かおるはじっと里香を見つめ、ふと首をかしげて、「里香ちゃん、結局何が言いたいの?」と問いかけた。里香は静かに答えた。「もう彼に歯向かうのはやめて。あなたにとって何の得にもならないから」かおるは黙ったままだったが、心の中で納得していた。仕方ない、これが現実なのだ。冬木は完全に雅之のテリトリー。彼を怒らせたら、簡単に消されるのは目に見えている。里香は真剣な顔で言った。「彼との問題は私が片付ける。だから、あなたには巻き込まれないでほしい。あなたが私の弱点になるのは嫌なの」かおるはすぐに里香を抱きしめ、「でも、里香ちゃん。私がいなかったら、あなた一人であのクソ野郎と戦うことになるでしょ?絶対いじめられるに決まってる!」と声を震わせた。里香の目に涙が浮かび、鼻をすすりながら、「大丈夫。彼と離婚したら、たとえ彼が土下座しても、二度と振り返らないから」ときっぱり言った。かおるは思わず手を叩き、「それでいいのよ!」と笑顔を見せた。二人は庭を歩きながら、昔の楽しい思い出を語り合った。時間はあっという間に過ぎ、ふと目を上げると、二階のバルコニーに立つ雅之の姿が見えた。彼はじっとこちらを見つめ、遠くからでもその苛立ちが伝わってきた。里香は軽くため息をつき、かおるに「運転手を呼ぶから、早く冬木を離れて」と静かに言った。かおるは少しうなずき、「分かった」と答えた。里香は運転手を呼び、かおるが車に乗って去っていくのを見送った。車が完全に見えなくなるまでじっと見つめてから、屋敷に戻った。二階に上がり、寝室に入ると、雅之に向かって「書斎が欲しい」と切り出した。雅之は冷たく返した。「ここはお前の家だ。好きな部屋を使えばいい」そして少し間を置いて、「僕の書斎の隣の部屋は日当たりがいい」と付け加えた。里香はその言葉には返事せず、三階の廊下の端にある部屋に行き、そこを自分の書斎にすることに決めた。雅之の書斎からはほとんど見えない場所だった。里香は執事に必要なものを伝え、すぐに手配を進めてもらった。荷物が運び込まれると、雅之は寝室から出てきて、三階に運ばれている様子を見て顔色を曇らせた。「なぜ全部三階に運ぶんだ?」執事が説明した。「奥様は三階の部屋を選ばれました。そこを新しい書斎にされるそうです」雅之の顔はさらに険しくなった。彼は無
里香が微笑んで「だいぶ慣れてきた」と言うと、聡が「ならよかった。今夜、事業拡大のためにビジネスパーティーに行くんだけど、大物たちが集まるから君も一緒に来ない?」と声をかけた。「私?」と里香が驚くと、聡は頷いて「そう。前にマツモトのプロジェクトやってたよね。業界でも知られてるし、君はうちのスタジオの顔だから、連れていけばクライアントもたくさん来ると思うんだよ」と答えた。里香は少し考えてから「わかった」と頷いた。聡は嬉しそうに笑って「じゃあ、今夜迎えに行くよ」と言い、里香も「了解」と返事をした。スタジオはまだ始まったばかりで、こういうイベントに参加するのは大事だ。このチャンスを逃すわけにはいかない。夕方、里香が荷物をまとめて外に出ると、すでに聡の車が下に停まっていた。車に乗り込むと、聡から袋を手渡され、「これ、着替えてね」と言われた。里香は袋を見ながら「そんなに派手にしなくてもいいんじゃない?ビジネスパーティーなんだし、シンプルでフォーマルな感じがいいと思うよ」と答えた。聡は驚いたように彼女を一瞥して「君を連れて行くのは本当に正解だったな」とつぶやいた。里香は淡々と微笑みながら「こういうパーティーって、みんな目的は同じで娯楽も少ないからね」と返すと、聡は頷いて「なるほど。じゃあ、任せるよ!」と頼もしく言った。パーティー会場のホテルに着くと、すでにたくさんの人が集まっていて、皆ビシッとスーツを着こなしており、どこか冷ややかな雰囲気が漂っていた。聡は里香にウインクしながら名刺を取り出し、次々に周りの人に話を掛けた。綺麗な女性が加わると、周りの反応はさらに良くなっていた。里香も最初は少し緊張していたが、聡が楽しそうにやり取りするのを見て、だんだんとリラックスしていった。その時、ふとした視線を感じ、少し不快に思った里香が振り返ると、少し離れたソファに座っている若い男性がじっとこっちを見ていた。里香は眉をひそめて、「ここで何かされることはないだろう」と心の中で思って視線を戻した。その直後、聡が里香を連れて、そのソファの近くまでやってきた。「パチッ!」突然、軽い音が横から聞こえてきた。さっきから里香を見つめていた男が、にやりと笑いながら話しかけてきたのだ。「プロジェクト探してるんだろ?ちょうどいいのがあるよ」聡
