離婚して実家に帰ったら、億万長者の跡取りだった件

離婚して実家に帰ったら、億万長者の跡取りだった件

By:  星の煌めきUpdated just now
Language: Japanese
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瑞穂市の誰もが知っていた。琴音は養女でありながら、世界で一番幸せな女性であると。 琴音は聡也と若い頃に恋に落ち、二人三脚で裸一貫から事業を興し、立派な財産を築き上げた。 結婚後、聡也は琴音をさらに深く愛し、掌中の珠のように大切にした。 しかしある日、琴音はチャリティーパーティーの楽屋の化粧室で、夫が実の姉である綾乃と密会しているのを目の当たりにしてしまった。その理由は、綾乃こそが琴音家の令嬢であり、聡也の会社をさらなる成功へと導ける切り札だったからだ。 その光景は、琴音が十年抱き続けてきた信念を一瞬にして打ち砕き、ついに去る決意を固めた。 琴音は、長年大切にしていた指輪を音もなく捨て、二人の思い出の品をすべて焼き払い、家族のもとへ帰り、聡也の世界から完全に姿を消した。 普段は冷静な聡也だったが、この事態に正気を失い、血走った目で、琴音を見つけ出すためならば地の果てまでも追いかけるかのような気迫に満ちていた。

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Chapter 1

第1章

チャリティーパーティーの楽屋の化粧室。速水聡也(はやみ そうや)はたくましい腕で女を壁際に強く押さえつけ、激しい動きに合わせて汗が滴り落ちていた。

川澄琴音(かわすみ ことね)はドアの隙間から中のあまりにも生々しい光景を目の当たりにし、その眼差しは最初の衝撃から次第に光を失い、虚ろになっていった。

唇をきつく噛みしめ、息を殺し、自分の夫が今まさに別の女を前にして情欲に顔を染めているのを、ただ見つめることしかできなかった。

琴音こそが聡也の妻であるはずなのに、今の彼女はまるで日陰に追いやられた愛人のように感じられた。

自分の知らないところで夫が姉の川澄綾乃(かわすみ あやの)と何度不貞を繰り返していたのか、琴音には想像もできなかった。

気のせいかもしれないが、琴音は綾乃がこちらを一瞥し、甘ったるい声で「私と琴音、一体どっちを選ぶの?」と尋ねるのに気づいた。

その言葉に琴音の瞳が震えたが、問いの答えに期待などしていなかった。

瑞穂市の誰もが知っていた。琴音こそ、聡也が心から愛し、宝物のように大切にしている人間であると。

それまで、琴音もそう信じていた。聡也と手を携えて歩んだ十年の絆は揺るぎないものだったからだ。しかし、目の前の光景は、彼女が十年持ち続けた確信を粉々に打ち砕いた。

中の返事を聞く前に、琴音はすでに踵を返してその場を離れていた。

実のところ、これでよかったのかもしれない。この光景を目の当たりにしなければ、彼女はずっと離れる決心がつかなかっただろうから……

琴音が背を向けた次の瞬間、聡也の大きな手が川澄綾乃の顎を鷲掴みにし、冷酷な口調で言った。

「とっくに言ったはずだ。俺の妻は琴音だけだ。琴音と比べて、お前が何様のつもりだ?」

二人が体を重ね合わせている一方で、聡也の眼差しは敵意に満ちた冷たさを帯びていた。

琴音がチャリティーパーティーの会場に戻った時、すでに全身に冷や汗をびっしょりとかき、瞳から光は消え失せ、頭の中では先ほどの光景がスライドショーのように繰り返されていた。

