慶と碧の1歳の誕生日から、三上先生はさらに頻繁に別荘を訪れるようになった。
時には休日のほとんどをここで過ごし、子どもたちと庭で遊んだり、昼寝をする双子の隣で静かに本を読んだりする彼の姿は昔からそこにいた家族のようだった。
久保山執事と談笑したり別荘のスタッフたちも彼に心を開いているようだった。彼が来る日は、私自身も笑顔が増えて、別荘の空気が明るくなる。
夜、子どもたちが寝た後も私たちはリビングでのんびりと過ごす時間が長くなった。
子どもたちも大人と同じように1日3回の食事が取れるようになったことで私はお酒を解禁した。その日、三上先生は今までお酒を控えてきた私にと少しいいワインを用意して持ってきてくれた。
リビングで一緒にワインを開けながら談笑していると、2年ぶりのお酒のせいか今まで以上に酔いが回るのが早く、私はテーブルに伏せてしまった。
そして、瑛斗に裏切られて悲しかったこと、家族から不貞を疑われたこと、社会から隔絶されて感じていた孤独と恐怖など、今まで誰にも話せずに心の奥しまっていた感情を、ポツリポツリと打ち明けた。
先生はただ黙ってたまに優しく相槌を打ちながら、私の言葉に耳を傾けてくれた。
「華ちゃんは本当に強く頑張ってきたね。僕には、華ちゃんのつらさが痛いほどわかるよ」
そう言
姉の初恋で私が手に入れた瑛斗は、確かに顔は良かったかもしれない。しかし、私にはただの世間知らずで気楽なお坊ちゃまにしか見えなかった。もちろん世間から見れば、私も令嬢として優雅な暮らしをしているように見えているだろう。だが、姉と私の間には見えない境界線が引かれているような気がしていた。私はもっと野望と欲望の塊のような向上心を持った男性が好きだった。それでも、私が瑛斗と付き合うことを姉に報告した時、驚きと悲しそうな顔を見たら優越感でいっぱいになった。姉が望んでいた未来を自分が手に入れたことが嬉しくて仕方がなかった。しかし、付き合い始めてすぐに瑛斗という男に興味を持てず退屈になった。彼は平凡で私を満たすような刺激がなかった。どうせ高校を卒業したら瑛斗と姉は離れ離れになる。姉は、高校時代に親同士が親交を深め、いくらでも瑛斗に想いを伝えるチャンスがあったのになぜかそれをしなかった。そんな姉が、離れ離れになってから瑛斗を追いかけるようなことはしないだろう。姉が瑛斗を追わなくなったら私も瑛斗と一緒にいても意味がない。「瑛斗が大学に行ったら、今までのように逢えなくなるから」そう適当な理由をつけて私は瑛斗に別れを告げた。高校生活は、姉の初恋を奪うという目的のためだけに費やされたつまらないものだった。私は、姉が
神宮寺家と一条家は、高校入学後に互いの存在を知り、パーティーなどで親交を深めていたため瑛斗とは顔見知りだった。学園の王子様の瑛斗と顔見知りなら、なおさら隠れてプレゼントなんかしなくても直接渡せばいい。その方がアピールできるのに、と私は疑問で仕方がなかった。姉の監視を続けているうちに、私はあるパターンに気づいた。毎週木曜日だけ、瑛斗は放課後にもう一度教室に戻ってくる。翌週の木曜日、華がロッカーにプレゼントを入れて去ってから、私は瑛斗が教室に戻ってくるのを待ち伏せした。ドアを開けて入ってきた瑛斗が、ロッカーの前で立ち止まる。「誰だ?そこは俺のロッカーだけど」声をかけられ、私はわざと恥ずかしがるような表情でゆっくりと振り向いた。手には、先程姉が作ったクッキーをロッカーから取り出しギュッと握りしめていた。今、ロッカーに入れようとしていたところを見つかった、という状況を装ったのだ。「……玲?」瑛斗は、驚いたように目を見開いた。「……いつもロッカーにプレゼントいれてくれていたのって、玲だったんだな。ありがとう」瑛斗は優しい笑顔で言った。ロッカーに入れていたプレゼントを瑛斗が毎週受け取っていたことを確信した。「プレゼント、嬉し