聡は振り返り、「それ、どういう意味ですか?」と少し警戒しながら尋ねた。浩輔は薄く笑いながら、「まぁ、話は座ってからだ。相手にしないつもりか?それなら、お前たちのスタジオはもう終わりだな」と、まるで無関心そうに言い放った。その横柄な態度に、聡も里香も完全に軽んじられているのが感じられた。しかも、浩輔が里香をまるで獲物のように見ていることは明らかだった。聡の顔には緊張が走り、険しい表情になった。一方、里香は一歩前に出て、「私、あなたのことは知らないんですけど」と冷静に言い返した。浩輔はそれを軽くいなすように、「関係ないさ。俺が知ってればそれで十分だ。さぁ、ここに座れ」と、自分の膝を叩いて誘う仕草をした。その場は一瞬で嘲笑に包まれ、浩輔の取り巻きたち――友人やボディガード――が、嫌らしい目つきで里香を見つめていた。周りの人たちも、助けに来るどころか、浩輔の影響力を恐れて関わりたくないという様子がはっきりと見て取れた。里香の表情も険しくなった。「この男、かなり強力な後ろ盾があるみたいね」と、里香は考えながら、一瞬視線を落とし、すぐにスマホを取り出して電話をかけ始めた。それを見た浩輔は鼻で笑い、「何だ、助けを呼ぶ気か?なら見せてもらおうじゃないか。この冬木で、俺に逆らえるやつがいるとでも?」と挑発するように言った。「二宮雅之」と、里香は静かに名前を告げた。「ちょっと困ってるの。今どこにいるの?」その声は決して大きくなかったが、会場全体に静かに響き渡った。浩輔の顔が一瞬ひきつった。「今、なんて言った?」横にいた男が慌てて、「横山さん、彼女が呼んだのは…二宮雅之みたいですよ」と囁いた。浩輔はその男の頭をパシッと叩き、「バカ言え!こんな小娘が二宮雅之なんか知ってるわけがないだろう!」と、苛立った様子で叫んだ。周りの人々は息を呑み、里香に疑いの目を向けた。彼女が本当にあの二宮雅之と知り合いなのか、誰も確信を持てずにいた。浩輔は苛立ちを隠せず、里香のスマホを強引に取り上げ、「見栄を張るのはやめろ。大人しく従わないと、お前もお前のスタジオもこの街から追い出すぞ!」と、乱暴に電話を切った。目の前の小娘が、あの二宮雅之と知り合うなんて、初めから信じていなかった。 あれは、冬木のトップの名門、二宮家の御曹司、そしてDKグル
この女、本当に雅之と知り合いだなんて!浩輔はぎこちない笑みを浮かべ、桜井に尋ねた。「最近、お忙しいですか?良かったら、食事でもどうです?」「無理ですね」桜井はきっぱりと断った。浩輔なんかに気を使う必要なんて全くない、と桜井は心の中で思った。浩輔の父親でさえ雅之の前では頭を下げるのに、その息子が一体何様のつもりだ?浩輔の顔がみるみるうちに絶望に染まった。「じゃ、行くね。聡も早く帰りなよ」里香はそう言って、聡に軽く声をかけた。「気をつけてね」聡は頷きながら返した。「わかった」里香は桜井と一緒にパーティー会場を後にした。外に出ると、夜の闇が広がり、豪華な車が路肩に静かに止まっていた。車の窓がスーッと下がり、中から男性の横顔がうっすらと見えた。彼は少し目を伏せて、どこかご機嫌な様子だった。里香は車に乗り込むと、「助けてくれてありがとう」と礼を言った。雅之は細長い黒い瞳で里香を見つめ、薄く唇を開いた。「どうお礼してくれるの?」一瞬、里香の動きが止まり、目を伏せた。雅之の細く美しい指先がライターをいじっていた。タバコを吸おうとしていたが、結局火をつけなかった。里香はしばらく黙っていたが、すぐに彼のポケットに手を入れ、タバコを取り出して自分の唇に挟むと、雅之のライターを取って火をつけた。軽く一口吸うと、煙がふわりと広がり、女性らしい色香が漂った。そして、タバコを雅之に差し出しながら「どうぞ」と誘った。雅之はじっと暗い目で彼女を見つめ、タバコを奪い取ると、そのまま窓の外に投げ捨てた。そして、里香を無理やり引き寄せて、強引にキスをした。彼女の唇にはまだタバコの味が残っていた。雅之のキスは激しく、まるで里香をそのまま体の中に飲み込もうとしているかのようだった。「ここで、僕を満足させろ」雅之は耳元で低く囁くと、里香の体が小さく震えた。ホテルの前に車は止まっている。まさか、ここで?息を乱しながらも、里香は彼の服を掴み、「車を......前に進めてくれない?」と頼んだ。里香は拒まなかった。雅之に何かを頼む以上、代償を求められることは予想していた。たとえ、二宮の妻という立場があっても、その条件を無視するわけにはいかなかった。二人の関係は、夫婦というより、まるで計算づくの恋人のようで、裏切りも
里香は一瞬固まって、思わず雅之の方を見た。車内は薄暗く、雅之の顔は影に包まれていて、表情がよく見えなかった。「私もよく分からない......」里香は戸惑いながら、つい口にした。里香は孤児で、両親がどんなふうに一緒に過ごしていたかなんて知らない。だから、理想の夫とか父親がどういうものかなんて、考えたこともなかった。でも、雅之はちゃんとした家庭で育ってるのに、なんで分からないの?聞きたかったけど、今の二人の関係を考えると、そんなことを聞いても仕方ない気がした。知ったところで、何になるんだろう?雅之は低い声で言った。「なら、今のままでいいんじゃないか?そんなに多くを望む必要はないだろ?」里香は黙ったまま、車内の空気がどんどん重くなるのを感じた。そんな時、突然スマホが鳴り響いた。画面を見ると、かおるからの電話だ。