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第1209話

Author: 似水
舞子は慌てて由佳の手を掴み、そのまま外へと引っ張った。

「行くわよ、病院に連れていくから」

由佳の頬は赤く染まり、瞳は泉のように潤んでいた。その声を耳にすると、彼女はふらりと立ち上がり、舞子の後に続きながら問いかけた。

「どうして病院に行くの……?本当に体が熱いのよ」

舞子は由佳の両手を押さえ、彼女が無意識に服を裂かないように気を配りつつ言った。

「薬を盛られたの。だから病院に行かなきゃ」

薬を?

何を……盛られたっていうの?

もはや由佳には考える力など残されていなかった。舞子に導かれるまま、その場を後にする。

だが、バーの中は刻一刻と人が増えていき、その時、入り口から十数人がぞろぞろと入ってきた。二人はひとまず身を隠さざるを得なかった。

舞子は由佳の肩を抱き寄せ、絶えず彼女の様子をうかがう。

やがてその集団が中へ消えると、舞子は由佳を伴いエレベーターに乗り込んだ。

ゆっくりと下降する箱の中で、由佳はすでに立つ力さえ失っていた。全身を舞子に預け、彼女の負担は限界に近づいていた。

ようやく一階に着き、舞子が半ば引きずるようにして外へ向かっていると――

「お義姉さん」

背後から声が飛んだ。振り向くと、景司が友人たちを連れて中へ入ってくるところだった。

「どうしたんだ、これ?」

彼は由佳の姿を見て怪訝そうに眉をひそめる。

「誰かに薬を盛られたの。彼女が私のグラスを飲んじゃって……今、効き始めてる。病院に連れて行かないと」

舞子の説明を聞いた途端、景司の表情は鋭く引き締まった。

「どこの命知らずだ……お義姉さんに手を出すなんて。死にたいらしいな」

「その話は後にして。お願い、ちょっと手を貸して」

由佳を支えきれなくなった舞子の言葉に、景司はすぐ歩み寄った。義姉の頼みを断る理由などない。

身をかがめ、そのまま由佳を横抱きにすると、大股でドアの外へと運び出す。舞子もすぐに追い、クラブの従業員はすでに車を回しに走っていた。

外の涼風が由佳の肌を撫で、火照った体温をわずかに鎮める。意識が少し戻った彼女の目に映ったのは、男の鋭い顎のラインだった。

「あなた……誰……?」

声を絞り出すことすら重労働だった。体の奥深くで蟻が這うようなむず痒い感覚が暴れ、どうしようもなく何かを求めさせる。

景司は彼女を一瞥し、低く言い放った。

「俺が
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