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第1154話

Author: 似水
ドアが開くと、端正にスーツを着こなした男が姿を現し、賢司を見つけるや否や、慌ただしく駆け寄ってきた。

「瀬名様、こちらへどうぞ。先ほどご指示いただいた件は滞りなく手配いたしました。ただいま、支社の役員たちはすでに会議室に揃っております」

「ああ」

賢司は素っ気なく返事をすると、続けて命じた。

「それから、彼女のためにデザートとスナック、それに飲み物を買って、俺のオフィスに届けてくれ」

アシスタントは舞子に一瞥をくれ、すぐに深く頷いた。

「かしこまりました」

舞子は少し気まずさを覚えた。彼が真剣に仕事をこなしている傍らで、自分だけが子供のように扱われている気がして――

そんなはずない……!

鏡張りのエレベーターに映る自分の姿を見つめ、舞子は慌てて髪や服を整えた。そうしているうちに、エレベーターは音もなく止まり、ドアが開く。

賢司のオフィスは、錦山本社と同じ冷ややかな寒色系の内装でまとめられていた。主が帰還したことで、その冷厳な空気はさらに濃くなったように思える。

賢司は舞子に視線を移し、淡々と告げた。

「ここで好きにしていればいい。必要なことがあれば、彼に頼めばすぐに手配してくれる」

「わかった」

舞子は素直に頷いた。

すると、賢司はふいに彼女の後頭部を引き寄せ、啄むように唇を重ねた。ほんの一瞬の口づけだったが、普段の彼を知る舞子には、それが驚くほど大胆な行為に思えた。

その様子を目にしたアシスタントは、思わず目を丸くする。

このお嬢様が、未来の瀬名夫人……

ならば、なお一層誠心誠意お仕えしなければ。

賢司はジャケットを椅子に置くと、会議へ向かうため足早に部屋を出ていった。

残された舞子は室内を軽く見回し、大きな窓辺に立って眼下に広がる街並みを眺める。

うーん……やっぱり、錦山の景色ほどはしっくりこないな。

舞子はスマホを取り出し、さまざまな角度から写真を撮っては、自身のアカウントに投稿した。フォロワーはそれなりの数がおり、投稿から間もなく「いいね」とコメントが次々と寄せられる。舞子はそれを眺めながら、無意識に口元を綻ばせた。

やがて、賢司のデスクからペンとノートを見つけ、窓際のカーペットに腰を下ろす。軽やかな線がノートに踊り、彼女の理想の街並みが少しずつ姿を現す。それはまるでおとぎ話の中にある、少女の夢を詰め込んだような
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