Share

第842話

Author: ちょうもも
「前からちょっと聞いた噂なんだけどさ、正しいかどうかは知らない。寒河江社長って、白川家の私生児だったとか聞いたことあるんだよね」

「おい!そういう話は軽々しく口にすんなよ、下手したら洒落になんねぇぞ」

「もうやめとけって。寒河江社長は俺らにあんなによくしてくれてんだし、ここでそういう話するのはよくないってば」

その話題はそこまででピタッと打ち切られた。

......

悠良がA国に到着したとき、空港に降り立ってすぐ、遠くから誰かがプレートを掲げてぶんぶん手を振っていた。

「ユラ〜!」

昔は伶の犬と近くで接するまで「ユラ」という呼び名に違和感はなかったのに、今はどうにも耳ざわりに感じる。

蓮見弓月(はすみ ゆづき)が近づいてきて、勢いよくハグしてきた。

悠良はジトっとした目で弓月を見た。

「ねぇ、もう『ユラ』って呼ぶのやめてくれる?」

「え?嫌なの?じゃあどう呼べばいい?悠良おばさん?」

悠良は呆れ顔で目をくるりと回し、それ以上この毒舌男と張り合うのはやめた。

昔から一緒に仕事してると、ことあるごとに口喧嘩になるのだ。

四六時中、口を開けば言い合いばっかり。

「迎えに来なくていいって言ったじゃん。道に迷うわけでもないのに」

出発前に弓月へメッセージは送っていたが、わざわざ迎えに来なくていいとも伝えてある。なのに「誰が迎えに行くかよ」なんて言っておきながら、こうして結局ちゃんと現れている。

「放っとけよ。久々に空港来たかっただけだし。それもダメ?」

そう言って彼は彼女の足元の荷物に目をやり、ひょいっと持ち上げる。

「うわ、この荷物だけ?あの社長様がおまえを壊れ物扱いで梱包してくれればよかったのに」

「弓月、その毒舌続けてたら本当に彼女できなくなるよ」

悠良は彼を一瞥する。

少し離れたところで、光紀が目をひん剥いた。

「ちょ、あの......!」

律樹がすかさず光紀の腕を掴んで止める。

「ただのハグじゃん。そんな大騒ぎする?」

「いえ、寒河江社長に言われています。同行するなら小林さんが男と身体的接触しないよう気をつけろって」

律樹は目を丸くした。

「あんたとこの寒河江社長......極端すぎない?てか、寒河江社長って純情ボーイ?恋愛経験ゼロとか?」

光紀はムッとして反論した。

「その言い方は気に入りませんね。寒河江
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!   第845話

    悠良はしゃがみこんで荷物を整理し、ノートパソコンを取り出すと、横目で律樹と光紀に声をかけた。「先に自分の部屋に戻ってて。こっちは自分で片づけるから。あとで一階のレストランで集合ね」光紀と律樹は目を見合わせた。「わかりました」律樹は部屋を出ながら、まだ心配そうに振り返る。「悠良さん、なにか手伝うことがあったら、遠慮なく言ってください」「うん、ありがとう」悠良は手を振って応じた。光紀と律樹が部屋へ戻る。ちょうど観光シーズンで部屋数が足りず、二人は同室になっていた。悠良はひと通り荷物を整えたあと、ノートパソコンを開いて検索をかける。そこでようやく、その医者の名前が「イライ」だと分かった。経歴は確かに華々しい。国内外どこでも名の知れた外科医で、数々の病院が高給で引き抜こうとしたが、彼は動かなかった。しかし数年前の手術で全てが狂った。一夜にして名声は地に落ち、私立病院ですら彼を雇おうとしなくなった。それからイライは人生に絶望し、家に閉じこもって自責の日々。やがて重度の不安障害を患ってしまう。父親は幼い頃に亡くなっており、母親と二人きりで支え合って生きてきたらしい......読み終えた悠良は、思わず胸が痛んだ。この仕事は、周囲から崇められることもあれば、一瞬で奈落に突き落とされ、石を投げられる立場にもなる。何年も塞ぎ込んだ医者にもう一度メスを握らせるなんて、天に昇るくらいの難易度だ。弓月が、まず背景を調べておけと言った意味がよく分かった。悠良はテーブルに両手をつき、ふっと息を吐く。突然どっと重圧がのしかかる。しかし今の彼女には後戻りの道はない。この医者を連れて帰らなければ、葉にはもうチャンスがないのだ。ノートパソコンを持ち上げて準備を整え、光紀と律樹と一緒に階下へ向かおうとしたところで、伶からビデオ通話が入る。悠良はスマホをテーブルのティッシュケースの上に立てかけ、メニューを見ながら言った。「ごめん、もう着いてたんだけど、連絡する暇がなかった」「構わない。ホテルでの生活にはちゃんと気をつけろよ。それとちゃんと食べるんだぞ。医者探しは必要だけど、仕事にかまけて飯を抜くな。光紀にも見張らせてある」伶は挨拶より先にお小言だ。「それとな、そっちの夜は冷えるらし

