LOGIN不老技術が完成してから千年。人類は死を克服し、永遠を手に入れた。しかし皮肉なことに、「終焉士」という職業が生まれたのもその後だった。 終焉士アキラは、500年間で一万人以上の死を見届けてきた。彼らは皆、永遠に疲れ果てた者たちだ。 ある雨の日、3247歳の老女ユキコが訪れる。彼女が語ったのは、3000年の壮大な人生ではなく、たった5分間の記憶。雨の竹林で、夫と分け合った傘の下の、永遠よりも重い瞬間——。 永遠に生きることの虚無。有限だからこそ輝く一瞬。そして、答えのない問いを抱え続けることの意味。 なぜ人は生まれ、生き、そして死ぬのか——。
View Moreユキコが去った後、アキラは長い時間、窓辺に立っていた。 虹は既に消えていた。でも、その余韻が空気の中に残っている気がした。 彼は、ふと思い出した。アヤと一緒に見た虹のことを。 それは結婚して2年目の夏だった。二人で海辺を歩いていたとき、突然の雨に降られた。近くの東屋に逃げ込んで、雨が止むのを待った。 雨が上がったとき、空に大きな虹がかかっていた。 アヤは言った。「ねえ、虹って不思議よね。雨と太陽がないと、生まれない」 アキラは頷いた。「そうだね」「悲しみと喜びが一緒にあるから、美しいのかもしれない」 アヤはそう言って、アキラの手を握った。「私たちの人生も、きっとそうよ。楽しいことばかりじゃない。辛いこともある。でも、両方があるから、美しいんだと思う」 その時、アキラはアヤの言葉の意味を完全には理解していなかった。 でも、今ならわかる。 人生は、喜びと悲しみの両方で成り立っている。どちらか一方だけでは、完全ではない。 永遠に生きることは、その喜びと悲しみのバランスを壊す。すべてが平坦になり、すべてが当たり前になり、すべてが色褪せる。 でも、有限な時間の中では、一瞬一瞬が輝く。 アキラは記録端末を開いた。そして、新しいファイルを作成した。 タイトルは「未来の私へ」。 彼は書き始めた。「未来の私へ これは6回目の手紙です。あなたは、また記憶を消
アキラは答えに詰まった。「わかりません」「正直でよろしい」 ユキコは微笑んだ。「私もそうでした。3000年生きて、もう十分だと思った。でも、本当に終わりたいのかと問われれば、確信が持てない」「では、なぜここへ?」「理由を見つけたかったんです」 ユキコは窓の外を見た。「生きる理由じゃない。死ぬ理由。生きることに疲れた、それだけでは不十分な気がして」「見つかりましたか?」「いいえ」 ユキコは首を振った。「でも、あなたと話して、わかったことがあります」 彼女はアキラを見つめた。「私たちは、答えを求めすぎているんです。なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか、人生の意味は何か。でも、そんな問いに答えはない。あるのは、ただ――」「問い続けること」 アキラは呟いた。「そう」 ユキコは頷いた。「アヤさんが言っていたでしょう。人生に意味があるとすれば、それは問い続けたことそのものだって」 アキラは息を呑んだ。 そうだ。アヤの記録の中に、そんな言葉があった。彼は思い出した。 アヤは言っていた。「人生に意味があるとすれば、それは私たちが問い続けたことそのものだと思うんです」と。「答えは出なかった。
アキラは記録装置の前に座った。 しかし、話し始めることができなかった。 500年の人生を、どう語ればいいのか。10,247人の死を見届けた男の物語を、どこから始めればいいのか。 彼は自分の手を見た。若い手だ。30歳の肉体を保っている。でも、この手は500年分の重みを知っている。 そのとき、扉がノックされた。「どうぞ」 入ってきたのは、意外な人物だった。ユキコだった。「まだ、死んでいなかったんですね」 アキラは驚いて言った。「ええ。予定を変更しましたの」 ユキコは微笑んだ。「あなたのお手伝いをしようと思って」「手伝い?」「あなた、自分の記録を取ろうとしているでしょう? でも、一人では難しいわ」 ユキコは椅子に座った。「終焉士には、終焉士が必要なんです。誰かが問いを投げかけないと、物語は始まらない」 アキラは長い沈黙の後、頷いた。「お願いします」「さあ、話してください。アキラ・サトウの物語を」 アキラは深く息を吸った。そして、ゆっくりと語り始めた。「私は、妻の死をきっかけに、終焉士になりました」 言葉が、ゆっくりと溢れ出してくる。「彼女の死を受け入れるために。いえ、違う。彼女の死から、逃げるために」
それから3日間、アキラは誰にも会わず、事務所に閉じこもっていた。 彼は、すべての記録を読み返していた。自分が見送った10,247人の人生を。一つ一つ、丁寧に。 そして、彼はあるパターンに気づき始めた。 人々が最も大切にしている記憶は、必ず「有限だった時代」のものだった。 不老技術を受ける前の、限られた時間の中での、かけがえのない瞬間。 恋人との初めてのデート。 子供の誕生。 親の最期。 友との別れ。 雨の日の傘の下。 それらは、すべて有限性の中で輝いていた。 逆に、不老技術を受けた後の数百年、数千年の記憶は、ぼんやりと曖昧だった。確かに多くのことを経験したはずなのに、何一つ心に残っていない。 ある男は、火星に300年住んでいたが、その記憶はほとんどなかった。 ある女は、50人の恋人を持ったが、誰一人として鮮明に思い出せなかった。 ある夫婦は、800年一緒に暮らしたが、最後の500年については「何もなかった」と語った。 なぜか。 答えは明白だった。 永遠は、意味を奪うのだ。 アキラは哲学の古典を読み返した。ハイデガー、サルトル、カミュ、キルケゴール。彼らは皆、死と有限性について書いていた。 ハイデガーは言った。「人間は『死に臨む存在』である」と。死があるからこそ、人間は本来的に生きることができる。自分の有限性を自覚することで、人は初めて真に実存する、と。 サルトルは言った。「実存は本質に先立つ」と。人間には予め定められた本質などない。ただ、限られた時間の中で選択を重ね、自分を創造していく。その選択の重みが、死によって保証される、と。