私は龍太郎にしぶしぶ自分の連絡先を教えた。断れなかった。 彼は指を動かし、私の番号をスマホに登録している。 私はベッドから起き上がっていて、龍太郎はベッドに腰かけていた。 ……二人きりの病室。 「あ、あの今日は総合病院で、お仕事じゃなかったんですか?」 私は龍太郎の全身をちらちら見ながら話す。 白いシャツにブラックのアーガイル柄のベスト、黒のスキニーパンツ。 ……先日も思ったけど、足、長いなぁ。体の半分が足? 体の作り、どうなってんの? それにやっぱりむちゃくちゃかっこいいよね……、悔しいけど、それは認める。 なんでこんなひとが『メシ友』に困るんだろう? 「おい、なにジロジロ見てんだよ。見惚れてんじゃねぇぞ」 龍太郎が平然と言い放つ。 ……前言撤回。こんなひとだからいないんだ。 「み、見惚れてなんかいませんよ。それより仕事はどうしたんですか?」 私は再び問いただす。 心臓に悪い突飛な行動が多いから、早く帰ってほしいなんて言ったら、なにをされるかわからないから、口が裂けても言えない。 「今日は午前中だけ外来。今、受け持ち患者も二人しかいなくて、そんなに忙しくない。夕方まで時間あるからな」 龍太郎がスマホを触りながら口にした。 げっ!! まさか夕方までここにいるの⁉︎ その時、私のスマホが鳴った。 ……誰だろう? 知らない番号だ。とりあえず出るか……。 通話ボタンを私は押した。 「も、もしもし……?」 「あ、もしもし? おれだけど?」 隣から龍太郎の声がした。こいつかい!! 「きちんと登録しておけよ。そして着信があったら、なるべく早く必ず掛け直すこと、いいな?」 うわっ。こっわ。 「そんなこと言われなくても、きちんと掛け直しますよ」 えーと、この番号は苗字だけでいいか。 「剣堂さんっと」 私は登録ボタンを押した。 「剣堂さんじゃない」 私の横に座りなおして、横からスマホを覗《のぞ》きこんできた龍太郎が、不満そうに言った。 「は?」 あなたの苗字、剣堂さんではなかったですか? 私は確認するように龍太郎の顔を見る。 「龍太郎」 「え?」 なにを言ってるかわからず、私は聞き返した。 「龍太郎で登録しろ」 なんで? そこどうでもよくない? た
光太郎が部屋から出て行って、あらためて部屋を見渡すと、大層立派な花瓶に、壁かけの大きな液晶テレビ、ヨーロッパ調のテーブルに、座り心地がよさそうな、大きなソファーが部屋に置いてあった。 なにやら凡人には理解し難い絵も飾ってある。 ここは個室? しかもこれ、特別個室ってやつじゃない? なんでこんなところに? トイレにシャワーもある。 ……てか、ここのお金、やっぱり私持ちだよね~⁉︎ この部屋、一日いくらするんだろう……。 考えただけで眩暈が悪化しそうなので、私は考えるのをやめた。 私はお手洗いに行った後、カバンの中にあったスマホを取り出した。 壁掛け時計は、午前十時半を過ぎている。 こんな時間に今から会社に連絡するのか、気まずいなぁ。 始業時間を二時間も過ぎている。私はスマホを見ながら、ため息を吐いた。 また事務長が出たらイヤだな、と思いつつ、会社に電話をかけた。 呼び出し音が三回ほど鳴った後、「はい、グリコロ製菓です」と男性の声がした。 あっ、この声は係長だ。 「あ、あの鈴山です。連絡が遅くなり、すみません……」 私は気まずさしかない声色で話す。 「あ、ああ、鈴山さん、連絡がなかったんで心配してたんだよ。どうかした?」 電話先にいる係長の声は驚くほど、穏やかだった。 「あの実は……昨夜、高熱を出して病院に運ばれて、今、まだ病院にいるんです。気がついたのがさっきで、連絡が遅くなり、本当に申し訳ありません」 昨日の今日で、この電話。情けない……。自己管理がまったくなっていない。 「び、病院⁉︎ 入院してるの⁉︎」 私の話を聞いた係長が、大きく息を呑んだのがわかった。 私は係長に検査結果が出るまで、退院できないこと、原因がまだはっきりしないこと、現在の体調などを話した。 「そっかぁ、それは大変だったね。みんなにも伝えておくよ。鈴山さんさえ良かったら、午後から少し、お見舞いに行ってもいいかな?」 係長の優しい声が私の耳に届いた。 「……そんなたいした病気でもないですし、そのお気持ちだけでいいですよ」 私は断った。会社に迷惑ばかりかけているのに申し訳ない。 「いや、僕が鈴山さんに会いたいんだ。会って少し話できないかな? もちろん長居はしないから」 係長……、相談窓口担当なだけあって優し
