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第265話

Author: ちょうもも
「男女の間には節度があるでしょう?触るのはちょっと......やっぱり少し距離を保ったほうがいいですよ」

伶はその言葉を聞き、低く笑い声を漏らした。

玉巳はそのまま階段を上がり、史弥もすぐ後を追う。

今回は伶も止めなかった。

この家の二階には部屋が二つしかない。

玉巳は一部屋ずつドアを開けていき、二つ目の部屋に手をかけたとき、低く冷たい伶の声が背後から響いた。

「ここは君たちが勝手に踏み込める場所じゃない。中に探している人がいると、本当に確信しているのか?」

ドアノブを握る玉巳の手が一瞬止まる。

言葉には強い警告の色はないが、その声から伝わる圧迫感は尋常ではなかった。

心臓がぎゅっと縮み上がる。

一瞬、確かにためらった。

だが、悠良が中にいるのは間違いない。

この機を逃せば、後々面倒になる。

玉巳は伶の言葉を無視し、迷わずノブを回してドアを開いた。

案の定、中から水の音が聞こえる。

玉巳は振り返り、史弥に断言した。

「史弥、悠良さんはやっぱりここにいるわ」

その言葉を聞いた瞬間、史弥の顔は険しく沈む。

浴室から聞こえる水音に、眉間の皺が深く刻まれた。

玉巳は一歩踏み出し、ノックしようと手を上げた──

が、史弥がその手首を掴んだ。

「彼女、耳が聞こえないんだぞ。ノックしても意味ないだろ」

その瞳には怒気が宿り、骨の髄から滲み出るような殺気が感じられる。

玉巳は気まずそうに手を引っ込めた。

「ごめん、忘れてた」

伶は二人を横目に、淡々とクローゼットから服を取り出して身につける。

ただの当たり前の行為なのに、史弥の胸の奥では、得体の知れない怒りが膨れ上がっていた。

自分の妻が、今まさに伶の浴室で風呂に入っている。

普通の人間なら、少しくらい後ろめたさを見せるはずだ。

だが伶には一切の罪悪感がない。

むしろ当たり前のことのように振る舞っている。

その顔には微塵の後ろ暗さも見えなかった。

価値観が歪んでいるのか。

史弥は胸を上下させ、鋭い視線で伶を睨む。

「俺に言うことがあるんじゃないのか?」

伶は引き出しからドライヤーを取り出し、コードを差し込みながら顔を向けた。

「何を?」

「お前と悠良、二人きりでこの部屋にいるんだぞ?説明が必要だとは思わないのか?」

史弥の歯ぎしりする声には怒気が滲む。

「説
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Comments (1)
goodnovel comment avatar
じょりん
この人、節度なんて今さら何言ってんの?って感じ。ほんとうざい。
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