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第667話

Author: 似水
雅之が電話を取った瞬間、表情が一変し、顔が冷たく引き締まった。そして桜井に目を向け、低く鋭い声で命じた。

「すぐに聡に連絡して里香の居場所を特定させろ。仲間も集めてくれ」

桜井は一瞬戸惑った表情を見せる。「でも、社長、株主総会がもうすぐ始まります。このタイミングで抜けるのは……」

「いいから早く行け!」

雅之の声には明らかな焦りがにじんでいた。

彼はその時すでに二宮グループのビルの正面に立っており、迷うことなく車に乗り込むと、エンジンをかけて猛スピードで走り出した。

向かう先は――あの場所だった。

あの場所……

一度封じ込めたはずの記憶が、脳裏をえぐるように蘇った。

誘拐され、廃工場に閉じ込められた、あの日々――みなみと二人で耐えた地獄の時間。

食べ物も水もなく、力尽きかけていた5日目。二宮家からの助けは訪れず、犯人の怒りが爆発した。

彼はガソリンを持ち出し、廃工場の地面に撒き散らした。鼻を突く刺激臭が広がる中、二人は死を覚悟せざるを得なかった。

もう終わりだ――そう思ったその時、遠くから警笛の音が聞こえた。音はだんだん近づいてくる。

微かな希望の光が差し込んだ、はずだった。

だが、追い詰められた犯人は逆上し、廃工場に火を放った。

炎が激しく燃え上がる中、みなみはなんとか縄を解き、雅之のもとへ走り寄った。

「じっとしてて!すぐ縄を解くから!」

しかしその手は震えており、雅之の目にはみなみの手首に深い傷が刻まれているのが見えた。

「お兄ちゃん、怪我してるじゃないか!」

みなみは痛みを無視して必死に縄を解こうとしていた。「平気だよ、まさくん。絶対に助ける。俺たちはここから無事に出るんだ!」

火がすぐ足元まで迫っているというのに、彼の言葉は穏やかで温かく、どこか安心させるような笑みさえ浮かべていた。

雅之はただ、みなみを見つめることしかできなかった。

その時、犯人が突然狂ったように刃物を持ってみなみに襲いかかり、その背中に刃を突き立てた!

同時に、みなみは雅之の縄を解き終えていた。

「走れ!早く逃げろ!」

みなみは咄嗟に犯人を押さえつけ、雅之に鋭い目で叫んだ。

雅之は力を振り絞って立ち上がろうとしたが、数日間飲まず食わずだった体は思うように動かない。

こんなに自分が弱っているなら、みなみにはどれだけの力が残されているん
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