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第881話 最初から秘密なんてなかった
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車が遠ざかるなか、三井鈴は本を膝に乗せ、一冊ずつ丁寧にページをめくっていた。「三井さん、ご自宅に戻りますか？それとも帝都グループへ？」「空港に」運転手はルームミラー越しに驚いたように彼女を見たが、三井鈴の表情はいつも通りだった。「フランスに戻るわ」……フランスで雨宮家は相当にやっかいな相手として知られていた。家長の雨宮鷹斗は実業で財を成し、若いころは酒の席を這い上がってきた男だった。現在もその文化を忠実に守っており、雨宮家と商談をするには、まずは飲むことが条件だった。……その頃、田中仁は二日連続で雨宮家に泊まり込んでいた。三井鈴が流風社の汚名を晴らしてくれたおかげで、彼の負担は大きく軽減されたが、それでも財閥間の調整は彼の仕事だった。彼は命を削る勢いで酒を飲んでいた。誰に勧められても一杯も断らず、酔い潰れるまで飲み続けた。その様子に雨宮栞里も違和感を覚えた。賑やかな酒席の中、彼の隣でそっと尋ねた。「なにか悩んでるの？」シャツのボタンを数個開けた田中仁の首筋は赤く染まり、酒で膨れた血管が手の甲に浮かび上がっていた。彼は無言でグラスを回していた。酔ってはいたが、意識はまだはっきりしていた。「父はあなたに無理をさせていないし、今夜集まっているのは皆、金融管理局の顔なじみ。あなたの手腕は誰もが認めているわ。不安になることなんてない」雨宮栞里は、彼がいまだに高利貸事件の余波を気にしているのだと感じていた。田中仁は黙ったままだった。沈黙に気まずさを覚えた栞里は、彼の隣に置かれた上着を持ち上げ、身を寄せた。「秘書さんはどこ？私が支えるわ……」彼女の手がちょうど男の身体に触れたその瞬間、玄関の扉が外から勢いよく開かれた。現れたのは三井陽翔だった——部屋に入るなり目にしたその光景に、彼の表情が険しく変わった。「その手を離せ！」一斉に視線が集まり、誰もが驚いた。とくに雨宮鷹斗はすぐに立ち上がり、「三井さん、突然の訪問とは、ご挨拶が遅れて失礼しました」と丁重に迎えた。そこに立っていたのは、ただの若造ではない。すでに三井家のトップに君臨する男、三井陽翔その人だった。全国の財界でも彼に顔を立てない者はいない。雨宮栞里はとっさに手を引いた。田中仁の視線も、そこではっきりとした意識を取り戻した
離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった 第881話 最初から秘密なんてなかった
「浅川さんにはちゃんと考えがあるみたいですね」三井鈴は繰り返しながら、本を抱き上げた。「秋吉さんの字、昔とちょっと違う気がします」彼女が本の文字をめくりながら見比べると、かつて偶然目にした秋吉正男の筆跡とは明らかに違っていた。前者は鋭さが際立っていたのに、今のは力なく、筆先に芯がなかった。「この子は……」浅川は少し驚いたが、すぐにいつもの調子で続けた。「仕事を始めてから怠けるようになったんだよ、字をちゃんと書かなくなってね」「浅川さん、こっそり教えて。彼って学生の頃、女の子にモテましたか？」三井鈴は声をひそめ、茶目っ気たっぷりに聞いた。「そりゃもう大勢いたよ、家まで押しかけてきた子もいたくらいだ。でも正男は誰にもなびかなかった。恋愛なんて一度もしたことないよ」「浅川さんが知らないだけで、こっそり付き合ってたら？」「あり得ない」浅川は断言した。「あの子は私が育てたんだ。一挙手一投足、全部分かってる。真面目で努力家で、学生時代の恋なんて絶対にさせなかったよ」そう言い切ったあとで、浅川は何かに気づいたように慌てて続けた。「もしかしてあなたたち、ケンカでもしたのか？彼が戻ったらちゃんと言って聞かせるから、怒らないでやってくれ」どうやら彼は本気で三井鈴のことを将来の嫁だと思っているらしい。三井鈴は微笑みながら別れを告げ、玄関に向かうと、ちょうど浅川夫人と鉢合わせた。