「もしもし、かおる?」かおるはもう荷物をまとめて出発の準備をしていると思った。でも、電話口のかおるの声はひどく乱れていた。「里香ちゃん、雅之の手下が私を連れ去ろうとしてる!私......キャー!」かおるの声が途切れると同時に、電話の向こうから騒音が聞こえ、最後に彼女の悲鳴が響き渡り、電話は切れた。「もしもし!?かおる!?」里香の顔が一気に険しくなったが、電話はすでに切れている。「かおるを連れ去ったの?あなた、一体何を考えてるの?私、こんなにあなたの言うことを聞いてるのに、まだ何が足りないっていうの?」里香はほとんど叫びながら雅之を睨みつけ、目は真っ赤になっていた。雅之は眉を寄せ、「何の話だ?」里香はスマホを握りしめた。「かおるを放して。彼女はもう何もできない。あなたの言うことを聞くから、離婚の話も持ち出さないって約束するから、お願いだから、かおるを解放して!」里香の声は懇願そのもので、雅之を必死に見つめた。雅之はじっと彼女を見つめながら、陰鬱な表情で「僕はやってない」と短く言った。里香はその言葉を拒絶されたと勘違いして、涙が止めどなく溢れた。「お願い、私にあなたを憎ませないで......」かおるがそう言っていたのだから、雅之の仕業に間違いないはずなのに。雅之は里香をじっと見つめ、周囲の空気がさらに冷たくなった。そして、スマホを取り出して桜井に電話をかけると、「かおるの居場
「かおるを連れて去ったのは僕の手下だ。どこに行ったのかは僕も知らない。今探している」雅之は彼女に説明したが、実際、自分の手下がかおるを連れて行ったのは間違いなかった。手下の中に裏切り者が出たのだ。なぜかおるを連れ去ったのか、誰の命令だったのか、まだ調査が必要だが、今はまず里香にきちんと説明しなければならなかった。「この件、言われるまで僕も知らなかったんだ」雅之は低い声で言った。里香のまつげが微かに震え、指がわずかに縮こまった。彼女は小さな声で問いかけた。「手下がかおるを連れ去ったのに、あなたが知らないなんてことがあるの?」里香は雅之が嘘をついていると感じた。彼は前から、かおるが彼女の弱点であることを知っていて、かおるを捕らえれば、自分を思い通りに従わせられると考えていたのだ。雅之の顔色が暗くなり、彼女の前まで歩み寄った。「つまり、僕を信じてないってことか?」里香は何も言わなかったが、それが答えだった。雅之は非常に苛立ち、彼の表情はますます険しくなった。「この件は僕には関係ないんだ」彼は低く言い放った。里香は言った。「じゃあ、早くかおるを見つけて。彼女が危険な目に遭わないように」里香の声は震えていて、もしもかおるに何かあったら、自分がどうなるかを想像することさえできなかった。雅之は黙り込み、表情はさらに険しくなった。里香はソファに座り、静かに待っていた。かおるは誰かに捕らえられ、目隠しをされ、口にもテープを貼られて車に放り込まれていた。言葉を発することもできなかったが、人々の会話が耳に入ってきた。そのボディガードの一人が言った。「社長が命じたんだ。この女を閉じ込めておけ、いつでも指示を待つようにって」「そうだな、これを使っておくか。僕たちもちょっと楽しめるし」かおるは聞きながら、身体を激しく動かして抵抗した。しかし、すぐに彼女の鼻の下に強烈な臭いが漂い、呼吸を止めようとした時にはもう遅かった。顔色が青白くなり始めた。この連中、いったい何をしたのか?二宮雅之め、あのクソ野郎は何をしようとしているんだ!かおるは混乱したが、すぐに彼女の身体が反応を示し始めた。熱い......身体の奥底から這い上がってくるような熱が、波のように襲いかかり、全身がだるくなっていく。かおるはクラブやバーで遊ぶのが好きだ
かおるのもがく動きはだんだんと小さくなっていった。心の中には絶望が広がっていく。次の瞬間、腕が突然引っ張られ、体全体が冷たい感触の胸に落ちた。「とりあえずこうやって縛っておくか。どうせ解放しても、ろくなことを言わないだろう」上から男のだるそうな声が響いた。月宮はかおるを抱きかかえ、別の車に乗り込み、座席に彼女を置くと、ゆっくりと彼女の手首に巻かれた縄を解き始め、同時に雅之に電話をかけた。「雅之、見つけたよ。ああ、あの連中も捕まえた。君のところに届けるから、しっかり調べてくれ」「分かった」電話越しに聞こえるのは雅之の冷たく淡々とした声だった。かおるはぼんやりしていたが、まだ意識はあり、その会話を聞いて少し戸惑った。雅之が自分を捕まえさせたわけではなかったのか?では、あのボディガードたちはどうして雅之の指示だと言ったのだろう?その時、口に貼られていたテープがビリッと剥がされ、激痛が彼女を一瞬で目覚めさせた。「っ......!」痛みに息を呑み、顔が真っ白になった彼女を見て、月宮は軽く笑った。「そんなに痛いか?」かおるの目隠しはまだ外されていなかったが、その声を聞いてすぐに言った。「自分で試してみなよ、痛くて死にそうになるよ」月宮は「やめとくよ、それよりもう一度口を塞いでおこうか」と冗談交じりに揶揄った。