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第15話

Author: 空木林
「桐生」

音瀬は少し動揺しながら、湊斗の胸に凭れた。彼の鼓動が直接耳に届くほど、距離が近い。

それが妙に落ち着かなくて、気まずい。

「降ろして、もう平気」

「平気?」

湊斗の目には冷えた光が宿っていた。「これで平気?今にも倒れそうな顔してるくせに」

音瀬はくすっと笑った。

なるほど、この男は性格が悪い上に口も毒。せっかくの美形が台無しだな。

「本当に大丈夫。ただ……お腹が空いて、低血糖で、ちょっと足に力が入らないだけ」

「なら、飯を食うぞ!」

病院は名盤山の近くだし、わざわざ山荘まで戻るのも面倒だ。湊斗は適当に近くの店を探して入った。

場所が場所なだけに、店内は閑散としていて、料理の種類も少なかった。

湊斗は若干苛立った様子で言った。「ろくなもんがねぇな。適当に食っとけ」

「何でもいいよ」音瀬はさっき店員からもらった飴玉を口に含みながら言った。

「腹が満たされればそれでいい」

「お前、こだわりねぇな」

湊斗はグラスに水を注ぎ、一つを彼女に差し出した。

「こんな若いのに、そんなに体弱いのか?」

嫌味たっぷりの一言。

音瀬は慣れた様子で、淡々と説明した。

「体は丈夫よ。ただ、低血糖のせいで空腹には弱いだけ……」

ノックの音が響き、大塚が入ってきた。軟膏を持ってきたようだ。

「兄さん、持ってきたよ」

湊斗はそれを受け取り、続けて指示を出した。「湯を張った桶とタオルも持ってこさせろ」

「了解」大塚は頷いて、部屋を出て行った。

すぐに店員が熱い湯とタオルを運んできた。「桐生様、何かお手伝いしましょうか?」

「いい、下がれ」

湊斗は手を振って店員を下がらせると、音瀬に向かって椅子を指さした。「乗せろ」

音瀬は思った。彼が自分で薬を塗るの?

いや、さすがにそれはどうなんだ?

「チッ」湊斗は苛立ったように舌打ちすると、音瀬の足首を掴み、そのまま椅子の上に乗せた。

スカートをさっと持ち上げると、青黒く腫れた丸い膝が露わになった。

珍しく穏やかな声で言った。「ちょっと痛むぞ、我慢しろ」

「いいよ、自分でやる」音瀬はまだ拒もうとした。

「動くな」

湊斗は眉をひそめた。「お前が俺に借りを作ったからやってやるだけだ。誰が好き好んでこんなことするか」

「じっとしてろ!」

「あぁ」

湊斗に押さえられ、音瀬は観念して動かな
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