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第9話

Author: コミュ障・小野
拓海はその場で呆然と立ち尽くしていた。

会場のざわめきさえ、今は完全に消え去っている。

彼の目の前で、夏織はゆっくりと白石当主夫妻のもとへ歩み寄る。

いつもはTシャツとジーンズ姿だった彼女は、今夜はハイブランドの特注ドレスを纏い、誰よりも鮮やかに輝いていた。

拓海のすぐそばを通り過ぎるとき、夏織は一度も彼に視線を向けなかった。

彼女は舞台のスポットライトの中に立ち、静かに一本の録音ペンを取り出す。

そのまま、拓海を冷たく見下すような視線を投げかけ、皮肉な笑みを浮かべる。

「皆さん、今日は私と新堂さんの婚約パーティーですけど、その前に、ひとつだけお聞かせしたい録音があります」

次の瞬間、会場全体に新堂夫人の声が響き渡った。

「ふん、心配いらないわ。あの夏織なんて親もいない子が、五年も拓海のそばにいられたのは奇跡よ。自分の身の程ってものを知ってほしいわ。うちの拓海がどれだけ『素晴らしい子』かもわからないのよ」

下手に顔色を隠しきれない拓海は、唇をかみしめていた。

夏織は会場の方を見渡し、「皆さんが聞いた通りです。新堂家は私を認めていないみたいですから、この婚約パーティーは、これで終わりにします」

そう言い終わると、無表情で録音ペンを床に投げ捨て、白石当主夫妻とともに会場をあとにした。

夏織の背中が扉の向こうに消えるまで、拓海は一歩も動けなかった。

やっと我に返った瞬間、彼は急いでそのあとを追いかけようとした。

だが、その腕を綾乃が必死に掴む。

「拓海、わたし……!」

「どけ!」

さっきまでの甘い言葉はどこへやら、拓海は綾乃を乱暴に突き飛ばし、振り返ることもなく夏織の後を追いかける。

「夏織!夏織!」

その呼びかけにも、夏織は一度も振り返らなかった。

やがて、拓海は廊下で夏織の手首を掴むことができた。

「新堂さん、何かご用ですか?」

夏織は冷たく振り返る。その目には、一片の情も残っていない。

「夏織、どうして自分が白石家の娘だって、もっと早く言ってくれなかったんだ!?俺を騙して、楽しいか?」

あまりにも身勝手な言葉に、夏織は思わず笑ってしまう。

「浮気したのはあなたでしょ。人を責める資格なんて、あなたにある?」

「俺はてっきり、綾乃こそが白石家のお嬢様だと……!」

自分の非を一切認めようとしない拓海に、夏織はついに全
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