かおるは急いで身をかわした。この時点で両手は自由になり、すぐに目隠しを外した。そして、目の前に座っている月宮の姿が目に入った。車内はリムジンのように広々としており、室内には必要な設備が揃っていて、座席の快適さには思わず転がりたくなるほどだった。かおるは目を細め、息を吐き出してから、「雅之が人を送って私を捕まえたんじゃないの?」と問いかけた。月宮は答えた。「雅之が君を捕まえてどうするんだ?怒鳴られたいのか?」かおるは口を尖らせて言った。「里香ちゃんを脅そうとしたんじゃないの?彼ならやりかねないでしょ」月宮は驚いて言った。「そんなことまでしていたのか?」「知らなかったの?」かおるは鼻で笑った。月宮は体をもたれかけさせて、気だるそうに言った。「本当に知らなかったよ、もし知っていたら、そんなことはさせなかっただろうな」彼は確実に止めただろう。雅之が里香と離婚したくないことは知っていたから、こんな
車は夜の闇に向かって高速で走り続けていた。かおるは手足を再び縛られ、後部座席に無造作に放り込まれている。月宮は険しい表情でハンドルを握り、見るからに機嫌が最悪だった。なんでこんな厄介なことに巻き込まれちまったんだ?もしこの女が俺のせいで死んだらどうする?刑務所なんてごめんだ!一番近い別荘に着くと、月宮はかおるを肩に担ぎ、そのまま家の中へと入っていった。執事はその姿を見て、思わず口をポカンと開けたままだ。「ぼ、坊ちゃん、法に触れるようなことは、奥様が知ったら卒倒しますって!」執事は震える声で後ろから必死に諭した。何よりも、月宮のやることは到底まともには見えなかった。しかし、月宮は全く耳を貸さなかった。少女の手足は縛られたままで、頬は赤く染まり、目は朦朧としながら何かを呟いている。その様子から見ても、彼女が自分から望んでいることではないのは明らかだった。執事は月宮の幼い頃からずっと見守ってきた。坊ちゃんがいくら気性が荒くなっても、こんな道徳に反することをする子じゃなかったはずなのに......!こんなことしちゃ絶対に駄目だ!月宮は執事を一瞥しながら階段を上がり、「俺がこの女に興味あるとでも?」と一言。執事は呆気に取られ、「え…?」と声を漏らした。月宮は続けて、「女性用の服を用意してくれ」と指示した。肩にかけたかおるがまた身じろぎすると、彼はこめかみにピクッと怒りの筋を浮かべながらも、急ぎ足で客室に向かい、かおるを浴槽に放り込むとシャワーの水を勢いよくひねった。冷たい水がかおるにかかり、かおるはびっくりして少し意識を取り戻した。月宮はかおるが目を開いたのを確認すると、シャワーヘッドを手渡して「自分で流せ。ちゃんと終わったら出てこいよ。俺はそんな手間をかけるつもりはないからな」と吐き捨てるように言って浴室を出ていった。かおる:「......」かおるは怒りを覚えた。病院に連れて行く方が手っ取り早いじゃないの?医者の方がよっぽどマシでしょ?本当、やってられない!一方、月宮は外に出ると雅之に電話をかけ、現在地を送った。その後、バルコニーに立ち、微かに浴室から水音が聞こえてくるのを苛立ちながら耳にしていた。その時、浴室からかおるの怒鳴り声が響き渡る。「月宮!」月宮は眉をひそめて振り返り、「今度は何だよ?」と不機嫌そ
雅之はその言葉を聞いて、きりりとした眉をわずかにひそめた。「でもさ、それじゃお前が無理することにならないか?」なにしろ、もう二度も結婚している。だからこそ、盛大でロマンチックな式を――幸福と愛を周囲にしっかり見せつけるような、そんな式をしてやりたかった。けれど、里香は静かに言った。「私が嬉しくて、気に入ってれば、それで十分なの」その言葉に、雅之はそっと彼女を抱き寄せた。ふわりと香る匂いを吸い込みながらも、腕の力は無意識に強まっていた――とはいえ、お腹を圧迫しないよう、その加減には細心の注意を払っていた。「わかった。全部、お前の望む通りにしよう」微笑んだ里香が、優しく抱き返してくれる。ただ、里香の予想を超えていたのは、式が控えめで落ち着いたものだったのに対し、プロポーズがとんでもなく盛大だったことだ。それは、風も穏やかで日差しの暖かい、ある朝のこと。かおるが瀬名家を訪ねてきて、散歩に行こうと誘ってきた。日に日に暖かくなる季節、新鮮な空気を吸うにはちょうどいい日だった。やけにテンションの高いかおるを、思わず不思議そうに見つめた。「どうしたの?」運転しながらも、かおるは慎重な口調で答えた。「久しぶりに一緒に買い物行けるんだよ?そりゃテンション上がるって!」「でも、一週間前にも一緒に出かけたよね?」「いや、あれは違うの」そう言って、ぶんぶんと首を振るかおる。その内心では、ますます緊張が高まっていた。「……何が違うの?」「とにかく違うの!もう質問しないで!今、集中して運転してるんだから!」あ、そう。まぁ、いっか。表情にこそ出さなかったが、心の中にはほんのりとした疑念がよぎった。なんか変。今日のかおる、やっぱりどこかおかしい。やがて車はムーンベイの森林公園に到着。緑が生い茂り、景色は実に美しい。駐車場に車を停めると、かおるは腕を取って観光用のカートに乗り込んだ。見晴らしの良いルートを走り始め、さらに10分ほどすると、カートはある場所で止まった。「今日はここでキャンプしようって思ってるの。すごくいい場所見つけたんだよ、景色も最高!」「いいね」里香はうなずいた。遠くに、人影がいくつか見えた。すでにテントが張られ、月宮は花柄のシャツにサングラスという妙な格好で、バーベキューグリルの
