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第965話

作者: 似水
星野は仕立ての良いスーツに身を包み、ゆっくりと聡のもとへ歩み寄る。その眼差しは獲物を捉えるように貪欲で、彼女の全身を何度も視線でなぞった。

この数か月、聡の生活はまさに冒険そのものだった。北極ではオーロラを見上げ、南極ではペンギンと記念撮影。アフリカの奥地では野生動物の大移動を見届け、果てはエベレストの頂にも立った。

まるで本来の自分を解き放ったかのように、SNSにアップされる彼女の投稿には、自由そのものが滲み出ていた。

そして今日、久しぶりに彼女と再会した。

聡は品のある白いドレスを纏い、重厚で優美な雰囲気を漂わせながら、両手で赤ワインのボトルを抱えて微笑んでいた。

「君は……」

何か言いかけた星野だったが、すぐに乾杯の時間が迫っていた。今はゆっくり言葉を交わす余裕もない。

彼はそっと聡に近づき、小さな声で囁いた。

「後で……逃げないでくれますか?」

聡は何も言わず、代わりにグラスにワインを注ぎ始めた。

二人はテーブルをまわりながら、ワインを注ぎ、トレーを手に立ち働いた。

すべてが終わったとき、すでに四十分が経っていた。

メインテーブルには、月宮とかおるのための特等席が設けられていた。

そこには月宮の両親、雅之と里香、そして琉生が座っており、四人でひとつのテーブルを囲んでいた。

かおるは乾杯用のドレスを着たまま席につき、少し肩の力が抜けたように呟いた。

「やっとご飯が食べられる……」

月宮の母・直美(なおみ)が、彼女の皿におかずを取り分けた。

「痩せちゃって。最近、スタイル維持のためにちゃんと食べてなかったんでしょ?」

「お義母さん、ありがとう。今日はいっぱい食べます」

かおるは少し気恥ずかしそうにお礼を言いながら、直美の変化に驚いた。

目線を里香に向けると、すぐに合点がいった。

そうか、瀬名家と里香の件があったから、直美の態度も変わったんだ。

以前なら、目も合わせてくれなかったし、おかずを取り分けてくれるなんて想像もできなかった。

何と言えばいいか分からないまま、かおるは深く考えすぎず、目の前の料理と会話を楽しむことにした。

午後からは、新婚部屋でのパーティーが控えている。

その新婚部屋は、月宮が新たに購入した海辺の別荘で、かおるの趣味に合わせて改装されたばかりだった。

別荘に到着すると、そこには祝福の空気が満
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