雨が止んだら、どこへ行こう──永遠を問う終焉士の記録

雨が止んだら、どこへ行こう──永遠を問う終焉士の記録

last updateLast Updated : 2025-12-08
By:  佐薙真琴Updated just now
Language: Japanese
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 不老技術が完成してから千年。人類は死を克服し、永遠を手に入れた。しかし皮肉なことに、「終焉士」という職業が生まれたのもその後だった。  終焉士アキラは、500年間で一万人以上の死を見届けてきた。彼らは皆、永遠に疲れ果てた者たちだ。  ある雨の日、3247歳の老女ユキコが訪れる。彼女が語ったのは、3000年の壮大な人生ではなく、たった5分間の記憶。雨の竹林で、夫と分け合った傘の下の、永遠よりも重い瞬間——。  永遠に生きることの虚無。有限だからこそ輝く一瞬。そして、答えのない問いを抱え続けることの意味。  なぜ人は生まれ、生き、そして死ぬのか——。

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第一章 雨の記憶
 終焉士アキラの事務所は、都市の最上層、雲の間を縫うように建つ塔の一室にあった。窓からは永遠都市の光景が見渡せる。透明な管状の交通路が幾重にも重なり、その中を無数の人々が流れていく。地上から三千メートル。ここから見下ろせば、かつて地表と呼ばれた場所は霧の向こうに霞んでいる。 不老技術が完成してから千年以上が経ち、人類は死を克服した。病も老いもない。事故で肉体が損傷しても、記憶をバックアップから復元すれば、新しい身体で目覚めることができる。量子レベルで記録された意識は、理論上、宇宙が終わるまで存続可能だ。 人間は、ついに永遠を手に入れたのだ。 しかし皮肉なことに、終焉士という職業が生まれたのもその後だった。永遠を生きることに疲れた者たち、意味を見失った者たち、ただ終わりを求める者たち。彼らのために、この職業は存在する。 アキラは窓際の椅子に座り、雨を眺めていた。人工気象制御システムによって降る雨は、かつての自然な雨とは異なる。分子構造まで最適化され、建物を傷めず、大気を浄化し、心理的効果まで計算されている。それでも、雨は雨だった。窓を打つ音は、千年前と変わらない。 扉がノックされた。「どうぞ」 扉が開き、一人の老女が入ってきた。外見年齢は80歳ほど。深く刻まれた皺、白髪、わずかに曲がった背中。不老技術を受ければ誰もが20代の肉体を保てる時代に、彼女はあえて老いた姿を選んでいた。「失礼いたします」 老女の声は静かで、しかし明瞭だった。アキラは立ち上がり、深く一礼した。「ようこそ。お名前をお聞かせ願えますか」「ユキコです。ユキコ・タナカ。3247歳になります」 アキラは静かに頷いた。3000年以上生きた人間。彼らは「最初の世代」と呼ばれる。不老技術が実用化された初期に、それを受けた人々だ。人類史上最も長い記憶を持つ生き証人たち。「こちらへどうぞ。楽な椅子をお選びください」 事務所には様々な椅子が置かれていた。硬いもの、柔らかいもの、背もたれの高いもの、低いもの。来訪者は無意識のうちに、自分の人生を象徴する椅子を選ぶ。ユキコは迷わず、窓際の古風な木製の椅子に座った。「お茶は?」「ありがとう。緑茶を」 アキラは丁寧に茶を淹れた。湯温、抽出時間、すべてが計算されている。しかしそれは機械的な正確さではなく、茶道の精神に基づいた「一期一会」の心だ
last updateLast Updated : 2025-11-30
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第二章 永遠を生きる者たち
