朝の光が柔らかく玲奈の身体に降り注いでいた。秋年は何度か彼女の方をちらちらと見た。ちょうどそのタイミングで玲奈が顔を上げ、二人の目が合った。玲奈はまつげを軽く持ち上げた。「ん?」秋年は見事に盗み見を見破られた。だが、光を浴びた彼女の顔は、驚くほど柔らかく美しかった。秋年はしばらく目を離せなかった。玲奈はそっと唇を引き結び、自分が彼を惑わせていることに気づくと、優しく注意した。「前見て運転しなよ」秋年はハッと我に返った。前方に目を向けたが、心臓はドクンドクンと音を立てた。クソ……玲奈は本当に綺麗だった。華やかなスポットライトの下よりも、こうしてリラックスしている時の彼女の方が、ずっと美しかった。まるで世界中の美しさを一人で背負っているみたいだった。追いたい。絶対に、手に入れたい。この想いは、ますます強くなった。「道を見たいのに、心は玲奈さんに向かってしまう……」秋年はぽつりと呟いた。玲奈は思わず吹き出した。「岩段社長、脚本でも書いてみたら?私が主演やるから」秋年は口をとがらせた。「俺は本気だって」「奇遇だね、私も本気」玲奈は両手を広げて見せた。何かおかしい?秋年は黙り、肩をすくめた。……まあいい。やがて、目的地の劇場に到着した。劇場はまだ準備中で、撮影は始まっていなかった。プロデューサーと監督は、玲奈から「もうすぐ着く」と連絡を受けて、外で彼女を待っていた。車を降りた途端、二人の中年男がすぐに駆け寄ってきた。「玲奈!」「玲奈ちゃん!」「いやあ、久しぶりだね!」秋年もゆっくり車のドアを押し開け、外に出た。彼は車にもたれかかり、だるそうに玲奈と二人のやり取りを眺めていた。その二人の目には、はっきりと玲奈への敬意が浮かんでいた。やはり、芸能界では「格」がすべてだった。玲奈は間違いなく、食物連鎖の頂点にいる存在だった。だからこそ、彼女は女王だった。秋年は両手を胸の前で組み、ラフな服装ながらもどこか様になっていた。彼は玲奈の背中を見つめていた。すると、玲奈がふいに振り返った。「こちら、岩段秋年。岩段グループの社長。私を送ってくれたの」秋年は顔を上げ、二人の視線が自分に集中するのを感じた。彼は少しだけ体を起こし
レストランを出たところで、玲奈は秋年を手で制して後ろに下がらせた。秋年「?」「ここでお別れよ」玲奈は気だるそうに言い、表情は冷たかった。秋年も彼女の真似をして微笑み、横の車のドアを開けた。「桜井さんに約束したんだ。君をちゃんと送り届けるって。君が承応で何かあったら、俺、桜井さんに顔向けできないからな」玲奈は眉をひそめ、心の中でイライラしていた。「別に、あんたが責任取る必要なんかない。何かあっても、自分で責任持つから、いい?」「郷に入っては郷に従えだよ、お姫様。さあ、乗って」秋年は玲奈の手を引き、彼女が反論する隙も与えず、さっさと車に乗せてしまった。玲奈は唇を開きかけたが、顔を上げると、秋年が身を乗り出してきた。近い。あまりに近くて、玲奈は思わず体をこわばらせた。呼吸すら熱く感じるほどだった。秋年は眉をひそめ、そして、彼女のシートベルトを手際よく締めた。カチッという音が響き、ドアが閉められた。玲奈は呆然としたまま、車の前を回って運転席に座る秋年を見つめた。ふと、自分の胸元にあるシートベルトに視線を落とし、そっとそれを握り締めた。ドラマでよく見るシーンだった。でも、こうして現実で体験すると、テレビで演じるあのシーンなんて比にならない。男が不意にぐっと距離を詰めてくる感覚は、本当に心を撃ち抜くものだった。秋年は運転席に座ると、すぐにドアロックをかけた。そして玲奈をちらりと見た。「場所は?」玲奈は無言だった。いくら冷静な彼女でも、今は少しだけ混乱していた。「ここ」玲奈はスマホの地図を彼に見せた。秋年は小さくうなずいた。「ナビしてやろっか?」彼女はたずねた。この辺りの道なら、何度も来ていて分かる。でも、もし玲奈が自分のためにナビしてくれるなら……「この辺あんまり来たことないから、ナビしてくれると助かる。道間違えたら時間無駄になるし」彼は真剣な顔で言った。悪意など微塵も感じさせなかった。玲奈は特に深く考えず、ただうなずいた。そして、二人は出発した。ちょうどその頃。綿と輝明もホテルを出てきた。二人は、遠ざかる車を見送りながら、綿は腕を組んで輝明に顔を向けた。「私たち、どこ行く?」「昨日、君と玲奈が立てたプラン、あれをそのま