身体が熱い。龍太郎の抱擁でどうにかなりそうだ。 「……な、なんでこんなこと、するんですか? 会ったばかりでこんなこと、普通しませんよ」 恥ずかしいよ。ドキドキする。細いけど、たくましい腕。サラサラの髪。 「……おれがしたいからだ。普通の男と一緒にするな」 龍太郎の吐息がかかる。背中がゾクゾクする。 「剣堂さん、熱い……。熱いです」 私は朦朧《もうろう》としてきた。こんな美しい顔が近くにあるからだろうか。この男の香りも危険だ。頭がぼーっとする。 彼の猛毒に触れて、私の頭と身体はおかしくなったのだろうか。 ……すでに全身に毒が回ってしまったのだろうか? 龍太郎の顔がすぐ隣にある。そのきめ細かい肌に触れてみたい。私は欲望のまま自分の頬を龍太郎の頬にくっつけた。 彼の頬は温かかくて、すごく柔らかかった。 ……こ、こんなことしてもいいのかな……? 私は自分の心臓がどんどん早くなるのがわかった。 「……おまえ、本当に熱くないか?」 龍太郎が私の顔色を見て、不安げな表情になった。そして、おでこをピタっとくっつけてきた。 ぎゃっ!! なにするの! 余計に熱くなる!! 「お、お、おまえ、熱あるぞ! すごい熱だぞ⁉︎」 え? 私、熱あるの……? 「 どうりで……熱いと思った……。へへ」 「笑ってる場合か。病院行くぞ!」 龍太郎が車を発車させた。どこの病院だろう? 私は意識がどんどん遠のいていった……。 *** ……ん? ここはどこだろう? 天井が白い。消毒液の匂いがする。 点滴がポタポタ、落ちていくのが視界に入った。 「気がつかれましたか?」 声をかけてきたのは、優しい顔立ちをした女性だった。自分よりかなり年上のようだ。ナース服を着ている、どうやら看護師さんらしい。 彼女は点滴の落ち具合を確認している。 ……え? ここは病院? どうして? 「気分はどうですか? 昨夜、龍太郎先生がここにあなたを運んで来られたのですよ」 少し微笑みながら、その看護婦さんが尋ねてきた。 ……龍太郎先生? 私はまだふわふわする頭で考えた。龍太郎が私をここに運んでくれたの? 「剣堂さんが……? 私をここに? ……こ、ここはどこですか?」 「ここは剣堂クリニックですよ。龍太郎先生のお兄様が院長
「そ、そうなんだ。産業医の先生だったんだ」 私はたしかにこの顔を見たことがある。 「おれはただの付き添い、勉強だけどな。おまえの会社でインフルエンザや、怪我、病気、なんかあったら診るのは、うちの父親と、うちの病院だ」 「……そうなんですね。だから私のこと、知ってたんですね。メガネしてるからわからなかった。……あれ? でも会ったの最近じゃないですか? ここ二ヶ月ぐらい前な気がする。そんな何回も会った記憶ないですし……」 私は記憶を辿るが、どう考えても、《《いつも》》と言われるほど、龍太郎と会った覚えがない。 「おれね、よくこの辺り、走ってんの。兄貴のクリニックがこの近くにあって、そこでバイトもしてんの」 あ、お兄さんも医者なんだ。すごい。パンピーとは一線を画する華麗なる一族か。 「けっこう、おまえとすれ違ってるよ。少なくとも、おれは覚えてるんだけどな」 龍太郎が口元に曲線を描いた。信じられないぐらいの美形だ。それに妙な色気がある。 「え……?」 そんなこと言われると戸惑ってしまう。なんで? 覚えてるの? 心臓がドキドキと音を立て始めた。 「おまえのパステルピンクの車、あんまりいないから目立つんだよ。いかにも女の子ですって、色の車な」 ……なんだ、なるほどね。絢斗が女の子らしいって、これがいいって! って言ってきたから半分妥協して買ったやつだ。 ……自分を持ってない女の黒歴史。 「私だって、好きであんな色に乗ってるんじゃないんです。買い替えたいけど、まだローンが残ってて……」 その言葉に龍太郎は、不機嫌そうに口を開いた。 「車ぐらい自分の乗りたい車に乗れよ。どうせあれだろ? 彼氏がこれ可愛いとか言ったんだろ」 「……そうですけど。どうせ、もう別れましたし、今度、車を買う時は自分の好きな色の車に乗ります」 いつの間にか涙は止まっていた。車に関しては、自分に似合わない色であることは、百も承知だ。 「……おまえ、彼氏と別れたんだ。てかやっぱ、彼氏いたんだな……」 龍太郎の目に関心の色が宿ったのを、私は見逃さなかった。 夜風が冷たい。四月に降った季節はずれの雪。今はもう溶けて消えちゃったけど、今日は朝から色々あったなぁって考えてたら、あくびが出てきた。 疲れた……。非常に疲れた。
