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第880話

Author: ちょうもも
彼には理解できなかった。

なぜ悠良がそこまで固執するのか。

彼女自身、事態の深刻さはわかっているはずだ。

この件が解決できなければ、訴訟沙汰になる可能性もある。

40憶円――小さな金額ではない。

今の世の中、投資先を決める協力会社だって簡単には動かない。

短期間でそんな無茶なやり方で40憶円をかき集めるなんて、ほぼ不可能に近い。

悠良は車に乗り込んだあとも、史弥が追ってきていないか振り返って確認し、ようやく息をついた。

そして次の場所へ向かう。

幸い、以前時間のある時にいくつも案件を見つけており、そのための企画書も何本も用意してあった。

ただ、まだ提出する前だったものばかりだ。

今になって、それが役に立つことになった。

だが、次の協力相手は明人のように話が通じる相手ではなかった。

悠良の見立てでは、この契約がまとまれば20億円になる。

20億円は、今の彼女にとって極めて重要だ。

ただ、この協力相手については事前に調べており、酒好きで有名だった。

弓月の顔を立てていなければ、今日は確実に朝まで飲まされていたはずだ。

それでも相手は彼女に酒を飲ませようとする。

悠良はすでに何度も丁寧に断っていた。

押し出されたグラスを見て、再び穏やかに辞退する。

「本当にお酒は無理なんです。弓月から聞いていないですか?」

「小林社長、そこは顔を立ててくれよ。一本飲めって言ってるわけじゃない、一杯くらいいいだろ?」

大橋社長の舌はもつれ、視線は悠良にねっとりと絡みつく。

隠そうともしない下品な目つきだ。

「この一杯を飲んでくれたら、20億円の契約は成立ってことでさ。まさか、俺が小林グループと組むに値しないって言いたいのか?」

悠良は水のグラスを握りしめ、指先が白くなる。

「大橋社長、本当に申し訳ないんですが、胃の持病が再発していて、医者からも酒は絶対に禁止されています。案件の細かい部分はほぼ詰め終わっていますし、契約書もご要望通り修正済みです。でしたら、先にサインだけでも――」

「サインだと?」

大橋社長はグラスを机に叩きつけ、酒が跳ね散った。

「俺は商売において酒席の付き合いを重んじるんだ。たかが一杯も付き合えないやつが、どうやって誠意を示すってんだ?」

そう吐き捨てると立ち上がり、足取りも覚束ないまま悠良ににじり寄る。

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