LOGIN白木総一郎は、娘の桐生美琴を自宅に呼び出した。「お前の子どもをダシに、朝倉倫子と連絡を取れないのか?」「無理よ。直也は私に懐いているから。倫子も離婚のときに『要らない』って言っていたもの」 はっきり言って、美琴も直也を可愛いとは思えない。生意気で可愛げがないのだ。「正攻法で国際医療グループに連絡を取ったのだが、門前払いを食らった。王族くらいの権力者じゃないと相手にしないとでも言うつもりか」 ウィスキーのグラスを、テーブルに乱暴に置いた。「もう、あんな子は放っておきましょうよ」 美琴は家政婦の田中を呼んで、自分の分のウィスキーの水割りを作ってもらった。「では、他に策があるのか。論文や研究発表で名を上げる? 牧野拓海が名を上げても、今は大学病院に所属しているから、白徳会には利がないぞ。 有名な医者を引き抜いたら、人件費が膨らむ。設備投資をして最新の機材を入れるにも金がかかる。赤字で潰れる病院だってあるんだぞ」 総一郎はぐいっとグラスをあおった。 美琴は考えた。「私が、倫子より有名になればいいんでしょ? みんなから羨ましいと思われるような、成功者として……」「インフルエンサーとやらは、もう充分だ。次に必要なのは『あの医師がいるから白徳会の病院に行こう』と思うくらいのネームバリューだ。それがお前にできるのか? もう、お前の贅沢のために金は出さんぞ」「なんでよ? ゴージャスな姿を皆に見せてあげなきゃ。インフルエンサーであり続けるための努力はしているわ」「やりすぎだ。ただの美人医師ではなく、『天才女医』なんて。天才という根拠を突っ込まれたらどうするつもりだ」「それは、マスコミが勝手に……」「否定せずにそれに乗っかったのはお前だろう。 着飾るのはいいが、一定のラインを超えたら信用をなくすことに気付いていないのか。本業を疎かにしているように見えたら、逆効果だ。お前が消化器外科でなく、美容整形だったら着飾るのも宣伝になるから、話は違っただろうが」 総一郎は「残念だったな」と笑った。「研修医時代には、そんなこと言わなかったじゃない。大腸がんが多いからって、消化器を勧めたくせに……」 美琴は父の態度を見て、欲しかった時計が買えそうにない
医療法人白徳会の理事長、白木総一郎は苛立っていた。 国際医療グループに朝倉倫子を指名して手術依頼を出したのに、断られたのだ。「日本で標準的に治療可能な症例であり、国外へ搬送する医学的メリットが乏しい」 そんな理由で―― 有名な女優の顔の傷跡を目立たなくする手術だ。 撮影中の事故で、額に3センチほどの傷跡が残った。 髪型やメイク、画像処理で対応できるが、やはり「なかったことにしたい」と願うのは普通だろう。 形成外科としては、一般的な手術の範囲だ。 その女優は、外国の映画に出演することが決まっていた。 世界進出に向けて、有名な医師に手術させる。 両者が相乗効果で名を上げられる。白徳会は手術する場を提供する。 誰にとっても、いい話のはずだ。 せっかく話を持ちかけてやったのに、「神経をつなぐ必要がない」からやらないだと? 総一郎は返信のメールに納得ができず、国際電話をかけた。「なぜだ。朝倉倫子ならできるのだろう?」 と、最初から責め立てるように、大きな声を出した。 電話を受けた医療コーディネーター、イーサン・タンは受話器を耳から離した。「技術的には可能です。しかし、ドクター・アサクラでなければならない医学的理由がありません。そのように回答いたしましたが?」 そのすました態度は、さらに総一郎を苛立たせた。 お高くとまったものだ。 ああ。日本にだって、有能な医師はたくさんいる。そんなことは百も承知だ。 だが、それでは話題にならない。 あの女優だって、「そこまでして、撮影に向き合うプロ根性」という評判が捨てがたく、傷を残しているのだ。 話題作り、話を振られやすいネタ作り。 彼女自身の意思かはわからないが、少なくとも事務所はそう考えている。――昔はよかった。 医師というだけで尊敬された。病院の経営が危ぶまれることも、医師の数が足りないなんてこともなかった。 今では、いつ、何を理由に訴訟を起こされるかわからず、赤字にならないよう経営に腐心する。 親から受け継いだものを守るだけでも大変な時代だ。 子どもたちがもっと頼りになればよかったが、どうも頼りない。まだまだ自分が踏ん張らないといけない。 医療法人や病院の名を上げ、価値を高めるのだ。 総一郎は、自らを奮い立たせた