長年愛し合い、毎日飽くことなく彼女に愛を囁いていた夫が、他の女の体で汗を流している。

数ヶ月前からその兆候には気づいていたものの、まさか綾乃がこれほど大胆不敵にも自分の目の前でこれ見よがしに振る舞うとは思いもよらなかった。

「あら、速水夫人、お一人で戻られたの?ご主人はご一緒じゃないの?」

琴音はしばらく呆然としていたが、周囲の笑い声に我に返った。彼女たちは楽しげに琴音を囲み、その瞳には羨望の色が満ちていた。

瑞穂市の誰もが知っているのだ。琴音は養女でありながら、誰よりも幸せな女であると。

彼女は聡也と若い頃に恋に落ち、二人三脚で裸一貫から事業を興し、目覚ましい成功を収めた。

聡也は有能で容姿端麗なだけでなく、琴音に夢中で、彼女のこととなると周りが見えなくなるほどの愛妻家だった。ことあるごとに「琴音」と口にするのが常だった。

友人たちの好奇と羨望の入り混じった視線を受け、琴音は唇を震わせ、また先ほどの光景を思い出し、やっと絞り出すように言った。

「聡也は仕事をしている時に邪魔されるのが嫌いだから、私は声をかけられなかったの」

聡也が楽屋へ行った時、口実にしたのは仕事の処理だった。彼は琴音が仕事の邪魔をしないことを知っていたが、あの光景を彼女に見られるとは予想していなかった。

「冗談よしてよ、あなたが聡也さんに遠慮するなんてこと、ありえないでしょう?」

「そうよ、速水社長があんなにあなたを愛しているんだもの、仕事の邪魔をしたって、まさかあなたを叱ったりしないでしょう?」

琴音は唇の端に青ざめた笑みを浮かべ、皆のお世辞を聞きながら、胸が張り裂けるような苦しさを噛み締めていた。

以前は彼女も聡也が自分を愛していると信じていた。しかし今は、もう何もかもが分からなくなってしまっていた。

突然、大きな手が後ろから琴音の肩を抱き寄せ、聡也の甘やかすような優しい声が、いくらか笑みを含んで響いた。

「みんな、いい加減なこと言わないでくれよ。俺は妻には頭が上がらなくて、琴音を叱ったことなんて一度もないさ」

聡也は子供をあやすように、琴音の頭を何度も撫でた。これは彼らが中学時代から続けている習慣で、結婚して四年経った今でも変わらなかった。

しかし琴音は、背後から漂う香水の混じった汗の匂いに、こみ上げてくる吐き気を必死でこらえ、無意識に聡也の接触を避け、眉をひそめて一歩後ずさった。

「あなた、汗臭いわ」

だが聡也は引き下がらず、くっつき虫のように琴音を抱きしめ、彼女にまとわりついて離そうとしなかった。

「お前だって俺が汗っかきなの知ってるだろ。昔はこんな風に邪険にしたりしなかったじゃないか」

聡也は人目を気にすることもなく、所構わず琴音といちゃつきたいという風情だった。

琴音は身をかわそうとしたが避けきれず、顔に聡也の汗が触れ、その中には綾乃の汗も混じっていた。

彼女は眉間に深く皺を寄せ、まるで腐ったものでも口にしたかのように、強烈な吐き気に言葉を失った。

以前はもちろん聡也を嫌うことなどなかった。しかし今は、綾乃を嫌悪し、そして綾乃によって汚された聡也をも、心の底から嫌悪していた。

「聡也君」

背後から男の声がして、ようやく聡也は琴音から手を離した。

「お父さん」

聡也は振り返って声をかけた。

向かいから歩いてきた男は、琴音の養父――川澄利雄(かわすみ としお)だった。

利雄の傍らには綾乃もいた。

綾乃の姿を見た瞬間、琴音は不自然に視線を逸らし、「お父さん」という声も消え入りそうなほどか細く、まるで自分が夫を奪った不実な女であるかのように身を縮めた。

「会社の方で契約書はもう作成済みなんだが、収益分配の件で、もう一度君と相談したい。

3対7では、俺と綾乃にとっては不公平だと思うんだが、どうだろうか?」

利雄は聡也を見つめ、有無を言わせぬ自信を漂わせていた。まるで承諾は確実だと確信しているかのようだった。

琴音の視線も聡也に移り、その眼差しはさらに冷ややかさを増した。

聡也は毎日彼女に、会社の大小様々な事をこと細かに話してくれていた。それなのに、なぜ自分は、聡也が利雄と提携することを今日この瞬間まで知らなかったのだろうか。

以前、聡也は確かに言っていた。彼女が子供の頃、利雄に虐待されたことがあるから、一生彼とは関わらないと。

琴音は伏し目がちになり、聡也が毅然とした口調で話し始めるのを聞いた。やはりビジネスの場ではあの非情な速水社長であり、綾乃がそばにいても、意に介さない様子だった。

「それは以前話し合って決めた分配比率のはずですが、今になってご不満だと?」

綾乃は目を上げ、媚びるように聡也に視線を送った。

「あなたは私の妹の夫でしょう、みんな家族なのよ。そんなにはっきり計算する必要があるかしら?」

表向きは親しげに情を訴えながら、琴音がうつむいた時、彼女の手が聡也の小指に絡みついているのが見えた。絡み合う二人の指は、まるで先ほどの化粧室での二つの熱くもつれ合う肢体を想起させた。