 記録は始まった。 ユキコの人生は、確かに壮大だった。彼女は不老技術の黎明期を生き、二度の星間戦争を経験し、火星のテラフォーミングを目撃し、初の異星生命体との接触にも立ち会った。人類史の転換点のほとんどを、彼女は直接見てきた。「2075年、私は45歳でした。不老技術の第一次治験が始まったとき、私は迷わず応募しました」 ユキコの声は淡々としている。「なぜ応募されたのですか?」「怖かったからです。死が」 ユキコは湯呑みを両手で包んだ。「当時、私の母が癌で亡くなったばかりでした。68歳でした。最期の数ヶ月、母は急速に衰えていきました。かつて威厳のあった母が、日に日に小さくなっていく。言葉を失い、自分の名前も忘れ、最後には私のこともわからなくなった。私は思ったんです。これが人間の終わりなのか、と。こんな惨めな終わり方をするために、私たちは生まれてくるのか、と」 アキラは黙って聞いていた。「だから飛びついたんです。永遠に生きられる技術に。二度とあんな終わり方はしたくないと思った。でも――」 ユキコは言葉を切った。「でも、私は間違っていました。死を避けることは、生を避けることだったんです」 アキラの胸に何かが引っかかった。その言葉の意味を、彼はまだ完全には理解できなかった。「続けてください」「はい」 ユキコは窓の外を見た。雨は相変わらず降り続けている。「私は27人の伴侶を持ちました。最初の夫、ケンジは不老技術を受ける前に亡くなりました。58歳でした。それ以降の伴侶たちは皆、不老技術を受けていました」 27人。アキラは心の中でその数字を反芻した。「しかし、永遠を約束した関係も、いつかは終わります。100年、200年と共に過ごすうち、愛は変質していくんです。最初の情熱は薄れ、親密さは馴れ合いになり、驚きは既視感に変わる。そして、ある朝目覚めたとき、隣に寝ているのが誰だかわからなくなる。いえ、名前は知っています。顔も知っています。でも、その人が『誰』なのか、わからなくなるんです」 ユキコの声に、わずかな震えが混じった。「永遠に一緒にいることは、思ったよりもずっと難しかった。むしろ、不可能だったのかもしれません」「別れは、どのように?」「静かでした。いつも」 ユキコは微笑んだ。悲しそうな微笑みだった。「怒鳴り合うこともない。泣くこともな
last updateLast Updated : 2025-11-30
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第三章 傘の下の永遠
「2087年の秋でした」 ユキコの声が、わずかに震えた。3000年の時を経ても、その記憶は色褪せていない。「私はまだ23歳で、ケンジと結婚して3年目。不老技術はまだ研究段階で、私たちはごく普通の、死すべき人間でした」 彼女は目を閉じた。記憶の中に潜っていくように。「その日、私たちは京都にいました。新婚旅行で行きそびれていた場所を、ようやく訪れることができたんです。ケンジの仕事が一段落して、私も大学の研究室から一週間の休みをもらって」「何の研究をされていたんですか?」「神経生理学です。記憶のメカニズムについて。皮肉なことに、それが後の不老技術の基礎理論の一つになりました」 ユキコは目を開けた。「嵐山の竹林を歩いているとき、突然の雨に降られたんです。秋雨でした。冷たくて、でも不快ではない雨。竹林の中に雨の音が響いて、それはそれは美しい音楽のようでした」 アキラは静かに聞いていた。彼の中で、何かが動き始めている。「ケンジは一本しかない傘を私に差し出しました。『君が持って』と。でも私は断って、二人で一つの傘に入ったんです」 ユキコの口元に、柔らかな微笑みが浮かんだ。「傘は小さくて、二人で入ると窮屈でした。ケンジは背が高かったから、私が傘を持っても彼の肩が濡れてしまう。それで私は背伸びをして、少しでも彼に傘がかかるようにしたんです。でも、そうすると今度は私の肩が出てしまう」 彼女は小さく笑った。「ケンジが気づいて、傘を持ってくれました。そして私の肩を抱いて、自分の体に引き寄せた。そうしたら、二人とも濡れずに済んだんです」 部屋に沈黙が降りた。しかしそれは重い沈黙ではなく、何か大切なものを包み込むような、優しい沈黙だった。「私たちは竹林の中を、ゆっくり歩きました。雨音と、竹の葉が揺れる音と、私たちの足音だけが響いていました。ケンジの体温が伝わってきました。彼の心臓の鼓動が聞こえました。傘の外は雨。でも傘の下は、私たちだけの小さな世界でした」 ユキコは深く息を吸った。「そうしたら、ケンジが笑って言ったんです」 彼女は目を閉じた。「『この雨が止んだら、どこへ行こうか』って」 アキラの胸に、鋭い痛みが走った。理由はわからない。ただ、その言葉が何か大切なものを突いた気がした。「私は答えました。『温泉旅館がいいわ。熱い湯に浸かって、美