彼女は目の前に置かれた茹で上がったラーメンを見つめていた。その時、秋年が言った。「俺たち友達だろ?できることがあるなら、手伝うさ。わざわざあの二人がお互い傷つけ合って、遠ざかっていくのを見ていたいわけじゃない。君の方が俺より分かってるはずだよ、結局あの二人は、一緒になる運命なんだって」その言葉を聞いて、玲奈はふと顔を上げ、秋年を見た。——君の方が俺より分かってるはずだよ、結局あの二人は、一緒になる運命なんだって。玲奈は黙り込んだ。秋年はちょっと気まずそうに苦笑した。また、何も言ってくれない。LINEでチャットしてたときもそうだった。途中でいきなり既読無視されることがよくあった。秋年はつい、口を開いた。「……ラーメン、食べない?」「いらない」玲奈はそう言い捨てると、その場を離れた。秋年「……ここにいるから、てっきり食べるのかと」玲奈は席に戻った。秋年も仕方なく席に戻った。綿は、玲奈の様子がどこか元気がないのに気づいた。「またうちの女優さんをいじめたんじゃないの?」綿は秋年を指差した。秋年は両手を上げた。「冤罪だ!」「ないよ」玲奈が秋年をかばった。綿は「ふうん」とだけ言い、それ以上は追及しなかった。四人で朝食をとりながらも、それぞれが心の中で別々の思いを抱えていた。「そうだ」玲奈がふと顔を上げて言った。「綿ちゃん、今日私は一緒に遊べないんだ。近くで撮影してるドラマのチームがあってね。監督と仲良いから、ちょっとだけゲスト出演頼まれたの」綿は目を細めた。つまり?秋年は黙って卵を剥きながら、心の中で「やっぱり玲奈は冷静だ」と思った。「一日くらいなら、まあいいかなって。だから、引き受けちゃった」玲奈はくすっと笑って、綿のそばに身を寄せた。そして綿の腕に抱きつき、甘えるように言った。「綿ちゃん~怒ってない?」女優が本気で甘えると、隣の二人の男は同時にビクッと震えた。テレビ以外で、こんな玲奈を見たことがある人はいなかった。本当に、可愛くて。秋年は口角を上げた。これはもう、ご馳走だった。可愛すぎて、もっと好きになってしまった。玲奈もふと我に返った。自分が綿に甘えている姿を、男二人が見ていることに気づき、ちらっと視線を向けた
「じゃあ、頼んでみなよ。明日、俺がちょっとだけ厚かましくなって、玲奈を連れて行ってあげるかもよ」秋年はポケットに手を突っ込み、だるそうに輝明の隣を歩いていた。輝明は彼を横目で見て、思わず笑った。「ほう、本気で俺に頼ませる気か?」「高杉が人に頭下げるとこ、見たことないからな。もちろん、綿に頼むのは別だけど」秋年は大笑いしながら言った。輝明が自分に頼み事をするなんて想像しただけで、今夜は笑いすぎて眠れないかもしれなかった。「チッチッ、秋年、お前、よくもまあそんなこと言えるな」輝明は肘で彼の腕を軽く突いた。秋年はさっと二歩下がり、爽やかに笑った。「ダメか?」「ダメだよ。明日ちゃんとやっとけ」輝明は部屋のドアを開けながら言った。秋年が後ろから入ろうとすると、輝明は彼を手で制した。「聞こえたな?」「チッ、高杉さん、俺だって岩段グループの社長だぜ?俺はお前のアシスタントでも子分でもないぞ」秋年はドア枠にもたれかかり、不満げに言った。輝明は微笑んだ。「俺を助けるのは、自分を助けることにもなるんだぞ、岩段若社長。玲奈みたいな女、今追わなかったら、すぐ誰かに取られるぞ。追いかける男たち、ここから天まで列作れるくらいだぞ?」秋年「……チッ」そんなの、分かってる。分かってるけど、彼女が「恋愛したくない」って言ってるのに、どうしろってんだ。「顔を厚くしろよ。厚かましさがなきゃ、女なんか口説けない」輝明は口角を上げながら言った。「俺もそうだった。言うこと聞いとけ」そう言い残して、ドアを閉めた。秋年「……」ほんと、勘弁してくれ。人をダシに使いやがって。やらしいやつだな、輝明、マジで。……翌日。朝食の席で、秋年はひたすら玲奈にぴったりとつきまとっていた。彼女がどこへ行っても、すかさず付いて行き、お茶を出したり、荷物を持ったり、まるでガードマンか何かのようだった。玲奈はすっかりうんざりしていた。昨日、恋愛なんて考えてないって言ったのに。どうして今日になったら、ますますべったりになってるんだ?これ、間違ってないか?「社長、なにかご用?」玲奈はじとっとした目で尋ねた。秋年はさらりと答えた。「ない」そう言いながら、ゆで卵を一つ、玲
