそっと手を添え、悠真に声をかけた。「行こう」父は木箱を抱え、蓋が開かないよう片手でしっかり押さえていた。会場を出る直前、父がふと足を止めた。振り返った先には、スタッフ用の出入り口のそばに置かれたあの椅子があった。その上には、父が胸につけていた赤い花飾りが、くしゃくしゃになったまま残されていた。私はそれを取ると、父の手にそっと握らせた。「お父さん、帰ろう」車の中では、悠真が木箱を抱えたまま黙り込んでいた。その手には、ずっと力が入っていた。父もしばらく窓の外を眺めていたが、やがてぽつりと口を開いた。「千歳……父さん、今日は恥ずかしい思いさせたか?」喉の奥が詰まって、返事ができなかった。父は少しだけ笑って、続けた。「今日のスーツ、ちょっと古かったしな。靴も去年から履いてるやつだし。こんなことなら
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第7話
拓海は、私が抜けたくらいで隆司との案件が立ち行かなくなるとは思っていなかった。昔からそうだった。私がどれだけ手をかけても、拓海にとってはやって当然のことだった。夜通し企画書を直しても、それくらいやって当然だという顔をされた。取引先と一緒に郊外の工場を何軒も回り、靴擦れで足に血豆ができたときも、「女のほうが細かいところに気づくし、こういう仕事には向いてるだろ」と言われただけだった。隆司が納得するところまで予算を詰めても、会議で拓海が口にしたのは「チームがよくやってくれた」の一言だけ。私の名前が出ることはなかった。だから今回も、私が抜けたところで、なくなるのはせいぜい手元の資料くらいで、案件そのものには何の影響もないと思っていたのだろう。3日後、拓海は隆司との会食の席を設け、健太まで同席させた。その話を聞いたとき、私は法務局で、会社の設立登記に必要な書類を提出する順番を待っていた。悠真は隣で書類の束を抱え、父は待合の椅子に座って、修理途中の木箱を膝に載せていた。留め金はまだ直っておらず、蓋がずれないよう片手で押さえていた。悠真が小声で吐き捨てた。「健太まで連れてくって、どういう神経してんだよ」私は書類に署名を済ませ、ペンを置いた。「好きにさせればいいよ」自分で痛い目を見て、初めて分かることもある。その会食で何があったのかは、あとになって隆司の秘書から聞いた。拓海はきちんとスーツを着て現れ、健太もいつになく改まった格好をしていた。会食が始まって間もなく、健太がさっそく場を盛り上げようと口を開いた。「西村社長、ご安心ください。この案件、柏木グループに任せてもらえれば間違いないです」隆司は健太を見た。「君はどこを担当してるんですか?」健太は一瞬、言葉に詰まった。「私は……拓海さんの下で、いろいろ勉強させてもらってます」それから、取り繕うように笑った。「前の企画書も見ましたけど、要するに若い層に向けたマーケティングが中心なんですよね」隆司の表情がすっと冷えた。あの企画で本当に重要なのは、若い層へのマーケティングなんかじゃない。老舗ブランドのサプライチェーンを立て直し、そのうえで販売チャネルを顧客層ごとに組み直すことだった。隆司が一番気にしていた在庫回転の問題も、私は1か月かけ
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第8話
拓海がうちに来た日、父はベランダのそばにしゃがみ、木箱の留め金を付け替えていた。白髪交じりの髪に陽が差し、父は小さなドライバーをゆっくり回していた。そこへインターホンが鳴った。悠真が玄関を開けると、そこには拓海が立っていた。拓海の顔を見るなり、露骨に顔をしかめた。「何しに来たんだよ」拓海は手土産を提げていた。包装からして高そうで、拓海の母が選んだのだとすぐに分かった。けれど、玄関先に立つ拓海には、いつもの余裕がなかった。「千歳に会いたい」悠真は鼻で笑った。「姉ちゃんがお前に会うわけないだろ」それでも拓海はその場を動かず、悠真の向こうにいる父へ目をやった。昔なら、拓海が来ると父はすぐに笑って立ち上がり、お茶を淹れたり果物を出したりと忙しくしていた。けれど、この日は違った。父は手にしていたドライバーを置くと、ゆっくり腰を上げた。「柏木さん」その呼び方に、拓海の表情が一瞬こわばった。拓海は家に上がると、手土産をローテーブルに置いた。「おじさん、結婚式の日のことは……俺の配慮が足りませんでした」父は返事をせず、木箱に残っていた木屑をふっと吹き払った。「結婚式は、もう一度やり直せます。今度はおじさんにもきちんとした席を用意しますし、悠真にも改めてグルームズマンをお願いします」悠真は鼻で笑った。「勝手に外しておいて、今さら頼めば済むと思ってんのかよ」父は悠真を制し、引き出しから1枚の紙を取り出した。式場の予約金、料理や飲み物、装花や演出、招待状、引き出物――紙には、それぞれの費用が細かく書き出されていた。父はそれを拓海の前に差し出した。「こちらで出す分は、こちらで払います。柏木家に出してもらうつもりはありません」父は一言ずつ確かめるように、ゆっくり続けた。きっと、何度も考えてきた言葉なのだろう。「それから、もう柏木家と縁続きになることもありません」拓海の表情が固くなった。「おじさん、俺は金の話をしに来たんじゃありません」「でも、こちらはそうはいきません」父は静かに続けた。「お金なら、払えば済みます」父は顔を上げ、拓海を見た。「でも、人をあんなふうに扱ったことまで、お金で済むとは思いません」拓海は何も言わなかった。そのとき、私は部屋から出
