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第406話

Author: ちょうもも
悠良も、唐立朋輝(からたちともき)が剛直で一切の情けをかけない人物だという噂は耳にしていた。

権力や財力を持つ者であっても、彼の前では抜け道を探すことなど到底できない。

「身の程知らずが......」

二人の男が小声でつぶやいた。

悠良は気にも留めず、スマホを手に取り朋輝に電話をかけた。

ほんの二、三分のやり取りで、すぐに電話は終わった。

彼女は二人の前に戻り、静かに告げた。

「もうすぐその上司から連絡が入るはずです。ここで事情を聞くだけにしてください」

「これは何の冗談です?私たちは上司の命令で逮捕に来ていますが。それを今さら『連れて行くな』だと?」

「公務を妨害するなら、一緒に連行させていただきますよ!」

そう言って二人は悠良を押しのけ、強引に中へ入ろうとした。

悠良は慌てて立ちはだかる。

「お願いです、ほんの二分だけ待ってください。すぐに電話が入ります!」

「どけ!」

日頃から執行に慣れている彼らは、悠良の言葉に耳を貸すことなく、力ずくで押しのけようとした。

か弱い彼女が大の男二人に敵うはずもなく、体がよろめき、思わず後ろへと数歩たたらを踏んだ。

だが予想していた痛みは訪れず、腰にしっかりとした大きな掌が添えられ、ぐっと支えられた。

冷ややかでほのかに煙草の香りが混じった匂いが漂い、どこか懐かしさを覚える。

以前にも嗅いだことがあるような......

記憶というものは、時に唐突に蘇るものだ。

だが彼女はすぐに首を振った。

ありえない。

伶とは以前から面識があったわけでもない。

それに、あの火事で自分を救ってくれたのは史弥だと分かっている。

当時、彼とはまだ出会ってすらいなかったのだから。

「大丈夫か?」

低く抑えた声が耳に届く。

伶だった。

悠良ははっと我に返り、慌てて答えた。

「......ええ、平気です」

伶は彼女をしっかり立たせると、前に出た二人を無言で押し返した。

男の眉目は険しく、漆黒の瞳には冷えきった怒気が宿っている。

その圧に、場の空気が一瞬で張り詰めた。

「たとえ職務だとしても、暴力的な執行は許されない。ましてや女性に手をあげるなど論外だ」

二人の警官は互いに視線を交わした。

雲城で伶の名を知らぬ者などいないのだ。

「寒河江社長、この方には既に説明しました。私たちも公務で動
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