「新年おめでとう。最近はどうしてる?」祐介の声には、どこか微笑んでいるような響きがあった。「元気にしてるよ。実の両親が見つかって、今は錦山に戻ってきたの」「ニュースで見たよ。まだちゃんとお祝い言えてなかったね」その声には、ほんの少し寂しさが滲んでいた。里香はふと目を伏せ、何を返せばいいのか分からなくなった。あの頃の二人は、あと少しで何かがはっきりするところだった。一線を越えてしまえば、すべてが変わってしまう。だからこそ、踏み出せなかった。沈黙が、しばらく続いた。「海外に行くことにした」ようやく、祐介が口を開いた。里香は驚いて、思わず聞き返した。「えっ、どうして急に?」「……ごめん」けれど、理由は語られず、代わりに返ってきたのは謝罪の言葉だった。その一言に、里香は思考が止まってしまった。何かを言おうとしたけど、言葉が出てこない。「前に、君の力になれなくて、本当に悪かった。しかも後からいろいろ迷惑もかけて……ごめん」祐介の言葉はあくまで遠回しだったけれど、それでも何を指しているのかははっきり伝わってきた。里香は小さく息をついて、静かに答えた。「分かった、受け止めるよ。海外に行くって決めたなら、ちゃんと頑張って。あなたならきっと、望んでるものが手に入る」祐介が求めていたのは、いつだって「地位」だった。自分の存在は、その過程でたまたま引っかかっただけだったのかもしれない。祐介は少し笑って言った。「ありがとう。君の言葉、励みになるよ。君の結婚式には出られそうにないし、招待状も送らなくて大丈夫」里香は黙ったままだった。そのとき、祐介の背後から誰かの声が聞こえた。搭乗の時間を知らせる声だろう。「じゃあ、切るね……さようなら」そう言い残して、祐介は返事も待たずに通話を切った。里香はスマホを見つめながら、どこかぼんやりとした表情でそこに立ち尽くしていた。頭の中では、祐介と過ごした日々が静かに蘇ってくる。まるで夢みたいだった。「何考えてたの?」不意に、低く響く声が耳に届く。振り向くと、雅之が近づいてきて、何も言わずに隣に腰を下ろし、そっと抱きしめてくれた。ちょうど運動した後でシャワーを浴びたばかりなのだろう、彼の身体からは爽やかで心地よい香りがした。この匂い、
真剣な表情ではあったけれど、言っていることは、ある意味いちばん臆病なセリフだった。里香はぱちぱちと瞬きをしながら雅之の顔を見つめ、ふと、何かがおかしいことに気づいた。……どこか変。何だろう、この違和感。そっと自分の手を引き抜いて、試すように問いかけた。「何のこと?」それを聞いた雅之は一瞬動きを止めたが、すぐに何かに気づいたような顔をした。「……お前さ、僕が何の話をしてると思った?」彼の視線は彼女の顔をじっと見つめ、最後には赤く染まった耳に止まった。その様子に、ふっと口元を緩める。「ってことは……したくなったんだ、セックス」「う、うるさいっ!」里香は慌てて彼の口を手でふさいだ。「な、何言ってんのよ!? 私がそんなこと思うわけないでしょ!」雅之はそれでも逃げず、ただそのまま彼女の柔らかい手が唇を覆っているのを受け入れていた。彼の浅い呼吸が指先に触れ、その温もりがじんわりと伝わってくる。その感覚が、まるで糸のように心に絡みついて、胸をざわつかせた。ビクッとして思わず手を引っ込めた里香は、さっと布団をめくって横になり、背を向けた。「寝る!寝るから。眠いの」「……うん、寝よう」雅之もそう答えたが、その瞳の奥はさっきよりもさらに深く、暗く沈んでいた。電気が消えると、部屋は静かな闇に包まれた。いつものように、雅之はそっと里香を抱きしめて、そのぬくもりを感じていた。けれど、里香の体はほんの少し緊張していた。認めざるを得ない。妊娠してからというもの、確かに欲が出てきた。しかも、その気持ちはかなり強い。……でも、それを口に出す勇気はなかった。暗闇の中で唇をぎゅっと噛みしめながら、無理やりでも眠ろうと目を閉じた。だけど、そんなふうに意識すればするほど、逆に眠れなくなっていく。そのときだった。彼の大きな手は、いつもならおとなしく下腹部に置かれていたのに……突然落ち着きをなくし、衣服の中へと忍び込み、滑らかな肌に触れながらゆっくりと上へと移動していく。「ちょ、なにしてるの……?」里香はとっさに彼の手を押さえた。けれど、タイミングが悪く、ちょうど胸に手が当たってしまう。雅之はそのまま口元を緩めて言った。「へえ、こんなに積極的だったんだ」「違うってば!手、どけてよ!
