Masuk蓮司の車は、そこらの車とは違う。安全性能は高く、防音も徹底されている。しかも車窓は外から中が見えない仕様で、記者たちがどれだけシャッターを切ったところで、まともな写真など撮れるはずがなかった。ほどなくして警備員が動いた。十数人から二十人ほどが駆けつけ、記者たちを取り囲むようにして後ろへ押し戻していく。運転手が言った。「社長、車を地下駐車場へ回します。正面からは入りません」すでに運転手はハンドルを切り、タイヤの向きも変えていた。その時、後部座席から蓮司の声がした。「その必要はない」次の瞬間、蓮司は自ら車のドアを開け、外へ降りた。運転手は慌てて後を追い、蓮司のそばに立って身を守るように寄り添った。警備員たちが人垣を作って制止し、記者たちは数歩分押し戻されていた。だが、蓮司が車から降りたのを見るなり、再び一斉にざわめき出す。レンズが向けられ、フラッシュが激しく瞬いた。そばにいた運転手でさえ、眩しさに目を開けていられないほどだった。「新井社長、海外で建設中の新港湾プロジェクトで十数名の死傷者が出た件について、ご存じでしょうか!」「新井グループは今回の事故にどう対応するおつもりですか!現場の安全管理に問題があったのでしょうか、それとも単なる不慮の事故なのでしょうか!」「このプロジェクトは、新井グループが海外展開の重点として進めていた案件だと聞いています。最高経営責任者である新井社長は、このプロジェクトにどの程度関与されていたのでしょうか!」……記者たちの質問は、堰を切ったように次々と押し寄せた。手持ちのカメラも、肩に担いだカメラも、すべて蓮司へ向けられている。今にも顔の前へ突きつけられそうな勢いだった。騒がしい問いかけの中、蓮司は記者たちを見据えた。その表情は冷静で、揺らぎがない。「今回の事故は突然発生したものであり、当グループとしても想定外の事態です。現在、事故原因の究明を第一に進めています。調査結果がまとまり次第、正式に声明を発表します。曖昧なまま済ませるつもりはありません。また、当グループの各プロジェクトにおける安全管理は、必要な基準を満たしたうえで徹底しています。その点については、ご安心ください。ただし、この発言は責任を回避するためのものではありません。今回の事故で亡くなられた方、負傷された方々に、深い哀
新井グループが手がける海外の大型プロジェクトで、人命に関わる重大事故が発生した。しかも、現場に居合わせた何者かが事故の一部始終を撮影しており、その動画がネット上に流出してしまったのだ。事故現場は海外であるにもかかわらず、影響力を持つインフルエンサーたちが次々と動画を拡散したことで、事態は瞬く間に炎上。わずか三十分ほどで閲覧数は跳ね上がり、数億回再生に達する勢いを見せていた。新井グループの国内外の広報部は、事態を重く見て即座に火消しへと動いた。しかし、どれほど迅速に対応しようと、拡散された動画をすべて消し去ることは不可能だ。この大惨事は、すでに業界内にも取り返しのつかない衝撃を与えていた。その頃。新井グループが所有するプライベート病院のVIP病室。蓮司はスマホを耳に当て、大輔と通話していた。眉間には深い皺が刻まれている。声のトーンこそいつもと変わらないが、病室の中を落ち着きなく行き来する足取りが、彼がギリギリで保っている冷静さの裏側を露わにしていた。今回の事故がグループに与えるダメージは計り知れない。十数人もの死傷者が出ている以上、金や権力で簡単に揉み消せる問題ではないことを、蓮司自身が一番よく理解していた。蓮司は胸に渦巻く焦燥を抑え込み、的確に指示を飛ばす。「まずは遺族と負傷者の家族への対応を最優先にしろ。補償の協議もすぐに進めるんだ。広報にはネット上に公式声明を出させろ……取締役会には、後ほど俺から直接報告する」蓮司は混乱の中でも、手順を崩さずに陣頭指揮を執っていた。大輔との通話を切った直後、今度は広報担当の責任者から着信が入った。今回のネットでの拡散スピードは、どう考えても異常だった。現場にいたという人物が事故の全過程を撮影していたにしては、手ブレもなく映像が不自然なほど鮮明すぎるのだ。単なる偶然の産物とは、とても思えない。さらに、インフルエンサーたちによる拡散のタイミングも妙だった。ほとんど数分と空けず、まるで事前に示し合わせていたかのように一斉に動画をシェアしている。裏で何者かが意図的に仕組んだとしか、蓮司には考えられなかった。広報の担当者は、海外拠点から届いた初期調査の報告を読み上げる。動画の撮影者は現場近くを旅行していた一般人で、周辺の風景を撮影していたところ、偶然にも事故の一部始終がフレームに
