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第2章

作者: 星の煌めき
琴音が見上げた視線は、聡也の顔に鉤のように鋭く突き刺さり、見る者をぞっとさせるほどだった。

一体、琴音と川澄家の人々が家族と言えるのか?それとも聡也と彼らが家族なのか?

琴音はもともと児童養護施設で育った。生活は裕福とは言えなかったが、少なくとも衣食に困ることはなかった。しかし五歳の時、利雄が琴音を施設から引き取った。

その時の琴音は、自分にも家族ができたのだと無邪気に信じていた。

後に知ったことだが、綾乃は先天性の重い遺伝病を患っており、命を繋ぐためには定期的な輸血が必要だった。

そして、琴音は綾乃のための「生きた血液バンク」に過ぎなかったのだ。

毎月、定期的に綾乃に血を提供するだけでなく、綾乃の身の回りの世話も琴音の役目だった。

綾乃が転べば、琴音が殴られた。

綾乃が宿題をしなければ、琴音が殴られた。

綾乃自身が癇癪を起こして食事を拒否しても、殴られるのは琴音だった。

幼い頃から、琴音の体には傷のない場所など一つもなかった。

琴音と聡也が出会ったのは中学の頃。聡也は両親を亡くし、親戚の家で肩身の狭い思いをしていた。同じ境遇の二人は、まるで嵐の中で出会った同志のように強く惹かれ合った。

十五の年から、彼らは互いの手を固く握り合い、ほんの些細なことで相手を失うのではないかと恐れていた。

しかし今、琴音が聡也を見つめる目は、まるで見知らぬ人を見るかのようだ。

彼は琴音が川澄家でどれほど苦しんできたかを目の当たりにしてきたはずなのに、どうして「琴音と川澄家の関係を修復するためだ」などと言って、彼らと協力できるのだろうか?

