Se connecter私は指輪の内側に刻印された二人のイニシャルを見つめ、胸が締め付けられた。「あなたが好きにしたらいい」彼は指輪をぎゅっと握りしめた。「昔の君は俺が外すとすぐに探していただろう」私はそこから視線を外した。「もう探す必要はないし。私はあなたを引き留めたし、結果どうなるかも伝えていたわ。いつだって、あなたの帰りを待ちつづけた」この時、一樹の目から涙がポタポタとこぼれ落ちた。彼は涙を適当に拭い、肩を落とした。すると後ろから突然彼の絞り出すような苦し気な声が聞こえてきた。「琴葉」私は立ち止まらなかった。あれから1年後の誕生日。私は人生で初めて友香のいない誕生日を過ごした。おばさんがケーキを予約してくれて、友人たちがリビングに集まり、ソファやテーブルの上はプレゼントで溢れた。友人の一人が私に薄いグレーのマフラーを巻いてくれて、鏡に向かってマフラーに触り、目を輝かせた。「このマフラー可愛いよね、ちょっと数日くらい貸してくれない?」私は無意識に手をあげてマフラーを外そうとした。指先がマフラーの端に触れた瞬間、私は手を止めた。友人はまだ私の返事を待っていた。からかうような笑みを浮かべている。私は柔らかなカシミヤのマフラーを触った。「貸さない」彼女は一瞬呆け、私の頬を軽くつまんだ。「ケチね、じゃ、いいわ、自分で買うから」その時、みんなが一斉に笑った。私もマフラーを隠すような動作をしてみせた。胸は不思議と熱くなった。お願いされて拒否をすることは、思っていたよりも怖いことではないらしい。誰かが急に態度を変えてくることもないし、過去の友情と言って追いつめてくることもない。この時、スマホが突然鳴り出した。一樹だ。【誕生日おめでとう】彼のアイコンは以前撮った浜辺の写真だ。ここ一年、彼は何かことあるごとに、私にメッセージを送ってきた。正月には一緒に初詣に行かないかと言ってきたり、雨の日には傘を忘れないように言ってきたりだ。ある時、私がよく好きで食べていたお菓子を送ってきたことがあるが、おばさんが開けずにそのまま送り返した。私は彼のアイコンをタップして、ブロックし、徹底的に削除した。おばさんが向こうで私を呼んでいる。「さ、ロウソクに火をつけたから、お願い事
私はブレスレットを箱に戻した。「だから、どうもありがとう」彼はこの時まだ箱を閉じていなかった。「それなら、なんでそんなふうに俺を見るんだよ?」涙が込み上げてきた。「だって、私のお母さんが使っていた頃のブレスレットの石はもう見つからないからよまたいくら同じような石を探したって、変わらないわ」一樹は拳を握りしめ、目を少し赤くさせた。「君はブレスレットのことを言ってるのか、それとも俺たちのこと?」私は答えなかった。すると彼は興奮した様子で呼吸を荒くさせた。「琴葉、俺と藤崎さんはもう関係をきっぱり切ってしまったって言っただろう。あれから一度も彼女に会ってないし、電話にも出ていない」「分かってるわ」「だったら、どうしてこれでもまだ駄目なんだ?」彼は緊張した声で言った。「俺は間違いを認めたし、自分を改めもした。取り戻せるものは全部取り戻してきた」私は彼を見ていると、胸を締め付けられたように苦しくなった。「一樹、あなた、今さら必死になって取り戻そうとしているけど、それは私に捨てられた事実を受け入れられないだけでしょ」彼は言葉に詰まった。「だけど、あんなことをされるたびに、私は十分苦しんだわ」私はブレスレットを箱から取り出して、握りしめた。「箱は持って帰って」彼はその場に立ち尽くしていた。私は彼に背を向けて、マンションのエントランスに入っていった。エレベーターのドアが閉まる前に、彼は依然として空の箱を握りしめ、指で箱の縁を強く押さえつけていた。一樹が去ってから3日目、大学の同級生グループが突然賑わった。誰かがある録音をグループ内に送った。録音にはグラスをぶつけ合う音などがうるさく、一樹の声はとても抑えられていた。「あの日、琴葉は『貸さない』って言った。彼女ははっきり拒否したけど、俺が自分で友香と一緒に行くことにしたんだ」グループ内は暫く静かで、すぐに誰かがその場を和ませようとメッセージを送った。【あの日はさ、みんなあなた達三人がふざけてるのかと思ってたんだよね】すると一樹が冷たくその言葉を切り捨てた。【琴葉はふざけてなんかなかった。最初から最後まで、間違っていたのは俺のほうだ】私は画面に釘付けになり、手をゆっくりと握りしめた。誕生日パーティ