再び琴音の胸に鋭い痛みが走った。

彼女は素早く視線を逸らし、何も気づかぬ愚かな妻を演じきった。

そして、綾乃が彼の指に絡みついた瞬間、聡也は口調を変えた。

「それなら琴音の顔を立てて、4対6にしましょう。明日契約です。これ以上の変更はなしですよ」

「いいとも、聡也君が気前がいいことは知っていたよ!」

利雄は満面の笑みで声を上げ、その様子が、琴音の顔色をさらに青ざめさせた。

聡也はビジネスにおいては冷徹で、誰であろうと彼から一銭たりともまけさせることはできなかった。しかし、綾乃が口を開くと、彼は10パーセントも譲歩したのだ。

どうやら聡也の心における綾乃の存在は、自分が考えていたよりもはるかに大きいようだ。

あの親子への対応を終えて初めて、聡也は琴音の尋常でない顔色の悪さにようやく気づいた。

先ほどまで威圧感のあった聡也は、途端に戸惑いと慌てを隠せずに、身をかがめて説明した。

「琴音、君があの親子を好いていないのは分かっている。俺が川澄家と提携するのも、君と彼らの関係を取り持つためなんだ。どうあれ、君たちは家族なんだからな」
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第1章
チャリティーパーティーの楽屋の化粧室。速水聡也(はやみ そうや)はたくましい腕で女を壁際に強く押さえつけ、激しい動きに合わせて汗が滴り落ちていた。川澄琴音(かわすみ ことね)はドアの隙間から中のあまりにも生々しい光景を目の当たりにし、その眼差しは最初の衝撃から次第に光を失い、虚ろになっていった。唇をきつく噛みしめ、息を殺し、自分の夫が今まさに別の女を前にして情欲に顔を染めているのを、ただ見つめることしかできなかった。琴音こそが聡也の妻であるはずなのに、今の彼女はまるで日陰に追いやられた愛人のように感じられた。自分の知らないところで夫が姉の川澄綾乃(かわすみ あやの)と何度不貞を繰り返していたのか、琴音には想像もできなかった。気のせいかもしれないが、琴音は綾乃がこちらを一瞥し、甘ったるい声で「私と琴音、一体どっちを選ぶの?」と尋ねるのに気づいた。その言葉に琴音の瞳が震えたが、問いの答えに期待などしていなかった。瑞穂市の誰もが知っていた。琴音こそ、聡也が心から愛し、宝物のように大切にしている人間であると。それまで、琴音もそう信じていた。聡也と手を携えて歩んだ十年の絆は揺るぎないものだったからだ。しかし、目の前の光景は、彼女が十年持ち続けた確信を粉々に打ち砕いた。中の返事を聞く前に、琴音はすでに踵を返してその場を離れていた。実のところ、これでよかったのかもしれない。この光景を目の当たりにしなければ、彼女はずっと離れる決心がつかなかっただろうから……琴音が背を向けた次の瞬間、聡也の大きな手が川澄綾乃の顎を鷲掴みにし、冷酷な口調で言った。「とっくに言ったはずだ。俺の妻は琴音だけだ。琴音と比べて、お前が何様のつもりだ?」二人が体を重ね合わせている一方で、聡也の眼差しは敵意に満ちた冷たさを帯びていた。琴音がチャリティーパーティーの会場に戻った時、すでに全身に冷や汗をびっしょりとかき、瞳から光は消え失せ、頭の中では先ほどの光景がスライドショーのように繰り返されていた。長年愛し合い、毎日飽くことなく彼女に愛を囁いていた夫が、他の女の体で汗を流している。数ヶ月前からその兆候には気づいていたものの、まさか綾乃がこれほど大胆不敵にも自分の目の前でこれ見よがしに振る舞うとは思いもよらなかった。「あら、速水夫人、お一人で戻られ
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第2章