  • 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!   第844話

    つまり、方法は思いついても、それを実行に移すのは相当難しいということだ。光紀はその話を聞いて初めて、悠良が寒河江社長を助けたとき、どれほど大きなリスクを背負っていたのかを知った。彼女は自分の行く末なんて一切考えていなかった。彼は両手を前席の背もたれにつき、悠良に声をかける。「小林さん......この件、やっぱり寒河江社長に話したほうがいいんじゃないですか」「絶対言っちゃダメ。やっとの思いでやる気を取り戻して、会社を立て直そうってしてるのに、今それを言ったらどうなるか、村雨さんもわかってるでしょ」光紀「寒河江社長なら、YKをそのまま売って穴埋めするか、いっそ破産宣言するかもしれませんね......」悠良はすぐ問い返した。「それは、村雨さんが望む結果なの?」悠良の言葉はいつも核心を突く。光紀が沈黙したことで、答えは明らかだ。本当は、伶が自分の会社を手放して悠良の穴を埋めるなんて、望んでいないのだ。長年そばにいて彼の実力を見てきたからこそ、埋もれさせたくない。悠良は、光紀の目に浮かんだ罪悪感を見て取り、静かに言った。「さっきのは気にしないで。私も村雨さんと同じ、寒河江さんのためを思ってやってるんだから」光紀は深く息を吐き、その瞬間に決意を固めた。「この村雨光紀、今は寒河江社長の秘書だけど、これからは小林さんの手足にもなりましょう。何でも遠慮なく言ってください。できる限り力になります」悠良は大して気にした様子もなく、ひらひらと手を振った。「そこまでしなくていいってば」そのとき弓月が途中で、それぞれにミネラルウォーターを一本ずつ渡した。けれど悠良にだけは、水ではなく保温ボトルだった。悠良は一瞬きょとんとする。「なんで私だけ保温ボトル?」「おまえ、昔から胃腸弱いだろ。少しは気をつけとけ」弓月はずっと覚えていた。悠良がこっちで働いていた頃、しょっちゅう胃を壊していたのに本人は全然気をつけない。だからいつの間にか、食べ物や飲み物まで目を光らせるのが癖になっていた。二人の距離感は昔からそんな感じだ。だが光紀はその空気の違和感にすぐ気づいた。この男、悠良のことが多少好きなんじゃないか?それにどう見ても関係が近すぎる。伶に報告すべきか一瞬迷ったが、すぐ思い直す。