彼女は心配そうな顔をしていて、それを見逃さずに尋ねた。「何かあったんですか？」浅川夫人は反射的に腕の中の袋を抱きしめ、「何でもないわよ、鈴ちゃん、いらっしゃい」と取り繕った。車が村の入口を出たところで、ちょうど東雲グループの視察団と鉢合わせた。大崎雅はサングラスをかけたまま車を降り、三井鈴の車の窓をノックした。「三井さん、今さら地元をかき回しに来たって遅いんじゃないですか？入札会で通じた手はここじゃ通用しないですよ」三井鈴は少し身を乗り出しながら言った。「わざわざ忠告に来ただけです。私、この辺りのライチが大好きなんで、工場建設のときに木を切らないように気をつけてくださいね」大崎雅は予想外だった。まさか、争うつもりがまったくないとは、そんなに簡単に済むのか？「必要になれば、人間だっていなくなるのよ。木なんて、なおさらでしょ」その言葉を聞いた三井鈴は、
離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった 第880話 帳簿をきれいにする
一瞬で三井鈴は悟った。田中仁があの100億の使い道を対外的に明かさなかった理由、それは彼女のためだったのだ。リスクを背負ってまで、彼女を守るつもりだった。「そこまでしなくてもよかったのに。200億の入札、私ひとりでだって落とせた」だが長澤昇平は、あの夜の状況をよく知っていた。「その時の状況で、お前、本当に私費を動かせたか？」「……でも、どうして偽名を？」「ちょうど金融フォーラムの直後だった。田中仁って名前に、何十もの目が注がれてたんだ。彼の立場で感情を挟むことなんて、できるわけがない」公的にはダメでも、私的なら許される。田中仁の国内口座には100億しか残っておらず、彼女のために資金を確保するには、国外からの送金に頼るしかなかった。だが、正規ルートでは時間がかかる。流風社を通すのが最も早い手だった。三井鈴はその場に立ち尽くした。そうだ、それが田中仁だった。言葉より、行動が先にある男。そして、その行動すら、彼は決して口にしない。三井鈴の沈黙を見て、長澤昇平は微笑みながら朝食を差し出した。「何か食べる？」三井鈴は視線を上げ、「さっき言ったこと、やっぱり実行する。午後に監査チームが来る。ご協力お願いね」長澤昇平の笑みが消えた。彼女は言ったことを即座に実行に移し、すぐに流風社の帳簿を完全にクリーンにした。そして「事業拡大を進め、近く上場予定、国際IPOを目指す」との情報を公にした。皆がハッとした。なんだよ、高利貸しだなんて！これのどこが高利貸しだよ！どう見たって、現代社会の「インターネット金融」だ！誤解だった。田中仁は借金などしていなかった。ただ、調査していただけだったのだ！長澤昇平は必死に食い下がった。「流風社みたいな小商いで、上場なんて、監査なんて……無理だろ？」三井鈴は薄ら笑いを浮かべながら言った。「ちゃんとした仕事をした方がいい。あなたの仲間たちにも、安心できる生活を」反抗の余地などなかった。三井鈴の背後には三井家がいた。この件を片付けたことで、田中仁の重圧は一気に軽くなった。だが、三井鈴が何度電話をかけても、彼は一切応じなかった。その頃、星野結菜から独占情報が届いた。「雨宮家の晩餐会に、あなたの元カレ、出てたわよ」写真には、ライトのきらめく会場で、雨宮家の当主と並んで杯を交わす田
離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった 第879話 ジャックは彼だった