琴音は結局、それ以上追及することなく折れた。

「分かってるわ、私のためにしてくれているのよね」

聡也の心はまだ自分にあると琴音は信じたかった。ただ、その一部が綾乃に分け与えられただけなのだと。

しかし、心は一人だけのものであるべきで、誰かと分け合う心など、琴音には汚らわしいものに思えた。

琴音が折れたことで、聡也も安堵の息を漏らし、張り詰めていた心がすとんと軽くなった。

ああ、よかった。琴音は疑っていない。

琴音が反対すれば、すぐにでも川澄家との協力を中止するつもりだった。しかし、琴音が何も言わなかったので、彼は続けることができる。

ゼロから成り上がるのは険しい道のりだ。川澄家の支援があれば、少なくとも会社はいくらかの回り道を避けられる。

「こんなパーティー、面白くも何ともないだろう。

先に車で待っていてくれ。すぐに送っていくから」

聡也は琴音の肩を軽く揉み、玄関まで送り出した。

彼は琴音がこういう場を好まないことを知っていた。

だから、たとえ会場にどれほど多くの取引相手がいようとも、聡也は彼らを後回しにして琴音を連れて帰ることも厭わなかった。

琴音が出て行くと、聡也は宴会場へ引き返し、綾乃のもとへ一直線に向かった。

綾乃は自分に向かってくる聡也の姿を見て、唇の端を嬉しそうにつり上げた。

誰が想像できただろう。かつて琴音と付き合っていたあの貧しい少年が、今これほど出世するなんて。もっと早く分かっていれば、琴音などに先を越されることはなかったのに。

聡也は目の前に来ていたが、綾乃が口を開く前に、低く冷たい声で釘を刺された。

「次に琴音の前で小細工をしたら、ただじゃおかない」

聡也の抑えた声には明確な警告が込められており、綾乃は一瞬呆気に取られた。まるで先ほどの密会での情熱的な抱擁が幻だったかのように、聡也は冷酷そのものだった。

しかし、綾乃が固まっていたのはほんのわずかな間で、すぐにいつもの調子を取り戻した。

「気づかれなかったじゃない。琴音は鈍感だから、何を怖がる必要があるの?」

そう言うと、綾乃は前に進み出て、その指先を聡也のネクタイに絡ませ、くいっと引いた。

人目につかない隅で、それはほとんど誘惑的な仕草だった。

「新しいレースのパンティを買ったの、パール付きの。今夜、見に来ない?」

綾乃の視線は挑発的で、まるで妖艶な妖精のように聡也の心を掻き乱した。聡也の視線は一瞬ためらったが、すぐに笑みを浮かべ、彼女の尻を軽く叩いた。

「化粧室の一度じゃ物足りなかったのか?夜はだめだ。妻と過ごさないと」

そう言うと、聡也は身を翻して去っていった。

ベッドの上では情熱的なのに、ベッドを離れれば冷酷無情。

綾乃の誘うような表情も、瞬時に消え失せた。

綾乃が聡也と密会を重ねるようになって半年。しかし、どんな手を使っても、聡也は決して一緒に夜を過ごそうとはしなかった。

理由は決まって「琴音のところに帰らなければならないから」ということだ。

綾乃には理解できなかった。将来、相続権すら持たない養女の琴音に、聡也をあれほど夢中にさせる資格がどこにあるというのか。

十年一緒にいたから?だからといって、聡也は結局自分と寝たではないか。十年の愛情も、所詮はその程度のものなのだろうか。

聡也が車に戻ってきた時、彼の体から漂う香水の匂いはひときわ強くなっていた。琴音は窓を開けたが、鼻腔にまとわりつく甘ったるい香水の匂いは消えなかった。

聡也が家に戻りシャワーを浴びた後でさえ、琴音はまだ綾乃の匂いを嗅ぎ取ることができた。

電気を消し、聡也とベッドに横たわる。二人きりのはずなのに、琴音はいつも二人の間に綾乃が横たわっているように感じた。

琴音が寝返りを打つとすぐに、聡也が背後から抱きしめてきた。熱い体温と共に、聡也が欲情した時特有の荒い息遣いが、琴音の耳元に吹きかかる。

「ねえ、俺が欲しい……」

聡也の声はセクシーで掠れていたが、以前のように琴音を熱くさせることはなかった。

琴音の頭の中は、「あれほどだった聡也が、化粧室で綾乃と一度済ませたばかりなのに、家に帰ってからもまだ求めるなんて」という考えでいっぱいだった。

「少し気分が悪いの」

琴音は頭を布団に埋め、聡也からの誘いを拒んだ。

聡也は、いつものように根気強く、琴音を優しく気遣った。

しかし、琴音は自分を騙すことができなかった。拒絶された聡也も怒ることはなく、燃え上がる欲望を懸命に抑え、琴音から身を引いた。

「気分が悪いなら早く休め。寝かしつけてやるよ」

そう言うと、聡也は琴音の背中を優しく叩き始めた。その手つきはまるで子供をあやすように柔らかい。

しかし、あやされているはずの琴音よりも先に、聡也の方が眠りに落ちてしまった。

背後から規則正しい寝息が聞こえてきても、琴音はまだ眠れずにいた。彼女は上半身を起こし、窓から差し込む月明かりを頼りに、隣で眠る男の顔をじっと見つめた。

十年も手を取り合って生きてきた男のはずなのに、なぜこれほど見知らぬ人のように感じるのだろうか。

琴音は音を立てずにベッドを降り、スリッパも履かずに、引き出しからアルバムを取り出した。分厚いアルバムには、琴音と聡也の思い出が詰まっていた。

琴音はアルバムを抱えてバルコニーへ行き、用意した金属製の容器の中で火を熾すと、燃え上がる炎の中に写真を一枚一枚投げ入れていった。

まだあどけない少年少女だった頃から、少しずつ成熟していく夫婦の姿まで。まるでこれらの写真を燃やせば、彼らの思い出も同時に消え去っていくかのようだった。

聡也はかつて言った。「このアルバムがいっぱいになった時、君にサプライズをあげる」と。

そして、アルバムが埋まるまであと一枚というところで、琴音はそれらをすべて灰にしてしまった。

彼女は行くのだ。聡也のもとを去り、何の痕跡も残さずに。

半年前、琴音は海外から一本の電話を受けた。相手は琴音の家族だと名乗り、遺伝子検査の結果、百パーセント血縁関係が証明された親族だという。

琴音はこの朗報をすぐにでも聡也に伝えたかった。しかし、あいにく、その夜、琴音は聡也が綾乃と食事をしているのを目撃してしまったのだ。

テーブルの下で、二人の足が絡み合っていた。

だから琴音はためらった。自分がもはや孤児ではないことも、自分の家族の資産があれば、聡也の会社を十社分も支えられるほどだということも、聡也には告げなかった。

真心を裏切った者は、罰を受けるべきだ。
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