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第18話

Author: 神雅小夢
last update Last Updated: 2025-06-16 13:48:37

「鈴山さん、僕ら会社はね、君のことを考えて異動はどうか、という話をしているんだ。けっして君が必要ないとか、そういうのではないことは、理解してほしい」

係長の眉が下がっている。本当はこんなこと言いたくないはずだ。

……わかってる。わかってるけど、係長の顔を今は見れない。見たくない。

「あの鈴山さん、こういう時にこそ、僕がなにか君の力になれないかな?」

係長の緊張が混じった声が私の耳に届く。

「……いえ、理解はしています。皆さんの私への配慮も感謝しています。ですが、少し待ってもらえませんか? 突然のことで、私も戸惑っていて……。心が追いつかないというか……。係長には、今までこれ以上ないってぐらい助けていただきましたし……。なので、これ以上は……もう十分です」

私はなるべく感情が読み取られないように、平静を装いながら話した。

「鈴山さんの体調次第でかまわないんだけど、来週あたりにでも、返事をもらえたらいいんだけど……」

係長がさらに困った顔をしている。

……来週か……。私が抜けた後の穴埋めが必要なのだろう。

製造には行きたくない。今よりも流れ作業だ。それにお給料も違ったはず。せっかく役職まで登り詰めたのに?

でも会社を辞めたら、寮に入っているから、住む場所もなくなる。

自分にはなにもなくなる——

あの飲んだくれの父親と、暗い顔をして奴隷のように働く母のもとに帰るの? 弟はほとんど家にいないし、あそこは私にとって息苦しい場所。

製造……。こうなったのは自分せいだ。この際、どんな仕事でもいいじゃないか……。

——お前、自分が楽しいと思える生き方しろよ。

龍太郎の声が頭の中に聞こえた。楽しいと思える生き方……。

……新しい自分になりたい。

そうだ、苦しくても、しんどくても、自分で生き方は選ばなきゃ……。

もう十分、頑張った。あそこにいる限り、絢斗に縛り続けられる。

「……係長、私、仕事辞めます……」

顔を上げると、悲しい顔をした係長の姿が私の瞳に映った。

「そうか。そうだよね……。体調が悪い時にこんな話を、本当にごめん……」

「いえ、もとはといえば、自分が悪いですから。突然ですみません!」

私は頭を下げた。

「いや、有給がかなりあるから、来月末退社で大丈夫だよ」

係長が静かに言った。

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