雅之は彼女を一瞥して、ふっと口を開いた。「お前にとって、俺が薄情じゃないとき、あったっけ?」かおるは何も言えず、沈黙した。……そう言われてみれば、確かに反論できない。それを見て月宮がくすっと笑い、「まあまあ、元気になってから好きなだけ言えばいいじゃん。今はちょっと勘弁してやんなよ」と軽く言った。かおるはじろっとにらみ返しながら、「そんなひどいこと言った覚えないんだけど」とぶつぶつ。夜も更け、遠くで花火が次々と打ち上げられている。里香は雅之の整った顔を見つめながら、ふと静かに口を開いた。「雅之、お正月のプレゼント、あげる」「ん?なに?」不思議そうに彼女を見る雅之。里香はお腹に手を当て、にっこり笑って言った。「妊娠したの」その言葉に、雅之の顔に驚きが一瞬で広がる。黒い瞳が信じられないという色に染まり、交互に彼女の顔とお腹を見比べた。「……本当に?」声はとても小さく、まるで夢を見ているような響きだった。里香はそっと近づき、彼の手を取って自分のお腹に当てた。「感じる?」雅之はおそるおそる手を置いたが、押す力も加えられず、ただそっと触れるだけ。もちろん、まだ何も感じられなかった。それでも、気持ちは確かに変わった。里香が妊娠した。それも、自分の子どもを――彼らにはもう、子どもがいる。これから、自分たちは父親と母親になるんだ。「うぅ……」その時、不意に場違いなすすり泣きが響いた。かおるが口を押さえたまま、勢いよく病室を飛び出していく。月宮は驚いて「あれ、どうした?」と声を上げ、慌てて彼女の後を追った。景司は肩をすくめ、軽く首を振ると、その場を離れて二人に時間と空間を譲った。雅之は里香の手をしっかり握りしめ、その手を自分の額に当てた。表情は真剣そのものだった。「里香……ありがとう。もう一度愛してくれて」まだかすれた声だったが、目のふちがたちまち赤く染まっていた。里香は両手で彼の顔を包み、そっと額にキスをしてから、まっすぐに彼の瞳を見つめた。「雅之、私は頑張って、もう一度あなたを愛する。でもね……もう二度と嘘はつかないで。もしまた嘘ついたら、子ども連れて出ていくから。しかも、子どもには『おじさん』って呼ばせるから!」雅之は彼女の後頭部に腕を回し、唇を重ね
もういい。帰ってきてくれただけで十分。帰ってきてくれた、それだけでいい。少なくとも、今こうして二人が同じ場所にいれば——雅之が目を覚ました時に、ちゃんと説明できるはずだから。里香は帰らず、そのまま病院に泊まり込むことにした。雅之が目を覚ますのを、ここで待つつもりだった。かおるも仕方なく一緒に残ることにした。やっぱり心配だったのだ。何と言っても、里香は今、妊娠中なのだから。翌日。景司が病室にやってきた時、里香は丁寧に雅之の身体を拭いているところだった。優しい眼差しで、根気よく、ひとつひとつ心を込めて世話をしていた。「里香、家に電話しとけよ。今日は大晦日だし」「うん、わかった」頷いた里香は、身体を拭き終わるとスマートフォンを取り出してソファに腰掛け、グループチャットを開いてビデオ通話をかけた。すぐに繋がり、画面には眼鏡をかけた秀樹の姿が映った。「お父さん、大晦日おめでとう!」にこっと笑いかけると、秀樹もにこやかに頷いた。「おめでとう。お前もな。それで、雅之はどうだ?」「危険な状態は脱したよ。あとは、目を覚ましてくれれば大丈夫」秀樹は安心したように頷いて、「里香ちゃん、無理すんなよ。ちゃんと休めよ、いいな?」と声をかけた。「うん、わかってるよ、お父さん」そのあと賢司も少しアドバイスをくれて、瀬名家のほかの家族たちも次々に顔を出して声をかけてきた。今の里香は、瀬名家にとっていちばん大切な存在。みんなが自然と彼女に気を配っていた。里香は一人ひとりに丁寧に応じ、ほぼ一時間ほど通話してから、ようやくスマートフォンを置いた。外はすっかり車通りが少なくなり、街は静けさに包まれていた。みんな、家で年越しをしているのだろう。昼頃、かおると月宮がやって来た。「特別においしい料理、用意してきたのよ。場所が病院でも、お正月はお正月!おいしいものたくさん食べて、元気つけなきゃ!」かおるはにこにこしながら声を弾ませた。「うん。彼が退院したら、今度は私がご飯作ってあげるね」その言葉に、かおるはぱっと顔を輝かせた。「わあ、いいね!どんな腕のいいシェフが作っても、あなたのご飯には敵わないわよ!」月宮も穏やかに頷いた。「うん、確かに」里香の視線は自然と、病室のベッドの上に向かった。雅之はまだ昏睡状態