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第9話
拓海が会社に戻ると、会議室にはすでに取締役たちが揃っていた。結婚式での一件も、隆司との案件が止まったことも、健太が会食で失態をさらしたことも、すべて今日の議題になっていた。会議室の奥では、拓海の父が険しい顔で待っていた。「お前にこの案件を任せたのは、結果を出せると思ったからだ。それを、プロジェクトに関係のない人間まで連れていって、会社の信用を落としてどうする」拓海は席に着かず、立ったまま話を聞いていた。こういう場には慣れているはずだった。どれだけ厳しく追及されても、いつもなら冷静に受け答えし、何事もなく切り抜けてきた。けれど今回は、何か説明しようとしても、言葉が続かなかった。悠真をグルームズマンから外したのは拓海だった。健太の振る舞いを止めず、彩乃の家族が会場でも目立つ席に座ることもそのまま認めた。結婚式では藤井家に感謝を伝えながら、千歳の父には一言も触れなかった。結局、どれも拓海自身が選んだことだった。会議の終わりに、拓海の父は一言だけ告げた。「後継者としての話は、いったん保留だ」拓海が会議室を出ると、廊下では彩乃が待っていた。目を赤くした彩乃は、拓海を見るなり近づいてきた。「拓海、健太は本当に悪気があったわけじゃないの。あなたの役に立ちたかっただけなのよ。おじさまも、健太だけに全部責任を負わせるなんてひどいよ」拓海はしばらく何も言わず、彩乃を見ていた。彩乃は次第に落ち着かなくなったのか、先に口を開いた。「どうしたの?」「結婚式の日、千歳のお父さんがどこに座らされてたか、知ってたか?」彩乃は言葉に詰まった。「私……」「知ってたよな」拓海は低い声で続けた。「悠真がグルームズマンから外されたことも」彩乃の目に、また涙がにじんだ。「拓海、あの日は本当にバタバタしてたし、私だってどうしたらいいか分からなかったの。それに千歳はずっと私のことを誤解してたでしょ。私が何か言ったら、余計こじれると思って……」以前なら、彩乃がそう言えば、それ以上追及することはなかった。誰かに責められそうになれば、いつも拓海が間に入って庇ってきた。けれど今、頭に浮かんだのは結婚式の日のことだった。千歳の父はバックヤードで、袖口を濡らし、手の甲から血を流していた。それでも拓海に気
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第10話
2か月後、うちの会社は隆司の案件を受注した。調印式の日、父は最前列の席に座っていた。着ていたのは新しい淡いブルーのシャツで、高いものではなかったけれど、きれいにアイロンがかかっていた。隣では悠真が、手元の書類を何度もめくっていた。父が小声で言った。「もうそのくらいにしとけ。紙が破れるぞ」「確認してるだけだよ」壇上に上がって2人を見たとき、ふと結婚式の日の父を思い出した。あの日、父はスタッフ用の出入り口のそばに座らされていた。背後を配膳用のワゴンが行き交い、足元にはスープのこぼれた跡があった。拍手さえ、周りを気にして控えめにしていた。けれど今日は、最前列に座っていた。席をずらすよう言う人も、撮影の邪魔だと言う人もいなかった。調印を終えると、隆司が私に手を差し出した。「水野社長、今後ともよろしくお願いします」「水野社長」と呼ばれた途端、父の目がぱっと明るくなった。父は少しだけ背筋を伸ばした。私が娘であることが、どこか誇らしそうだった。調印式が終わって会場を出ると、拓海が待っていた。前よりずいぶん痩せていた。スーツ姿は相変わらずきっちりしていたが、以前のような、何でも思いどおりにできるという余裕はもうなかった。父を見ると、拓海は声を落として言った。「おじさん」父は一度足を止めたが、その呼びかけには何も返さなかった。「千歳、父さんと悠真は車で待ってるからな」悠真は一度こちらを振り返った。私が頷くと、父と一緒に車へ向かった。2人が離れてから、拓海は持っていた書類を差し出した。「藤井家とは、もう一切関わってない。健太も、もう柏木グループの案件には関わらせない」私は受け取らなかった。拓海は続けた。「結婚式も、もう一度やり直せる。今度は全部、千歳が最初に考えてたとおりにする。おじさんには千歳が決めてた席に座ってもらうし、悠真にも改めてグルームズマンを頼む」その話を聞いているうちに、どっと疲れた。「拓海。今になって戻ってきたのは、私を愛してるから?それとも、案件も、後継者としての立場も、藤井家と付き合うことで得てたものも、全部失ったから?」拓海の顔から一瞬、血の気が引いた。「千歳、本当に悪かった。あの日、俺は……」「悪かったのは、あの日だけじゃないよ」
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