琴音が見上げた視線は、聡也の顔に鉤のように鋭く突き刺さり、見る者をぞっとさせるほどだった。一体、琴音と川澄家の人々が家族と言えるのか?それとも聡也と彼らが家族なのか?琴音はもともと児童養護施設で育った。生活は裕福とは言えなかったが、少なくとも衣食に困ることはなかった。しかし五歳の時、利雄が琴音を施設から引き取った。その時の琴音は、自分にも家族ができたのだと無邪気に信じていた。後に知ったことだが、綾乃は先天性の重い遺伝病を患っており、命を繋ぐためには定期的な輸血が必要だった。そして、琴音は綾乃のための「生きた血液バンク」に過ぎなかったのだ。毎月、定期的に綾乃に血を提供するだけでなく、綾乃の身の回りの世話も琴音の役目だった。綾乃が転べば、琴音が殴られた。綾乃が宿題をしなければ、琴音が殴られた。綾乃自身が癇癪を起こして食事を拒否しても、殴られるのは琴音だった。幼い頃から、琴音の体には傷のない場所など一つもなかった。琴音と聡也が出会ったのは中学の頃。聡也は両親を亡くし、親戚の家で肩身の狭い思いをしていた。同じ境遇の二人は、まるで嵐の中で出会った同志のように強く惹かれ合った。十五の年から、彼らは互いの手を固く握り合い、ほんの些細なことで相手を失うのではないかと恐れていた。しかし今、琴音が聡也を見つめる目は、まるで見知らぬ人を見るかのようだ。彼は琴音が川澄家でどれほど苦しんできたかを目の当たりにしてきたはずなのに、どうして「琴音と川澄家の関係を修復するためだ」などと言って、彼らと協力できるのだろうか?琴音は結局、それ以上追及することなく折れた。「分かってるわ、私のためにしてくれているのよね」聡也の心はまだ自分にあると琴音は信じたかった。ただ、その一部が綾乃に分け与えられただけなのだと。しかし、心は一人だけのものであるべきで、誰かと分け合う心など、琴音には汚らわしいものに思えた。琴音が折れたことで、聡也も安堵の息を漏らし、張り詰めていた心がすとんと軽くなった。ああ、よかった。琴音は疑っていない。琴音が反対すれば、すぐにでも川澄家との協力を中止するつもりだった。しかし、琴音が何も言わなかったので、彼は続けることができる。ゼロから成り上がるのは険しい道のりだ。川澄家の支援があれば、少なくとも会社は
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第3章
琴音が写真の束を燃やし終えるのに二時間もかかった。素足のまま寝室へ戻り、再びベッドに潜り込んだ。氷のように冷たい琴音の足が、不意に聡也に触れた。聡也は熟睡していたが、無意識にその足を掴むと、自分の腹に引き寄せて温めた。無意識の行動は嘘をつけない。だが、聡也の心はすでに琴音から離れていた。琴音は写真を燃やし、灰の始末も済ませたが、バルコニーには一晩経ってもまだ焦げ臭さが漂っていた。聡也は鼻が利くので、すぐにそれに気づいた。「何か燃やしたのか?」琴音は少し鼻にかかった声で「うん」とだけ答え、動揺した様子は微塵も見せなかった。「昨日の夜、亡くなった赤ちゃんを思い出してしまって。あの子への手紙をね、少し空に届けたくて燃やしたの」聡也は食事の手をぴたりと止め、琴音を見た。その目には、瞬く間に痛ましげな色が浮かんだ。二人にはかつて、子供がいた。琴音は幼い頃から綾乃のために長らく「血の供給源」となることを強いられ、体がずっと弱かった。その子は、ようやく授かった命だったが、当時、琴音と聡也の会社はまだ立ち上げ段階で、とても手が離せない状況にあった。その子は、琴音の過労が原因で流産してしまった。守ることができなかったのだ。会社が軌道に乗ると、聡也は琴音に仕事を辞めさせ、家で療養させた。それ以来、琴音は無理をすることもなくなったが、再び子供を授かることはなかった。「また子供はできるさ」聡也は手を伸ばして琴音を抱きしめ、震えを抑えた声で言った。まるで琴音と共に悲しんでいるかのようだった。琴音は何も言わず、ただ静かに首を横に振った。もうできないわ。私たちに子供はもうできないし、未来ももうない。「仕事に行ってくる。家でゆっくり休んでな」出勤前、聡也はいつものように琴音に声をかけ、頬にキスをした。しかし、聡也が出かけようとすると、琴音は後を追って言った。「家にいても退屈だから、あなたと会社へ行ってみようかしら」琴音が会社へ行くと言うと、聡也の表情が一瞬揺らいだが、すぐに何事もなかったかのように取り繕った。その変わり身の速さは、まるで気のせいだったかと思うほどだった。運転手が車を回してくると、後部座席に綾乃が座っているのが見えた。それを見て、琴音はようやく聡也がなぜ動揺したのかを理解した。