  • 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!   第843話

    「全部もう手配してあるし、話もつけてある。ただ、実際に本人を動かせるかどうかは......おまえ次第だな」弓月はそこまで言うと、少し渋い顔をした。「知ってると思うけど、あの医者は昔から変人で有名だ。それに加えて、数年前に医療事故が一件あってさ、そのせいで心に相当な傷を負って、今でも立ち直れてない。もしあの時、自分がミスしなければ患者は死なずに済んだ――ずっとそう思い込んでる」悠良も、ここに来る前にその件について一通り調べていた。その医者はそれまで何度も手術を成功させていて、ほとんど失敗なんてなかった。ところが5年前、たった一度の出来事が一生モノのトラウマになった。そのとき助手だったのは入職して間もない若手医師で、器具を渡す際に「低濃度ヘパリン」を「生理食塩水」と勘違いしてトレーごと主刀医に渡してしまった。医者は受け取るときに名前だけ確認したが、トレーの中身まで見落としていた。投与後すぐに患者の凝固機能が急変し、医者は即座に投与を止めて処置に移ったものの、最適な介入のタイミングを逃し、合併症を引き起こしてしまった。それが今でも彼の心のしこりになっている。弓月は重い声で続ける。「覚悟しとけよ。あいつの家族も、何人もの医者に診せたり、カウンセリングも薬も試したけど、全部効果なし。それどころか、年々悪化してるって話だ」悠良も、この件が簡単に片付かないのは承知していた。だが、それが葉にとって唯一の望みである以上、やれるだけのことはやるしかない。「わかった、とりあえずホテル戻ろ。道すがら話そう」「おう」悠良は光紀と律樹に声をかけようと振り向いたが、二人は何やら激しく口論の真っ最中だった。顔を真っ赤にして言い争っている。律樹の性格はよく知っている。引かない上に若さもあって、売り言葉に買い言葉タイプだ。悠良は気まずそうに弓月へ目を向ける。「ごめん、ちょっと行ってくる」彼女は歩み寄り、律樹の腕を掴んで小声でたしなめた。「あなたたち、公共の場で何やってんの」律樹は悠良の顔を見るなり一気にシュンとして、うつむいた。「すみません、悠良さん」悠良は光紀にも目をやる。「もういい。大したことじゃないでしょ。もう行くよ」ようやく二人とも黙り、悠良について車に乗り込んだ。車内で、弓

  • 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!   第842話

    「前からちょっと聞いた噂なんだけどさ、正しいかどうかは知らない。寒河江社長って、白川家の私生児だったとか聞いたことあるんだよね」「おい!そういう話は軽々しく口にすんなよ、下手したら洒落になんねぇぞ」「もうやめとけって。寒河江社長は俺らにあんなによくしてくれてんだし、ここでそういう話するのはよくないってば」その話題はそこまででピタッと打ち切られた。......悠良がA国に到着したとき、空港に降り立ってすぐ、遠くから誰かがプレートを掲げてぶんぶん手を振っていた。「ユラ〜!」昔は伶の犬と近くで接するまで「ユラ」という呼び名に違和感はなかったのに、今はどうにも耳ざわりに感じる。蓮見弓月(はすみ ゆづき)が近づいてきて、勢いよくハグしてきた。悠良はジトっとした目で弓月を見た。「ねぇ、もう『ユラ』って呼ぶのやめてくれる?」「え?嫌なの?じゃあどう呼べばいい?悠良おばさん?」悠良は呆れ顔で目をくるりと回し、それ以上この毒舌男と張り合うのはやめた。昔から一緒に仕事してると、ことあるごとに口喧嘩になるのだ。四六時中、口を開けば言い合いばっかり。「迎えに来なくていいって言ったじゃん。道に迷うわけでもないのに」出発前に弓月へメッセージは送っていたが、わざわざ迎えに来なくていいとも伝えてある。なのに「誰が迎えに行くかよ」なんて言っておきながら、こうして結局ちゃんと現れている。「放っとけよ。久々に空港来たかっただけだし。それもダメ?」そう言って彼は彼女の足元の荷物に目をやり、ひょいっと持ち上げる。「うわ、この荷物だけ?あの社長様がおまえを壊れ物扱いで梱包してくれればよかったのに」「弓月、その毒舌続けてたら本当に彼女できなくなるよ」悠良は彼を一瞥する。少し離れたところで、光紀が目をひん剥いた。「ちょ、あの......!」律樹がすかさず光紀の腕を掴んで止める。「ただのハグじゃん。そんな大騒ぎする?」「いえ、寒河江社長に言われています。同行するなら小林さんが男と身体的接触しないよう気をつけろって」律樹は目を丸くした。「あんたとこの寒河江社長......極端すぎない?てか、寒河江社長って純情ボーイ?恋愛経験ゼロとか?」光紀はムッとして反論した。「その言い方は気に入りませんね。寒河江

