河野美緒はまだ言葉を話せなでいた。佐藤潤は分け隔てなく、河野美緒をも抱きしめてから、彼女にもプレゼントをあげた。その後、水谷苑が前に出た。彼女は目の前にいる厳格な男性を見つめ、まだどこか他人行儀に感じていたが、相手が自分に向ける視線には父親のような温かい愛情が込められているのを感じ取った。彼女は声を詰まらせながら、「お父さん」と呼びかけた。佐藤潤は深い眼差しで彼女を見つめた。傍らでは、佐藤剛は何も言わず、佐藤美月は感傷的に涙を拭っていた。しばらくして、佐藤潤は水谷苑の頭を撫でた。彼はデスクに戻り、引き出しを開けて、中から数冊の不動産の権利書と通帳を取り出した。彼はそれらを水谷苑の手に渡し、「佐藤家はこれでも長きに渡って家業を営んできたんだ。だから、多少の財産がある。剛も会社の運営をよくやってくれている!これは家族からの気持ちだ。今後津帆くんの結婚資金や美緒ちゃんのためにでも使ってくれ」と言った。その渡された数軒の別荘には、数十億円の価値があった。通帳の残高も、桁外れの金額だった。水谷苑は恐縮したが、佐藤剛が口を開いた。「父があげたんだから、受け取ってくれ!後で俺たちからの分も用意してあるから。お前は玲司より年上だが、この家での立場は同じだからな!」彼は笑顔で言った。「二人とも父の大切な人なんだ」佐藤潤は彼を軽く叱った。「お前がこんなにおしゃべりになってるのは初めて見るぞ!もう妹ができたんだから、もっと落ち着きなさい!」佐藤剛はそれに対してすらすらと答えた。「苑が気を遣ってしまうといけないと思って......」その光景を目にした佐藤美月は口元を手で覆い、微笑んだ。彼女は高橋を呼び、水谷苑と一緒に、「子供たちはお父さんに任せて、私は高橋さんと苑を連れて宴会のメニューを見に行ってから、庭でも散歩して、環境に慣れてもらいましょう」と言った。佐藤潤は手を振った。「行きなさい、俺はちょうど一人になれて、静かに過ごせるから」そう言っているうちに、佐藤美月は水谷苑を連れて外に出た。彼女は水谷苑にこっそりと話しかけた。「おじい様は口ではそう言うけれど、本当は苑が早く来るのをずっと心待ちにしていたのよ。あなたの寝室や子供部屋、それに高橋さんの部屋まで、全部準備させて......おじい様がこんなに気を配ったの
「いい加減目を覚ませよ!」九条時也は軽蔑するように言った。それを言われ、水谷苑は特に説明しなかった。彼女は淡々と笑っただけだった。「時也、そんなきつい言い方をすることもないでしょ。玲司とは過去に誤解があったけど、今は特にそんなこともないから!私はあなたみたいに、行きずりの女に手当たり次第言い寄ったりしないし、あなたみたいに数え切れないほどの相手とあっちこっちに家庭を作ったりもしないさ......」それを聞いて、九条時也はまるでポイントをつかんだように――「玲司?」彼はさらに冷笑した。「お前と彼はどういう関係だ?玲司なんて呼び捨てできるほどの仲なのか?そんなに佐藤家に媚びへつらって、向こうはまともに相手にしてくれてるのか?家に招かれたと言っても、招待状はもらったのか?晩餐会に出席したければ、俺の妻として招待してもらうんだな」......水谷苑は目を伏せた。彼女は独り言のように呟いた。「あなたの目には、私は結婚している身でありながら、玉の輿に乗ろうとする浅ましい女......そう見えるのね?」そう言うと、彼女はそれ以上多くを語らず、背を向けて去ろうとした。「苑!」九条時也は二歩駆け寄り、彼女の細い手首を掴んだ。彼の声にはわずかな妥協の色が見えた。「佐藤さんと今後も付き合っていきたいなら、晩餐会に連れて行ってやる......だが、俺のところに帰ってきてくれ。そうすれば、お前のために何だってしてあげる。欲しいものも何でもくれてやる!玲司とのことも、水に流してやる!」......水谷苑は静かに彼の手を振りほどいた。彼女は軽く笑った。「寛大な提案をありがとう。でも、必要ないから!」彼は彼女が後悔すると確信していた。彼女の企みはきっと失敗に終わるはずだ。佐藤家ほどの家柄が、結婚歴のある女を受け入れられるものか?九条時也は彼女を見つめ、鋭い視線を向けた。「お前は佐藤家が本当の娘を見つけ出したことは、知ないんだろうな!そうなれば、お前の立場はなくなるぞ。佐藤家に近づいても、結局恥をかくだけだぞ!お前に権力と地位を与えられるのは、俺だけだ」水谷苑は彼の手を振り払った............この一件は、彼女の気分を特に影響することもなかった。翌日、彼女は高橋と子供たちを連れて佐藤家