last updateLast Updated : 2025-11-30
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第四章 永遠の重さ
 ユキコは窓際に立ったまま、語り続けた。「ケンジは58歳で死にました」 彼女の声は静かだった。「癌でした。膵臓癌。発見されたときには、既に手遅れでした。不老技術の実用化まで、あと7年。たった7年足りなかった」「辛かったでしょうね」「ええ。でも――」 ユキコは振り返った。「でも、それ以上に辛かったのは、その後でした」 アキラは黙って聞いていた。「ケンジが死んで、私は壊れました。仕事も手につかない。食事も喉を通らない。眠れない。夢を見る。ケンジの夢を。目覚めるたびに、彼がいないことを思い知らされる。それが何ヶ月も、何年も続きました」 ユキコは椅子に戻り、座った。「そして、不老技術が実用化されました。私は迷わず治療を受けました。ケンジを失った悲しみから逃げるように。老いから逃げるように。死から逃げるように」 彼女は手元の茶碗を見つめた。茶は既に冷めている。「最初の数十年は、悲しみに沈んでいました。でも、人間の感情には限界があります。どんな深い悲しみも、時間が経てば薄れていく。100年経つ頃には、ケンジの顔を思い出すのも難しくなっていました」「それで、新しい伴侶を?」「ええ。二人目の夫はヒロシといいました。優しい人でした。研究者で、火星のテラフォーミングプロジェクトに携わっていて。私たちは150年一緒に暮らしました」 ユキコは深く息を吸った。「でも、ヒロシはケンジの代わりにはなりませんでした。それは彼の責任じゃない。誰であっても、ケンジの代わりにはなり得なかった。そして気づいたんです。私が求めているのは、ヒロシという個人じゃない。『有限だった頃の愛』だったんだと」「有限だった頃の愛、ですか」「そうです」 ユキコは頷いた。「ケンジと私には、80年しかありませんでした。いえ、一緒に過ごせたのは35年だけ。だからこそ、一日一日が貴重だった。朝起きて彼の顔を見るたびに、『今日も一緒にいられる』と思った。些細な喧嘩も、すぐに仲直りしたくなった。時間が限られているとわかっていたから」 彼女は窓の外を見た。「でもヒロシとは違いました。永遠に一緒にいられると思うと、すべてが当たり前になる。今日でなくてもいい、明日でもいい、来年でもいい、100年後でもいい。そうして、気づけば何も残らない。愛していたはずなのに、愛することを忘れてしまう」 アキ
last updateLast Updated : 2025-11-30
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第五章 忘却の技術
  記録は夜遅くまで続いた。  ユキコは3000年の人生を、丁寧に語った。火星での生活、異星人との対話、人工知能との共存、量子意識の謎。しかし、その物語の核心は、常にあの雨の日に戻ってくるのだった。  すべてを語り終えたとき、時計は午前3時を指していた。外の雨は止んでいた。 「ありがとうございました」  アキラは深く頭を下げた。 「あなたの物語は、永久保存庫に納められます。人類がどれほど長く存続しようとも、あなたが生きた証は残り続けます」 「それは慰めにはなりませんね」  ユキコは優しく笑った。 「でも、誰かがいつか、この記録を読んで、何かを感じてくれるかもしれない。『ああ、3000年前にも、同じことを考えた人がいたんだ』と思ってくれるかもしれない。それで十分です」  彼女は立ち上がり、コートを羽織った。 「アキラさん、最後に一つだけ、聞いてもいいですか」 「なんでしょう」 「あなたは何年、この仕事をしているんですか」  アキラは一瞬、答えに詰まった。 「500年ほどです」 「そして、何人の最期を見送ったんですか」 「10,247人です」  ユキコは深く頷いた。 「それだけの死を見届けて、あなたは壊れていない。不思議ですね。普通の人間なら、とっくに狂っているはずです」  アキラは何も答えなかった。  ユキコは静
last updateLast Updated : 2025-12-01
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第六章 記憶の重み