私は口元に手をあてて押さえたが、嗚咽する声まで抑えることはできなかった。付箋が箱の下から出てきた。【全部取り返してきたから】付箋にはそう書かれてあった。その紙を握りしめた瞬間、涙がどっと溢れてきた。おばさんがため息をついて、私の傍にしゃがんだ。「泣きたいなら思いっきり泣けばいいのよ」私はうつむき、ぎゅっとブレスレットを握りしめた。「ただ、お母さんのことを思い出しただけです」それから私は箱の中に入っている物を一つずつ取り出していった。その多くが、もうすでに記憶から消えていたはずなのに……ここ数年、口では気にしないで、大丈夫だと言いながらも、やはり心の底では覚えていた。スマホがこの時振動した。一樹からのメッセージだ。【あといくつか見つけ出せてないんだ。また探しておくから】私はスマホの画面を見つめ、指を暫く止めていた。【ブレスレットは受け取ったわ。他のものは持って帰って】すると彼はすぐに電話をかけてきた。私は少しためらいながらも、電話に出た。彼の声はかすれていた。「なんで?」この時、私は床に広がる昔の物を見ていた。「ブレスレットだけでいいから」「でも、他のだって全部君の物だろう」「昔はね」電話の向こうから沈んだ息が聞こえてきた。「琴葉、君がなくしていたものを全部返してあげたいだけなんだよ」その言葉に私は鼻の奥がツンとした。もし、彼のこの言葉を数年前に聞いていれば、きっと彼に抱きついて大泣きしたことだろう。だが今の私は、ただただ疲れ切っていた。「一樹、私はね、なくしたものが手元にないことに慣れ切ってしまっているのよ」彼は黙ってしまった。私は白いスカートをもう一度折りたたんで箱に戻した。「明日誰かに取りに来てもらうわ」電話を切って、私はブレスレットを握ったまま窓辺まで来た。日の光が少し古くなったブレスレットにあたり、不自然な光を放った。ブレスレットに目を向けてじっくりと見つめた。真ん中についていた薄いブルーの石は周りに嵌められた他の石よりも新しく見えた。私は指でそっと石留めの部分を撫でた。そこには小さく細かいが、傷のようなものがあった。お母さんの形見の石は、戻ってこなかった。私はその石を写真に撮り、一樹に送った。
友香は涙を流していたが、口元は相変わらず笑っていた。「それが、どれだけウザいかって、あんたに分かる?」私は呆然とした。すると友香は私に近づいてきた。「あなたは恵まれているから、一つくらいなくなったところでどうでもいいのよね。私が持っていった物全部、まるであなたから施しを受けているみたいだったわ」その言葉を聞いた瞬間、心に怒りが湧いてきた。「だったら、私に貸してなんて言わなけりゃいいじゃないの」友香は声を詰まらせた。私は彼女を見つめた。「スカートはあなたが選んだものだし、カメラは借りていったよね。ブレスレットはずっとつけたまま外そうとしなかったじゃないの。私は一度たりとも、あなたに使ってほしいなんて言ったことはないわよ」友香の顔色はどんどん悪くなっていった。「だから、あなたは自分は一切間違ってないっていうの?」「昔、あなたが余計なことを、深く考えすぎるんじゃないかと思って、だから私は断わらなかったのよ」私はレジ袋をぎゅっと握りしめた。爪が薄い袋越しに手のひらに食い込んだ。「今思えば、私、ただあなたを甘やかしていただけみたいね」友香は息を詰まらせた。そして次の瞬間、突然また笑いだした。「だったら、一樹君は?彼も私がどうしても貸せって強制したっけ?」その言葉に私は指先まで冷え切った。友香は涙を拭った。「最初は彼と体の関係になるとは思ってなかったよ。私はただ、私が貸してって言ったもので、あなたが拒否するものはあるのか試してみようと思っただけ」友香は瞳の底に私への長年の恨みを露わにして睨んできた。「あなたが『貸さない』って言った時は、本当に悔しくって狂いそうだった。あなたにも奪われたくないものがあったのね。私とは20年の付き合いだっていうのに、彼たった一人に敵わないなんて」私は胸を締め付けられたかのように苦しくなったが、突然悟った。「だから、あなたはわざと彼をそそのかして連れて行ったのね」友香は否定しなかった。「私、彼に確認したよ。琴葉は『貸さない』って言ってるけど、それでも一緒に来るのかって」友香はにやりと口角を上げた。「そしたら、彼、来ちゃったの」その短い言葉がまるで鋭いナイフのように私の耳を突き刺した。レジ袋を握りしめる手に、さ