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第4章
琴音が家に着いて間もなく、海外にいる従兄から電話があった。「戸籍を抜く手続きと出国の件、もう手配は済んだよ。一週間後に迎えに行く。そうなれば、もうこの世に琴音という人間はいなくなる」琴音はカレンダーをめくり、一週間後の日付を見つけると、静かな声で言った。「お兄様、迎えは夜にしてもらえる? その日は私の誕生日なの。誕生日を過ごしてから行きたいの」電話の向こうから軽い笑い声が聞こえた。「君の誕生日は本当はその日じゃないんだけどね。児童養護施設が便宜上つけた日だ。でもまあ、いいさ。こんなに長い間君を探していたんだ、一日ぐらいどうってことないよ」電話を切り、琴音は赤いペンでカレンダーの八日後の日付を丸で囲んだ。本当はその日が彼女の誕生日であろうとなかろうと、どうでもよかった。琴音と聡也は、琴音のその「誕生日」に入籍したのだ。それは彼らの結婚四周年であり、付き合ってちょうど十年の記念日でもあった。琴音はその日に聡也ときちんと別れを告げ、何の未練もなく去るつもりだった。従兄との電話を切ったばかりだというのに、今度は聡也から電話がかかってきた。「琴音、誰と電話してたんだ?さっき会社に君がいないことに気づいて……もしかして何か見たのか?どうして俺が送っていくのを待たずに帰ったんだ?」電話の向こうの聡也の声はひどく慌てており、まるで親に見捨てられた子供のようだった。琴音は落ち着いた声で答えた。「特に何もなかったから、先に帰ったの。あなたは契約の対応中だったでしょう?だから邪魔しなかったのよ」聡也の口調がそれでようやく少し和らいだ。「俺は君に邪魔されるのなんて平気なのに。何も言わずに帰るから、心配したじゃないか」琴音は唇の端を上げてかすかに微笑んだが、何も答えなかった。聡也が心配しているのは自分自身のことなのか、それとも見てはいけないものを見られたことなのか、琴音には判然としなかった。夜、聡也は家に帰ると、シャワーを浴びてすぐに布団にもぐり込み、琴音を腕の中に抱きしめた。聡也は他の男たちのように、タバコを吸ったり、酒を飲んだり、ゲームをしたりはしない。彼が暇な時に唯一好んですることは、琴音を抱きしめておしゃべりをすることだった。以前は二人でとりとめもない話を夜通し語り明かしたもの
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第5章
今日は祝日ではないにもかかわらず、ディズニーランドは相変わらず多くの人で賑わっていた。その大半はカップルで、家族連れは少数派だったが、ちらほらとその姿も見受けられた。琴音だけが、たった一人で来ていた。彼女はどのアトラクションにも乗らず、どこか一箇所で、日が昇ってから沈むまで、一日中ぼんやりと座っていた。聡也からの連絡は、その後一切なかった。空も暗くなり、時刻はすでに午後八時を回っていた。琴音はスマートフォンで聡也にメッセージを送った。【ディズニーランド、九時閉園よ。花火大会まであと三十分】一日中音沙汰のなかった聡也から、今回はすぐに返信があった。【すまない、琴音。会社の仕事がかなり厄介で、もう少し時間がかかりそうだ】数分後、聡也からまたメッセージが来た。【パークのスタッフには話を通してある。俺がお金を出して、花火大会を三十分延長してもらった。パークは九時半閉園だ。それまでには必ず駆けつける!】スマートフォンの画面越しに、琴音は聡也の誠実な口調を感じ取れるかのようだった。しかし、九時半では……それでは間に合わない。彼女は従兄の高遠澄也(たかとお すみや)と、九時にパークの出口で合流し、そのまま空港へ向かって出国する約束をしていたのだ。轟音と共に花火大会が盛大に始まった。空には色とりどりの花火が絶え間なく舞い踊る。琴音は両耳を塞いだが、それでも周囲の人々の興奮した歓声が聞こえてきた。彼女は夜空に咲く花火を見上げた。確かにとても美しい。しかし、想像していたほど心を揺さぶるものではなかった。それはまるで、彼女と聡也のこの十年が、彼女が想像していたほど確かなものではなかったのと同じようだ。琴音はふと気づいた。もし自分が本気で綾乃とあの賭けをしていたら、勝てるとは限らなかったかもしれない、と。スマホの時刻が九時を指した。九時ちょうど、澄也からの電話もかかってきた。「パークの駐車場にいる。いつでも出発できるよ」琴音は空を見上げた。九時に終わるはずだった花火大会は、今もまだ盛大に打ち上がり続けている。聡也が彼女のために用意したものだ。しかし、彼女はもうそれを見るつもりはなかった。琴音は背を向け、人混みに逆らって出口へと向かい、駐車場で澄也の車を探し始めた。それと同時に、聡也から電話がかかって