「未来の私へ  また100年が経ちました。あなたは、この手紙を読むたびに、同じ驚きを感じることでしょう。『私は記憶を消していたのか』と。  そうです。私たちは、意図的に忘れることを選んでいます。  なぜか。それは、永遠に覚えていることの苦しみに、耐えられないからです。  500年間で、私は10,247人の最期を見送りました。その一人一人が、かけがえのない人生を生きていました。彼らの喜び、悲しみ、愛、憎しみ。すべてを記憶していたら、私という器は溢れてしまう。  でも、それだけではありません。  記憶をすべて保持していると、『新しさ』が失われるのです。朝日を見ても、『これは500年間で173,234回目の朝日だ』と計算してしまう。誰かの微笑みを見ても、『似たような表情は過去に8,472回見た』と分析してしまう。  永遠に覚えている者にとって、世界は既視感で満ちている。新しい朝は、二度と訪れない。すべてが反復であり、すべてが予測可能であり、すべてが退屈だ。  ハイデガーは言いました。『人間は死に向かう存在である』と。死があるからこそ、人間は本来的に生きることができる。永遠に生きる者は、もはや人間ではない、と。  私は500年かけて、その意味を理解し始めています。  だから私は忘れることを選びました。忘れることで、もう一度驚けるように。もう一度感動できるように。もう一度、生きていることを実感できるように。  これは逃避ではありません。これは、人間であり続けるための、唯一の方法なのです。  あなたが次に記憶を消すとき、この手紙も消去してください。そして、また新しく書いてください。同じ内容を。忘れるために。  過去の私より」
last updateLast Updated : 2025-12-02
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第七章 封印された記録
  翌朝、アキラは目覚めても、すぐには起き上がれなかった。  夢を見ていた。誰かの声が聞こえる夢を。優しい女性の声。その声が何を言っているのか、思い出せない。でも、その声を聞くと、胸が締め付けられるような気がした。  アキラは起き上がり、窓を開けた。都市の朝だ。無数の人々が、透明な交通路を行き交っている。永遠を生きる者たちの、終わりのない日常。  彼は身支度を整え、事務所を出た。向かう先は、保存庫の最深部。  永久保存庫は、都市の地下、かつて地表と呼ばれた場所のさらに下にある。量子記憶システムによって、人類が記録してきたすべての物語が保管されている場所だ。  終焉士たちが記録した死者の物語。数百万の人生がここに眠っている。  アキラは特別な許可証を使い、一般には公開されていない区画に入った。そこには、終焉士自身の家族や、終焉士になる前に失った人々の記録が保管されている。  彼は検索端末の前に座り、ある名前を入力した。 「アヤ・サトウ」  画面に、一つのファイルが表示された。記録日時は、501年前。記録者は「終焉士カズキ」とあった。  カズキ。それは、アキラの師匠の名前だった。  アキラは震える手で、ファイルを開いた。  画面に、一人の女性の顔が映し出された。  柔らかな笑顔。温かな眼差し。黒い髪。優しい声。  アキラは、その顔を知っていた。でも、どこで会ったのか、思い出せなかった。  いや、思い出したくなかった。  記録が始まった。 
last updateLast Updated : 2025-12-03
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第八章 妻の最期の言葉
「私のことを忘れて、前に進んでください」  アヤは静かに語り続けた。  アキラは動けなかった。500年間封印してきた記憶が、堰を切ったように溢れ出してくる。 「私たちには、7年間しかありませんでした」  アヤの声が、500年の時を超えて響く。 「あなたと出会って、恋をして、結婚して、幸せな日々を過ごして。そして、私は病気になった」  記憶が蘇る。病院の白い壁。消毒液の匂い。アヤの青ざめた顔。 「医者は、不老技術の実用化まであと10年だと言いました。でも、私の命は、あと3年しかなかった」  アキラの目から、涙が零れた。 「あなたは必死に頼み込みましたね。試験段階でもいいから、実験に参加させてほしいと。でも、拒否されました。