里香はなんとか感情を抑えながら、月宮に尋ねた。「中に入ってもいい?」ここまで来て、断れるはずがなかった。月宮はすぐに人を手配してくれた。里香は防護服を身に着け、病室へと入った。マスク越しでもわかるほど、消毒液のきつい匂いが鼻をついた。そんな中、彼のもとへ一歩一歩近づいていく。雅之の周囲には数々の医療機器が並び、顔には酸素マスク。整った顔立ちは青白く、やせ細っていた。里香はそっと歩み寄り、触れようと手を伸ばしかけたが、ふと自分の手袋に気づき、手を止めた。これじゃ、何の感触も伝わらない。「雅之……」手を下ろし、ベッドのそばに立ったまま名前を呼んだ。その声は鼻が詰まっているような、こもった声だった。瞬きを繰り返しながら、必死で感情を抑えようとした。「なんで……なんで何の連絡もなしに消えたの?メッセージのひとつもなくて、私がどれだけ怒ってたか、わかってる?それに……聡があなたの人間なら、なんでもっと早く教えてくれなかったの?ちゃんと説明してくれてたら、私、あんなに怒らなかったのに……」ねぇ、わざとでしょ?わざと目を覚まさないで、わざと私に会わなかったんでしょ?私が焦ってるの見たかったんでしょ?私に折れてほしかったんでしょ?」だんだんと声が震え、最後には嗚咽混じりになっていた。けれど、涙を拭くこともできなかった。ただ、頬を伝う涙が視界を曇らせるのを、なすがままにするしかなかった。「雅之……お願いだから目を覚まして。それだけでいい。それだけで……全部、許すから」その言葉が終わった直後だった。突然、荒い呼吸音が響き、すぐそばの医療機器が警報を鳴らし始めた。医者と看護師が飛び込んできて、里香は外へと押し出された。「どうしたの!?彼、どうなったの!?」里香が必死に問いかけると、医者は手短に告げた。「今すぐ検査をしますので、外でお待ちください!」廊下へ押し出された里香のもとに、かおるが駆け寄って支えた。「どうしたの!?何があったの!?」里香は混乱したまま首を振り、まつ毛にはまだ涙が残っていた。「わたしにも……わからないの……今、彼と話してたのに、急に外に出されて……」かおるはそっと彼女を抱きしめた。「大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫だから。たぶんね、雅之が里香ちゃんの
里香が突然帰ると言い出したことで、瀬名家の人々は驚きを隠せなかった。賢司と秀樹が慌てて里香の部屋に駆けつけると、彼女はすでに荷物をまとめ終えており、二人とも不安げな表情を浮かべていた。「里香、一体どうしたんだ?なんでそんなに急いでるんだ?」秀樹が一歩前に出て問いかけると、里香は深く息を吸い込み、落ち着いた声で答えた。「雅之がケガをしたんです。どうしても会いに行かなきゃって思って……」「な……」秀樹は一瞬言葉を失った。つい最近まで、彼女は雅之のことをひどく嫌っていたはずだ。顔も見たくないって言っていたのに……どうして突然、気持ちが変わったんだ?秀樹をまっすぐ見つめながら、里香は目を潤ませて言った。「お父さん、ごめんなさい。一緒に年越しできなくて……でも、行かなきゃ。行かなかったら、きっと後悔する。きっと一生悔やむと思うの」その様子は、あまりにも切実だった。秀樹は「年越してからにしろ」と言いかけたが、結局その言葉を飲み込んだ。代わりに賢司が口を開いた。「まず、こっちでも状況を調べてみるよ」もはや、二人にも彼女を引き止めることはできなかった。なにしろ、雅之は里香のお腹の子の父親なのだから。秀樹は小さく息を吐いて言った。「せっかく帰ってきてくれたし、みんなで久しぶりに団らんの年越しかと思ってたんだが……来年までお預けになりそうだな」「彼が無事なら、すぐ戻ってきます」里香がきっぱりとそう答えると、「うん、無理するなよ。子どもの父親でもあるし……」と、秀樹もそれ以上は何も言えなかった。景司はすぐにプライベートジェットの運航ルートを手配し、里香はスーツケースを持って飛行機へと乗り込んだ。景司も同乗していた。「一人で帰らせるのは心配だしな。俺も一緒に行くよ」「そうだ、それがいい」秀樹も頷いた。「何かあったら、景司に全部任せておけ」賢司も一言添えた。「里香のこと、頼んだぞ」ここまで言われて、里香もさすがに断れなかった。「できるだけ早く戻ります」家族の顔を見つめながら、涙ぐんでそう言った。飛行機は滑走路を離れ、夜の空へと飛び立っていった。冬木。二宮グループ傘下の病院内。集中治療室の明かりは、いつもどおり、こうこうと灯っていた。桜井はいつものように様子を見に
