第9話

誰かが自分の名前を呼ぶのを聞いて、風歌は振り返り、余計な表情は見せなかった。

俊永と柚希が現れることは、最初から予想していた。だが、別荘で俊永に「謝れ」と命じられたあの日から、彼女の心は完全に冷え切っていた。

今の俊永は、風歌にとってただのどうでもいい元夫にすぎなかった。

彼女は上品な微笑みを浮かべ、駿の腕を組んで応対に向かった。

風歌と駿がこちらに歩いてくるのを見て、柚希は驚きのあまり思わず隣にいる俊永の顔を見た。

俊永の視線も、ずっと風歌に注がれたままだった。驚いているようにも見えたが、その瞳の奥は沈んだ色を帯びていた。

昼間の出来事で、彼は少し後悔の念を抱いていた。

しかし、彼女は午後の数時間で、すっかり変貌し、他の男と親密になっていたのか？！

とはいえ、今夜の彼女は確かに美しかった。心を揺さぶるほどに。

三年も夫婦だったというのに、自分は妻がこんなにも美しくなることを知らなかった。

あの男、音羽駿が……彼女の新しい男なのか？

午前中に離婚して、夜にはもう他の男と現れる？なんだその速さは――！？

俊永の胸の内は、言葉にできない不快感で満たされていた。その黒い瞳は次第に冷え込み、怒りの兆しを宿し始めていた。

彼は自分の方へと歩いてくる風歌を睨みながら、彼女からの納得できる説明を心の中で待っていた。

しかし、二人は御門俊永の足元まで来ると、そのまま向きを変え、隣にいたミリオン社の社長と笑顔で握手し、挨拶を交わした。まるで彼などそこに存在していないかのように――

この行動は、明らかに彼をまったく眼中に置いていない証拠だった。

それに、駿もどうやら彼に対して敵意を抱いているようだった。

俊永の表情はどんどん陰り、柚希の顔にも微妙な違和感が現れた。つい先ほどまで彼女は手を伸ばし、ちょうどいいタイミングで挑発的な言葉を投げかけようとしていたのに――

しかし、本人は彼女を完全に無視し、彼女が考えていた言葉は無理やり飲み込まれた。

ちょうどその頃、俊永の妹・御門すず（みかど　すず）も宴会に来ていた。彼女はホールでシャンパンを楽しんでいたが、入口での騒ぎを耳にして外へ出てきたところだった。

すずは柚希に近づき、そっと肩を寄せながら小声で尋ねた。「柚希さん、あの女、どうやってこの会場に入り込んだの？」

柚希の目がふっと輝き、声を潜めて答えた。「すず、まだ知らないのね。風歌ととしは今朝、正式に離婚したのよ。まさか彼女、こんなに早く新しい男を見つけるなんて……まあ、私は祝福するわ」

すずの顔色が次第に青ざめていく。

「祝福なんて、クソくらえよ！」

彼女は怒りに満ちた視線を、駿とともに社交に応じている風歌へと向ける。「朝に離婚したばかりで、もう夜には別の男を連れてこんな高級会場に現れるなんて、ロケットでもこんな速さ出せないわよ！」

「この女ったら！どうせ離婚する前からこそこそ付き合ってたんでしょ！兄さんを裏切るなんて、顔面ぐちゃぐちゃにしてやろうじゃないの！」

すずは、火がつけば一気に燃え上がるような性格だった。その言葉通り、怒りを全身にまといながら、風歌のもとへと勢いよく歩み始めた。

柚希は見せかけだけの様子ですずを引き留めようとしたが、その手は届かず、口元にはひそかに薄い笑みが浮かんでいた。

「あの！」

すずが背後から声をかけると、駿が振り返った。その端正で整った顔立ちを見た瞬間、すずは一気に見とれてしまった。

志賀市にも、兄に引けを取らないほどのイケメンがいるなんて？！

一瞬で、彼女の風歌への嫉妬と怒りは頂点に達した。

「あなたは？」

駿は冷ややかに彼女を一瞥した。

風歌は笑みを浮かべながら彼の耳元にそっと顔を寄せて説明した。「これは私の元義妹で、御門家で一番傲慢でわがままな人よ」

駿はそれを聞くと、さらに表情を冷たくした。

近くで話していたとはいえ、声は小さくなく、すずにもはっきりと聞こえた。そして、二人が耳打ちするような親しげな様子は、彼女の神経を逆撫でした。

イケメンの前ということもあり、すずは険しい表情を必死に抑え、あくまでも穏やかに忠告するふりをしながらも、声は意図的に鋭く尖らせた。

「お兄さん、この女に騙されないでね。彼女はバツイチだよ！それに、貴族の令嬢なんかじゃない、孤児院出身のとんでもない詐欺女だよ！心が深く、以前は私の祖父とも関係があったんです、彼女は……ああ！」

悲鳴とともに、鋭い平手打ちの音が響き渡った。

宴会場は一瞬にして静まり返った。

すずは頬を押さえ、風歌を見つめながら目を大きく見開き、信じられないといった表情を浮かべた。

「あなた、私を殴ったの？！」