できることを頑張っているだけなのに、誰かに「ずるい」と非難される。 そのことが、朝倉倫子を疲弊させた。 学生時代は、奨学金をもらっていることを、ずるいと言われた。学費を出してくれる親がいる方が、恵まれていると思う。 医師になり、手術をして、人を助けることができるのは嬉しい。 本来なら、そこには地元の患者であろうと、国外からの要人であろうと区別はないはずだ。 要人の手術をする機会が多いせいで、また、ずるいと言われた。 国際医療グループには、国外からの患者向けの紹介窓口がある。 紹介された患者については、紹介元の主治医と調整を行い、医療情報のやり取りなどをする必要がある。国際医療グループで担当する医師が、直接あるいは医療コーディネーターを介してやり取りすることになるのだ。 両者で治療方針を調整し、ときには共同で手術をすることもある。 そのため、医師としての技量はもちろんのこと、他の医師や医療スタッフと円滑に連携する能力も求められる。 自分のほうが上だと相手に思い知らせたい――そんなタイプは、連携に支障をきたしかねないため、敬遠される傾向にあった。 選ばれるのは光栄だが、手術以外に神経を使うことが多いのだ。「ずるい」と言われて、納得できない気持ちになった。 ***「ドクター・リン。この患者を担当してくれないかな?」 地元の患者を主に担当している医師が、外科医のスタッフオフィスにやってきて、倫子に声をかけた。 倫子はパソコンの前に移動し、患者の電子カルテを一緒に見ることにした。 舌がんで、舌の半分近くを切除する必要がある患者だった。「腫瘍を確実に取り切ることを考えると、かなりの範囲を切除する必要があるけれど、できるだけ残存部分を残したい。いい方法がないかも含めて、相談したいんだ」「悪性腫瘍の範囲想定は? ……ああ、これね。遊離皮弁による舌再建がいいかしら」 前腕や太ももなどから皮膚や軟部組織を採取し、移植する。そうして、舌の形と機能をできるだけ補うやり方だ。「この患者は、地元の屋台を営む男性なんだ。手術後に舌が動くようになればいいというだけじゃなく、味を感じるようにしたい」 思ったよりも、大きな問題だ。「そんな条件があるなら、話が変わってくるわ」「舌の再建部分は、ドクタ
朝倉倫子には、国外の重鎮や富裕層から手術の依頼が入ることがある。 国際医療グループとして依頼を受けるかどうか、そして誰に割り振るかは、医療コーディネーターたちの話し合いで決まる。 患者が好きな医師を自由に指名できるわけではない。 それでも、こんな陰口を耳にするようになった。「ドクター・リンは、手術室の予約を優先してもらえている。依怙贔屓だ」「彼女の患者だけ警備がつく。何様のつもり?」「そこまで特別扱いするほど腕がいいとは思えないけど」 実際には、患者側の事情や安全上の配慮といった理由がある。 けれど、嫉妬する側からすれば、「有力者に気に入られているから、優遇されている」――そんなふうに見えるのだろう。 ある日、倫子を名指して、難しい症例の手術依頼が来た。 すると、倫子をライバル視しているドクター・ナラヤンが横から手を挙げた。「僕が対応できます。ドクター・リンは予約がいっぱいですし、この患者には僕の方が適していると思います」 倫子に負けたくないという意気込みが、その場にいる人たちに伝わる。「私は、医療コーディネーターのイーサン・タンの指示に従います」 倫子は、特にこだわりを見せなかった。自分が執刀することに固執する理由もない。 倫子は、患者は医療的な知識を元に依頼してくるのではなく、たまたま知っている名前を口にしているとしか思っていないのだ。 ところが、患者側が譲らなかった。「ドクター・リンにお願いしたいのです。知人が、彼女に手術をしてもらって、とても良かったと言っています」 窓口になっている医療コーディネーターたちも、そういう患者には慣れている。「我々が、手術内容と医師の得意分野を適切にマッチングしますので、ご安心ください。彼女以外にも、よい医師が揃っていますので」 そんな定型文がすらすらと口から出てくるくらいだ。「ドクター・リンじゃなければ治療できない症例なんてないのに。皆、どうかしているよ。ちょっと名が売れただけじゃないか」 ナラヤンが不満そうに言う。スタッフルームに、気まずい空気が流れた。 倫子は彼の方を見る。「患者さんが私を希望されているなら、理由をイーサンが確認しているでしょう。私でなければならない理由がなければ、他の先生にお願いしてもいいと思います」「日本人だから、ドクター・ゴミの後