透子は少し迷ってから返信した。【違うよ。ごまかそうとしたわけじゃないの。ちょうど今、理恵からもメッセージが来て……二人ともタイミングが良すぎる。どちらも真っ先に、聡さんの仕業だって見抜くなんて】その頃、瑞相グループ支社の社長室では、雅人がパソコンのチャット画面を見つめていた。雅人は指先でデスクを二度軽く叩き、キーボードに手を置いた。【君と聡さんの性格を知っている人間なら、誰の仕業かすぐに分かる】【まあいい。ほかに何もないなら、この件はこれで終わりだ。ただ、これからは聡さんと一緒になって妙なお膳立てをするのはやめなさい。あの男の悪知恵に感化されるぞ】透子は雅人から届いた軽い注意を見て、すぐに素直で誠実な謝罪を返した。もう二度としない、ちゃんと気をつける、と素直に反省の言葉を並べた。雅人とのやり取りが終わると、透子は理恵とのトーク画面を開いた。話を聞く限り、理恵たちは透子たちよりずっと早く帰っていたらしい。透子が状況を尋ねると、理恵は二人でシアターに入って十数分で出てきたこと、その後はそれぞれ家へ帰ったことを話した。ついでに、聡からかなり大きなものをせしめたから、そのうち車で透子をドライブに連れていく、とも言った。しばらくして、理恵からまたメッセージが届く。【そうだ、明日空いてる?買い物に付き合って。橘さんに弁償する服を買いたいの】透子はすぐに返した。【明日は大丈夫だよ。海外に行く話がなくなったから、会社の人事のほうで改めて調整中なの。正式な配属がまだ決まっていなくて、この二日くらいは時間があるよ】送信したあと、透子はなぜ服を弁償するのかと尋ねた。すると、理恵から音声通話がかかってきた。文字で説明するのが面倒だったらしい。透子は、理恵の早口でまくし立てる説明を最後まで聞き、要点を拾って言った。「つまり、理恵とうちのお兄さんは、その時に抱き合ったってこと?」電話の向こうで、理恵が一瞬詰まる。「……そこは重要じゃないの!重要なのは、私が橘さんの服を汚したから弁償しなきゃいけないってこと!」透子は思わず小さく吹き出した。「うん、分かった。明日、一緒に買いに行こう」電話の向こうで、理恵がすぐに噛みついた。「ちょっと、透子。今笑ったでしょ?笑わないでよ!だいたい、透子だってお兄ちゃんに協力して私をだました
理恵は一階から二階を見上げ、勝ち誇ったように声を投げた。「どうしたの?逃げないの?」聡は眉間を指でつまみ、ひとまず宥めるように声を落とした。「身内で争うのはやめよう。ここは平和的に話し合わないか。俺は善意で手を貸しただけだ。お前を困らせるつもりなんてあるわけないだろ」聡はここぞとばかりに情へ訴えた。「結果が出なかったのは、さすがに俺のせいじゃない」理恵がまた噛みつこうとした瞬間、聡は慌ててその前に言葉を重ねた。「どうしたら気が済む?今回のことは、これで手打ちにしてくれ」理恵がじっと聡を見上げる。聡はさらに魅力的な条件を並べた。「Cブランドの新シーズンのオートクチュールを全ラインそろえるか?それとも、ヴァンティスのジュエリーがいいか?」理恵はその甘すぎる条件を聞き、内心で鼻を鳴らした。どうやら聡は、自分が透子との仲を本気で邪魔するのを相当恐れているらしい。「そこまで誠意があるなら、今回だけは大目に見てあげてもいいわ」聡はようやく胸を撫で下ろした。こういう時は、服やバッグやジュエリーで機嫌を取るのが一番手っ取り早いのだ。だが、聡がそう高をくくった直後、理恵はさらりと条件を上乗せした。「でも、それだけじゃ足りないわ。最近買ったあのマクラーレンも欲しい」聡の顔が固まった。「あれは透子に贈るつもりの車だぞ」「知らないわよ。もう一台買えばいいでしょ。