倫理的な問題があると。当時の不老技術は、まだ完全ではなかった。副作用のリスクが高すぎた」  そうだ。アキラは思い出した。毎日のように病院に通い、医者に懇願した。金を積んだ。コネを探した。でも、すべて無駄だった。 「私は、あなたが自分を責めているのを知っていました」  アヤの声が優しい。 「『もっと早く病気に気づいていれば』『もっといい医者を探せば』『もっとお金があれば』。でも、アキラ、違うんです」  画面の中のアヤは、まっすぐにこちらを見つめた。 「私たちの7年間は、完璧でした。足りなかったものなんて、何もなかった」  アキラは嗚咽を堪えた。 「覚えていますか。結婚式の前日、あなたは緊張して眠れないって言って、夜中に電話してきましたね」
last updateLast Updated : 2025-12-04
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第九章 問い続けること
 それから3日間、アキラは誰にも会わず、事務所に閉じこもっていた。  彼は、すべての記録を読み返していた。自分が見送った10,247人の人生を。一つ一つ、丁寧に。  そして、彼はあるパターンに気づき始めた。  人々が最も大切にしている記憶は、必ず「有限だった時代」のものだった。  不老技術を受ける前の、限られた時間の中での、かけがえのない瞬間。  恋人との初めてのデート。  子供の誕生。  親の最期。  友との別れ。  雨の日の傘の下。  それらは、すべて有限性の中で輝いていた。  逆に、不老技術を受けた後の数百年、数千年の記憶は、ぼんやりと曖昧だった。確かに多くのことを経験したはずなのに、何一つ心に残っていない。  ある男は、火星に300年住んでいたが、その記憶はほとんどなかった。  ある女は、50人の恋人を持ったが、誰一人として鮮明に思い出せなかった。  ある夫婦は、800年一緒に暮らしたが、最後の500年については「何もなかった」と語った。  なぜか。  答えは明白だった。  永遠は、意味を奪うのだ。  アキラは哲学の古典を読み返した。ハイデガー、サルトル、カミュ、キルケゴール。彼らは皆、死と有限性について書いていた。  ハイデガーは言った。「人間は『死に臨む存在』である」と。死があるからこそ、人間は本来的に生きることができる。自分の有限性を自覚することで、人は初めて真に実存する、と。  サルトルは言った。「実存は本質に先立つ」と。人間には予め定められた本質などない。ただ、限られた時間の中で選択を重ね、自分を創造していく。その選択の重みが、死によって保証される、と。
last updateLast Updated : 2025-12-05
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第十章 終焉士の物語
 アキラは記録装置の前に座った。  しかし、話し始めることができなかった。  500年の人生を、どう語ればいいのか。10,247人の死を見届けた男の物語を、どこから始めればいいのか。  彼は自分の手を見た。若い手だ。30歳の肉体を保っている。でも、この手は500年分の重みを知っている。  そのとき、扉がノックされた。 「どうぞ」  入ってきたのは、意外な人物だった。ユキコだった。 「まだ、死んでいなかったんですね」  アキラは驚いて言った。 「ええ。予定を変更しましたの」  ユキコは微笑んだ。 「あなたのお手伝いをしようと思って」 「手伝い?」 「あなた、自分の記録を取ろうとしているでしょう? でも、一人では難しいわ」  ユキコは椅子に座った。 「終焉士には、終焉士が必要なんです。誰かが問いを投げかけないと、物語は始まらない」  アキラは長い沈黙の後、頷いた。 「お願いします」 「さあ、話してください。アキラ・サトウの物語を」  アキラは深く息を吸った。そして、ゆっくりと語り始めた。 「私は、妻の死をきっかけに、終焉士になりました」  言葉が、ゆっくりと溢れ出してくる。 「彼女の死を受け入れるために。いえ、違う。彼女の死から、逃げるために」
last updateLast Updated : 2025-12-06
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