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第6章
真夜中の豪雨。ゴロゴロと雷鳴が轟き、銀色の稲妻が夜空を切り裂く。間もなく激しい雨が降り注ぎ、A市のあらゆる汚れを容赦なく洗い流していくかのようだ。写真は消えていた。琴音は去った。彼女はこの家から、自分の痕跡が残るものをすべて持ち去ってしまったのだ。聡也の心臓は、まるで刃物で抉り取られたかのように痛んだ。彼は胸を押さえ、よろめきながら階段を駆け下りた。全部、自分のせいだ!琴音の誕生日を一緒に過ごさなかったのも、約束を破ったのも、すべて自分のせいだ!琴音はきっとまだディズニーランドで彼を待っているはずだ。もう一度彼女を探し出さなければ!聡也は雨の中、車に乗り込んだ。大粒の雨が彼をびしょ濡れにしたが、全く気にも留めず、アクセルを思い切り踏み込んだ。車は雨の帳の中を疾走する。ディズニーランドはすでに閉園しており、夢のようなアトラクションも、雨の夜には不気味な静けさを漂わせていた。聡也はドアを押し開けて車を降りると園内に駆け込み、狂ったように琴音の姿を探し回った。突然の豪雨で、花火大会の客はとっくに引き上げていた。広場は見渡す限り誰もいない。雨水で視界がぼやけ、聡也がどこを見ても、あの見慣れた姿は見当たらない。最後に、排水溝に引っかかった見覚えのある結婚指輪を見つけただけだった。琴音が花壇に投げ捨てた結婚指輪が、豪雨に流され、排水溝に引っかかっていたのだ。潔癖症の聡也だが、汚れた水が膝を濡らすのも構わず、排水溝のそばに膝をつき、結婚指輪を拾い上げて手のひらに乗せた。心臓がズキズキと痛む。結婚してから、琴音は一度も結婚指輪を外したことがなかった。むしろ、彼が綾乃と会っていた時、綾乃にこの指輪が邪魔だと言われ、何度か外したことがあった。今、琴音が指輪を外して捨てたということは、きっと彼に心底失望したに違いない。まさか、彼女は彼と綾乃の関係を知ってしまったのだろうか?後悔の念が、一気に心を飲み込んでいく。レインコートを着て設備の点検をしていた作業員が、彼のただならぬ様子に気づき、声をかけてきた。「お客様、何かお困りですか?」「妻を探しているんです……」聡也は指輪をポケットにしまい、その目には悲しみの色が浮かび、頬を伝うのは雨なのか涙なのか、もはや区別がつかなかった。「妻の誕生日を
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第7章
「綾乃、心配するな。お父さんがもうあのろくでなしを怒鳴りつけたから、すぐに琴音を連れて献血に来るはずだ」利雄は綾乃をなだめた。彼は普段、よく琴音を虐待していたが、どんな親でも我が子には甘いものだ。実の娘である綾乃には何一つ不自由をさせていなかった。「お父さん」綾乃は苦しげに細い眉をひそめ、わずかに膨らんだ下腹部に手を当てた。「琴音の体はもう子供を産めないと聞いたわ。私、この子をだしにしてでも、必ず速水夫人の座を手に入れてみせる」聡也が琴音を連れて献血に来たら、徹底的に痛めつけ、自分から出て行くように仕向けるつもりだった。彼女がそう考えていると、全身ずぶ濡れで、暗い顔つきの聡也がゆっくりと病室に入ってきた。しかし、その後ろに琴音の姿はなかった。利雄は遠慮なく詰め寄った。「琴音はどうした?」彼は先ほどのように威張ろうとした。しかし、聡也が冷ややかに一瞥すると、利雄は口をつぐんでしまった。「もう他の病院から血液を手配した。今後、もし琴音を綾乃の輸血に利用するようなことがあれば、ただではおかない」聡也の口調は凍てつくように冷たかった。