私も同じのが欲しい」「あれは世界限定モデルなんだよ。金を積んでも二台目は手に入らないんだ」理恵は聡をじっと睨んだ。それでも理恵も、そこだけは簡単に譲る気になれない。聡がどうしても首を縦に振らないため、結局、理恵は彼から別モデルのスポーツカーを一台せしめることで、ようやく渋々納得した。柚木家のドタバタとした騒動がようやく収まった頃、場所は変わって、橘家の邸宅にて。帰宅した透子はシャワーを浴び、ベッドに横になったまま、今夜起きたことをぼんやりと思い返していた。透子はスマホを手に取った。理恵に相談してみようかとも思ったが、相手が彼女の兄であることを思うと、気まずさが勝って打ちかけた文字を消してしまった。理恵を信用していないわけではない。ただ、どうしても気恥ずかしかったのだ。透子は結局、スマホをそっと置いた。その時、スマホが短く震えた。画面を
理恵が地を這うような声で問い詰めた。「私と橘さんにホラー映画をわざと見せたの、あなたでしょ?」聡はそれを聞き、片方の眉をわずかに上げた。否定しない。それはつまり、あっさりと認めたも同然だった。理恵はカッと目を見開き、勢いよくソファから立ち上がると、聡に向かって怒りを爆発させた。「よくも私をはめてくれたわね!今夜、私がどんな目に遭ったか分かってるの!?もう本当に、死ぬほど恥ずかしかったんだから!実の妹をこんなふうに陥れる兄がどこにいるのよ!父さんと母さんに言いつけてやるんだから。覚悟しなさいよ、これで終わると思わないで!」言い放つなり、理恵は手元のハンガーを握りしめ、聡めがけて突進した。聡が逃げ、理恵が追う。二人のドタバタとした足音が、リビング中に響き渡った。聡は振り下ろされるハンガーをひらりとかわしながら、涼しい顔で言い返した。「どこがはめたことになるんだ。関係を進展させたいなら、あれが一番手っ取り早いだろうが」理恵が怒鳴り返す。「どこが手っ取り早いのよ!そんなにいい方法なら、あんたと透子もホラー映画を観たんでしょうね!?絶対嘘よ。今すぐ透子に電話して聞いてみるから!」そう言って理恵が足を止め、本当にスマホを取り出そうとしたのを見て、聡は慌てて口を挟んだ。「俺たちは別の映画を観た」理恵は聡をギロリと睨みつけた。その両目は、今にも火を噴きそうだった。「やっぱり私をはめたんじゃない!なんで自分たちは観ないのよ!」聡は両腕を組み、妙に堂々とした顔で理恵を見返した。「で、効果はあったのか?ホラー映画は、橘さんとの距離を縮めるにはかなり有効だ。怖い場面で自然に手を繋げるし、流れで抱きつくこともできる。これは翼が何度も検証して導き出した、確かな経験則だ」理恵は一瞬、呆れて言葉を失った。──類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。ろくでもない人間は、やはりろくでもない人間同士でつるむらしい。よりによって、兄は翼お兄ちゃんからそんな余計なことばかり吹き込まれているのだ。聡は理恵の表情を観察しながら、さらに首を傾げた。「まさか、まったく効果がなかったのか?お前、ああいうのは苦手だっただろ。それとも怖さが足りなかったのか?全然怖くなかったとか」理恵は聡を射抜くように睨みつけた。怒りのあまり今すぐ殴りかかりたいが、いく
見かねた聡が、先に声を落とした。「いったん離そうか」そう言って、そっと手を引く。横目で様子をうかがうと、手が離れた瞬間、透子の身体からふっと強張りが抜けた。下がった肩のラインが、その変化を何よりはっきり物語っている。聡は胸の内で小さくため息をついた。寂しさも、やるせなさもある。けれど、まったく希望がないわけではなかった。今夜、聡から様子を見るように手を繋ぎにいった時、透子は戸惑いながらも拒絶はしなかった。むしろ最後には、自ら歩み寄ろうとしてくれていた。隣でスクリーンを見つめている透子もまた、意識は少しも映画に向いていなかった。右手には、まだ聡と握り合っていた時の熱が残っている。なのに、心の奥は妙に静かで、特別な高揚感やときめきを覚えたわけではなかった。さっきの一件は、聡に無理やり手を握られたわけではない。彼はただ様子をうかがおうとしただけで、透子の緊張を察してすぐに手を引こうとした。