朝倉倫子は、患者の主治医を見つけた。 別の患者のリハビリの様子を見つつ、リハビリ科の医師と話し合っているところだった。「ドクター。手術は終わりました」「ドクター・リンか。特に問題はなかった?」 そう訊かれたので、手術の経過を報告した。「予定していた手術は問題なく終了しています。出血量も想定内です。ただ、途中で一時的にバイタルが乱れたため、手順を一部変更しました。その後は安定しています」「ご家族への説明は?」「問題ありません。患者が覚醒したら先生に報告するよう、看護師には伝えてあります」「わかった。ありがとう」 術後にも気をつけなければいけないことは多いが、達成感に頬が緩みそうになる。 報告を終えて形成外科医のスタッフルームに戻ると、五味常子医師がいた。「あの、五味先生」「朝倉くん。どうした?」 初老の女医は、キリッとした表情を少しだけ和らげた。「……手術をしていただいて、ありがとうございました」「ん? どの手術?」「七年前に、私の右手の手術をしてくださったと聞きました。私、先生だと気がついていなくて――」 倫子にとって、第二の人生を歩もうと決意した転換点だ。「ああ、あれね」 五味は片方の唇を上げた。 親戚の三枝哲郎に頼まれ、知人の医師たちに有望な医学生だったと聞いて、執刀したのだ。 初めの顔合わせでは生気がなく、手術前には昏い目をしていた。手術後には、ギラギラと燃えるような目つきになっていた不思議な患者だった。「手術が成功して、やる気のある医師として再会できたんだ。やってよかったよ」「研修医の二年目からもお世話になって……。あのまま日本にいたら、自分の身体に鞭打って潰れていたか、悪い噂に怯えてもっと萎縮していたか――だろうと思います」 倫子は、今回の里帰りで、噂の恐ろしさを再認識した。桐生美琴の執念深さも……。「ああ。SNSで誹謗中傷を受けて、大変だったんだって?」「そうなんです。被害者のふりをして、こちらを攻撃するのが得意な子で……」 美琴は、学生時代はか弱いふりをして、周囲の男性たちに助けてもらっていた。それが今では、女性も味方に付けて攻撃力が上がっている。「厄介なのに目を付けられちゃったんだね」 五味は気の毒だと
小学校の教師が、桐生智也に子どもたちが喧嘩をした原因を説明した。「直也くんに、前のお母様が有名なお医者様なら、自分の身内の手術をしてほしいと頼んだそうです」 その言葉を聞いて、直也に殴られた生徒がうなずいた。「そんなのは無理だって返事をしたら、『お前、捨てられたんだもんな』って言ったんだ。あいつが悪いんですよね、先生」 直也は自信たっぷりに教師へ訴えた。「それでも暴力を振るうのは、よくないです」 教師は穏やかに言い聞かせる。「先生! どうして僕の味方をしてくれないの? ひどいことを言ったのはあっちだ」 直也は椅子から立ち上がった。「誰の味方をするという話ではありません。良くないことをしたから、教えているのです」 教師は辛抱強く説明した。「ばっかみたい。お金があって、発信力があれば、勝ち組なんだ。好きなことをしても、誰にも邪魔できっこない。倫子ママの手を踏んだときだって……」「直也! 何てことを言うんだ」 智也は慌てて、息子の言葉を遮った。 当時の母親に怪我を負わせた。そんなことを、おおっぴらに口にするものではない。「パパ。どうして怒るの?」 直也はキョトンと首をかしげた。 桐生家も、美琴の実家である白木家も、勝ち組の家だ。多少のトラブルなら相手を黙らせることができるし、そうでなければ金で解決してきた。 だが、それを外で口にすれば、反感を買う。「手を出すのは駄目だ。謝りなさい」「……ごめんなさい」 直也はふてくされながら、つぶやいた。 智也は息子が謝ったことを確認すると、おもむろに話題を変えた。「ですが、子どもを使って前妻に仕事を依頼するというのも、おかしな要求ですよね。しかも親同士の話し合いで離婚したことを、言うに事欠いて『捨てられた』などと。品位に欠ける言葉ではありませんか? そんなことは金輪際、言わないと約束してください」「ですが……」 相手の親が食い下がろうとする。もしかしたら、病人を抱えているのだろうか。「そのようなひどい言葉を投げつけられて、息子の心は傷つきましたよ。家庭のデリケートな部分に、土足で踏み入るのはいかがなものでしょう。 先生も、暴力を窘めながら、原因となった暴言は放置するおつもりでしたか?」「そんな……。いえ、私の不徳のいたすところです。すみませんでし