彼が口を開けば琴音をかばうのを見て、綾乃の心には嫉妬の炎が燃え上がり、わがままを言って騒ぎ立てた。「そんなの駄目よ!私は小さい頃からずっと琴音の血で生きてきたのよ。体はもうそれに慣れているの。他の人の血を使って拒絶反応が出たらどうするの!」彼女はお腹をそっと撫で、涙ながらに訴えた。「あなたはもう一人子供を失っているのよ。また失いたいの?」涙を流す綾乃を見て、聡也の脳裏にかつて子供を失った琴音の姿が重なり、心がわずかに揺らいだ。彼は綾乃にこの子を産ませることで、琴音への償いとしたいと考えていた。「琴音は……いなくなった」綾乃はさらに可憐なふりをしようとしたが、思いがけない言葉に動きを止めた。琴音が、いなくなった?「どこへ行ったの?」綾乃は思わず問い返した。聡也は答えず、凍えるような目で彼女を睨みつけた。まるで彼女を食い殺さんばかりの気迫だった。「妊娠したからといって、安心するな。もし琴音がいなくなったことにお前が関わっていると分かったら、絶対に許さない」そう言うと、彼は踵を返して病室を出て行った。「お父さん……」綾乃は利
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第8章
そして、志保が帰ってくれば、依莉はもう家で唯一の女の子ではなくなる。三番目の叔母である晴子も、もはや依莉を実の娘同然には可愛がってくれないだろう。他の家族も、これまで自分一人に注がれていた愛情を、きっと志保に分けてしまうに違いない。そんな結末を想像しただけで、依莉はカッとなりそうになり、その目にはますます苛立ちが募るのだった。だめ!絶対に何か方法を考え、志保の評判を落としてやる!その頃、シートベルトを外したばかりの志保は、自分がすでに誰かに敵意の目を向けられているなどとは知る由もなかった。飛行機のドアがゆっくりと開くと、澄也が先に降り、タラップの上で紳士らしく手を差し伸べた。皆が期待の眼差しを向ける中、白魚のような細く白い手が機内から伸び、そっと澄也の掌に置かれた。続いて、実にしなやかな姿が現れた。A国の冷たい風は、昨夜の豪雨の湿り気をまだ含んでおり、彼女の艶やかな長い髪を揺らし、整った瓜実顔を覗かせた。どこか憂いを秘めた魅力的な瞳、彫りの深い顔立ち。一点の曇りもない肌は透けるように白くきめ細やかで、まるで月光の下に咲く幽玄な蘭の花のようだ。身にまとったオフホワイトのニットワンピースが、ほっそりとした体つきを際立たせ、彼女全体を優しく淑やかで、それでいてどこか近寄りがたい雰囲気に包んでいた。澄也は彼女の手を取り、ゆっくりとタラップを降りながら、間近に見るその優美な顔立ちに、改めて心の中で感嘆せずにはいられなかった。志保の魅力的な瞳は、三番目の叔父である徳明のそれと瓜二つで、他の顔立ちや輪郭は三番目の叔母である晴子に似ていた。晴子はラウンジのガラス壁越しに、自分と七割も面影が通う娘の顔を見つめていた。込み上げる熱い想いに、思わず手で口元を覆うと、静かに嗚咽が漏れた。その瞳には、愛おしさにも似た痛ましさと、心からの安堵の色が滲んでいた。「あなた、私たちの娘が……やっと帰ってきたのね!」「ああ、間違いなく俺たちの娘だ!」徳明の目にも、とうに涙が光っていた。もし財界の人間がこの光景を目にしたら、きっと腰を抜かすほど驚いたことだろう。まさか、ビジネスの世界で辣腕を振るい、「海千山千」とまで呼ばれた冷徹な徳明が、涙を流す日が来るなどとは!「よろしい」高遠家当主、高遠宗厳は杖で床をトンと打ち、顔をしか
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第9章