ただ一人、輝明だけが、静かにスマホを見下ろしていた。翔太が正気を失って、もしまた綿に手を出そうものなら……輝明は、迷わずこの承応の地をひっくり返すだろう。たかが翔太ごとき、いくらでも潰せる。家ごと跡形もなくしてやる。「大人しくしてたよ。お会計まで持ってくれた」綿は気だるそうに言った。玲奈は綿の肩にもたれかかりながら、スマホを眺めていた。マネージャーからメッセージが来ていた。休暇はいつ明けるのか、今後のスケジュールを調整したいらしい。玲奈は返信した。「もう二日だけ遊ばせて~。あとのイベントにはちゃんと出るから!」マネージャー「あのイベントはすでに契約済みだからね。ドタキャンしたら、あんたの信用がガタ落ちだよ」玲奈「大丈夫、あと二日だけ遊んだら、ちゃんと真面目に働くって!あ、あと……私、岩段秋年と一緒にいるよ」この名前を見た瞬間、マネージャーはベッドから飛び上がり、即座に通話をかけてきた。玲奈はすかさず通話を切った。そして、テキストで返信した。「今、彼が運転してるから、通話無理。テキストで」マネージャー「ちょっと待って、あんたとあの社長、どうやってくっついたのよ?」玲奈「言葉に気をつけろ、何が『くっついた』だよ!」マネージャー「いや、どうやって……こうなったの?」でも「遊ぶ」って言うのも違うし……つまり、なんで一緒にいるの?って話だ。玲奈はあっさり答えた。「高杉輝明が妻を追いかけてきて、それにくっついて来ただけ」彼女は、秋年が今日自分に告白したことは、まだ話していなかった。マネージャー「あー、さっきニュース検索したら、四人で一緒にいるって出てたわ。二人きりじゃないならセーフだね」玲奈「うん!」マネージャー「わかった、早く休んでね。あと、食べすぎ注意。体型管理、忘れずに!」玲奈はもう返信しなかった。マネージャーからは、最後に爆弾の絵文字が送られてきた。「マネージャーに呼び戻された?」綿が聞いた。玲奈はうなずいた。「でもね、あと二日おまけしてくれた。だから、もうちょっと一緒にいられる」今まで黙っていた輝明は、この言葉に思わず綿をちらりと見た。秋年もミラー越しに後ろを確認した。車内には四人。三人は楽しそうだった。一人だけ、
玲奈は綿の話を真剣に聞いていた。その瞳には、綿への深い哀しみが滲んでいた。綿がここまで歩んできた道は、あまりにも険しかった。本来なら、彼女はこの世で一番幸せであるべきだった。羨まれるような家族、完璧な夫……すべてを持っているはずだった。なのに、どうしてこんなにも惨めな結果になってしまったのか。玲奈はもう何も言いたくなかった。ただ、綿を抱きしめたかった。玲奈はすっと席を移り、綿を抱きしめた。綿は顔を上げ、まつげを震わせた。どうしたの?玲奈は顔を綿の肩に埋め、静かに言った。「綿ちゃん、もう、嵐は過ぎた」…もう、嵐は過ぎた。綿の心に、ぐっと何かが押し寄せた。綿は玲奈の髪を優しく撫でながら答えた。「もう全部、過ぎたよ」玲奈は小さくうなずいた。「うん、全部過ぎた。特に、あなたがあんなに多くの顔を持ってると知った今は、なおさら思うよ。綿ちゃん、この世のどんな素晴らしいものでも、あなたには釣り合わない。あなたが一番すごい」綿はぷっと笑った。はいはい、私は最強。「その褒め方、雑すぎるわ」綿は笑いながら、玲奈の頬を軽くつまんだ。玲奈は唇を尖らせ、不満げに綿を見上げた。顔をつままれても怒らないのは、綿だけだった。他の人間だったら、間違いなく怒鳴りつけているところだ。誰の顔だと思ってんだ、って!彼女は森川玲奈よ?その顔を、誰も好き勝手に触れるとでも思ってるの?ふざけないで!翔太は遠目に、二人が泣いたり笑ったりしているのを見て、思わず顔をしかめた。女って、本当に扱いづらい。こんな美人たちでも、自分には縁がない。潔く諦めるしかなかった。向かい側の友人は、じっと二人を見つめていた。それに気づいた翔太は親切心で言った。「しまっとけ。この二人、手出しできる相手じゃないからな」男は笑った。「俺は無理でも、西園寺様なら行けるんじゃない?」翔太は白けた顔で言った。「バーカ、俺がバーで親父に耳を引っ張られて連れ帰られた話、もうお前の耳にも届いてるだろ?」男は少し黙り、興味津々に言った。男は一瞬止まり、「へぇ、これが主人公ってわけか?」そんな話があるのは知ってたが、翔太が誰を口説いたのかまでは聞いていなかった。今、目の前にこの美人二人を見て思わず思った。「……蹴