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第107話

Author: ちょうもも
莉子のさっきの勢いを見るに、史弥の前であれこれ大げさに話を盛ったに違いない。

伶は小さくくぐもったように笑った。

「何を怖がってるんだ。あいつと石川のことを忘れた?」

「怖いんじゃありません。これ以上面倒事を増やしたくないだけ」

彼女はもうすぐここを離れる。

史弥とは穏やかに別れたかった。

愛し合っていたときはその関係を大切にしていた。

別れる今も、わざわざ泥を塗るような真似をしたくない。

それだけのこと。

伶は軽く仰ぎ見るようにして、ため息をついた。

「なるほど。まあ。助けてくれた恩もあるし、仕方なく一度だけ助けてやるよ。ただし、今後俺が何か頼んだら、無条件で引き受けろよ?」

「わかりました」

悠良は一切迷いもなく即答した。

どうせ今後、伶と会うこともないはず。

とにかく今この場を乗り切れればいい。

伶はすっと立ち上がってドアへと向かい、驚くほどの早さで扉を開けた。

あまりのスピードに、悠良は目をつぶってしまう。

男の言葉なんて信じるもんじゃない!

死にたくなるほど後悔しながら、彼女は目を閉じた。

しかし、数秒の静寂の後、聞こえてきたのは少し耳慣れない男の声だった。

「寒河江社長、こちら、頼まれていた物です」

「ご苦労。史弥の方は手配できたか?」

「すべて手筈通りに。ただ、こちらの対応はなるべく早めにお願いします。あまり時間は稼げません」

「分かってる」

悠良がそっと目を開けると、ドアの前にはスーツ姿の男が一人、丁寧に伶に報告をしていた。

彼女は胸元を押さえて、ほっと息を吐く。

よかった。史弥じゃなかった。

しかも、伶はすでにすべてを予測して、服の用意まで頼んでいたのだ。

一体いつの間に連絡していたのか、全然記憶にない。

まさか予知能力でもあるのか?

悠良には、どうしても納得がいかなかった。

扉が再び閉まると、伶は服の入った紙袋をゆるく持って、悠良の前に歩いてきた。

その黒くて深い瞳はどこか眠たげに笑っていて、眉を少し持ち上げながら言った。

「そんなとこ突っ立って、史弥を待ってるのか?」

悠良はようやく我に返って、袋を受け取った。

前回と同じく、下着まで揃っている。

彼女は袋を持ってバスルームへ。

着替えて出てくると、ちょうど伶がズボンを穿き終えたところだった。

その引き締まった腰回りは細
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