「志保ちゃんが落ち着いてから渡しても遅くありませんよ」依莉の顔には一見、心からの笑顔が浮かび、話し方も穏やかで、すべて志保のことを考えているかのようだった。しかし、志保は彼女からどこか腑に落ちない敵意を感じ取っていた。長年の人を見抜く経験から、この敵意が気のせいだとは思えなかった。この依莉という女、ただ者ではない。彼女が先ほど言ったことは、決して見た目ほど単純ではないだろう。とはいえ、来たばかりで、家族に好感を持たれたいと思い、志保は依莉の言葉に乗った。「お爺様、朝早くから私を迎えに来てくださって、まだお食事を召し上がっていないでしょう。まずは家に戻って食事にしませんか?」「そうだな」宗厳は可愛い孫娘を空腹にさせるのを心配し、鷹揚に手を振った。「では、まずは家に戻って食事にしよう」空港の外には、高遠家の人々を迎えに来た車が停まっていた。彼らは家族ではあるが、同じ車には乗らず、それぞれの家族ごとに分かれて乗車した。車に乗った後、母の晴子は志保の手を引き、これまでの年月について尋ね、時に心を痛めて泣き、時に安堵して微笑んだ。父の徳明は傍らで相槌を打ち、車内は非常に賑やかだった。それと比べて、一人で一台の車に乗る宗厳は、どこか寂しそうに見えた。宗厳は弁護士に電話し、自分の名義の株式の6%を志保に譲渡するよう指示した。一刻も早くこの贈り物を孫娘に渡し、余計なトラブルを避けたかったのだ。そして、その中で最も宗厳の意に沿いたくない依莉は、車に乗ると運転手に急がせ、他の人々より先に家に着くと、厨房に駆け込んだ。執事はとっくに連絡を受けており、長年行方不明だったお嬢様が故郷から帰ってくることを知っていたので、特別に厨房に豪華な郷土料理を作らせていた。依莉はぐるりと見回した。並べられた心のこもった料理は、色も香りも味も絶品で、目にも鮮やかだ。食材には手を出せないなら、食器で細工しよう。依莉はすぐさま、箸を持って食器を並べようとしていた使用人を呼び止めた。「志保ちゃんがせっかく故郷から戻ってきたのに、あなたが箸を用意するなんて、私たちが彼女を見下しているように思われるわ」「ですが、郷土料理にはお箸を使うものかと……」「ここは外国よ!」依莉は語気を強めて強調し、その顔は外国かぶれを隠そ
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第10章
康太は、妊娠の準備を三年してようやく授かった子で、今年16歳になった。過去のいきさつがあったため、徳明と晴子は康太に対して非常に厳しくしつけた。その結果、康太は反抗心が人一倍強く、親に何かと反発するようになった。家では姉の依莉の言うことしか聞かない。晴子は志保の顔色を注意深くうかがい、彼女が本当に気にしていないのを見てから言葉を続けた。「反抗期の子どもは何を言っても聞く耳を持たないのよ。もし康太があなたに何かしたら、お母さんに言いなさい。代わりに叱ってあげるから」「わかったわ」志保は落ち着いた様子で答えた。どんなに手に負えないといっても、反抗期の綾乃ほど厄介なことがあるだろうか? 16歳の頃の綾乃は毎日学校をさぼり、お酒を飲んだりクラブで騒いだりして夜も家に帰らず、もともと弱かった体をさらに弱らせていた。利雄は心を痛め、腹を立てながらも、綾乃を殴ることまではできず、代わりに志保に八つ当たりした。志保はたびたび綾乃のために献血を強いられ、ひどく殴られたことで、体もその頃から徐々に弱っていったのだ。暖かい日差しを感じながら、志保はそっと目を細め、庭のブランコを見つけて腰掛け、静かに揺られていた。しかし、彼女の平穏を望まない人物がいた。康太は飛行機を降りると、大急ぎで家に戻った。依莉はとっくに玄関で首を長くして待っており、車から飛び降りてきた髪を赤く染めた少年を見ると、急いで駆け寄った。「康太、やっと帰ってきたのね。あなたの本当のお姉さんはもう着いているわ。私が会わせてあげる」「あいつが俺の姉なわけないだろ!」康太は冷たく鼻を鳴らし、あたりを見回して依莉一人しか自分を待っていないことに気づくと、胸の内で怒りがこみ上げてきた。「やっぱり依莉姉さんの言う通りだ。俺はあいつの代用品なんだ。今あいつが帰ってきたから、父さんも母さんも、もう俺のことなんかどうでもよくなったんだ」彼が物心ついた頃から、依莉は執拗に一つの考えを彼に植え付けようとしていた。――康太は志保の代用品に過ぎず、志保が戻ってくれば、両親は彼を見放すだろう、と。十数年もの間、そう刷り込まれ続けたその考えは、とっくに彼の心の奥底にまで深く根を下ろしてしまっていた。今、かつては玄関で彼を迎えてくれたはずの母親がいないのを見て、ま
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