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第7話

作者: 聞くな
翌日、桐子が朝食をとっていると、信之が慌ただしく帰ってきた。

「桐子、この二日ほど用事があって、海外に行かなきゃならないんだ」

桐子は少し驚いて、「そんなに急なの?」と問い返した。

信之は足を止めることなく、あっという間に荷物をまとめてしまった。

「取引先が急いでるんだ。桐子は家でいい子にして、俺の帰りを待っててね」

そう言うと、信之はしゃがみ込み、桐子のお腹にそっと手を当てた。

「赤ちゃんもいい子にしててね。パパは数日で帰ってくるから、その間ママを困らせちゃだめだよ」

そう言い終えると、信之は立ち上がり、桐子の額にキスを落とした。

「俺を待っててね」

信之が背を向けたその瞬間、桐子は彼の腕を掴んだ。「信之、誕生日の日には帰って来られるの?」

信之は一瞬きょとんとしたが、少し考えたあと、にこりと笑って言った。「帰ってくるよ」

桐子はうなずいた。

「必ず帰ってきてね。あなたのためにサプライズを用意したの」

信之の笑顔はさらに明るくなった。

「本当?楽しみにしてるよ!」

桐子は口元を引き上げたが、目が全く笑っていなかった。

「私も楽しみにしてるわ」

信之は桐子の表情の変化に気づかず、ただ彼女を抱きしめた。

「桐子、ごめん。この二日間はそばにいられないけど、帰ったら必ず埋め合わせするから」

桐子は信之を押しのけた。「いってらっしゃい」

そのときになってようやく、信之は桐子の様子がおかしいことに気づいた。

不安そうに、彼は急いで桐子の手を握りしめた。

「桐子、家で待ってて」

桐子は何も答えず、ただ信之に早く行くよう促した。

冷たく光る桐子の瞳を見て、信之の胸に一瞬、不安が走る。

「桐子……」

何か言おうとしたその時、信之のスマホが鳴った。

通話をつなぎ、数言だけ応じると、彼は心配そうに再び桐子を見つめた。

「桐子、やっぱり……」

信之は言葉を途切れさせ、何を言えばいいのか分からないようだった。

桐子はふっと微笑み、信之の前に歩み寄る。

この三年間いつもそうしてきたように、彼の襟元を優しく整えながら言った。

「お客様のことが大事でしょう。早く行ってあげて。誕生日の夜には必ず帰ってきてね」

信之のスマホは、途切れることなく震え続けていた。

桐子に特に異常が見られないのを確認すると、信之は足早にその場を後にした。

去り際、彼はもう一度だけ振り返った。

すると、桐子が玄関口に立ち、穏やかに微笑んでいるのが見えた。

その瞬間、信之の胸がきゅっと締めつけられた。まるで、このまま行ってしまえば二度と桐子に会えないような気がしたのだ。

頭を振ってその不安を追い払い、彼は小さく自分に言い聞かせた。

「桐子は俺のためにバースデーサプライズを用意してくれてるんだ。変なこと考えるな。それに、桐子は遥の存在なんて知らない。彼女が俺から離れる理由なんてないじゃないか」

そう思い直した信之は、ようやく心を落ち着けた。

信之を見送ったあと、桐子はスマホを開いた。

そこには、今朝遥から送られてきたメッセージが表示されていた。

――信之が彼女と一緒に海外で結婚式を挙げるという内容だった。

桐子の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。

そして短く【おめでとう】と返信した。

ダイニングに戻った桐子は、ゆっくりと朝食を食べ終えた。

そのあと、自分の荷物をまとめ始めた。

クローゼットに入って、いちばん奥の扉を開けると、目の前に精巧な仕立てのウェディングドレスが現れた。

彼女は、信之がこのドレスを見せてくれたときの得意がる表情を、今でもはっきりと覚えている。

信之は桐子の手を取りながら、ドレスの細部を嬉しそうに説明していた。

「見てごらん、桐子。ここには最高級のシルクとレースを使っているんだ。それに宝石やクリスタルもたくさんあしらってある。

イタリアで一番有名なデザイナーに特注して、手縫いで仕上げてもらったんだ。たった今空輸されたばかりで、世界に一着しかないんだよ!」

そのとき桐子は甘く笑って冗談を言った。

「そんなに豪華だと、重くて歩けないんじゃない?」

「俺がいるから大丈夫さ!」

あの時の光景は今も鮮やかに思い出せる。

けれど今の信之は、きっと遥のために、また新しいウェディングドレスを丁寧に用意しているのだろう。

桐子は視線をそらし、ウェディングドレスの隣に置かれたプラチナのティアラを見つめた。

三年の時を経ても、その美しさに心を奪われる。

彼女はそっとティアラを手に取った。

宝石の中には、歪んだ自分の姿が映り込んでいる。

桐子はそれ以上見つめることなく、ティアラを箱に戻した。

そして、信之がこれまでに贈ってくれたアクセサリーも一緒に収めた。

そのあと、彼女は執事を呼びつけた。

桐子はウェディングドレスとアクセサリーの箱を指差した。

「これらを全部売って、そのお金を寄付してちょうだい」

執事は少し驚いたように目を見開いた。

「奥様?」

桐子は穏やかに微笑んだ。

「普段使うこともないし、誰かの役に立てばいいと思って」

執事は黙ってうなずくしかなかった。

執事が部屋を出ようとしたとき、桐子がふと思い出したように声をかけた。

「そういえば、信之の誕生日パーティーの準備はどうなっているの?」

「すべて以前のご指示どおりに進めております」

「うん、残りは私が直接手配するわ」

信之の誕生日パーティーまで、あと三日だった。

桐子はレストランの譲渡手続きを済ませると、信之の誕生日パーティーの準備に専念した。

「招待客のリストを少し調整したの。招待状をもう少し多めに印刷して。

会場には大型スクリーンを用意して。当日は映像を流す予定よ。

今回の誕生日パーティーは、会社のチャンネルを使って全部ライブ配信にして」

執事は特に疑問を抱くこともなく、桐子の指示どおりにすべての準備を進めた。

時はあっという間に過ぎ、信之の誕生日パーティー当日がやってきた。

桐子は自ら信之に電話をかけた。

「いつ帰ってくるの?」

「桐子、今ちょうど飛行機を降りて、ホテルに向かっているところだ。焦らないでくれ」

信之は少し苛立っていた。

この数日、遥がしつこく付きまとってきたため、帰国の予定を何度も延ばすしかなかったのだ。

ようやく誕生日パーティー当日に間に合って戻ってきた。

「信之」

桐子の声は静かで優しかった。

「桐子、少しだけ待っててくれ。もうすぐ着く」

桐子は空港の外に立ち、信之が遠くから慌ただしく外へ出てくるのを見つめていた。

彼女の唇に、冷ややかな笑みが浮かんでいる。

「信之、そんなに急がなくてもいいわ。あなたのために用意したサプライズは、ちゃんとそこにある。逃げたりしないから」

電話を切ると、桐子は一度も振り返らずに搭乗口へと歩き出した。

「私が用意したサプライズを気に入ってくれるといいけど。

さようなら、小山信之!」
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