その後、水谷苑は家の中に戻った。高橋はさっきの出来事がまだ信じられなくて、落ち着かない様子で、家の中を行ったり来たりしていた。そして、興奮を抑えきれない様子で、「潤様が奥様の本当の父親なんですね!B市じゃすごい大物じゃないですか!」と言った。彼女は九条津帆を抱き上げ、彼の頬にキスをした。高橋は言った。「津帆様にはおじいちゃんができたんだから、もう誰にもいじめられることはありませんね!もし津帆様をいじめるような人がいたら、おじいちゃんがきっと守ってくれるから、相手に痛い目に遭わせてやりましょう!」高橋は上機嫌で話していた。彼女は何かを思い出したように、わざとらしく文句を言った。「わざわざ訪ねてきてくれたのに、あなたはお茶も出さないでいたなんて、今度からちゃんと気配りをしてくださいね」水谷苑は椅子に座った。彼女は茫然自失としていて、未だに現実を受け止めきれずにいた......高橋は再び上機嫌で九条津帆をあやしていた。......1週間後、佐藤家から電話があり、水谷苑と子供たちを夕食に招待し、ついでに宴会での公表について話し合いたいと言ってきた。佐藤美月は誠意を込めて言った。「私の誕生日のことなんて心配しないで。誕生日は毎年あるけど、苑はこの家にとって、そしておじい様にとってたった一人の大切な娘なの。それに比べて、他のことは全て後回しよ!家の中も、もうその準備を始めてるから!お父さんはあなたが戻って来ることを大変楽しみにされていて、自ら細かいことまで指示を出しているの。それは以前なら考えられないことよ。彼はいつも仕事で忙しくて、家の中のことなんて気にしたことがなかったのに」......水谷苑も恩知らずな人間ではなかった。それに、彼女も佐藤美月と佐藤玲司が好きで、佐藤潤には尊敬の念を抱いていた。こんな盛大な申し出を断ることはできなかった。電話を切ると、水谷燕のことを思い出した。先日、彼の住む別荘を訪ねた。彼女は自ら彼のために家庭料理を作り、久しぶりに兄妹二人で静かに食事をした。彼女が帰ろうとした時、水谷燕は彼女を呼び止めた。彼は彼女をじっと見つめ、優しく言った。「苑、辛い過去はもう忘れろ。忘れれば、もっと楽しく生きられるはずだ」水谷苑は玄関に立ったまま、振り返って彼を見た。その目
高橋は我に返り、「奥様は子供のお世話をされてます。すぐにお呼びします」と言った。佐藤潤は頷いた。ちょうどその時、九条津帆がミルクを欲しがったので、水谷苑は彼を抱いて出てくるなり、佐藤潤を見た瞬間、少し取り乱した。哺乳瓶はふいに床に落ちてしまい、何度か転がった。佐藤潤は歩み寄り、かがんで哺乳瓶を拾い上げ、「洗ってからでないと子供には使えないよ」と言った。水谷苑はまだ呆然としていた――高橋はもう我に返っていて、どもりながら言った。「こんなことでお手を煩わずなんて。佐藤様、早く置いてください、私がやりますから」しかし、佐藤潤はキッチンに行き、哺乳瓶を洗いながら自然に言った。「昔、玲司が生まれた時、俺もよく哺乳瓶を洗ってやったものだ。津帆くんだな、祖父としてえこひいきはできんよ!」高橋は青天の霹靂だった。なんてこった。自分は一体何を聞いてしまったんだ。九条津帆の祖父......ということは、水谷苑は佐藤潤の実の娘ということなのか?高橋は茫然自失となった。高橋はあっけに取られて、身動きができなかった。佐藤潤は自ら九条津帆にミルクを作ってやった。彼は子供を抱き上げた。普段はあんなに厳格な人が、今は優しい愛情に満ちた顔で、九条津帆に話しかけている。九条津帆も人見知りすることなく、彼の腕の中で可愛らしい声で素直に受け答えをしていた。「知ってるよ、玲司お兄ちゃんのおじいちゃんでしょ」佐藤潤は一瞬、言葉を失った。そして、彼は笑い出した。「そうじゃ、玲司お兄ちゃんじゃ」高橋はやっと正気に戻った。彼女は恐る恐る水谷苑を突いた。「早く、お父さんと呼びなさい!」しかし水谷苑は口にすることを躊躇った。佐藤潤も彼女のぎこちなさは分かっていた。彼はしばらく九条津帆と過ごし、河野美緒をも見に行った......その子供についても、佐藤玲司からすでに話を聞いていて、彼は子供の事を憐れんでいたが、それ以上に水谷苑を不憫に思っていた。この子は、一体どれだけの苦しみを味わい、どれだけつまずきながら、ようやく自分の元まで辿り着いて来れたんだろう。佐藤潤は河野美緒の頭を撫でた。この子も一緒に佐藤家に連れて帰って育てた方が良いだろう。水谷苑は仕事で忙しいし、佐藤美月はこの女の子を育てるのに一番適している。将来はきっと立派な