「み、見てたって……、な、なにを?」 私が龍太郎に会うのは、今日が初めてのはず。 いや、間違いなく会ったことなどない。 「おまえを見てた」 「いや、そういうことじゃなくて、仕事も知ってるの?」 「知ってる。おれ、おまえの後をつけたことがある」 ……うわぁぁあ!! 怖っ!! ス、ス、ストーカー? 「あ、あの、け、けけけ、剣堂様はなんで、そのようなことをい、いたしたのですか?」 混乱して、もう日本語がぐちゃぐちゃだ。 「おまえのこと、気になったから。それより剣堂様ってなんだ?」 龍太郎が首をかしげる。 ……こいつ、なんでもないことのように平然と。き、気になったってなに? 後をつけられて、気になってるのは私のほうなんですけど……!! 「おまえの仕事場、あのグリコロ製菓だろ? 山の中にある……」 うぉぉ、こいつ、ガチで知ってる。私のこと!! 「あはは、私、最後にデザート食べようかなぁ……」 私は彼の質問には答えず、現実逃避しようとタッチパネルを手元に引き寄せ、画面に触れる。 こいつとは、これきりだ。二度と関わってはいけない、そういうやばいレベルの男だ。 『デザートを食べ、何事もなく穏便に済まし、無事に帰宅する』 これが今日、最大のミッションだ。疲れ果てた身体に、こんなに色々なことが起こるとは、今日は厄日か? スマホを間違えたために、入れ違いになったために起きたことだ—— ……ぜんぶ、自分が悪い。 いつもなにかしら抜けている自分のせいだ。 「……悪かったな。車で後をつけたりして」 なぜか謝ってきた龍太郎。 「く、く、車で、へ、へぇ……」 あの高級車と、私の軽自動車では最初から勝ち負けは決まっている。逃げることもできないだろう。 「おまえがあまりにも暗い顔して、車に乗ってたから……。いつ見かけても、いつも、つまらなそうだったから、つい気になって……」 …………なにそれ……? 暗い顔? つまらなそうな顔? つい気になって? なに? いったい……、いったいこいつに、なにがわかるの……? 私がこれまでどれだけ一生懸命に働いて生きてきたか、なにがわかるわけ? 女が一人で生きていくのがどれだけ大変か、わからないよね……? 私はタッチパネルに触れる
「お、おまえ、ふざけんなよ~!!」 龍太郎の口調が荒い。 私の案内通りに車を走らせて、とあるお店に着いたのだけど、やっぱりそういう反応になるよね。 「ここなんだよ⁉︎ 回転寿司じゃねぇか! おまえ、せっかくおれがいい店に連れて行ってやろうと思ったのに! チッ!」 龍太郎は舌打ちしたけど、これ以上、お姫様になったら、もう現実世界に戻れなくなっちゃうよ……。 もう、十分だよ……。 「いいじゃないですか。安くて美味い、庶民の味方。剣堂さんもたまには、こういうお店で楽しく食事を楽しみましょうよ」 私は龍太郎をなだめる。 「まったくおまえは《《いつも》》欲がねぇな。もっと、ひとに甘えて生きればいいのに」 龍太郎の言葉に私は戸惑った。 ……え? いつも? 「来たからには、たらふく食うからな。おれは腹が減ってんだ。おまえの奢《おご》りな!!」 龍太郎は私に背中を向けて、お店の方に歩き出したけど、龍太郎の言葉に引っ掛かりを覚えていた。 ——どこかで会ったことあるの? …………まっさか~、こんな目立つヤツと会ってたら、いくら私でも気づくって。 「二名様、ご案内~」 音吐朗々《おんとろうろう》とした店員の声が店内に響き渡った。 龍太郎の後ろをちょこちょこ歩く私は、客と店員の視線を感じずにはいられなかった。 ——みんなが龍太郎を見ている気がする。やっぱり目立つからかなぁ? 龍太郎が歩いて連れてくる、風に乗った香りがふんわりと、私の鼻をくすぐる。 車に乗っている時から気づいていたけど、龍太郎はなんというか、すごくいい匂いがする。 森林みたいな……それでいてとても上品な香りだ。 うまく例えられないけど、大自然に包まれているような安心する香りだ。 龍太郎の後ろ歩くと、その香りに包まれる。 「ふぅ……」 龍太郎が席に座って息を吐いた。 テーブル席に座っても、なおも視線を感じる。私がちらりと見ると女性たちが頬を赤らめて、龍太郎にうっとりとした視線を投げつけて、なにやらヒソヒソと話をしているのが目に入った。 「ずっと、運転してもらってすいません。つ、疲れましたよね?」 龍太郎の形のよい鼻を見ながら、私は口にした。一応、私は私なりに気を使っている。 「別に……」 龍太郎のそっけない返事が耳を通