友香とのチャット記録も削除し、電話もブロックした。それに友香が家に置いていた物も全て箱につめて送ってしまったという。「二度と藤崎さんが来ることはないから」それでも胸はズキズキと痛んだ。5年という長い結婚生活を、そう簡単に割りきれるはずもない。そして胸の痛みと同時に、以前、私が玄関に座り、彼が毎回友香に会いに出ていく後ろ姿を見ていた、あの時のことを思い出した。「だから?」一樹は驚いた様子だった。「え?」「彼女と関係を切ったから、私に家に帰れというわけ?」私の言葉に彼の顔は青ざめていった。「琴葉、俺、もう自分を変えただろう」「変えたって、それはただ彼女との関係を、でしょ?」次第に赤くなる彼の目を私はじっと見つめた。「私はあなたなんて必要ないの」その言葉に彼はかなりのショックを受けたらしい。「そんなこと言わないでくれ」彼は手を伸ばして、私をつかもうとした。私はとっさに横を向いて避けた。「一樹、あなたまさか、この期に及んで私が友香とあなたを奪い合ってると勘違いしてるんじゃないでしょうね?」彼は唇を震わせた。「そんなこと思ってない」「だったらどうして口を開けばあんたは、あの女はもういらないみたいなことを言ってんのよ?」マンションの住人が何事かと、こちらを気にしながら通り過ぎていった。一樹は両側にだらりとさげた手に力を込め、拳を作った。「それは、だって君が藤崎さんのことを気にしてるから」突然私は疲労感に襲われた。「私が気にしてるのはそっちじゃなくて、私ははっきりと拒否したのに、それでもあなたが彼女と一緒に行ってしまったことよ。あなたに傍にいてほしいと伝えたのに、あなたは私のことをわがままを言って騒いでると思ったこと。それから、離婚したいってはっきり言ったわ。それなのに、あなたはただ私が怒ってるだけですぐに戻ってくると思い込んでいることよ」私の言葉を聞くたびに、彼の目はどんどん赤くなっていった。「琴葉、俺に一度だけチャンスをくれ」彼の声は、今までにないほどかすれていた。「どんな方法でも必ず償うから」私は感情が込み上げてきて、顔を横にそむけた。以前、私は彼のこのような姿に一番耐えられなかった。それで一樹が頭を下げれば、私はもうこだわらずに、彼を
列車が駅に到着した時には、すでに空が白み始めていた。おばさんが改札口の前に立っていて、一目で私に気付いた。彼女は多くを尋ねることはなく、スーツケースを受け取り、真っ赤に腫れた私の目を優しく撫でた。「とりあえず、帰ろうか」その言葉を聞いた瞬間、感極まって泣きそうになった。おばさんの家に到着すると、彼女は温かいおにぎりを作って持ってきてくれた。それを一口かじると、涙がポタリとこぼれ落ちた。私はふるふると肩を震わせてうつむいた。スマホの電源をつけてみると、通知を伝える振動が暫くやまなかった。40以上の未着信が来ている。全部一樹からだった。LINEは怒りのメッセージから始まり、だんだん変化していった。【どこにいるんだ?琴葉、電話に出るんだ】そして、最後のほうには「貸し出し記録」と書かれたあのノートの写真があった。【返却拒否ってどういう意味だよ?】そして暫く時間が経ってから、またメッセージが現れた。【琴葉、心配させるなよ】胸が引き裂かれるような痛みを感じ、私の指先は画面の上で固まっていた。昔、彼が出張で数時間返事が戻ってこないと、私は焦って眠れなかった。それが今、逆に彼のほうが必死に、私に連絡を寄越してくる。でも、彼に一文字さえ打つのも疲れる。すると今度は友達から電話がかかってきた。「ねえ、お宅の旦那が朝っぱらからうちに来て、琴葉がお邪魔してないかって尋ねてきたの。二人とも何かあったの?」「彼に私がどこにいるか伝えないで」電話の向こうは暫くしんと静かになった。「よく考えたんだよね?」するとまた涙が溢れてきた。「うん」友達からの電話を切った後、一樹が電話番号を変えて、またかけてきた。私はそれを三回続けて直接切った。四回目は、宅急便からの電話だと思い、電話に出た。電話越しに彼の呼吸の音が耳に飛び込んできた。「琴葉」彼の声はかなりかすれていた。その声に私は手が緊張した。「どこにいるんだ?」私は黙っていた。「君の貸し出しノートを見たよ」この時、彼の呼吸は荒くなった。「帰ってきて、ちゃんと話し合おう。離婚について話したいならちゃんと聞くから」私はすでに冷めてしまったおにぎりを見つめた。「昨日の夜、あなたにはチャンスをあげたは