新エネルギー事業はまだ始まったばかりで、三井鈴は浜白を離れることができなかった。案件は山積みで、複雑を極め、彼女の睡眠時間はせいぜい四、五時間。それでもそのわずかな時間を使って、鈴木悠生を訪ねた。「彼が動かしたあの100億の資金、個人口座を通したもので、出どころは流風社。国際的に名の知れた高利貸し組織さ。資金の移動を担当したのは長澤昇平って男だ」夜更け、鈴木悠生と向かい合い、彼は資料を一式渡してきた。三井鈴は資料を開きもせずに問うた。「何に使ったの？」「彼個人のキャッシュフローだ。借金じゃない。流風社を通して資金を国内に入れただけ。けど、それを誰かが故意に騒ぎ立てたんだ」一度に100億を動かせる手段なんて、流風社くらいしかなかった。「そこまで急いで？何のために？」MT関連なら会社口座で済む。リスクを負ってまで私的に動かす理由があるとすれば、個人的な目的だが、100億も必要なことなんて？鈴木悠生もこの件を数日間追っていたが、分かったのはここまでだった。「詳しく知りたいなら、本人に会うしかないね」そう言って、彼は資料に記された「長澤昇平」の名前を指差した。業界でも恐れられる存在。これほど大規模な資金移動ができるのは、並の相手ではない。「わかった」三井鈴が立ち上がって帰ろうとしたとき、鈴木悠生が呼び止めた。「数日後、安田家の裁判が開かれる。出席するのか？」安田翔平とは長年の付き合いだった。それでも今、彼の言葉にはどこか哀れみが混じっていた。「……今は忙しくて。考えておく」三井鈴は少しだけ立ち止まり、それから素早く部屋を後にした。翌朝早く、三井鈴は部下を連れて流風社へ乗り込んだ。ちょうど朝食時。数人の男たちが入口で談笑していたが、彼女の登場に空気が凍る。傷跡のある男が目を見開いた。「帝都グループの三井さん？」「長澤さんに用がある」すでに誰かが中へ伝えていたようで、長澤昇平はシャツのボタンを留めながら、ゆるゆると現れた。「おはようございます、三井さん。もう朝ごはんは？よかったらご一緒に」肩の力が抜けた態度。どこか挑発的な余裕。三井鈴は眉をひそめた。「私が何しに来たか、わかってるよね？」「どんな用でも、腹が減ってちゃ話にならないでしょ」長澤昇平は涼しい顔で笑った。彼の悠然とした態度に三井
離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった 第878話 高利貸と関わりを持つ
「その人って、あなたにとってそんなに大事な存在か？」さすがは木村検察官、質問が鋭い。三井鈴は箸を握る手に力を込め、一瞬の沈黙の後、まっすぐに答えた。「大切な人ですよ」「ときには、見えないほうが幸せなこともある」「私は何も知らずに踊らされるのが嫌いなんです。木村検察官、私たちは同じものを追っています。だったら一緒にやってみないですか？この幕、引き剥がせるかもしれないです」木村明の持つ内部のコネクションが、彼女には必要だった。彼なら、自分よりもずっと動きやすい。三井鈴が去った後、木村明は写真をつまみ上げてじっと見つめていた。すると近くから話し声が聞こえてきた。「いったい誰なんだよ、あの木村検察官にあそこまでさせるなんて」「学区住宅の規定を急に変えたって話もあるけど、あれも木村検察官が彼女のためだったりしてな？」「まあ確かに綺麗な人だよな。こりゃ、フラれるやつも続出かもな」……三井鈴が帝都グループに戻る途中、その知らせは入った。土田蓮からの電話は切迫していた。「三井さん、大変です！」豊勢グループの委員会が連名で田中仁を弾劾した。理由は、彼の個人口座に高利貸しと見られる海外資金との75億の取引があったこと。この一件は金融業界に大きな波紋を広げた。彼は四千億円もの資金を握り、各大プロジェクトへの投資を進めていた。だが今や、高利貸しとの関係を疑われているとなれば、人々が不安になるのも無理はなかった。ほどなくして、ある経済記者が詳細な調査記事を発表し、彼と高利貸しの関係は混乱を極めていると断じた。信用が命とされるこの業界で、スキャンダルは致命的だ。田中仁はすぐさまフランスに飛び、豊勢グループの本社で記者会見を開いた。監査の導入を要請し、年間の資金出入りをすべて公開。その結果、あの75億は彼の個人資産の動きであり、会社とは無関係と証明された。だが、記者たちがそれで納得するはずもない。世間は噂を信じる。その直後、豊勢グループの株価は再び急落した。三井鈴は田中仁に電話をかけ続けたが、彼はその度に切った。彼女の胸は焦りに燃えていた。この世界で一度でも高利貸しとの関係を疑われれば、それは破滅を意味する。どうにもならず、三井鈴は星野結菜に助けを求めた。「田中仁は、あの75億がどこから来て、どこへ行ったのか