「ゆっくりでいい」とも言ってくれた。それを引き止めるように握り返したのは、透子の方なのだ。だから二人は、あのまましばらく手を繋いでいた。その時の自分の気持ちを、透子自身もうまく言葉にできない。胸の内でいちばん大きかったのは、やはり拭いようのない居心地の悪さだった。相手が聡だと分かっていても、何の抵抗もなく受け入れることがどうしてもできない。――もしかして私、この先ずっと、男性と近い距離で触れ合うことができないんじゃ……透子はそんな悲観的なことまで考え始めていた。まるで体の方が勝手に防衛本能を働かせ、男性を拒絶しているかのようだ。そんな葛藤を抱えたまま四十分あまりが過ぎ、映画は終わった。結局、物語が何を描いていたのか、透子にはほとんど頭に入っていなかった。上映が終わり、二人はシアターを出た。そこはVIP用のプライベート区画であり、廊下はしんと静まり返っている。他の客の姿もない。階段に差しかかった時、心ここにあらずだった透子は足元をよく見ていなかった。つま先が段差に引っかかり、身体が前へ大きくのめる。「あっ」透子が短く声を上げた瞬間、隣にいた聡がとっさに腕を伸ばした。彼女の腕を掴み、ぐっと引き寄せる。次の瞬間、透子は聡の腕の中にすっぽりと収まっていた。服越しに身体が触れ合う。近すぎる距離の中で、互いの香水の香りま
しかし、透子もこの件の難しさは分かっていた。自分の力だけでは、橘家に約束を守らせるには不十分だ。彼らと対等に渡り合える存在が現れない限りは。透子は目の前のお爺さんを見つめ、また彼に迷惑をかけてしまうと思った。彼女は言った。「お爺様、契約書にサインする時、証人になっていただけないでしょうか」もし何かあった時、新井家に正義を求めてもらうためではない。その前に、橘家への牽制として、その役割を果たしてほしかったのだ。執事から、橘家と新井家は二代にわたって親交があると聞いていた。先ほど、新井のお爺さんも、橘家側に美月をしっかり管理するよう話すと言っていた。新井のお爺さんはその頼みを聞
その頃、階下の大ホールでは。美月は雅人について階下へ降りてきたが、心中の憤りは収まらなかった。どうして、あの大翔だけなのよ?あの性悪な恵たちも、何もお咎めなしってわけ?それに、あの大翔にだって甘すぎる。もっと徹底的に殴りつけて、靴底で顔を踏みつけるくらいしないと、気が済まないわ。雅人はその時、ふと思い出して尋ねた。「そうだ、君は物を取りに来たんだったな?取れたか?」美月は「ううん」と言い、それから悲しげな表情で言った。「私のデスクはとっくに片付けられて、物は全部ゴミ箱に捨てられたって……」雅人は尋ねた。「彼女たち、か?」美月は答えた。「ええ、前の同僚たちです」雅
雅人はカードをまた押し返した。「これ、持っていなさい。午後は誰かに付き添わせて買い物にでも行って、気分転換でもしてきなさい。一日中部屋に籠もっていないで」美月はそれを見て、ためらい、数秒後、ようやくゆっくりとそれを受け取って言った。「ありがとうございます、お兄さん。お父さんとお母さんにも、よろしくお伝えください」美月がようやく完全に泣き止んだのを見て、雅人の唇に淡い笑みが浮かんだ。二人は食事を続けた。美月はカードをしまい、心の中は喜びでいっぱいだった。今日、思わぬ収穫があるとは。血の繋がりと、二十年間行方不明だったという二つの要素が重なって、橘家が自分を見捨てるはずがないと、彼
蓮司は目を閉じた。目尻から、涙が音もなく伝った。そのうち、胃が反応を示し始めた。締め付けられ、ねじ切られるような痛みに、彼は体を丸めた。力を振り絞ってポケットからスマホを取り出し、119番にかけた。額には冷や汗が滲み、奥歯を固く噛みしめた。救急車が駆けつけ、団地の各出口で待機していたボディーガードたちは、蓮司が担ぎ出されるのを見て初めて状況を把握した。慌てて救急車を追いながら、執事へ報告を入れた。ここは住宅街で、同じ階には他の住人もいるため、ドアの前に立つと迷惑になると考え、外で待機していたのだ。しかし、まさか蓮司が倒れるとは、しかも自ら救急車を呼んでいたとは、予想だにして