水谷苑は彼を無視しようとした。だが、彼女にも分かっていた。何か説明しておかないと、彼はしつこく問いただすだろう。彼女は穏やかな表情で言った。「佐藤さんがまた絵を何枚か買ったのよ。少しお茶に付き合うのは当然でしょ?時也......こんなこと、いちいちあなたにいう必要ないよね?」九条時也はそれ以上追求しなかった。彼は話題を変え、九条津帆に会いに行きたいと言った。水谷苑は止めなかった。「津帆は病み上がりだから、汗をかかせないようにね。また風邪を引いちゃうといけないから」九条時也は頷いた。二人が一緒にカフェを出た時、その優れた見た目に、周りから羨むかのような眼差しが多く向けられた......だが、この二人は店を出た途端、別々の方向へと行くのだということを知る者はいなかった。九条時也はマンションに向かった。彼は九条津帆と一緒に過ごし、夜遅くまでそこにいた。九条津帆が寝ても、水谷苑はまだ帰ってこなかった。彼女が自分を避けているのだと、彼は気が付いていた。こんなに時間が経っても、彼女が少しも心を許してくれないことに彼は思わず落胆した。高橋は九条時也を慰めた。「奥様がやり直したくないと思うのも無理はありませんよ!九条様、考えてみてください。奥様はまだ25歳でお若いんです。これからいくらでも楽しいことがあるのに、それを諦めてまで......九条様のような人に縛られて生活をしたいと思うほうがおかしいでしょ?今日は田中さん、明日は桐島さんですよ!それに、あの玲司さんを見てください。先日、一度お会いしましたが、まるで絵画から出てきたような素敵な方でした。見るからに、きちんとしてそうな方でしたよ」......九条時也の眼差しは深く沈んだ。彼は聞き返した。「俺はきちんとしていないってことか?」高橋は振り返って言った。「そうとは言ってませんよ!でも九条様が奥様に他の女の病気をうつさなかっただけでも、神のご加護があったくらいです。きっと神様仏様もちゃんとみていらっしゃったのでしょね」彼女はドアをバタンと閉めた。九条時也はドアに向かって、怒りをぶつける相手もなく立ち尽くした。階下に降りて車に乗り込むと、彼は一枚の招待状を取り出した。佐藤家から送られてきた晩餐会の招待状だった。以前、彼は佐藤家と取引があった。だが、
佐藤美月は、黒髪を枕に広げていた。夫の肩に寄り添い、柔らかな声で言った。「そうよね、お父さん、口には出してないけど、彼女たちに戻ってきて欲しいと思う気持ちは見てわかるんだ。きっと、私たちに気遣ってるだけなのよ」佐藤剛は軽く笑った。「何をそんなに気遣ってるんだろう?彼女がいなかったら、玲司はもうとっくにこの世にいなかったっていうのに、なにも躊躇うことはないさ」佐藤美月は夫を強く抱きしめた。彼女は夫を深く愛し、この家族の一人一人を愛していた。だから、佐藤潤の悩みを少しでも軽くしてあげたいと思っていた。......二日後。水谷苑はプライベートオフィスで在庫を確認していた。秘書に言った。「売れ行きが良すぎるのも考えものね。このリストの画家たちに連絡して、在庫があるか聞いてみて。もしなくても無理強いしないで。制作には時間がかかるものだから」秘書は頷いて出て行った。しかし、すぐに彼女は戻ってきて、困った様子で言った。「苑社長、あの佐藤さんがまた来られました。8億円の小切手をまた切られました」水谷苑は何となく察しがついた。しかし、商売である以上、個人的な感情は挟みたくなかったから、彼女はちゃんともてなそうと思って外に出た。佐藤美月は相変わらずだった。彼女は高級ハンドバッグを手にしながら、優雅で上品な微笑みを浮かべ、心から水谷苑を褒めた。「苑、ここのデザインや内装、それに外観も、本当に心を込めて作られているね......とても気に入った」水谷苑も社交的に微笑んだ。「佐藤さんに褒めてもらえるなんて、光栄よ」佐藤美月はすぐに提案した。「何度か来ているのに、ゆっくりお話したことがないわね。自宅にお招きしようかと思ったけれど、突然だと失礼かと思って......カフェでお茶でもいかがかしら?」そう言われると、水谷苑は断れなくなっていた。5分後、二人は通りの角にあるカフェに座っていた。佐藤美月には彼女なりのこだわりがあった。合図をすると、佐藤家の使用人が重箱を持ってきた。中には小さな菓子が詰められていて、とても美しく可愛らしかった。佐藤美月はそれを取り出し、水谷苑に勧めた。彼女は話すときも穏やかで、人の心を和ませる雰囲気があった。「本当はもっと作って津帆くんにも用意させようと思ったんだけど、津帆くんがお