  • 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!   第841話

    空港のVIPラウンジでは、伶が小声で光紀に何か指示を出していた。光紀は分厚いスケジュールを手にしており、その紙には注意事項がびっしり書かれている。悠良が中に入ってきた瞬間、伶はすぐに歩み寄り、少し乱れた前髪を整えてやる。「全部済んだか?」「うん」見上げた彼の顔を見た途端、悠良はふと、初めて出会ったときの彼を思い出した。あの頃の彼は冷たくて距離があり、目の奥には氷みたいな無機質さがあった。けれど今、照明に照らされた彼の瞳は柔らかな影を宿し、その奥にははっきりと自分の姿が映っている。館内放送で搭乗案内が流れる。伶は彼女のスーツケースを持ち上げ、しばらく無言でハンドルを撫でていた。「着いたら連絡して。毎晩ビデオ通話だ」そして律樹と光紀へ向き直ると、表情が一転して鋭くなる。「しっかり護れ。少しでも異変があったら即報告。ミスは許さない」律樹が背筋を伸ばして敬礼する。「ご安心を」光紀も続けて力強く答える。「一歩も離れません!」ボーディングブリッジのガラスには、寄り添う二人の姿が映っていた。悠良は背伸びして彼を抱きしめ、顎を彼のしっかりした肩に預ける。「できるだけ早く帰るから」「ああ」伶は腕に力を込める。彼女の姿がブリッジの奥で見えなくなるまで、伶はその場から動かなかった。巨大なガラス窓から差し込む日差しが彼の体を照らす。その時、スマホに新着メッセージが届いた。送り主は悠良。【スーツのジャケット、借りておくね。向こうの夜は寒いから】画面を見下ろした瞬間、口元が自然に緩み、瞳の奥から柔らかな光があふれそうになる。会社へ戻ると、伶はすぐに仕事に没頭した。彼にはわかっている。今の会社が存在しているのは悠良のおかげだと。彼女は持てるものすべてを注ぎ込んでくれた。彼女のためにも、会社だけは絶対に潰せない。そして彼は社員全員に約束した――必ず会社を立て直すと。オフィスでは皆が顔を寄せ合い、どこか驚きつつも明るい様子だ。「寒河江社長、なんか変わったよな。前とは雰囲気が全然違う」「だよな。あの期間、会社のこと放り出しそうなくらいだったのに、なんで急に......」「目に光戻ってるよね?」「きっと色々あったんだよ。金持ちには金持ちなりの悩みがあ

  • 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!   第840話

    「うん。葉ももう少し休みなよ。そろそろ切るね」悠良は電話を切った。彼女は振り向き、伶に声をかける。「空港行く前に、先に寄りたいところがあるの」この申し出にも、伶は驚いた様子もなく返す。「わかってる。行こう」そう言うともうソファの上のジャケットを手に取り、彼女のスーツケースを持って外へ向かう。悠良は一瞬ぽかんとして、その背中を慌てて追いかけた。「『わかってる』って......なんで知ってるの?私、今決めたばっかりなんだけど?」本当についさっき思いついたことだった。戻ってきたときにはもう遅いかもしれない、そう思って。伶の言っている「そこ」が自分の想像している場所と同じかはわからない。彼女はシートベルトを締め、横目で彼を見て尋ねる。「本当に同じ場所のこと言ってる?ヘタに間違えたら時間無駄になるよ。先に言ってよ、どこ行くつもりか」伶は何も言わず、ただエンジンをかけた。悠良は口を閉じ、それ以上は追及しないことにした。もし心が通じてるなら、着けばわかる。車が停まったのは、拘置所の前だった。悠良は驚きと喜びが入り混じった目で彼を見つめる。「どうしてここに来るってわかったの」伶は彼女の頭をくしゃりと撫でる。「君のことは俺が一番わかってる。君が思ってる以上にな。ムギだって喋れなくても、ケツ突き出しただけで何するかわかるだろ」最初は普通に聞いていたものの、後半で違和感を覚え、彼の腕をぎゅっとつねる。「私をムギと一緒にしないでよ!」「この前君も俺をムギ扱いしてただろ?」そう言いながら彼は身をかがめて彼女のシートベルトを外し、並んで拘置所の中へ入る。莉子は青灰色の囚人服を着て、向かいの席に座っていた。髪は短く切られ、顔色は紙のように白い。悠良を見ると、無意識に背筋を伸ばし、目にはまだわずかな反発が残っている。「おじいさま、一昨日亡くなったの」悠良は写真をガラス越しに差し出し、声は静かだった。「お父さんの隣に埋葬したよ。墓はすぐ隣同士」莉子の視線は写真に吸い寄せられ、指が机をぎゅっと押さえつける。指先が真っ白になる。口を開こうとしても声が出ず、喉の奥からかすれた音が漏れ、涙がガラスにぽとりと落ちた。「おじいちゃん、元気だったじゃない......どうし

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status