高校に入学してしばらく経った頃、姉は学校が終わるとお菓子作りのために厨房に顔を出すようになった。最初は友人に配るためかと思ったが、その頻度は異常に多かった。そして、ある日、姉が海外サッカーの記事を熱心に探しているのを見かけ、私はすべてを察した。お菓子は、誰か好きな異性へのプレゼントだったのだ。今まで姉は望むものをすべて手に入れてきた。生まれながらにして、何一つ不自由なく周囲からチヤホヤされ、何でも思い通りになる人生を送ってきた姉。その姉が、今、何かを強く望んでいる。(姉の願いを私の手で奪ってやりたい。思い通りにならない悲しみや苦しさを味わってほしい。)そんな強い衝動に駆られた。ある日の放課後、私は姉の後をつけた。お菓子を持った姉は、周囲を気にしながらある教室へと入っていった。そして、教室の隅にあるロッカーにプレゼントを入れるとまた周りを気にして慌ただしく去っていった。(……今時ロッカーにプレゼントなんて何、古くさいことしているんだか。こんなまわりくどいことしていないで、直接渡せばいいのに)そう思いながら、私はロッカーの場所と相手の名前を覚えた。「一条 瑛斗」
一条グループの副社長室で、私は冷たいデスクに手を置き、ふと幼い頃の記憶をたどった。華の姿がいつも私の視界の先にあった。生まれたときから姉の影に隠れて生きてきた。周りの大人たちは常に私を一段下に見ているようだった。「玲様は旦那様と奥様の実子でも、華様がいるから、華様が先よね」「華様の産みの母が今もご健在なら、この結婚はなかったことでしょうし……」そんな言葉が幼い私の耳にも届いた。「神宮寺家の次女」「後妻の子ども」。そう呼ばれるたびに心に冷たい棘が刺さるようだった。父と母の実子なのに私はいつも二番手。一番最初に来るのは、私より数年先に生まれてきた姉の華だった。もし華の性格が悪ければ、どれほど楽だっただろう。私が彼女を嫌う明確な理由があれば、この感情をどこかにぶつけることができた。しかし、華は私に対していつも優しく接していた。その優しさが、私から憎む場所や人物を奪い、私を苦しめた。「玲ちゃん、私の持っている色の方が好きなの?じゃあ、私のと交換しようか」「玲ちゃんが食べたいなら私のあげるよ」華は、自分のものを私に与えることに何の躊躇もなかった。周りの大人た
「あ、これ華が好きだった花だ。」車で移動中、信号待ちをしているとフラワーギフトを取り扱っている花屋が目に留まった。華はダリアの花が好きでよくリビングに飾っていた。華には言わなかったが、ダリアの優しい色合いと華やかで気品ある佇まいが華にピッタリだと思っていた。「少し止めてくれないか。すぐに戻ってくる」運転手に車を止めるように指示して、花屋に向かいダリアの花束を作ってもらった。「おかえりなさいませ、瑛斗お坊ちゃま。あら、綺麗なお花ですこと。」「ああ、取引先からもらってね。生けて玄関に飾ってくれないか」「かしこまりました」買ってきた花束を家政婦に渡し、玄関に飾ってもらうことにした。毎日通るこの玄関で少しでも華の存在を感じたかった。★「あら、この花……。」「玲さま、おはようございます。綺麗ですよね。昨夜、瑛斗おぼっちゃまが持って帰ってきて下ったんですよ」「瑛斗が、ねえ」
そしてしばらくしてから社員たちが大量離職していった。特に女性社員の離職率が高く、中には子どもが産まれ家を建てたばかりで金銭的にも働き盛りの女性や管理職になったばかりの30-40代の男性社員が会社を離れていくこともあった。次々に辞めていくのには理由があると思い社内全体を注意深く見るようにした。秘書に頼み、離職していく社員の部門や年齢・性別などを一覧でまとめてもらうと離職者にある傾向があることが分かった。それは普段の業務で副社長、つまり玲と直接かかわることのある部門の責任者や担当者が多いということだった。内部調査の結果、玲は気に入らない社員には陰湿な嫌がらせを行い些細なミスでも厳しく叱責した。玲の横暴な振る舞いに多くの社員が疲弊している状態だった。すぐに玲を呼び出して状況の確認を行った。「玲、ここ数年社内の離職率が急に上がったんだが何か君に心当たりはないか?」「さあ、数年でしょ。どんなにいい会社でも人は辞めていくわ。それぞれの事情があるし、私が関与できることではないもの。」「家庭の事情ならそうだな。しかし、俺は今、退職理由が社内の人間関係やコンプライアンスの可能性はないか?と聞いている」「何が言いたいって言うの?私は副社長よ。社員の相談窓口じゃない。」「そうか、それならもういい。ただ君は『女性が活躍する社会』とホワイトカラーのPRのために副社長にさせてくれと父に言ったはずだ。だが、最近は女性の離職率が多くてね。個人的な事情は介入できないが、それでは父との約束を果たせないどころか逆の結果になっていることが気になっただけだ」「……ッ!分かったわ。注意してみてみる」そう言うと、玲は明らかに不機嫌そうにカツカツとヒールの音を立てて乱暴に扉をしめて出ていってしまった。