里香はまだ少し半信半疑だったが、景司の落ち着いた表情を見て、彼が否定しないことに気づいた。……本当なの?もしこれがかおるの耳に入ったら、喜びすぎて気絶するんじゃないか?そう思いながら、里香は鼻を軽くこすってから視線をそらした。夕方。秀樹が帰ってきた。明日は大晦日。瀬名家の人たちも次々と集まり始めていて、リビングはいつも以上ににぎやかだった。里香はかなり疲れていて、二階で少し眠ったあともそのままベッドで横になっていた。ときどき、階下から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。外では子どもたちが雪遊びをしているらしく、にぎやかな声が混じっていた。でも、里香の心はぽっかりと穴が空いたようで、どこか現実感がなかった。ふいに月宮に言われた言葉を思い出し、唇をきゅっと引き結んだ。スマホを手に取り、ロックを解除して、スクリーンセーバーの写真を見つめながら、お腹にそっと手を添えた。そのとき、スマホが震えた。かおるからのメッセージだった。【大変!!】【里香ちゃん、雅之が銃で撃たれて、ずっと昏睡状態なんだよ!】【ねえ、見た!?メッセージ見た!?】立て続けに三通。尋常じゃない内容に、里香は思わず体を起こした。顔から血の気が引いていくのが、自分でもはっきり分かった。文字は読めるのに、意味が頭に入ってこない。銃で撃たれた?長い間昏睡状態って、どういうこと?そんなはずない。雅之が撃たれただなんて……なんで……!?震える指で、かおるの番号をタップした。なんとか発信できたものの、声を出そうとしても、うまく出なかった。「……もしもし、かおる?さっきの……どういうことなの……?」なるべく冷静に話そうとしたけど、声の震えは止められなかった。電話の向こうのかおるも、明らかに動揺していた。「私も、さっき聞いたばっかりなの!あのね、瀬名家であなたの歓迎会が終わった後、雅之、何も言わずに帰ったでしょ?それで、その夜に冬木に戻って、いきなり撃たれたんだって!しかも心臓をかすめたって言うから、本当に危なかったらしくて……今も集中治療室にいて、まだ意識が戻ってないの!」「どうしてそんなことに……」里香の顔は信じられないというより、恐怖に染まっていた。かおるは焦りながら、なおも言葉を重ねた。「詳しいことは全然わか
月宮の目を見つめながら、かおるはしばらく黙っていた。――月宮と縁を切る?無理に決まってる。月宮家は冬木じゃいろんな人脈が絡んでて、普通の集まりでも顔を合わせることなんてざらにある。だから、唯一の方法は距離を取ること。あとは冷たくするしかない。それに、こんなことで月宮と揉めたくもなかった。「じゃあ、それで決まりね。あの人からまた連絡きたら、すぐ教えて」かおるは、本気でこれ以上この話を引きずる気はなかった。月宮は口元に微かに笑みを浮かべ、「もちろん」と答えた。そして、かおるのそばに腰を下ろし、じっと見つめながら聞いた。「一緒に帰るか?」明日は大晦日。結婚してから初めての年越しで、年が明けたらすぐに式も控えている。かおるは「うん」と頷き、立ち上がりながら言った。「ちょっと、里香に声かけてくるね」月宮も頷いた。「一緒に降りようか」玄関に向かって歩きながら、かおるはふと思い出したように聞いた。「そういえばさ、雅之って今何してるか知ってる?全然連絡ないし、音沙汰なしじゃん」月宮はどこか意味ありげな目でかおるを一瞥し、「さっき里香と話したけど、彼女、雅之には全然興味なさそうだったよ」と言った。かおるはその言葉に少し違和感を覚えた。でも、里香の最近の様子を思えば、あながち間違いとも言えず、それ以上は何も言わなかった。「じゃ、その話は置いとこっか」階段を降りたかおるは、里香に冬木へ帰ることを伝えた。「ほんと、あんたって根性ないんだから」里香は笑ってからかうと、それを聞いた月宮は眉をひそめた。「かおる、やっと機嫌取れたばっかなんだから、邪魔しないでくれる?小松さん」里香はそれを無視して、かおるに持たせる荷物を用意させた。かおるは遠慮なく、それらを全部受け取った。玄関まで来て、かおるは里香をぎゅっと抱きしめた。「じゃ、数日後に戻ってくるから。外寒いし、見送りはいいよ」「うん」里香は頷き、二人の背を見送った。ふと振り返ると、賢司が階段から降りてきた。黒のタートルネックニットがよく似合っていて、姿勢もしゃんとしていた。「お兄ちゃん」里香が声をかけると、賢司はそれに応えて尋ねた。「もう帰ったのか?」「うん」里香が頷いた。「誰が?」ちょうどそのとき、景司