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第6話

Author: 安寧を祈る
白鳥は携帯を軽く振りながら、陰険な口調で言った。「あなたのベッドでの恥ずかしい姿、全部隼人が動画に撮ってるのよ。私の携帯に入ってる。相談してると思って?これは通告だ。全世界に公開されたくなければ、従ったほうがいいわよ」

絢瀬の顔色が一瞬で青ざめた。

ゆっくりと振り返り、鬼塚の背中を睨みつけると、足元から頭のてっぺんまで、凍りつくような冷たさが全身を駆け巡った。

しばらく沈黙が続いた後、彼女は歯を食いしばりながら頷いた。

病院のベッドに横たわり、医師が自分の血管から鮮やかな赤い血液を何本も採取するのを見つめながら、絢瀬はついに涙をこぼした。

鬼塚、あなたは本当に白鳥を愛しているのなら、なぜ世間の目なんかを気にして私と結婚したの?なぜ私だけがこんな目に遭わなければいけないの?

一方、手術室の前では、医師が検査結果を確認しながら鬼塚に告げた。

「鬼塚様、奥様は6年前に大手術を受けられています。可能であれば、近いうちに再検査をおすすめします」

「手術?」鬼塚は驚きを隠せず、「何の手術だ?」

「心臓関係のようです。当時は成功したのですが、やはり一度詳しく調べた方が……」

「わかった」

6年前のことを思うと、鬼塚は思わず拳を握り締めた。

白鳥の祖父の安全を確認した後、鬼塚は暗い表情で絢瀬の病室に現れた。

「医者から聞いた。お前は6年前に手術を受けたそうだ。何があった?」

絢瀬はゆっくりと目を開け、頑なで嘲るような眼差しを鬼塚に向けた。

「あなたに何の関係ある?もしかして、私の血が汚れてると思ってる?じゃあゴミ箱に捨てれば?別に構わないよ」

「お前!」隼人は怒りに震え、その場を去った。

天井を見つめながら、絢瀬は深くため息をつき、こめかみを押さえた。

6年前の手術って?彼女自身も覚えていなかった。

ただ、あと5日もすれば、白鳥はこの世から消えるんだ。

そして、鬼塚――私たちも、これで終わりね。

誕生日パーティーの日はあっという間に訪れた。

絢瀬はすでに荷物をまとめ、スーツケースも準備済みだった。

計画が成功次第、すぐにヨーロッパへ飛ぶつもりだ。

例年と違い、今年のパーティーは自宅で開催されることになった。逆に都合がいい。

階下ではゲストが賑わっている。

一方、階上は静かで、廊下に潜んだ絢瀬の耳に、女の甘えた喘ぎ声がかすかに聞こえてきた。

白鳥の声だ。

鬼塚と何をしているのか、想像に難くない。まさに計画通り。

絢瀬は息を殺し、そっとドアを開けると、中の声が一瞬よりはっきりと耳に伝わった。

「隼人……胸が苦しいの、揉んでくれない?」

「ねえ、今日のパンツ、何色だと思う?」

耳をふさげたらよかったが、胸に込み上げる吐き気に耐えながら、絢瀬は白鳥のバッグに手を伸ばした。

口紅を取り出し、事前に用意していた青酸カリを塗りつけた後、元の場所に戻した。

そして、薄笑いを浮かべ、絢瀬は振り返らずにその場を去った。

「鬼塚さん、先日のオークションで60億のネックレスを落としたそうね。イギリス王妃の愛用品だって」

「白鳥さんへの愛は本物よね、何年経っても変わらなかった。絢瀬さんって本当に可哀想……ちっとも愛されない妻なんて」

噂話が聞こえてきたが、絢瀬はただ冷笑した。

鬼塚の愛なんて、要らないわ。

「絢瀬さん」

突然、肩を叩かれた。振り向くと、優しげな老人が立っていた。

「どなたですか?」

「白鳥千早の祖父の白鳥源蔵(しらとり げんぞう)です。先日は輸血をありがとうございました」

絢瀬は胸が締めつけられるような感覚に襲われた。目の前の人は白鳥のお祖父さんなのに、なぜか、憎めない。むしろ親近感さえあった。

「他の人でも、助けますよ」

「これからもし何かあっても、いつでも頼ってください。絢瀬さんにはどこか縁を感じますね」

「はい」喉が熱くなった感覚だ。

そして、パーティーが始まった。群衆の期待の眼差しのなか、鬼塚は白鳥にプレゼントを贈った。

だか、それはただのダイヤのネックレスだった。

あの60億の品ではない。

白鳥も心の中でがっかりしたが、無理やり笑顔を作り、鬼塚の頬にキスした。

「ありがとう、隼人。私のこと、本当に大切にしてくれるのね」

「ああ」鬼塚の視線は、群衆の中の絢瀬に向いていた。

彼女はただそこにいて、冷ややかに見つめるだけだった。目には嫉妬も怒りもなく、まるで知らない人の事を見ていたように。

胸が苦しくなった。

あの60億のネックレスは、本当は絢瀬への贈り物だ。さっきも書斎で既に秘書に命じていた。

彼は忘れるものか。今日は絢瀬の誕生日でもある。

彼はこのパーティーが終わり、皆が帰った後、最初に彼女に祝福を伝えるつもりだった。

パーティーはまだ続いている。

突然、鬼塚とダンスをしていた白鳥は口から泡を吹き、そのまま倒れた。

場内は騒然となった。

「早く救急車を!」

救急車は駆けつけて、白鳥を運ばれた。

救急車に同乗する前に、鬼塚はちょっとためらった。彼は冷たい表情をしている絢瀬の方を一瞥した。

時間を確認しながら、彼は心の中で願った。絢瀬の誕生日が終わる前に、必ず零時までに、戻るようにと。

白鳥はどうして急に倒れたのか分からないゲストたちは混乱のままだった。

無人の隅で絢瀬の口元にはやっと得意げな笑みが浮かんだ。青酸カリは猛毒だ、白鳥はこのまま死ぬだろう。

たとえ一命を引き留めたとしても、何ならの後遺症は残るはずだ。

混乱に乗じ、絢瀬はスーツケースを持ち、空港へ向かう車に飛び乗った。

飛行機の窓から、街の明かりを見下ろしながら、彼女は静かに笑った。

さよなら、鬼塚隼人。残りの人生で、もう二度とあなたと会わないように。

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